チナの死

三澤洋史 

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チナの死
 こう書くと、まるで「セナの死」のようで、人気エフワン・レーサーがまた死んだのかと思う。そうではない。でも僕にとってはセナの死よりもずっと辛い。同時に、正直言って安堵の気持ちもある。長く生きたし、もう年取っているので、もう一度日本に連れてくるのも大変だと思っていた。でも本人は日本の土を踏みたかったのかな?だとすれば・・・・。

 チナとはインコのことだ。なあんだと言わないで欲しい。長女の志保が中学生の時に、お誕生日のプレゼントとして買ってやった。だから志保にとてもなついていた。一度カゴから出すと、僕達のところには寄りつかず、中空を自由に舞っては志保の頭や肩にとまった。僕達が無理矢理カゴに戻そうとすると、くちばしで突っついて入れさせなかったが、志保にだけはすんなりと戻させた。
「なーによ、それ。志保にばっかり・・・・感じ悪いね、このトリ。」
と、僕達はよく言っていた。

 2000年の9月、志保は国立音大附属高校を中退してパリに渡った。志保の唯一の心残りはチナだった。いつもパリから電話してきては、
「チナちゃんどうしている?」
とたずねていた。親としては、向こうへ行ったばかりだったので、友達も少なく、心細いからかなと思っていた。でも志保がチナのことをたずねるのは、別に淋しいからではなかった。本当にチナと離れたくなかったのだ。一方、チナは、志保がいないとあまりカゴから出してもらえなかった。出したら最後、戻せないからね。

 志保が日本に一時帰国した時、どうしてもチナをパリに連れて行きたいと言い始めた。僕達親は、最初は反対していたが、あまり言うので、どうすればいいのか調べてみた。
小動物とはいえ、動物を飛行機の中に持ち込んで外国に連れて行くのは簡単ではない。獣医さんのところで病気にかかっていないか検査し、英語の証明書を発行してもらう必要がある。お金も手間もかかるので、
「向こうで同じ色のインコを買えばいいじゃない。」
と言ってみたが、相手にされなかった。
 まあ、分かっていたさ。動物を飼っていない人には分からないかもしれないが、チナよりも素晴らしいインコは世界中にいっぱいいるだろうが、チナは世界でたった一羽しかいないのだからね。そのチナを志保は好きなのだからね。そして、そんな風にチナのことを、かけがえのない存在として大切に思っている志保のことを、我々親は、またかけがえのない存在として大切に思っているのだからね。

 検査も無事済んで、証明書も手に入れたが、出発の時に成田空港で検疫を受けなければならない。そこで駄目だと判断されると、直前でも引き戻されるのだ。こんな大変な思いをして、ドキドキもして、チナは異国に渡ったのだ。飛行機はチナにとってかなりストレスになったらしくて、向こうに着いてから、自分で自分の毛を抜いていたと志保は言っていた。

 それからは、僕や妻がパリの家に行くと、チナはいつも志保のアパルトマンにいて、パリの生活を謳歌していた。志保に存分に可愛がられて、チナはしあわせそうだった。今でこそフランス語もぺらぺらで、フランスこそ第二の故郷と思っている志保だが、まだ言葉も不自由で孤独だったであろう留学初期の志保にとって、チナちゃんの存在はどれほどの慰めになったことだろう。

 ところがチナの環境にも変化が訪れた。昨年の夏、志保が7年間に渡る留学生活を終えてパリを引き揚げることになったのだ。チナを再び日本に連れて帰ってくることも考えた。でも、もうかなり年を取っているのだ。それに飛行機のストレスの事を考えると、パリにいさせるしか方法がないように思えた。
 幸いその時にはもう次女の杏奈はパリにいた。杏奈はチナちゃんを引き取ったが、志保のように頭に乗せたりはできない。志保の一時帰国時もそうだったのだが、杏奈が日本に帰る時は、知り合いの所を転々とした。
 確かにインコは、犬などと違って、甘えたりすねたりするわけではない。餌と水さえ絶やさないで、時々鳥カゴを掃除していれば、涼しい顔して生活しているようにも見える。でも、本当はやっぱり愛する人を求めているような気がする。志保がいなくなって淋しかったかな、と思うと、やはりその時に無理矢理にでも日本に連れて来させた方がよかったのかなと、今となってはちょっと後悔している。

 思いがけないことが起こった。杏奈のことだ。彼女が急遽日本に帰ってくることになった。彼女が今年の夏前にマルメゾンのコンセルヴァトワールを卒業した事はすでにこの欄で書いた。夏に一緒に「愛はてしなく」などを演奏した杏奈は、またパリに戻って別の学校の受験の準備をし始めた。ところが先生が合わないなど、いくつか理由があって、すっかり受験のモチベーションが下がっていて、今期は受けないと言い出した。僕は杏奈に強く言った。
「だったらもう帰ってきなさい!中途で投げ出すのならともかく、きちんとした音楽学校をひとつプリミエ・プリを取得して卒業したのだから、日本にこのまま帰ったって誰にも引け目を感じることもない。お前がどうしてもパリでしか勉強が出来ないと言うならともかく、どこにいたって勉強できるし、こちらはパリに居て欲しいわけではない。お前がいるだけで半端ではないお金がかかるしね。学校や先生が気に入らなくてぐずぐず言っているのだったら、一度日本に帰りなさい。」
すると杏奈はあっさり、
「そっか。それなら帰る。」
と言ったのだ。肩すかしを食ったのはこちらの方だった。
「え?マジ?」

 それからはやることが全て速かった。アパルトマンの次に入る人を探してきて大家さんと交渉したり、荷物を段ボールに詰めて送ったり、あれよあれよと思う間もなく、帰国の日程を決め、そしてこの10月11日土曜日には、再び日本の土を踏んだ。そういう子なのだよ、杏奈という子は・・・・。誰に似たんだ?

 ところでチナは?という話になった。杏奈は今リヨンに遊学中の志保に相談した。志保は杏奈に言った。
「とりあえず、あたしのところに連れてきて。先のことはともかく、今週帰るのならそれ以外方法ないでしょ。」

 もう帰国間近の今週に入って、チナは具合が悪く衰弱してきたそうだ。本当は動かさない方がいいのは分かっているけれど、杏奈はもう帰らなくてはならない。
 週の中頃、杏奈は仕方なくチナを小さいカゴに入れてTGVに乗せ、リヨンにいる志保のところに行った。そこで志保の顔を見て二時間後、チナはひっそりと息を引き取ったという。

 その話を聞いた時、胸が詰まった。でも少なくとも志保がチナの最期を看取ってあげることが出来たのは何よりだった。志保はその足で杏奈と一緒にチナの亡骸を持ってパリに来て、パリの地にチナを葬ったという。
「本当はモンマルトルの丘に埋めたかったんだけど・・・・あんなに人が一杯いるところじゃ、見つかって怒られそうだから・・・・。」

「まさか・・・・・。」
と僕は思った。
「まさか・・・・チナは・・・・自分がこのあたりでそっと消えた方がいいのでは、なんて思ったのではないだろうね。」

まさかね・・・・。

 チナ、充分に可愛がってあげられなくてごめんね。チナ、ありがとう!またいつか天国で逢おうね。だから、さようならは言わない。

今週は、この話題だけです。他に書く気になれません。



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