ベートーヴェンの毒気に当てられた!

三澤洋史 

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ベートーヴェンの毒気に当てられた!
 ポリーニの弾くピアノ・ソナタを中心にベートーヴェン漬けの毎日を送ったら、その毒気に当てられて風邪を引いてしまった。インフルエンザとかではなくて普通の風邪だったし、熱も出なかったから仕事を休むほどではなかったけれど、頭の中がベートーヴェンだらけになっていて、夜ベッドに入っても、いつもぐるぐる音楽が鳴り響いていた。そして体がなかなか温まらず、眠りにつくまで時間がかかった。
 水曜日は、新国立劇場の稽古中、普通にしていても鼻水がツツツーと流れ出てしまうので困った。そういう時に限って、女声団員が、
「ここどうしましょう?」
と聞きに来たりする。
 一番体が不調だった木曜日あたりよりも、鼻声になって咳が出始めた金曜日から後の方が、まわりの同情度が高かった。というよりむしろ声楽家集団の巣窟であるオペラ劇場では、同情を装った警戒度が高かったというべきだろうな。
 声楽家には風邪は大敵。自分のためというより、彼等に移したらいけないとマスクをはずせなかったから、みんなの目には余計病人風に映ったと思う。

 風邪が本格的になってくるまでは、自分でも可笑しいくらいベートーヴェンを聴き続けた。2月3日、日曜日は、モーツァルト200合唱団の練習で名古屋に行ったが、その行き帰りの新幹線でもi-Podを聴きっぱなし。とにかくベートーヴェンの音楽が面白くて聴きだしたら止められない。これまであまり親しんでいなかった曲と同様に、聴き慣れていた名曲すらも、全く新しい曲を聴くような新鮮さで僕に迫ってきた。
 以前ピンとこなかった箇所でも今聴くと不思議とよく分かる。何故なのだろうと考えて、あっそうかと思ったことが一つある。それは・・・最近僕が親しんでいる音楽というと、バッハとモーツァルトだ。その音楽語法に昔より精通してきた感覚でベートーヴェンにあらためて向かい合ったから、ベートーヴェンの独創性や新しさをより理解出来たのだと思う。

ベートーヴェンとソナタ
 ベートーヴェンは、“ソナタ形式の完成者”と言われているが、その言葉はしばしば誤解を招く。“ソナタ形式”というものは、そもそも古典派時代を代表する平易なホモフォニックの音楽形式だ。第一主題と第二主題から構成された主題提示部、次に展開部、そして再現部からなる、かなり大雑把な音楽なので、ある意味もうとっくに完成されていたと言える。

 同じく古典派を代表する楽曲形式に“ソナタ”という言葉がある。これは、同じ言葉を使っているが、ソナタ形式とは違う概念だ。ソナタとは、いくつかの楽章から構成されたひとつの楽曲。それで原則としてソナタ形式の曲をどこかの楽章(大抵は第一楽章、しばしば終楽章)に持っている。
 組曲と違うところは、それぞれの楽章は組曲よりも密な内的つながりを持っていて、全体でひとつの楽曲を成している感じが強いこと。これもね、定義はそうなのだけれど、別に同じフレーズを使わなければいけないわけでもないし、実はかなり自由があるということなのだ。

 ベートーヴェンがやったことは、このソナタあるいはソナタ形式という型の中身を埋めたというか、この型の中で出来得るあらゆる可能性を追求したということだ。でもベートーヴェンがソナタ形式を完成したと言ってしまったら、その前のハイドンやモーツァルトのソナタ形式は不完全なものとなってしまうだろう。完全という意味では、逆にハイドンのソナタ形式の方が整然としていて完成されている。ベートーヴェンは、時に破壊一歩手前まで行ったからね。
 バッハも同じ。フーガという形式の中であれほどのバラエティに富んだ数々の曲を作り出し、その可能性を極限まで広げた。だから、バッハの「平均率クラヴィーア曲集」は旧約聖書、ベートーヴェンの「ピアノ・ソナタ」は新約聖書と呼ばれる。片方はフーガという形式で、もう片方はソナタという形式を使って、前人未踏の世界に足を踏み入れ、かくも壮大な宇宙を創造したのだ。

何をしたのだ?
 中期までのベートーヴェンが、ソナタ形式の中でまずやったことは、先ほど大雑把と言ったソナタ形式に内的緊張感を持たせること。そのために彼はバッハの対位法的技術を導入した。彼はしばしば、たとえば運命交響曲のダダダダーンのように最小のモチーフを用い、これを全曲中にちりばめて凝縮力を高め、同時に曲の統一感を図った。彼の展開部では、主題は重ね合わされ追いかけられ、驚くべき高揚感を作り出していく。これも対位法なくしては成し得ない。
 ソナタ形式の主題提示部は、ただ主題を並べるだけでは平板になってしまう。こういうところでも、提示した主題を、すぐさま展開したり対位法的に追いかけたりして緊張感をゆるめない。
 それ以外にもベートーヴェンはソナタ形式の中であらゆることをやったよ。提示部の終わりを完全終止にしないで、流れるように展開部に移行したり、再現部で、
「ああ、また同じように主題が次々に再現するのだろうな。」
と思っていると、いきなり別の展開したりして聞き手を飽きさせない。
 ある時は(たとえばピアノ・ソナタ第六番ヘ長調)、主題を展開させるはずの展開部で、一度も出てこなかった新しいメロディーを登場させ、延々と奏させた。悲愴ソナタのように長い序奏を置いたり、時には提示部と同じくらいの長さのコーダをおくとか、もう自由奔放、傍若無人。

 “ソナタ”という楽曲の定義に対しても、ベートーヴェンは新たな切り込みをした。たとえば、ワルトシュタイン・ソナタの第二楽章はINTRODUZIONEというんだ。何のイントロダクション(序奏)かっていうと、これはきっと、この楽章自体が終楽章ロンドへの序奏なのだろう。
 29小節もあるMolto Adagioのゆっくりな楽章だけど、キャラクターの強い両楽章にはさまれて思い惑うような断片的な曲という感じがする。結尾はきちんと終始しないで、終楽章のドミナント上にフェルマータして、そのまま終楽章に流れ込む。
 悲愴ソナタの第二楽章や、月光ソナタの第一楽章などは単独で演奏されたりもするだろうが、この曲だけは単独では成立しないだろうなあ。でも逆に言うと、ワルトシュタイン・ソナタの三つの楽章は、それだけ内的つながりが強く、三つ合わさって初めてひとつの曲なのだ。

 ハンマークラヴィーア・ソナタの終楽章冒頭は、ある意味不可解なブリッジの部分を持つ。おそらく、あの悲痛な第三楽章の後に続く音楽を探しあぐね、終楽章にふさわしいテーマを選ぶための試行錯誤をしているところを表現したのであろう。

 ベートーヴェンは、典雅なメヌエットよりも、諧謔的なスケルツォを好んで用いた。しかもベートーヴェンのスケルツォは、全く独創的で、イタリア語のscherzare(ふざける、からかう、戯れる)という意味合いを拡大解釈して、様々な種類の音楽的戯れを行う。
 速い三拍子の中で、シンコペーションを多用してリズムの遊びをしたり、皮肉っぽくなったり、不格好な舞踏を披露したりする。第九のスケルツォのティンパニーを聴くと、ベートーヴェンが世界を笑い飛ばしているのかなあとも思う。

 ラズモフスキー弦楽四重奏第三番終楽章のすさまじいフーガのように、終楽章などにフーガを取り入れることもベートーヴェンの特長。でもそのフーガは、バッハのフーガとは違って、上手にソナタ形式的展開をする。
 中期から後期のピアノ・ソナタにおいては、変奏曲もしばしば登場。また、月光ソナタあたりに端を発するが、第一楽章が静かでファンタジックな内容を持つ曲も登場し始め、しだいに後期の自由な作風に発展していく。こうして既成のソナタの枠組みから離れていく。最後には、ソナタの完成者どころか、ある意味、ソナタの解体者ともなっていく。

その音楽語法
 対位法を駆使し、構築性に溢れたベートーヴェンであるが、同時に彼はハイドンやモーツァルトなどよりずっとメロディーの歌謡性に富んでいる。英雄交響曲の葬送行進曲を聴けば分かるが、メロディーラインは時にとても長く、ひとつの雰囲気に浸っている時間はモーツァルトとは比べものにならないくらい長い。
 この歌謡性と対位法的凝縮性とを交互に用いることでコントラストを作り出すのもベートーヴェンのお得意だ。それに彼のスフォルツァンドとシンコペーション!和音の強打ひとつで全く違う世界に聴衆を突然放り込むのだ。そしてあっけにとられている我々の前に魅力ある歌謡的な旋律を提示してみせる。それがシンコペーションで強調されたかと思うと突然中断。また別の音楽がやってくる。
 このように古典的均衡は見事に崩され、ベートーヴェンは綱渡りのような状態の中で新たな均衡を示して見せた。まさにアンバランス中のバランス!もう聴いている者は息をもつけない。だから疲れて風邪も悪化する!

 おお、気がついたらこんなに沢山ベートーヴェンのことについて書いてしまった!読者の皆さん、ごめんね。よく思うのだけれど、何にでも興味を持つ僕についてくるの大変だろうなあ。しかも読者の事を考えもせずに勝手に書きたいように書いている。
 この記事を読んで、
「じゃあ、あたしもベートーヴェンを聴いてみようかしら。」
と影響されていると、もう次の週にはきっと別のことに興味を持っているんだからね。

 妻なんか、そんな僕についてくるのはもうとっくの昔にあきらめていて、
「なんて変な人でしょう。」
と思って見ているよ。

 昔、母親がしみじみ言った。
「お前は、何にでも夢中になるね。しかも周りがなんにも見えなくなって、もう怖いほどだよ。」

栗山昌良という演出家
 久しぶりに一緒にお仕事をさせていただいて、キース・ウォーナーに似ているなと思った。
「ええ?全然違うじゃない!」
と言う人は多いと思うが、まあ僕の言うこと聴いて下さいね。

 ある演出意図の元、ある舞台設定で、ある場面のある歌手の動きというのは、突き詰めていくとだんだん一通りか多くても二通りくらいに集約されてくるのだ。演劇では、間の取り方とかセリフのスピードなどは役者に任せられているので、無限の可能性があるが、オペラの場合、音楽がかなり規定するので、その間奏の間にここまで動くという事などは、ある意味、振り付けに近いくらいに決めないとうまくいかない。

 バイロイト音楽祭の「ローエングリン」や、新国立劇場の「トーキョー・リング」で一緒に仕事したイギリス人演出家キース・ウォーナーは、立ち稽古を進めながら歌手の動きをじっと見て、
「その心理状態だったら、そうじゃないだろう。こうするしかないだろう。」
とひとつひとつの視線や表情を追求していく。
 歌手達はしだいにパニックになってきて、
「でも、こういうのもあるのでは・・・。」
と反論するのだが、何度もやっていく内に、どう考えてもキースの方が正しいことが分かってくる。いや、それしかあり得ないのだという結論に達していく。
 歌手達がそこに辿り着くまで、キースは何度も何度もディスカッションをしたり、反復練習をさせる。

 「この音楽で、このシチュエーションでは、この表情以外にあり得ない」という事が、音楽とドラマの両者から総合的に判断して、驚くほどクリアーにイメージされているという点で、僕は栗山氏をキースと似ているなと思ったのだ。

 ひとつ違うところは、栗山氏はキースよりずっと気が短い。自分で演じてみせると、惚れ惚れするほど上手なのだが、
「はい、この通りやってみなさい。」
と言って、一度で出来ないと、もう怒鳴られる。
 堂々としたスター歌手達が、栗山氏にまるで学生のようにどやしつけられるのを、僕も二期会時代から何度も見てきた。昔はそれが怖くて、そばへも近づけなかった。でも年取ってきて、きっと僕は人間が図々しくなってきたのだろう。栗山氏が怒ることよりも、彼の目に何が見えているかの方に注意がいき、彼の真価がより分かるようになってきたのだ。

 そういう目で見た時、ディスカッションを重ねるキースと、怒って従わせる栗山氏との距離は思ったよりもずっと短いことが分かった。キースのディスカッションは、一見栗山氏よりも民主的に見えるが、実際には日本人よりずっと言い訳や屁理屈の多い欧米歌手に対するポーズに過ぎない。それは、対話を通して互いの妥協点を見いだすためのディスカッションでは全然なく、それによって歌手達を説得し、自分が絶対の自信を持って抱いているイメージに従わせるものなのであるから、同じ事なのである。あとはひたすら歌手達に、それを演ずる力量があるかどうかが試されているだけなのだ。

 型にはめ過ぎ、あるいはその人のキャラクターを無視している、という意見もあろう。いや、恥ずかしながら僕もそう思っていたところもある。けれど、今回初めて思ったのは、役者であれば、自分のキャラクターより前に、まず自分に与えられた役柄のキャラクターをのみこみ、それに成り切ることを目指すべきだということだ。それが仮に自分の性格と正反対であろうが、その役を引き受けたからには演じるべきであろう。プロであれば・・・。
 それに型にはまって、その中でどう演じるかが出来なければ一人前と言えないのだという事もある。それは、作曲をするのに和声学も出来ないで雰囲気だけで作って、
「これが俺の個性だ。」
と言うのに似ている。
 和声学で連続五度などを避けながら課題を仕上げることは、正直退屈とも言えるが、基本は基本だ。プロであるためには、どんな課題も最低限こなす実力を身につけていなければならない。特に、自分の苦手な楽式を扱ったり、苦手な主題を発展させる手腕も身につけることは無駄ではない。そうしないと、自分で作りたいものを作るという自由の陰に隠れて、苦手なものを避けているだけという可能性もあるのだ。
 芸術家とは、様々なテクニックの制約から完全に自由になって初めて、本当に必要な表現を選び取っていけるのだ。そして個性とは、その中から自ずと滲み出てくるものなのである。

 栗山昌良氏という演出家の凄さに僕は初めて出会った気がする。こんなに何十年もオペラをやってきて、やっと分かったんかいな。恥ずかしい。今は、毎日「黒船-夜明け」の立ち稽古真っ最中。風邪を早く直して来週も頑張るぞ!




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