仕えるために~魔弾の射手の批評

三澤洋史 

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親馬鹿~杏奈のブログ
 これは親馬鹿の話です。杏奈のブログが面白い。http://clanne.exblog.jp/
使っている写真が気が利いているし、添えてある文章がうまい。

 杏奈は子供の頃からユニークな子だった。たとえば音楽を聴いている時に、
「目をつむると杏奈が消えて、音だけがお部屋いっぱいに広がるんだよ。」
と言ってみたり、小学校二年生の時、朝、薬の水をコップに入れている時に、妻に、
「今から詩を作るからね。」
と言って、こんな詩を作った。
  こぼれる
 
  こぼれる こぼれる 水がこぼれる
こぼれる こぼれる てのひらに
こぼれる こぼれる 足に
こぼれる こぼれる ゆかに
こぼれる こぼれる コップにあふれる
あーあ こぼしちゃった
 娘達が小さい頃、我が家はドイツ式の育て方を守っていて、子供達は8時に寝ると決めていた。妻は毎晩子供達と一緒に寝室に行き、絵本を読んで聞かせていた。子供達にはそれが楽しみで、学校で遅い時間にやっているテレビ番組の話題に話が合わなくても気にしなかった。
 たまに僕が仕事が早く終わって家にいて、一緒に妻の絵本を聞くと、僕が一番早く寝込んでしまったりもした。時には気が向いて僕が絵本を読む側にまわると、抑揚をつけて各登場人物を描き分けて過度にドラマチックに読んでしまうので、子供達が興奮して眠れなくなってしまう。子供達は喜ぶのだが、妻にはすこぶる評判が悪かった。
「寝る前なんだから、静かにやさしく読むのよ。」
 お姉ちゃんの志保は可愛い絵本が好みだったが、杏奈はちょっと奇怪な変わった絵本が好きだった。この子は、なにか特別な感性を持っているな、と思っていたものだった。

 お姉ちゃんと同じように杏奈もピアノのレッスンに通っていたが、お姉ちゃんほど華々しく弾けたわけではない杏奈は、いつもお姉ちゃんの陰に隠れていた。でも発表会になるとどういうわけか堂々と弾いていた。
 ある時、
「杏奈、音楽家にならないからね。料理のシェフになる。」
と言った。僕たち親はちょっとがっかりしたが、それもいいかなと思っていた。ところがなんのなんの、中学に入って、友達に誘われて吹奏楽のクラブ活動に入るやいなや、猛烈にクラリネットを練習し始めた。
 同じ音楽でも、お姉ちゃんと競争しないで済むし、パパのやっている事とも違う。つまり、家族のプレッシャーを感じないで、自由に羽ばたく自分だけの世界を彼女は見つけたのだ。

「ダメダメ、プロになるのだったら、甘ったれないでテクニック、テクニック!」
と本人の前では言っている僕だが、芸術は、究極的には感性だと思っているので、杏奈がクラリネットだけでなく、こういうところでも自分を表現しているのは嬉しい。

うらやましい妻のパソコン
自分のパソコンをヴァージョン・アップして、CPUをCore2 Quadに、メモリーを2GBの二枚差しで4GBの最強マシンにしたため、それまで使っていたCore2 Duoと1GBメモリーの2枚が余ってしまっていた。もったいないなと思っていたら、ちょうど折良く妻のパソコンがなんとなく調子悪くなってきた。そこで、
「この際、このパソコンもヴァージョン・アップしようね。ただソケットの形が違うのでマザーボードを取り替えて、Windows XPも初期化して入れ直さなければいけない。」
と妻を言いくるめたが、
「とかなんとか言っちゃって、また買い物するのね。家計簿ソフトのデータと、メール・ソフトの受信記録やアドレス帳は絶対に消さないでね。消したら承知しないわよ。」
と言われて、もう慎重に慎重を重ねてドキドキしながらバックアップを取った。

そうして僕の自作パソコン・ナンバー2である妻のパソコンも見事にヴァージョン・アップを遂げた。実はCore2 Duoを使うマザーボードLGA 775は、グラフィック・ボードも以前のSocket 478タイプのとは違うので、それも一緒に買い換えた。安いタイプなのでファンがついていなくてとても静か。
 Core2 Duoは元々電気もくわないし、発熱が低いので、ケース・ファンも取り外した。ついでにCPUファンも「峰」という安くて超優秀な静音ファンに取り替えた。気がついてみたら、動いているのかも分からないくらい静かで、しかも究極的省エネ・パソコンが出来上がった。

 あれえ、こっちの方がいいじゃん。このあと、妻のパソコンにこれまで入っていたパーツは、自作パソコン・ナンバー3である群馬の母親のパソコンに入ることになる。そのように順繰りに回っていって・・・・・母親のパソコンの余ったパーツは・・・・新しくもうひとつ作ろうか・・・・誰か欲しい人いる?

 それより、妻のパソコンを見ていて感じたのは、自分のマシンは最強とか言って見栄を張っているけど、使っている本人が心地良い環境を作る方が大切だということ。良いグラフィック・ボードにはファンがついているのでうるさいんだけど、ゲームをガシガシやるわけでもない僕は、本当は妻のマシンくらいでちょうど良いのです。うらやましいな、妻のパソコン・・・・。

仕えるために~魔弾の射手の批評
「日経夕刊に三澤さんのことが出ていますよ。」
と何人もの人に言われた。それだけではない。コピーをファックスで送ってくれた人や、わざわざスキャナーに取って添付ファイルで送ってくれる親切な人もいた。新国立劇場で上演中の「魔弾の射手」批評のことである。

 4月16日、日本経済新聞夕刊に掲載された池田卓夫氏の批評のタイトルは「合唱と管弦楽に聴き応え」。文中に「何より優れていたのは新国立劇場合唱団(三沢洋史指揮)とダン・エッティンガー指揮の東京フィルである。」という文章があった。

 僕が一番嬉しいのは、自分のことが褒められた事そのものよりも、それを周りの人達が喜んでくれて、僕に報告してくれたことだ。僕の事を自分の事のように喜んでメッセージと一緒に送ってくれた人達。僕は、このような人達に支えられて今日まで生きてきたのだなあと、感謝の気持ちでいっぱいになった。僕に知らせて下さった皆さん、本当にありがとうございます!

 批評なんてと思っていたが、褒められると嬉しい。これまで頑張ってきた事が少しでも報われた気がする。人に好かれるために音楽をやっているのではないといつも自分に言い聞かせてきた。特に新国立劇場の場合は、国民の税金を無駄遣いしないためにも、少しでもクオリティの高いものを提供しなくては、と自負を持ちながら人選をし、音楽作りをしてきた。
 でも正直言って、たとえば試聴会で誰かを落とす時は、毎回身を切られるように辛かった。僕は団員のひとりひとりを本当に大切に思っているけれど、たぶんそれは伝わらないだろうなあと思う。

 指導者は孤独だ。孤独でないといけないと思う。常にみんなから均等の距離を置き、えこひいきを徹底的に避け、同じように「愛さないと」いけない。何のため?

 それを考える時、僕には神が必要なのだ。この世で報われようと考えるならば、人間は行動が短絡的になってしまう。その都度評価されようと望むならば、目に見えるところだけ体裁を整えようとする“あざとい”生き方になってしまう。
 そうではなく、本当に必要だと思うことをコツコツ誰にも認められなくても努力するためには、もの凄く強い意志が求められる。神を信じる者は弱い者だという意見があるならば、僕は自分が弱い者だと宣言することを恥じない。
 でも、自分には「この世で報われなくてもいい」という価値観がある。これが僕を強くする。

 それでも人間だから、褒められれば嬉しい。ただ、あまり喜んでしまうと、褒められることを望む人間になってしまう。いけない。淡々と生きなければ。自らの内心に目を向け、正しいと信じたことをやらなければ。

僕の視線の先には、あの徹底的に他人のために自分の命を捧げつくした一人の人間がいる。
  あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。
マタイによる福音書第20章26-28



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