BOSEのある風景

三澤洋史 

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威嚇され続ける日々
 東フィル「午後のコンサート」が成功裏に終わったものの、その後、全てが一週間遅れになって、「愛はてしなく」のオーケストレーションだけでなく、いろいろの仕事が詰まって身動きのとれない日々が続いている。
 新国立劇場における業務だけでも、連日続く高校生のための鑑賞教室「椿姫」の合唱指揮に加えて、子供オペラ「ジークフリートの冒険」プロジェクトが今たけなわ。少なくとも午後から夜は劇場内に缶詰となっている。その他の時間をいろいろにあてているのだから、時間がいくらあっても足りるわけがない。

 営業部からは、「ドン・ジョヴァンニ」のチラシ原稿の締め切りがとっくに過ぎていると脅かされているし、「愛はてしなく」の照明家からは、照明プランはいつ原稿にして渡してもらえるのかと脅かされている。
 出来上がった分のオーケストレーションは、エレクトーン奏者達にすでに送っているのだが、続きはまだかと脅かされているような気がするし、それよりも、果たして仕上がるのかと、自らに脅かされているような気がするし、とにかく世界中がじりじりと包囲網を狭めながら僕を威嚇しているような妄想に日夜さいなまされながら、元気で生活している今日この頃でございます。
みなさんは、いかがお過ごしですか?

ステレオ大改造
 「午後のコンサート」は、めちゃめちゃ大変だったが、同時に予期せぬ臨時収入となった。でも、三澤家の場合、家中の至る所に金食い虫が生息しているため、放っておくと、いつの間にかそれらの餌食になって自然消滅してしまう。これでは、あの殺人的な努力が報われない。そこで、このギャラの一部は、なにか形になるものとして記念に残しておこうと決心した。

 僕の心に真っ先に浮かんできたのは、家のステレオの改造だった。なんといってもスピーカーがいけない。昔、オーディオ専門店でいろいろ聞き比べた挙げ句、クラシックを聴くのだからあまり派手ではなく、長く聴いても飽きないものを、と思って、一番地味そうなやつを買ってきた。
 ところが家で聴いてみたら、地味どころか、何を聴いてもぼーっとしていて特徴のない駄目スピーカーだった。長く聴いても飽きないものをといったって、飽きる前にいやになってしまうのだから、長く聴く気にもなれやしない。

 今度買うならば、思いっきり特徴があって、評価がバサッと分かれるようなものにしようと心に決めていた。そうだBOSEだ。BOSEを買ってみようぜ!というわけで、めちゃめちゃ忙しいはずの仕事の合間を縫って、新宿のビック・カメラとヨドバシ・カメラのBOSEコーナーに通った。
 以前のこの欄でも書いたが、僕はサービスの面でビック・カメラのやり方に感心して以来ビック・カメラ派だ。だからあまりヨドバシには通っていなかったのだが、BOSEコーナーは、ヨドバシの方がはるかに充実しているので、またプライドもなく簡単に鞍替えして新宿西口のヨドバシ通いが始まった。
 最初、買おうと思っていたのは、77WERという、ホーム・シアター向きの縦長タイプ。ペアで12万円くらいする。これを部屋に置いたらカッコいいだろうなと密かに思っていた。でもBOSEコーナーでいろいろ聞き比べてみると、それよりも随分安い301Vという普通の格好のタイプが明らかに良い音がしている。見た目は冴えないし、値段が安いとなんだか価値が低いような気がする。でも、聞こえてくるものは聞こえてくるもの。僕は自分の耳を信じようと思って、思い切って301Vを購入した。ペアでスタンド付きで7万円台半ば。安いでしょ。お金が余っちゃった。
 だからというわけではないが、その日にもうひとつ買い物をした。CDプレイヤーだ。

 MARANTZ派だった僕は、アンプはMARANTZと決めていた。最近まで、家にはMARANTZのアンプとCDプレイヤーがあった。でも、数年前にまずアンプの調子がおかしくなって雑音が出るようになった。
 で、買い換えるにあたって当然のごとく再びMARANTZにしようとしたが、店で聴き比べたり調べている内に考えが変わった。DENONのアンプが良いような気がしてきたのだ。それで初めてDENONをためしに買ってみた。すると例の駄目スピーカーでも音が変わった。サウンドに厚みが出てきたのだ。
 と思っていたら、今度はMARANZのCDプレイヤーも壊れてきた。中身は大丈夫なのだが、開閉を自分でしなくなって、手で無理矢理こじ開けたり押し込んだり・・・。

 で、思い切ってプレイヤーもスピーカーと一緒に買い換えることになったわけだ。アンプに合わせてDENONの、しかも同じシリーズのCDプレイヤー版。DCD-1500AEというタイプ。定価84.000円のものを69.800円で買った。

 DENONってさあ、昔は「デンオン」って言っていたわけよ。ベルリンに留学した頃、ドイツにも出回り初めていて、ドイツ人達が「デノン」って読んでいるのを、
「馬鹿だなあ。これはね、デンオンと読むの!」
といちいち得意になって訂正していたのに、知らないうちにいつのまにか「デノン」になっている。
 外人がそう読むからといって、本家本元が外人に合わせて「デノン」って名乗るたあ、情けない!おめーらプライドってものはネーのかよ!まあ、いいや。製品が優秀ならば読み方はなんでも別にいいや。

BOSEの危うさ
 さて、14日の月曜日にとうとう来たよ。でも宅配便は、BOSEとDENONそれぞれの会社の工場から別々に配送されてくることになっている。その事によって、我々家族は思いがけなく、実に貴重な体験をすることになった。

まずBOSEが来た。早速アンプにつなぐ。本当はCDプレイヤーも同時に取り替えて、ドラマチックな違いを体感したかったのだが、DENONがいつくるのか分からないので、とても待ちきれない。
それで、以前のMARANTZのCDプレイヤーにつないで音を出してみた。まずかけたCDは、ウィントン・マルサリスのジャズ・トランペット。三澤家は全員揃っていて、新しい音を期待しながら事の成り行きを見守っている。

 音が鳴り響いて、最初に声を出したのは長女の志保。
「あれ?なんか・・・・。」
僕はごくっと唾を飲み込んだ。ダイレクトで、シャープなんだけど。何かが足りない。
「こういう音なの?」
「うーん。なんか違う気がするな・・・・。ク、クラシックをかけてみよう。」

次に取り出したのは、アッバード指揮、ロンドン・シンフォニーの「カルメン」。前奏曲が鳴り出した瞬間、ガクッときた。シャープだけど、中音域の潤いがない音。臨場感はあるが高音域と低音域がバラバラの印象。要するにスカスカの音。
「あれ?微妙・・・・。」
と志保。僕の背中には汗が・・・・。し、失敗したかな?この買い物・・・・。
「パパあ・・・。」
二人の娘の冷たい視線が背中に突き刺さる。

 その時である。ピンポーンと家のベルが鳴って、来ました来ました、待ちに待ったDENONのプレイヤー。気まずい雰囲気はしばし中断。早速これをつないで・・・と・・・・再び恐る恐る音を出す。
その瞬間、志保も、次女の杏奈も、妻も、僕も、そしてタンタンもいっぺんに、
「おお!」
と声を挙げた。(ごめんなさい、タンタンは嘘です。そんな気がしただけ・・・・。)

 いやあ、驚いたのなんのって、さっきまでのがまるで嘘のように、全く違う音が我が家のステレオから出てきた。
「パパ、やったね!凄いぞ、これは!」
と杏奈は叫び、妻は、
「CDプレイヤーひとつでこんなにも違うの?」
とびっくりしている。僕も言葉が出なかった。

 弦楽器の弓の音がすぐそこで聞こえるほどクリアーなのに、豊穣でゴージャスなサウンド。コンサート・ホールで聴いているような広がりと空間性がありながら、楽器が見えるようなリアル感。ひずみのない澄み切った響き。
 僕達は次から次へといろんなジャンルのCDをかけ、これまで聞き慣れているCDがどう違って聞こえるか試してみた。その時点で初めて、ああ、BOSEにして良かったと、胸をなで下ろした。

 これがBOSEの恐さなのだと思った。BOSEのスピーカーは、通常のスピーカー業界からは、遠巻きに無視されているような感じがする。何故ならそのシステムが全く独自だからだ。
 BOSEは、ただそのスペックのみを追求する通常の業界のあり方に背を向けて、どうしたらスピーカーから出た音が、人間の耳にナチュラルに感受してもらえるかといった、他の会社が考えもつかないようなところに研究のエネルギーと予算を費やしてきた。
 残響のあり方を研究し、直接音と間接音の関係を研究したり、人間の耳の構造がどうなっていて、人が音というものをどのようなメカニズムで把握するのかといった、スピーカー製作というジャンルからすでに遠く逸脱しているのではないかと思えるほど広い範囲に渡って、BOSEは研究を重ねて今日に至っている。
 今回購入したスピーカーも、裏側にもうひとつスピーカーがついている。その裏側のスピーカは、壁に向かって音を放ち、壁に反射して間接音としてリスナーの耳に届く。それが、あたかもコンサート・ホールにいるような空間性を作り出していると言われている製品である。

 こうしたBOSE製品は、通常のスピーカーと違って、アンプやプレイヤーなどとの相性が微妙なのだ。いや、微妙というより、はっきり難しいと言ってしまおう。だって一歩間違えば今回のように『全然駄目になる』リスクを持っているのだから。
 MARANTZ製品の全てがそうではないと思うが、少なくとも僕の家のMARANTZとは決定的に合わなかったのだろうな。どんな機器とつないでも一定の評価を与えるスピーカーではないことが、一般ユーザーがBOSEを怖がっている最も大きな要因なのだ。
 僕がDENONのプレイヤーを買ったのは、実は、ヨドバシで視聴していた時、使われていたのと同じ製品だったからだ。BOSEがリスキーなのは、他の人から聞いていたので、危険を避ける本能が、僕にこの製品を買わせたのだろう。
 でもさすが、お店もよく分かっているなあ。視聴させる時に、最も相性の良いものと組ませて、印象を良くするノウハウを持っている。そのお陰で僕も救われたというわけだ。

聴きに来てね
 とにかく、新しいステレオは我が家の自慢になりました。僕の家に遊びに来る人は、一度は聴いて帰って下さいね。特に素晴らしいのは、ジャズと、ピアノ・ソロと室内楽。声楽は微妙。僕が生音を知りすぎていて理想が高いせいもある。でもオケはいいんだよ。ストラヴィンスキーなどを聴くと鳥肌が立つほどだ。
 さしあたって聴かせたいのは、三澤賞に招待されている人たちだね。東京バロック・スコラーズ演奏会のチケットを沢山売った人達が4人、8月のはじめに我が家に招待されている。彼等は僕の手料理とBOSEの音を味わえるわけだよ。なに?別にいいって?まあ、遠慮しないで聴いてってよ!BOSEを聴いてくれないと招待しないからね。  


進化する「ジークフリートの冒険」
 今回はウィーンで上演されたヴァージョンが新国立劇場に逆輸入された形での上演だ。とはいっても、ピアノ・ヴォーカル・スコアでの立ち稽古は、めだった変更はフィナーレだけだ。
 だから最初は演出助手の田尾下哲(たおした てつ)君が、初演のDVDを見ながら稽古をつけていた。これがかなり優秀だった。彼は初演以来、子供オペラの演出助手を務め、次作の「スペース・トゥーランドット」では、皆さんも知っている通り、演出家となって公演を成功に導いたわけだ。
 時間が限られている上に、ワルキューレを演じる人達は、新国立劇場合唱団のメンバーなので、僕同様、高校生のための鑑賞教室「椿姫」公演中は、練習に来られない。練習のやりくりが大変だったわけだが、田尾下君は実に能率の良い練習の進め方をして、短期間で驚くべき成果を挙げて演出家の到来を待った。

 それから演出家のマティアス・フォン・シュテークマンが来た。マティアスは、これまでの演技を踏襲し、新しいウィーン版のフィナーレを作るだけかと思っていたが、ウィーン公演でもやっていない新しいアイデアをいっぱい携えて日本に来た。というか、歌手達の顔を見ながら即興で演技をつけていったともいえる。それが稽古場に新たな活気をもたらした。
 田尾下君は、マティアスの英語を完璧に同時通訳しながら、痒いところに手が届くようにアシストしている。凄いなあ。やっぱ東大出は頭の構造が違うんだよなあ。

 マティアスは驚くべき進化を遂げている。演出家として、新国立劇場での「魔弾の射手」以来、また一皮むけた印象だ。お陰でこの「ジークフリートの冒険」の全体の仕上がり具合は、前人未踏の境地に踏み込んでいるぜ。
 子供オペラとあなどるなかれ。演出部、技術部の人達の水準も合わせて、これぞまさに新国立劇場の才能の結集。これはお世辞抜きで、当劇場の全てのプロダクションの中でも、ベストの部類に入るクオリティを持っている。

 今年から登場した新しい歌手達も、素晴らしい。特にファフナーの志村文彦(しむら ふみひこ)さんと、ブリュンヒルデの中村恵理(なかむら えり)さんが群を抜いている。 志村さんは、初キャストとは思えないほど、そのギャグの才能を存分に発揮して、マティアスも彼のアイディアを随所で採用しているんだ。
 中村さんは、元々森の小鳥役で出ていたけれど、今回僕が推薦してブリュンヒルデを演じてもらっている。勿論本物の楽劇としてのブリュンヒルデの声質ではない。でも14人の生オケ編成なので、無理して声を張り上げる必要もない。落ち着いて彼女の音楽を奏でてくれればいいのだ。
 僕は、彼女の歌の中に感じられる知性が好きなのだが、その知性は少しも冷たさを感じさせることなく、豊かな情感に包まれていて、彼女は、とても胸を打つ暖かい歌を歌う。その暖かさは勿論彼女の高い技術に支えられている。彼女はオランダでの勉強を終えて、いよいよロンドンのコヴェントガーデン・ロイヤル・オペラの専属歌手になる。
 初演からのメンバーも、新たな演技をつけられて、ますます快調。峰茂樹(みね しげき)さんのファフナーにはますます磨きがかかっているし、直野容子(なおの ようこ)さんと九嶋香奈枝(くしま かなえ)さんの演ずる二人の森の小鳥は、甲乙つけがたいほど可愛い。

ベスト・ヴァージョン世界初演
 僕にとって、もうひとつ良いことがあった。ウィーン初演の時には、僕は新国立劇場が忙しくて立ち会うことが出来なかった。その間に僕の知らないところでフィナーレに大幅なカットが行われて初日の幕が開けられてしまっていた。
 文句をつけようにも、ウィーンはあまりにも遠し。それで上演が繰り返されている今となっては、どうすることも出来ない。けれど、今回のトーキョー公演だけは、僕の立ち会いの元、納得のいくような上演にしたいと思っていたのだ。

 音楽稽古をし、立ち稽古を見ていく内に、僕自身、フィナーレ中の3カ所において、数小節ずつカットした方がいいかなと思える所があった。時間的に長いのではなく、ドラマ的に止まってしまっている箇所だ。
 元々はてしなく長いワーグナーの音楽を使用していながら、こういう言い方もおかしいのだが、他の箇所も、ワーグナーの音楽を使いながらどこまで子供達の緊張感を持続させるかという究極の挑戦をしているのだ。そして、そうした配慮こそが、「ジークフリートの冒険」ウィーン版大成功の秘密であり、まさに僕とマティアスとの誇りでもあるのだ・・・・。
 
 そこで僕は演出にも配慮しながらいろいろ考えた末、最低限のカットを自ら行った。マティアスには、それにふさわしい演技もつけてもらった。これで双方納得のいく解決方法が見つかったし、おそらく音楽的にも公演全体の観点から見ても、ベストの音楽が出来たと思う。

 マティアスも喜んで、このヴァージョンを今秋のチューリッヒ歌劇場でのプロダクションで使用すると言う。さて、そうなると、この公演が、編曲者も立ち会いの元でのベスト・ヴァージョン世界初演ということになる。これはみなさん必見ですよ!

 前回のポップス調のフィナーレと違って、ウィーン版の、「神々の黄昏」のラスト・シーンの音楽をベースにした今回のフィナーレなら、バリバリのワグネリアンも怒らないでしょう。だからワグネリアンも来てよ!それで、どの楽劇のどの部分をどうつなげたか全部当てた人にはなにかご褒美をあげます。随所に驚くような連結をしているので、たぶん絶対に分からないと思うよ。これが分かる人は、「リング」全体の音楽が完全に頭に入っている人だけだ。

 新国立劇場子供オペラ「ジークフリートの冒険」ウィーン版完全上演は、今週金曜日7月25日から始まる。売り切れになっていても、不思議と子供オペラというものは、公演直前にチケットが戻ってくるので、僕の知り合いで当日劇場に行って入れなかった人はいません。
だからあきらめないで劇場に足を運んでみてね。いっとくけど、11:30と15:00開演だよ。夜はないからね。25日から27日まで3日間の6公演です。



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