ベースが大事
一方、そんな風にバッハの通奏低音にハマっている時は、気分転換に聴くジャズも、ついベースを聴いてしまう。ポール・チェンバースというベーシストは、バッハ的に見ても理想的な進行をする。小節の頭の音は和音の基本的な音を必ず押さえているし、和音構成音から次の構成音に移行するラインがあまりに美しいので、ついその上でプレイしているトランペットやサックスを忘れてベースに聴き入ってしまう。まあ、何度でも聴けるので、今度はベースに集中して聴こう、といった聴き方が出来るのもジャズの特徴。ジャズとは究極的なポリフォニー音楽だからね。
僕は運転免許証を持っていないので、仕事に行く時、妻が忙しくない時は、彼女の車で府中駅まで送ってもらう。その時いつもいさかいとなるのは、カーステレオのボリュームだ。妻だけでなく一般の人は、音楽を聴く時、メロディが聴ければそれでいいらしいのだが、僕は違う。その昔、高崎高校合唱部でベースを歌っていた僕は、その時以来、音楽におけるベースの役割に目覚めてしまったとみえて、ベースのラインが聴けなければ、その音楽を聴いたことにならないのだ。だからベースのラインがはっきり聞き取れる状態になるまでボリュームを上げる。それが妻には大きすぎるというわけだ。
「そんなに一生懸命聴いていたら疲れてしまうじゃないの。」
「一生懸命聴くわけじゃないんだけど、ベースが聴けないと気持ち悪くて仕方ないんだ。BGMのようにテキトーに聴くわけにはいかない。自分にとっては聴くか聴かないか二つにひとつだ。」
いっとくけど、みなさん!バロック音楽とジャズは、ベースを聴くことが基本だからね。これをはずしてはいけません。ベースを良く聴いていると、その上に構築されている和声の流れが見えてくる。すると音楽を、気分や雰囲気ではなく、もっと構造的に捉えられるようになってくるんだ。いや、バロックやジャズだけでなく、これは全ての音楽の基本だな。ブラームスも同じ事を言っているよ。バスの進行を大切にしなさいってね。
マラソン・セッション
今僕が息抜きにとっかえひっかえ聴いているのは、マイルス・デイビスの4枚のアルバムだ。「スティーミン」「クッキン」「ワーキン」「リラクシン」という4枚に分けて収められている演奏は、全て1956年の5月11日と10月26日のわずか二日間で、それぞれの曲をほとんどワン・テイクで録音したものだ。俗に言うマラソン・セッションだ。1956年っていえば、1955年3月3日に生まれた僕が、ようやく言葉をしゃべってよちよち歩き出した頃だ。
マイルスは、それまでずっと録音してきたプレスティッジ社から、もっと大手のコロンビア社に移籍しようとしていた。しかしプレスティッジとはまだ契約が残っていた。あと4枚分のレコードを録音しないとプレスティッジを離れられないという。そこで、
「ようし、一気にやっつけちゃおうぜ!」
という感じで、ほとんどナイト・クラブでのジャム・セッションのようなノリで演奏し、どんどん録音していって出来たのがこの4枚だ。しかし、この投げやりとも思えるエピソードとは裏腹に、これらの演奏はどれも素晴らしいの一言につきる。
僕は、マイルスの全ての演奏史において、二つの時代の演奏を特に気に入っている。ひとつが、これらのアルバムが録音された時期。もうひとつは1960年代のトニー・ウィリアムスのドラムを中心としたプログレッシブ・ジャズだ。それで、この1956年あたりのバンドについてマイルスが自分で語っている言葉を聞いてみよう。
グループは、トレーン(ジョン・コルトレーン)のテナー、レッド・ガーランドのピアノ、ポール・チェンバースのベース、フィリー・ジョー・ジョーンズのドラムス、それにオレのトランペットだった。予想していたよりもずっと速く、オレ達の音楽は、信じられないほどすごいものになっていった。あまりにすごいんで、夜な夜な背筋が凍る思いをするほどだったが、それは客のほうも同じだった。 |
批評家のホイットニー・バリエットは、トレーンとオレが一緒にやりはじめて間もない頃、 「コルトレーンは、乾いていて荒削りで、マイルスを際立たせるトーンを持っている。ざらざらした宝石台のようだ。」 と書いた。 やがてトレーンはそれ以上のミュージシャンになった。奴自身が、ダイヤモンドそのものになったんだ。だが、奴がそうなることは、オレも、奴の演奏を聴いた人間なら誰でも、とっくにわかっていたことだった。 |
夏に向かって助走状態
例年のごとく忙しい夏が始まりつつある。自作ミュージカル「愛はてしなく」は、群馬県高崎市新町文化ホールと国立芸術小ホールとの二カ所で上演するが、合唱団は新町歌劇団と国立のミュージカル・ワークショップという二つの異なった団体が出演するため、稽古が二倍必要だ。
この原稿を書いている15日の日曜日は、午後から夜にかけて新町歌劇団の集中稽古。夜にはイエス役の初谷敬史君が足利の本番を終えて駆けつけてくれる。明日16日は、国立の方で午後から主役ソリスト達が全員集合して立ち稽古。ここで、今回の公演の出来上がりが予想されるので、僕としてはひとつの正念場となる。
夜にはミュージカル・ワークショップのみなさんと合同でフィナーレの立ち稽古。国立ではキャスト全員集合となり、初顔合わせと、全体稽古となる。僕と振り付けの佐藤ひろみさんは、新町と国立の両方にしっかり関わるため、今日から明日にかけてはべったり「愛はてしなく」漬けだ。
オーケストレーションも間を縫って粛々と進めている。今回は内容が内容なので、ナディーヌのように、たとえばフル・バンドのカラフル・サウンドをあからさまに出すというような方法はとらないが、フル編成のオーケストラに、エスニック・サウンドが混じり合う、やはりエレクトーンなしでは達成できない音の世界が展開されている。
ヤマハのエレクトーン・シティの方では、オペラでオーケストラの代理を務めるのではなく、エレクトーンならではの独自のサウンドを追求してドラマとの接点を持つ僕のミュージカルに以前から注目していたが、今回、是非「愛はてしなく」のメイキング・ビデオを撮らせて欲しいと言ってきた。エレクトーン奏者の塚瀬万起子さんや長谷川幹人さんとの打ち合わせや、実際のサウンド作りの場面、国立での舞台稽古などを撮って、本番までの道のりを辿っていくらしい。
一方、新国立劇場での子供オペラ「ジークフリートの冒険」は、一度ウィーンで上演しているバージョンでの公演となるが、ウィーンに僕が行くことが出来なかったので、知らないところで何小節かカットされたり、自分がいたらこういう風に直したのになと思うところがなくはなかった。今回演出のマティアス・フォン・シュテークマンも来日するので、この際、しっかり僕が介入して、必要なら譜面を書き換え、永久保存版となる納得のいくものを作ろうと思っている。今秋のチューリッヒ歌劇場での公演も、出来ればこの新国立劇場バージョンを反映させたい。
本当に忙しい夏は、「マタイ受難曲」公演の後から始まるが、もうすでに助走状態に入っている。さあ、今年も頑張るぞ!