死ぬかと思った一週間

三澤洋史 

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死ぬかと思った一週間
 今、はっきり言って放心状態。お、終わったあ・・・・。自分で自分を褒めてあげたい。何があったのかというと、今日7月6日、日曜日、東京フィルハーモニー交響楽団の「午後のコンサート」の指揮者である若杉弘氏が降板したため、僕が急遽代役で指揮したのだ。

 新国立劇場オペラ部門芸術監督である若杉氏は、以前腰の骨を圧迫骨折してしまったが、それ以来腰痛に悩まされている。それでも基本的には元気で、椅子に腰掛けていれば、「ペレアスとメリザンド」なども指揮できるのだが、今回は多忙も重なってか特にひどく、「ペレアスとメリザンド」の練習中に、この演奏会の降板を匂わせていた。それで代役を捜していたのだ。

 僕の処に最初の打診が届いたのは、「マタイ受難曲」直前。どうにも身動きの取れない時だった。「マタイ受難曲」演奏会の次の日は、一日東京を離れ、名古屋でモーツアルト200合唱団「パウロ」の練習だし、動くことが出来るのは月曜日以降。しかも高校生のための鑑賞教室「椿姫」の立ち稽古などの通常業務がそれなりに詰まっている。
「え?ムリ、ムリ!」
と即座に思った。
 でも、テーマが「劇場の音楽」で、若杉氏がお話しをしながら進めていく演奏会といえば、トークが出来る人材を含めて、代行できる人はかなり限られてしまうだろう。さしあたっては、身近には三澤さん以外にはいないだろう、という話が東フィルと新国立劇場との間で成立していたようなので、これはやるしかないのか、と観念した。

 実はこの演奏会には新国立劇場合唱団が共演する。当然僕は、流れとすれば合唱指揮者としてこの演奏会に加わらなければならなかったのだが、子供オペラ「ジークフリートの冒険」プロジェクトが7月7日月曜日から始まるのに先駆けて、音楽稽古を歌手達につけなければならない。だからこの演奏会の合唱指揮は、若くて優秀な指揮者、冨平恭平(とみひら きょうへい)君にお願いしていた。さらに残りの時間で、「愛はてしなく」のオーケストレーションをなるべく早く進めようと思っていたのだ。それが全てひっくり返ってしまった。

 プログラムは、ストラヴィンスキー作曲「春の祭典」「ペトルーシュカ」「火の鳥」の抜粋を含む、簡単ではない曲目が並んでいるが、月曜日から全てを犠牲にして猛勉強すれば、金曜日の最初のオケ練習までには、なんとか間に合うかも知れないとは思った。でも、「マタイ受難曲」演奏会の前に、すでに「マタイ」の勉強の為に犠牲になっていて、遅れて催促されている仕事がいくつかあったし、それぞれの練習や通常業務は、やはり休むべきではない。
「うわあ、出来るかなあ?」
でも悩んでいる場合ではない。芸術監督の代わりを東フィルと新国立劇場から任されたのだから、もうやるっきゃないだろう。
 スコアは、月曜日の午前中遅く届いた。午後からは「椿姫」の練習。とにかく時間がない。しかも知らない曲が何曲かある。

 東フィルのホーム・ページを見ると、“完売御礼”と出ている。おうおう、めちゃめちゃプレッシャーやんけ。僕の人生最大の絶体絶命のピンチだね。ここまで追い詰められると、逆にもうこの状況を笑うしかない。
「ようし、やってやろうじゃねえの!」
とやけっぱちになったぜ。

 それから先は、もう人には話せないほど、スコアを勉強してしてしまくった。こんなに短期に集中して勉強したことあったか?寝る時と、飯食っている時と、仕事している時以外は、全部勉強していた。夜は倒れこむようにして寝た。

 水曜日の朝、若杉氏から電話があった。腰の具合が思ったより回復しているので、指揮は出来ないのだが、当日は演奏会に出演して、ナビゲーターとしてお話しだけはさせてもらう、ということだった。ああ、よかった。この上、ナレーションのための原稿も考えなければならないと思うと、気が遠くなっていたのだ。

 7月4日金曜日、バクバクの心臓を押さえながら、文京シビック・ホールにオケ練習に出掛けていった。指揮者にとっては、演奏会当日よりも、オケ練習の第一日目が最も大事な日なのだ。この最初の練習で全てが見抜かれる。ここで得た信頼関係や、逆に言うと不信感は、そのまま演奏会に持ち越される。優秀なオーケストラであればあるほど、瞬時に指揮者の音楽性や勉強度、作品に対する思いなどを見抜くのだ。だから最初の練習の、特に最初の一時間ほど、指揮者にとって恐ろしい時はない。
 大編成の方から始めて欲しいというオケ側の意向もあって、練習は「春の祭典」から始まった。でも考えてみると、僕は東フィルとはずいぶん一緒に仕事しているし、楽員達は、僕が急に代役として練習に臨んでいるのを知っていて、きわめて暖かく、かつ協力的だった。

 土曜日の練習には若杉氏がいらっしゃった。僕のつけるオケ練習をずっと見ていた。「こうもり」第二幕開幕の合唱のイントロの弦楽器に対して、僕は、
「かなり乱暴でもいいから、がっちり音を出してね。」
と注文を出しておいたのだが、なにか、もうひとつしっくりいかない。その時、見学していた若杉氏が、
「Am Froschでやったら。」
と言って下さった。Froshとは、蛙のことだが、同時にヴァイオリンの弓の根元の意味がある。Am Froschとは弓の根元にたぐり寄せて弾けという意味だ。言われた通りにやってみたら、一発でうまくいった。さ、さすが・・・・経験者は強い!その他、いくつかのアドヴァイスが、どれも的をついたもので、僕はあらためて若杉氏の見識の深さに承伏した。

 そして、本番。いやあ、楽しかった。合唱団はいつも一緒にやっている新国立劇場合唱団だし、東フィルも、本当に素晴らしく演奏してくれた。何より、会場のお客さんが、若杉氏を目当てに来たのだろうに、
「金返せ!」
とか。
「三澤なんか、引っ込めー!」
とかならずに、みんな満足して帰ってくれたようで、ホッとしている。

 妻と二人の娘達は、状況が状況なだけに、あまりに心配で、三人揃って本番を見に来てくれたが、どうやら良かったらしくて、珍しくみんなに褒めてもらえた。
 夜は、近くの蕎麦屋で打ち上げ。蕎麦屋といっても、最近改築して、ちょっと高級風になった店で、料理もうまいのだ。
「パパ、頑張ったね。ちょっぴり尊敬したよ。」
こんなこと言われて、相手は娘ながら、ちょっぴり鼻の下がだらーんと伸びきってしまいました。

 さて、「愛はてしなく」のオーケストレーションが恐ろしいことになっている。みなさん、大変申し訳ないのですが、来週一週間だけ、更新をお休みさせて下さい。本当にヤバイのです。死にものぐるいの夏がもっと死にものぐるいになりそうなので、ここで一気に集中してやっつけてしまいます。それさえ出来れば、今年の夏は、少なくとも昨年よりは、ゆったり過ごせるのです。全く、もう若くないんだから、無理しないようにしなくてはね。



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