曲を孕む!

三澤洋史 

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バレンボイムという現象Ⅱ
 4月6日に更新された「今日この頃」で、僕は「音楽と社会~バレンボイムという現象」という記事を書いた。これはユダヤ人指揮者ダニエル・バレンボイムと、彼の親しい友人のパレスチナ系アメリカ人学者エドワード・サイードによる対談を中心とした「音楽と社会」という本に関する記事だった。
 本来敵同士であるイスラエル人とアラブ人が、対話をするどころか友人同士であり、共に複雑な民族問題に勇敢にも踏み込んでいこうとする姿勢に心打たれた僕は、「魔弾の射手」公演のために来日しているイスラエル人指揮者ダン・エッティンガーともいろいろ議論したりして、このテーマにとても関心を持ったのだ。

 ある時、新国立劇場合唱団のアルト団員のひとりIさんが、僕に一枚のDVD-Rを貸してくれた。それはバレンボイムがサイードに共鳴して、イスラエルとアラブ諸国の才能ある若者達を集めて1999年に創設したオーケストラ、ウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団のドキュメントで、衛星放送で放映したものの録画だった。彼女は僕のホーム・ページを読んでいて、何かの役に立つのではと思ってDVDを貸してくれたのだ。

 5月28日(水)は休日になったので、昼間は妻と勝沼までドライブした。ワインの丘のレストランでグラス・ワインを飲みながらビーフ・シチューを食べ、天空の湯に入ってTBS演奏会の疲れを癒した。そして勿論、勝沼ワインを買って帰ってきた。
 夜は勉強しようかなと思ったけれど、せっかくの休日だし、そうだこのDVDを見てみよう、と思って居間で見始めた。妻も長女の志保も、それぞれにやりたいことはあったようだが、僕が見始めると二人ともその場に釘付けになってしまった。

 深い感動が見ている僕たち家族を包んだ。バレンボイムの平和への熱い情熱。自分の信じることを発言する勇気。行動力。すべてが桁外れだった。凄い人間だと思った。
 バレンボイムは音楽家であるから、勿論W.E.Dオーケストラで、“音楽を通して”平和を実現したかったに違いない。でも彼はそれにとどまらず、集まった若者達に各民族の先入観を突き破ることを強要する。彼自身、イスラエルの国籍を持ちながら、イスラエルによるヨルダン川西岸地区やガザ地区の占領政策に批判の声を上げ続けていたのだ。

 2004年5月、バレンボイムは、クネセト(イスラエル国会)のセレモニーにおいて、ヴォルフ賞を授与された。この機をとらえて、バレンボイムは政治状況についてこのように述べた。
  心に痛みを感じながら、私は今日お尋ねしたいのです。征服と支配の立場が、はたしてイスラエルの独立宣言にかなっているでしょうか、と。他民族の原則的な権利を打ちのめすことが代償なら、一つの民族の独立に理屈というものがあるでしょうか。ユダヤ人民は、その歴史は苦難と迫害に満ちていますが、隣国の民族の権利と苦難に無関心であってよいものでしょうか。
 以上の発言に対して、イスラエルのスポーツ文化相が、即座に彼を非難する緊迫した様子もDVDには映っている。

 バレンボイムは、全てのことに本当に率直で、正しいと思ったことをまっすぐにやり遂げる。それが、ユダヤ人パレスティナ人という相反する民族から集まったW.E.Dオーケストラの若者達にも容赦なく問題を投げかける。
 その中でも、パレスチナ自治区で、民族紛争のまさに中心地であるラマラでのコンサートの企画は、当初は無謀とも思われた。その企画を突きつけられて、若者達はとまどい、苦悩し、時には拒絶する。でも、そうした一連のことを通して、彼等は、自分の横で弾いている仲間達と敵同士でいられるのか、と自問し、新たな行動の動機を与えられた。
 そしてラマラのコンサートは行われた。彼等がつき崩した壁の大きさは計り知れない。

 若いって素晴らしい。日本でも幕末に、新しい国造りのためにその身を顧みず行動していった者達も、大半は十代後半から二十代だった。自分の行動が人に与える影響の大きさに気がつき、無欲、無心になった若者は、本当に世界を180度変える力を持っているのだ。
 一方、年取ってくると捨てられないものがどんどん大きくなり、欲で結ばれた関係の中でがんじがらめになり、思い切ったことなど何も出来なくなってくる。だから政治を年寄りに任せていては駄目だ。

 調べてみたら、このドキュメンタリーは、ラマラでのコンサートと抱き合わせで2枚組のDVDとして販売されている。詳しくは下記へ。
THE RAMALLAH CONCERT / ラマラ・コンサート

曲を孕む!
 毎日持ち歩いていたカンタータの譜面を棚にしまう瞬間や、i-Podからそれまでのファイルを消し去る瞬間というのは気持ちいいねえ。これは音楽家でないと分からないかも知れないけれど、演奏会の直前というのは、息を吐くとその曲が出てくるほど、演奏会曲目と一体となるので、もう体の中が飽和状態となっている。それを吐き出して体の中を空っぽにする瞬間の快感というのがたまらないのだ。きっと臨月の女性が子供を産んでおなかを空っぽにした瞬間に似ているのではないかな。

 でもすぐに僕のi-Podには、次の演目の「マタイ受難曲」を入れた。僕の家にはいくつかのマタイのCDがあるが、今回は鈴木雅明氏の指揮するバッハ・コレギウム・ジャパンのCDを入れてみた。これからまた僕の精神は一ヶ月かけて「マタイ受難曲」を“孕む”のだ。
 でも演奏会までまだ日があるので、一緒にハービー・ハンコックの「処女航海」とマイルス・デイビスの「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」を入れて、行き帰りの電車の中で聴いている。って、ゆーか、まだそればっかり聴いていて、マタイの方は入ったまま。

 i-Pod Actuelleにマイルスのことを書きたくているのだが、きっと書き始めるととても長くなってしまうような気がするので、夏休みにでも時間の空いた時にまとめて書きますね。マイルスに関しては、一冊の本が書けるくらい言いたいことがあるんだ。僕の趣味はマイルス研究ですと言ってもいいな。仕事で聴く以外は、クラシックよりもジャズを聴くことが多い僕だが、ジャズでは、いろんな演奏を聴いていても、結局マイルスに戻ってきてしまう。

 「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」では、まだジョン・コルトレーンが自分のスタイルを確立していないので、マイルスがイニシアチブを取って、随所にアレンジの工夫をほどこしている。それがいい。
 編曲家のギル・エヴァンスは、アルバムのタイトルになった「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」について、
「俺の編曲をパクッた。」
と言っている。ギルが「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」のビッグ・バンド用の編曲をしている時に、マイルスはふらっとギルのアパートに遊びに来た。その時ギルの譜面を見て、
「このアイデアを俺の録音に使っていいか?」
と訊いたという。
 ギルが録音スタジオに呼ばれると、譜面も渡していないのにマイルスはギルの編曲を正確に覚えていて、ビッグ・バンド用の雰囲気をわずか5人のコンボで見事に再現したそうだ。マイルスはニカッと笑って、
「どうだい?」
と言わんばかりの誇らしい顔をしたそうで、それがこのアルバムになったということだ。 ギルは、
「編曲料なんかあいつは一度もくれたことないよ。」
とぼやいている。でもマイルスは、ギルがお金がなくてピアノを売った時も、ピアノをプレゼントしてくれたり、別のところで友情の厚さを見せていたのだ。こういうやりとりというのは、クラシックの世界ではほとんどないなあ。なんか、いいなあ。

 一方、「処女航海」の中のドルフィン・ダンス(ハービ・ハンコック作曲)という曲は本当に名曲だ。どうやったらこんな素晴らしい曲が作れるのだろう。和声的にも超モダンで、めちゃめちゃ凝っているが、それでいてシンプルに聞こえて洒落ているんだ。オーバーに言うと、20世紀後半のつまらない現代音楽を全て引き替えにしてでも、僕は迷わずこの曲をとるね。
 このアルバムでは、60年代マイルス・バンドのお馴染みサイドメン、リーダーのハービー・ハンコックをはじめとして、彼に率いられたドラムスのトニー・ウィリアムスとベースのロン・カーターがリズム隊を守っている。テナーサックスは、ウエイン・ショーターに変わる前にマイルスが使っていたジョージ・コールマン。トランペットはフレディ・ハバード、つまりこれはマイルスだけいないマイルス・バンド。こんな謀反のようなことをされて、しかもこのアルバムがジャズ史上に燦然と輝く名盤となっても、マイルスは彼等をとがめることなく悠然と構えている。って、ゆーか、自信があるから、別に気にもとめていないんだろうな。やっぱり偉大なんだ、マイルスは・・・・というように、どうしてもマイルス礼賛になるな。

速報!
 ガーデン・プレイス・クワイヤーが6月28日(土)に東京オペラシティ・タケミツ・メモリアル・ホールで行う「マタイ受難曲」演奏会の福音史家、テノールの畑儀文(はた よしふみ)さんと合わせをした。
 この演奏会では、福音史家のレシタティーヴォは、僕が自分でチェンバロを弾く。なので、お互いの呼吸を合わせるためにも、まだ4週間前だが、この時期での合わせは不可欠だったのだ。畑さんのことはいろんな人から聞いていた。でもお会いするのは今回が初めて。
 素晴らしい福音史家だ。畑さんは、物腰も誠実そうだが、音楽に対する取り組みも誠実そのもの。それでいて受難劇の内容に対する熱い想いがひしひしと伝わってくる。合わせをしながら僕は自分がどんどん興奮してくるのを感じた。向こうも僕の音楽造りに賛同してくれて、僕たちの間には大いなる共感が生まれた。なかなかいないよ、こんな芸術家。

これは、間違いなく良い演奏会になるぞ!



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