とんだ週末と強風

三澤洋史 

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とんだ週末と強風
 今、この更新原稿を高崎線の中で書いている。今日(2月23日、土曜日)は、忙しかったところにもってきて、強風のためあっちこっちの電車が遅れて大変だった。
 14:00からは、新国立劇場で『黒船』の二日目公演。それが5時半過ぎに終わると志木に向かう。志木第九の会の練習だ。曲目はドヴォルザークの「スターバト・マーテル」。でも強風で電車が遅れて食事を取り損なった。池袋から急いで合唱団の事務局長に電話を入れると、志木駅前のロッテリアでハンバーガーを買って待っててくれた。それから車で練習場に入り、みんなの見ている前でハンバーガーをほおばる。

 発声練習で来ていた初谷君は、
「ええーと、発声練習は終わりましたが、三澤先生は・・・まだお食事中のようなので、危ない箇所を少しさらっておきましょう。」
と気を利かせて練習してくれる。
 あまり待たしては悪いと思って、ハンバーガーを急いで食べたらむせそうになった。やっぱり忙しくてもゆったり食べる生活をしないと駄目だな。練習を聞いていると、おお、まだまだ危ない箇所だらけじゃないか。危なくない箇所を探す方が努力が要る。9月の公演までまだ時間があるから、まっ、こんなもんか。それから僕は立ち上がり、初谷君とバトンタッチして練習に入った。もうビシビシやったぜ。

 僕は、基本的に合唱が好きなのだな。それが証拠に、どんなレベルの合唱団でも、どんな音取りも出来ていない合唱団とでも、練習をするのが楽しいのだ。しかもビシビシやるのが楽しい。怒ることは滅多にないのだが、容赦はしない。
 それで、練習が進むにつれて出来ないところがみるみる出来るようになってきた時には無上の喜びを感じる。あるいはみんなが、今やっている音楽の意味を理解して、
「ああ、こういう風に表現したらいいんだ!」
と気がついてくれた時もそうだ。

 合唱団というのは、とどのつまり、共有の喜び、連帯感の喜びにつきるのだな。それは、高崎高校グリークラブで男声合唱にハマッた時からずっと感じていることだ。人と人の声が重なり合う。人と人とが関わり合う。隣人に注意を払い、互いに努力してハーモニーを創り出す。でも萎縮してはいけない。自分ものびのび歌い、さりとて邪魔したり和を乱すのではなく、自分の力が一番良い形で団に貢献していく。自分にとっても団にとってもしあわせな状態。うーん、やめられないな。合唱人生。

 さて、志木第九の会の練習は9時半に終わったが、今日はこれで国立の自宅に帰れるわけではない。なんとこれから群馬の実家に行くのだ。新町には深夜に着くので、当然今日は着いたら寝るだけだ。明朝9時半から新町歌劇団「愛はてしなく」の練習がある。それからお昼の新幹線で再び上京し、新国立劇場に滑り込み、何食わぬ顔で14:00からの『黒船』千秋楽に出なければいけない。

 練習ピアニストの車で大宮まで送ってもらった。志木から大宮って、電車に乗るとコの字型のように乗り継ぎながら迂回するので、とても遠回りするが、車だと速いな。10時前に着いた。でも大宮駅でも強風の影響が出ている。あーあ、と思っていると、本来乗れないはずの21:50発高崎行き快速列車が入ってくるという。強風のため遅れていたのだ。
「おお、強風ばんざーい!領事様、ばんざーい(・・・は、黒船のセリフ。完全に楽屋落ち)!」
と思ったのもつかの間。
「この列車は強風のため、本日は快速ではなく各駅停車になります。」
だって。あちゃー!やっぱり強風は災いの元。
 ところで、明日も強風が吹いていたらどうしよう。新幹線が止まってしまったら『黒船』公演に遅れてしまう。なんといっても序幕の盆踊りには絶対に間に合わなければいけないんだからね。

2月24日(日)朝  鉛のようにそよぎともしない無意識の闇の向こうから、いつしか電車に揺られているような鈍い持続音に包まれている感覚が目覚めてくる。なんだか煩わしい。ふと気がつく。これは風の音だ。風が建物を揺らせているんだ。
 目を開けるとあたりは薄明るくなっている。時計を見る。6時ちょっと過ぎ。おっとっとっと、大変だ!まだ風が止んでないのかいな。新幹線、ちゃんと動いてくれないと『黒船』に間に合わない。と思いながらまた風の音に包まれながら眠りに入ってしまった。

 次に飛び込んできたのは母親の声。
「あれ、雪だがね。真っ白だ。」
玄関の鍵を開けて新聞を取り込みながら誰に聞かせるともなく叫んでいる。雪!何だって?ますますヤバイ。
 少し経って、僕はのそのそ起き出して窓から外を見た。3センチくらいだけど積もっている。群馬県といっても、僕の生まれ育った新町は埼玉県との県境にあるので、雪が降る頻度は東京とほとんど変わらない。だから雪が降るのは子供の時からなんだか楽しかった。でも今日は楽しいなんて言ってられないぜ。

 新町歌劇団の練習に行った。「愛はてしなく」第二幕の熱心党員の場面と娼婦の場面をやったが、こちらもまだまだ。11時半でスッパリやめて高崎に向かいたいのだが、いろいろ突っついていたら、未練たらしく数分オーバー。高崎からの新幹線に11:59発というのがあるのは知っていたが、やはりみんなを見棄てることは出来ない。
 次の列車は12:21発。以前にも日曜午前中の集中練習後、それに乗って新国立劇場の14:00からの練習に出たことはあるので、順調にいけば心配はいらないのだが、今日は強風で遅れが出ている可能性がある。昨晩のように列車に遅れが出ていて、順繰りに来た前の列車に間に合うかも知れない。しかし高崎駅に12時頃に着いてみると、前の電車、つまり11:59発はちゃっかり定刻で出たようだった。
「なあんだ、心配して損したなあ。それでは落ち着いて指定席を取るか。」
いつもは窓際の席など取れることなんかないのに、あっけなく二席続きの席の窓側E席が取れた。僕の手元にはさっき歌劇団が持たせてくれたお弁当とお茶がある。
「指定席でもあるし、新幹線の中でお弁当を食べよう。」
と思って、新幹線口から入り、ふと電光掲示の時刻表を見ると、あれ?次の電車が12:29となっている。一瞬、背中に嫌なものが走った。

 その時放送が聞こえた。
「皆様にお知らせします。12時21分発あさまは、強風のため運休となっております。指定券をお持ちの方は、後に続く列車に振り替えますので窓口に行って下さい。」
 大変だ!下手をすると本番ギリギリに楽屋入りすることになるぞ。でも仕方ない。今ここでどうじたばたしたって、ヘリコプターでもチャーターしない限り、新幹線より速く東京方面に向かう手だてはないのだ。
 それにしても、僕が指定券を買った時点でその列車が運休になることは分かってたのではないかな。あのよりどりみどりの座席の空き方がそれを物語っている。互いの連絡の悪さではないか。どうもすっきりしない。まあ、分かった時点でどうなるものでもなかったのかも知れないが、切符を換えてもらう手間は省けたな。
 あわてて窓口に行く。ところが12:29は満席で、指定券を取るのだったらさらにその次の列車でなければならない。どんどん遅くなる。
「なるべく早く行きたいのですが・・・。」
「それでは自由席に換えてはいかがですか?」
と言いながらお兄さんは半ば無理矢理差額のお金と自由席特急券をくれた。
 自由席ということは新幹線の中ではきっと一杯でお弁当食べるどころではないぞ。では、この間に食べるか。僕はあわてて待合室に入り、お弁当を広げて食べ始めた。気がつくとまわり中サラリーマンが同じ行動をとっている。

 それから新幹線に乗った。案の定、超満員で通路に人が溢れている。車両の隅の電光掲示板を見ると、
「京浜東北や横須賀線は、沿線火災の為、運転を見合わせております。」
「東北新幹線は、宇都宮とどこそこの間で、線路内に木が倒れている為、運転を見合わせております。」
「埼京線は、強風の為、運転を見合わせておりましたが、再開し、遅れが出ております。」
などなど、どんどん出てくる。よりによって大変な日に新町に来てしまった。しかも本番に遅刻という、あり得ない状態に瀕している。

 さて、大宮からどう行こうかと迷っていたが、京浜東北は止まっているというし、高崎線も東北線も当てにならなそうなので、埼京線に乗った。ところが埼京線も、復旧して間もないので、快速はなくなって全て各駅停車。しかも至る所徐行運転。このあたりで僕はマジで焦り始めた。新国立劇場合唱マネージャーのところにメールを入れる。
「おそらく開演には間に合わないと思うので、副指揮者に頼んで僕の配置についてもらいようにお願いします。」

 結局、新宿には13:57くらいに着いた。それから走って走って京王新線新宿駅に向かう。「今、新宿です。公演は定刻ですか?」
「やはり強風の影響で5分おしです。」
とマネージャー。おおっ、もしかしたら間に合うかも。

 結論を先に言ってしまおう。新国立劇場の大劇場エリアに着いたのが、音が出る1分前。それで楽屋に着いてコートを脱ぎ捨て、譜面と赤ペンライトを取って、冒頭の盆踊り合唱をペンライトで振るために、客席後方の監督室に辿り着いた時は、曲目開始10秒前。副指揮者の城谷君が待機してくれていた。
「おっ、間に合いましたね。」
「はぁ、はぁ、はぁ、なーんとか、ふーっ、辿り着いたぜ、はぁ、はぁ、はぁ・・・・。」

 どんな公演でも千秋楽はいいねえ。もうこれが最後。この次この作品をいつ出来るのだろうという不思議な緊張感が漂っている。合唱団も燃えている。
「オーサ、ヨッタヨッタ、オーサ、ヨッタヨッタ、オー!」
 序幕の盆踊りシーンでは、栗山昌良演出家の言う、社会を変えていこうとする民衆のエネルギーがほとばしる。思いもかけず、『黒船』は良い公演になった。これはひたすら栗山氏の業績。やはり偉大なる演出家だ。

 第三幕に入ると、合唱団は裏コーラスだけになる。それを指揮しに舞台袖に行くと、すでに第一幕、第二幕で使っていたセットがもう壊されている。畳の敷いた伊勢膳の部屋などが、無惨な姿を晒している。
「ええっ、もう壊してしまうの?なんだか痛ましいね。」
 これが、公演が終わるということなのだ。あさってからは、何事もなかったように「アイーダ」の立ち稽古が始まる。こうして次から次へと公演に向かって奔走し、公演が始まり、終わって、また次に移っていく。当たり前のことだ。でも淋しい。
 公演はエンドレスで続いていくかもしれないが、やっている本人達は、ひとつひとつに命を賭けているのだ。プロだって入れ込んでいるのだ。クールになれば気は楽なのだろう。でもクールにはなれない。熱く燃えすぎると、後で収まりが付かなくなるのは目に見えている。でも・・・・でも・・・・僕は・・・それでもやはり、熱く燃えたい。

熱く燃える人生を送って生きたのだ。それしか生きた証がないのだから。



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