淋しい夏の終わり
8月27日水曜日に、娘達は再びパリに向かって旅立っていった。「愛はてしなく」が終わって気が抜けているところに、家の中がさらにガラーンと静かになって、本当に夏が終わった感じがする。次女の杏奈は、来年の夏まで帰ってこないつもりで行ったが、長女の志保は、今回は留学ではなく遊学。三ヶ月経ったら、また日本で仕事があるので帰ってくる。
けれども、昨年の夏にパリの学校を卒業して帰国してから一年以上、志保は、基本的にはずっと家にいたので、いないと一緒に焼酎飲む相手がいなくて淋しい。フランスでおいしいワインを毎日飲むのだろうなと思うと、さらにねたましい。
何が淋しいかといって、月曜日に新国立劇場の練習が早く終わったからといって、急いで国立の芸術小ホールに向かわなくていいこと。他のミュージカル・ワークショップの団員もそうだったと思うが、都心から国立というのはやっぱり遠いからね。7時過ぎに練習が終わって、
「おっ、ラッキー!今日は『あいはて』に間に合うぞ!」
と思っても、接続が悪いと結局9時近くになってしまったりする。
「え、まあ・・・・みんなの顔を見に来ただけ・・・・。」
なんて、正直大変だったけれど、なくなってみると、
「ええ?行かなくていいんだ。」
と無性に淋しい。
天気も淋しい
その淋しさに追い打ちをかけるように、天候も8月の終わりにしては淋しいものがあるなあ。なんだいこの変な天気!夕立でも台風でもないのに、意味もなく雨が降る。こんなの8月の雨ではないわ。
木曜日の夜っていうか金曜日の明け方などは、多摩地区では、バケツをひっくりかえしたような集中豪雨と、永遠に続くかと思われる雷に悩まされた。特にこの雷は変わっていた。家の周りに無数のティンパニーが置かれていて、そのティンパニーが誰かの指示で代わりばんこにロールをする、そんな感じだった。時々その内の何台かがフォルティッシモで連打すると、怖がったタンタンが吠えまくる。それをなだめていたらすっかり寝不足になってしまった。
トゥーランドット
新国立劇場では、「トゥーランドット」と「リゴレット」の合唱音楽練習が進んでいる。「トゥーランドット」はもう今週から始まる立ち稽古に向かって暗譜稽古に入っている。「スペース・トゥーランドット」を編曲したので、曲は隅々まで頭に入っているのだが、逆に自分が並べ替えて編曲した方が自然になってしまっていて、
「あれ、この曲ってこんなところに出てくるんだ。」
なんて、妙な感心の仕方をしている。こんな感覚って誰にも通じないだろうなと思っていたら、かつて「スペース・トゥーランドット」で「トゥーランドット」というオペラを初体験し、むしろ本編が今回初めてという団員が何人もいて、同じ事を言っている。
「変ですね。この並び。スペトゥーのがいいですよ。」
おいおい、そんなわけはねーだろ。
「スターバト・マーテル」演奏会間近
昔、この曲に出逢った頃は、宗教曲なのに対位法がなくてつまんねえなという感想だった。バッハやヘンデルは勿論のこと、ハイドンやモーツァルト、さらにメンデルスゾーンに至るまで、宗教曲といったら普通フーガでしょう。でもこの曲にはフーガがないんだ。
第一印象があまり芳しくなかったのには、フーガだけでなくもうひとつ別の理由があった。それはこの歌詞にあまり魅力を感じなかったからである。
スターバト・マーテルは、聖母信仰が生んだ中世の典礼文で、聖母マリアの7つの悲しみの祭日や、聖金曜日などに唱えられる。Stabat Materとは、ラテン語で「母は立っていた」という意味。「悲しみの聖母」とも訳されるが、何故かスターバト・マーテルという意味の分からない呪文のようなタイトルの方がみんな好きみたいで、我が国では定着しているのだ。
昔はスタバート・マーテルという言い方が一般的だったが、これはラテン語的には間違い。立つという動詞はラテン語ではstoで、不定詞はstare(スターレ)。この三人称単数の不完全過去形がstabatで、アクセントは不定詞に従ってstaの上にあるため、スターバトと読まれるべきなのだ。
Stabat Mater dolorosa | 悲しみの聖母は立っていた | |
Juxta crucem lacrimosa | 十字架のもと涙にくれて | |
Dum pendebat Filius | 息子がそこに架かっていたのだ |
イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。 |
声への限りない信頼
この曲には、ヴェルディのレクィエムと共通する「声(すなわちベルカント唱法)への限りない信頼」がある。1876年にこの曲に着手したドヴォルザークが、1874年にミラノで初演されたヴェルディのレクィエムを知っていたかどうかはさだかではない。おそらく知らなかったろうが、プラハ国民劇場でヴィオラ奏者として数々のオペラに接していたドヴォルザークは、生涯に渡り熱心なヴェルディ・ファンだったという。
そのドヴォルザークには、彼特有の“うた”が流れている。それはドヴォルザークの声楽作品だけでなく、交響曲や他のどの作品にも共通していると思う。その“うた”に気づいてみると、この曲の魅力にあらためて取り憑かれる。
しかも、ヴェルディのレクィエムは、宗教曲なのに過度にオペラチックだとして批判も受けているが、この作品では、ドヴォルザークの音楽の持つ節度が、そのような批判を寄せ付けない。その意味で彼は絶妙のバランス感覚を持っているのだ。
自由な創作、そして終曲へ
さらに気づいたことには、ドヴォルザークが、スターバト・マーテルという典礼文に曲を作曲していく時に、あまりテキストに接近しすぎないで作ったということだ。それぞれの曲は、それぞれ独特のキャラクターを持っているが、それは必ずしもテキストから密接に導き出されたものではないということ。むしろ彼の中でのファンタジーに従って創作されている。
曲はFisの音が執拗に続く中始まる。ロ短調の属音であるファ・シャープにドヴォルザークは悲劇の色を感じていたのだろう。高音のFisから半音階で降りてくる時、とても痛ましい雰囲気が流れる。
前半に短調の曲が続くのは内容からして当然だが、第五曲目の合唱曲は、「我のために傷つけられ、苦しまれた御子の苦痛を我に分け与えて下さい」という詩なのに、むしろドヴォルザークは深くこだわらず、曲想は明るい変ホ長調の癒し系。
その後の第六曲目、男声合唱を伴ったテノール独唱の曲も、第七曲目の合唱曲も、基本は長調である。こう考えてくると、曲全体が悲嘆の極みから終曲の希望に向かって進んでいることが分かる。
そして終曲の感動は筆舌に尽くしがたい。
Quando corpus morietur | 肉体は死のうとも | |
Fac, ut animae donetur | 魂には与え給え | |
Paradisi gloria. | 天国の栄光を | |
Amen. | アーメン |