苦しむために・・・・

三澤洋史 

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苦しむために・・・・
 オラトリオ「パウロ」を勉強している最中、ある言葉が僕の心を打った。パウロがダマスコへの道でキリストの声を聞き、目が見えなくなった頃、ダマスコにいたアナニアという信徒のところに神の声が下った。
「アナニア、立て。タルソス出身のサウロを訪ねよ。彼は今祈っている。この者は、私が選んだ道具である。」
その後の言葉が意味深いのだ。
「わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」

 どんなに苦しまなくてはならないか・・・・。考えてみるとひどい話である。パウロは、自分から望んでキリスト教徒になったのではなかった。むしろ熱心なファリサイ派のユダヤ教徒としてキリストに反対する立場にいたのだ。その彼の前にわざわざキリスト本人が現れて、無理矢理自分の側に引き込んでおいて、「わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないか」はあまりにも冷たい。普通だったら逆に、「わたしの名のためにどんな栄光の生涯が待っているかを、わたしは彼に示そう。」と言うべきではないか。

 でも・・・・そんなに世の中甘くないんだよな。人はみんな幸せになりたいと思って生きている。その昔、僕が音楽家になる道を選んだのは、
「なんだか楽しそうな人生。」
と思ったからだ。それに音楽家になれば女の子にもてそうな気もしたしね。
 また、20歳の時に洗礼を受けてクリスチャンになった理由も、それによって、より幸せな人生を送りたいと思ったからだ。

 でも音楽家になることは、絶え間ない努力の積み重ねと、常に他人からのあるいは自分自身からの批判にさらされる人生を送ることを意味するし、クリスチャンでいることだって、より苦しい自己批判の人生を歩むことだ。そう考えると、むしろ人より苦しい道を自ら選んで生きているともいえるなあ。ああ、こんなはずではなかった・・・・。

 人生、上手くできているなと思えることは、そうした苦しみは、それに耐える強さと心の喜びに応じてやってくるということだ。「なんだか楽しそう。」と思った時に、今の苦労を知っていたら、果たして自分は音楽家になっていたのだろうか。人間がうぬぼれていて楽天的であるということは、救いなんだな。

 パウロは、神によって強引に苦しみの人生を歩むことを運命づけられていたということだ。でも、パウロには、神からそれを告げられても大丈夫だけの強さがあったのだろう。あれだけ執拗にキリスト教徒を迫害していたということは、それだけの信念の強さがあったということだ。
 先日、新宿駅の雑踏を歩いていたら、急に忘れ物に気付いてか、前の人がくるっと後ろを振り返り後戻りしようとした。そこで僕と鉢合わせしてしまった。パウロの回心も、周りの人にそんな混乱を与えただろう。
「なんと迷惑な奴!」
と思われただろう。

 そんなわけで、回心後のパウロの前に待っていたのは、どう考えても平坦な幸せの道ではなかった。でもパウロは、自分のこれまでの生き方が過ちであったと気付いてしまったら、今度はどんな犠牲を伴おうとも、どんな目に遭おうとも、本当の生き方に従って生きていくことしか出来なかったのだろう。そういう人だったのだ、パウロとは。そして、それが分かっていたからこそ、キリストも彼の前に現れたのだろう。ということは、パウロは、まさに苦しむためにこの世に生まれてきたようなものではないか。

 でも・・・・もしかしたら・・・・みんな、幸せになりたいと願いながら、本当は苦しむためにこの世に生まれてきたのかも知れない。自分の人生を振り返ってみて、何も苦労がなくてハッピーハッピーだけで生きてきたなあ、と思える人なんて世の中にいるのかな?いるわけないだろう。
 最初は無欲でなにかやっていても、やっている内にだんだん欲も出てきて、もっと良くなりたい、もっと評価されたいと思う。そうすると苦しみも多くなってくるんだな。では欲を出さなければいいかというと、それでは進歩がないんだ。どっちみち苦労するのだ、この人生。そうすると、その苦労の後には一体何が残るのだ?

 世の中には、事半ばで病に倒れた人がいる。働くことも出来ず、何も産み出すことも出来ず、ただただ病の苦痛に耐え忍ぶだけの人生もある。この人達には救いはないのか、とよく考える。僕は、苦しんだ分だけ天国に近づく、などと言うほど楽天的な人間ではないが、さりとて、苦しみに全く意味がないとも考えていない。
この地上では、どんな善人だって苦しみから逃れられない。現にキリスト自身、苦しみから無縁だったわけでない。それよりも誕生から苦しみの連続だったのではないか。善人も悪人も苦しむ。キリストさえも苦しみ、パウロもペテロも迫害の中で戦う人生だった。病人の苦しみも、この地上に生まれ落ちた故に味わわなければならないもの。

 では、その苦しみの向こうには何がある?マーラーの「大地の歌」ではないけれど、「生は暗し、死もまた暗し」か?
ではないと僕は信じたい。
 苦しみの向こうには真実があるのだ。にゃんだと?真実?!自己満足か?そうともいえるし、そうともいえない。まさにキリストに会ったローマ総督ピラトのような問いだな。真実とは何か???
Ich lebe dir, ich sterbe dir.(私は神に生き、神に死ぬ)
「パウロ」でステファノが死んだ直後のコラールの歌詞。まあ、とどのつまりはここに行き着く。我々は、自分の意志でなく、神から生を与えられ、時来たりなばこの世に別れを告げる。苦しみも楽しみも向こうから勝手にやって来るのだ。それだけのことだ。最もシンプルで、当然過ぎるくらいの答え。この答えを出されるのが嫌で、みんな遠回りする。僕も若い時はそうだった。それを言ってしまうと、チャンチャン!となって思考停止するからね。でもね・・・・結局、これしかない。

 神によって与えられた生。その中で、苦しみも、自己の魂を鍛えるために与えられたもの。これを友としなければならない・・・・と、言ってみるのは簡単だが、本気で思えないと悟ったことにはならない。今の僕にとっては、アナニアに神様の告げた「どんなに苦しまなくてはならないか」という言葉は、まだまだ魂に痛い。53歳になっても、まだまだ悟れていない。こうなったら悟れるんだというところまでは分かるんだけど・・・・。

演奏会無事終了
 白状しよう。ちょっと悔しい。「パウロ」はほとんど全て暗譜していた。でも譜面を置かないで指揮するためには、ほんのちょっとだけ時間が足りなかった。尼崎「蝶々夫人」の時期、本番の合間にしようと思っていたスコアの勉強が出来なかった。考えてみると当然だ。「蝶々夫人」は、これでけっしてあなどれない。それで数日分勉強が遅れた。それで最後の詰めが出来なかった。
 といっても、ここまでスコアが頭に入っていれば、指揮の仕方にもはや違いはない。最後の詰めとは何かというと、あらゆるアクシデントに対する対処の仕方なのだ。全てが順調にいくのだったら、今のままでも充分。でもそれでは指揮者の意味がないだろう。実際に細かいところでは、アクシデントというのは常に起こっている。それが演奏会というものだ。

 勿論、暗譜で指揮すればいいというものではない。かつてよく暗譜で指揮した。そうすると周りの人達の反応が気持ちよかった。
「ええ、信じられない!なんであんな長い曲を暗譜できるの?」
という声があちらこちらから聞こえてくる。これが自己満足を刺激する。
 でもかつての自分は、オケの練習の仕方は下手だったし、自分が暗譜で指揮するということばかりに酔っていて、肝心のポイントを押さえることを怠っていた。今はそんなことよりも、それぞれの素材からどう最も良いものを引き出すか、それをやらなければ指揮者としては失格だと思っている。つまり、今の僕は、暗譜というものに全くこだわっていない。

「マタイ受難曲」なんかは、もう暗譜で振ること自体に飽きてしまった。それよりも、チェンバロを弾いて、エヴァンゲリストなどと肌と肌が触れあうようなやり取りをする方が面白い。次の東京バロック・スコラーズの「ヨハネ受難曲」でもそうするつもり。何?チェンバロも含めて暗譜をしろって?そうしてもいいんだけれど、そうするとね、自分の達成感ばかりに気がいってしまって本番の出来不出来が冷静に見られなくなる。もう、そんな生き方は嫌なんだ。
 尼崎「蝶々夫人」も、暗譜で振れと言われれば振れた。スコアは完全に頭の中に入っていた。でもピット内で指揮者がテンパッていていたら、舞台上で演技しながら歌っている歌手達は困るだろう。彼等にとって指揮者とは、何が起こっても安心して委ねていられる存在でなければならないのだ。オーケストラで安定した音楽を作って、オペラを底辺から支えなければならない。それでこそマエストロなのだ。
 そこで、僕は、ほとんどスコアを見ないで振り、ページだけはめくっていた。暗譜する時はスコアをまるごと頭に入れるので、頭の中でもページをめくっている。それを連動させるわけだ。時々スコアを見ると、二枚めくっていたとみえて、ページがずれている。が、別に構わなかった。間奏曲を演奏する時は、ガバッと次の場面までめくった。
 ここまで覚えると、プッチーニの音楽が自分の手中に収まっている感覚になる。そうなるともう譜面を置こうが置くまいが関係ないだろう。

 そんなこと言っているにもかかわらず、「パウロ」は、出来れば暗譜で振りたかった。何の見栄からでも意地からでもなく、それほどまでに僕はこの曲を愛していたからなのだ。メンデルスゾーンのような人間がもし僕の近くにいたら、僕はとても親しい友達になっていたような気がする。彼の音楽の中に表現された肯定的な精神が僕の魂をどれだけなぐさめ、勇気を与えてくれたことか。音楽のプロとして生きていながら、こんな素人っぽい言い方が出来るのも、メンデルスゾーンならでは。

 この一年近く、この曲に接することが出来て幸せだった。本番は・・・・・勿論うまくいったよ。ありがとう、メンデルスゾーン!ありがとう、この機会を与えてくれたモーツアルト200合唱団!



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© HIROFUMI MISAWA