草津温泉に行ってきました!

三澤洋史 

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草津温泉に行ってきました!
 親父が亡くなってすぐは、お袋がひとりでいては可哀想と、姉たちと連携するように僕もよく群馬に帰っていた。でも49日を過ぎてからは、しだいに日常生活に戻っていって、以前のように用もないのに群馬に泊まりに行くことは少なくなった。

 僕はお袋に携帯電話を買ってやった。お袋はあまり気が進まない感じだったが、今やひとり暮らしになってしまったので、ひとりで居る時や外出中に何かあった時にすぐに連絡できるように、半ば無理矢理に持たせたのだ。それで、ちゃんと充電しているか、鳴ったらちゃんと出られるか確かめるために時々電話していた。家族会員としてドコモに登録したので、お袋との通話はタダだ。すると、お袋に変化が起こっているのに気がついた。

 お袋はひとり暮らしになってから、電話に出ると随分おしゃべりになった。元々姉たちとはよく長電話していた。僕が群馬に帰ると、姉から電話がかかってきて、いつまでもしゃべっているということがあったが、僕は男なので、用が済んだらすぐ切っていた。ところが最近は、僕がかけても、よくぞかけてくれましたという感じで、いろんな話をとめどなくするので、忙しい時は切れなくて困った。
 お袋は、ずっと親父の看病に追われていて、大変だったが、それはそれで忙しく張り合いもあった。でも今は、朝起きて寝るまで、誰にも構ってもらえず、何を食べても、または食べなくても関係ないので、毎日が空しく過ぎていくのだろう。話し相手もなくなって、話したいことがいつもたまっているのだろう。そう思うと、どこか旅行にでも連れて行きたくなった。

 そこで、休日を利用して、僕たち家族四人と一緒に草津温泉に連れて行こうということになった。2月18日の水曜日、東京バロック・スコラーズの練習が終わると、僕はその足で群馬に帰り、一晩泊まった。 草津の湯畑
 群馬の家には11時過ぎに着いたのに、お袋は、寝ないで僕のことを待っていた。
「明日があるから、早く寝た方がいいよ。」
と言うのに、ちっとも寝ない。例によって話がたまっているのだ。次から次へといろんなことを話して、留まる気配がない。
 妻と二人の娘は、妻の母親のところで今晩は泊まっている。実は妻の母親も数年前に夫を亡くしてひとり暮らし。なのに今回は一緒に連れて行ってもらえないどころか、むしろタンタンのおもり役を任せられてしまった。
「いいな、いいな。あたしも連れてって!」
と焼きもちを焼かれても不思議はない。なので、妻はせめて前の晩に来て娘達と一緒に泊まったのだ。

 19日の木曜日。娘達3人が9時過ぎに到着し、5人で草津に向けて出発した。途中、渋川で、上の姉が働いている道の駅を訊ねる。渋川の道の駅は、地域の品々が豊富な有名店舗だ。土地の人達も大勢客として来る。地域で採れた新鮮な山菜、野菜が沢山あるし、農家の奥さん達が作っている名前入りのお総菜や手打ちうどんなどもおいしそう。手芸品もある。姉とは、帰りにも寄る約束をして別れ、一路草津へ向かう。

 湯畑(ゆばたけ)のそばでお昼をのんびり食べ、2時前に旅館に入った時は、これで夕方までどうやって過ごそうか、時間が余ってしまうなあ、と口々に言っていたが、温泉の効果というのは実に偉大なものだ。まずはお風呂に行こう、とそれぞれ温泉に入りに行った。すると、すっかり良い気分になって、みんな部屋に帰ってきてからお昼寝したくなった。
 僕は生まれて初めて、温泉の効き目というものを実感した。僕たちが泊まった大阪屋は、湯畑のすぐ下の老舗旅館。湯畑のお湯をそのまま引いている。そのお湯の素晴らしさ!湯船に入ってお湯に唇をつけてみたら、もの凄い味がする。酸っぱいような苦いような金属的な味だ。でもそのお湯に入るだけで、体が芯から癒されていくような気がする。しばらく入っていると、
「ええ?うっそー!」
と思うくらい心地よさが全身に広がってゆく。そして湯から出ても体がポカポカして、それがずっと続いている。肌を触るとつるつるしている。さらに体全体から脱力感が出て、全員しっかりお昼寝してしまったというわけだ。
大阪屋
 それから温泉街に出た。草津の街は、どこからでも硫黄(いおう)の臭いがぷんぷんしている。温泉街は、あらゆる温泉地の中で最も温泉らしい風情がある。ぶらぶらしているうちに日が暮れて、夕食が出て、なにもしないうちに眠くなって寝た。要するに今日は何もしない一日を送ったというわけだ。これこそが真の贅沢!温泉効果!
 僕は貧乏性だから、普段何もしないではいられないのだ。だからそういう人間にとっては、温泉こそが必要なのだ。

 僕たちが泊まった大阪屋は、サービスもゆきとどき、感じが良い。女将(おかみ)は気品があって、若女将は美人。京懐石の料理もおいしい。勿論、海辺の温泉ではないので、魚介類はあまり高望みできませんけどね。老舗と言っても部屋の中はきれいで明るい。泊まるところを迷っている人にはお薦めです。

草津温泉は温泉の王様です!これぞ温泉中の温泉!また行こうっと!

 

ヨハネ講座 そのⅢ モチーフの関連性
 先週は、ヨハネ受難曲の構成と、この作品の統一性、凝縮性について述べた。今週は、それに2,3の補足を加えたい。

 まず取りあげるのは、No.9のソプラノのアリアだ。悲劇的な受難劇の中で、何か場違いのように、突然明るく軽やかな音楽が始まる。

シモン・ペテロともう一人の弟子(ヨハネ)は、イエスの後をついて行った。
(ヨハネによる福音書18章15節)
この福音史家の短いレシタティーヴォを受けて、ソプラノが歌い出す歌詞はこうだ。
私もまたあなたに従います
喜びの足取りで
あなたを離しません
私の命、私の光よ
私の歩みを運んで下さい
決して止むことなく
私を引き、押し、誘って下さい
 その「喜びの足取りで」の歌詞には(譜例参照)次のような軽やかなフレーズがあてがわれている。

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一度聞いたら忘れない人なつこい音楽。これに身を委ねていると、ひととき受難の重苦しさを忘れるほどだ。僕は、個人的にはこのアリアは大好きだ。

 ところがこのアリアと全く同じ調、及びほぼ同じテンポで、「喜びの足取りで」のフレーズを共有する合唱曲が、この受難曲中二曲ある。21b「ユダヤ人の王、万歳」と、それとシンメトリーになっている一番外堀の25b「『ユダヤ人の王』と書かず、『この男は「ユダヤ人の王」と自称した』と書いて下さい」だ。
 アリアを支える低音の下降形のモチーフも一緒であるし、「喜びの足取りで」の箇所のファミファソラファソというベース・ラインは全くそのまま引き継がれている。

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 このアリアが、こんな遠くにまでモチーフ的につながっているのに驚くが、これがどう内的につながっているのかというと、正直言ってよく分からない。誰か分かる人があったら教えて下さい。
 だが、ともあれNo.9アリアの音楽の明るさと軽さが、No.21bで「ユダヤ人の王、万歳」と叫ぶあざけりの表現とマッチしているのは事実だ。キリストの側でくじびきをしているローマ兵達の合唱27b同様、悲劇性と無関係に明るい音楽が必要だったのだろう。
 No.25bに関しては、あざけりの表現はもはやないが、No.21bとは「ユダヤ人の王」という歌詞で共通点がある。ヨハネ福音書の受難劇のくだりの一つのテーマが、「ユダヤ人の王」にあることを考えると(あざけって言われたにせよ、何にせよ、イエスがユダヤの王であったことは事実なのだ!)、この二つの合唱曲は教義的にかなり重要なものだ。だから「ユダヤの王」という歌詞の音楽的根拠を、王に従っていこうとするソプラノ・アリアにバッハは求めたのだろうか?

 もうひとつ重要なモチーフがある。No.29の福音史家のレシタティーヴォの最後、イエスは「成し遂げられた」と言って息を引き取る(譜例参照)。このEs ist vollbracht.というフレーズを受けて。No.30のアルトのアリアがアダージョで始まる。

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 まずヴィオラ・ダ・ガンバが、直前のイエスのモチーフを引き継ぎ、多少の装飾を施してアリアの前奏を開始する。このモチーフは展開されて何度も現れ、聴衆に強く印象づけてから、アルトのソロが、まさにイエスの言葉そのままにEs ist vollbrachtと歌い始める。 このアリアは、途中「ユダ族の英雄は力持て勝利し、戦いを終わらせる」という部分で輝かしい勝利の凱旋音楽を奏でるが、再びアダージョに戻りアルトが「成し遂げられた」と歌って終わる。

 四つの福音書の中で、イエスが「成し遂げられた」と言って死ぬのは、ヨハネによる福音書のみだ。マタイとマルコでは、イエスは「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか?」と絶望の叫びをあげる。ルカでは、その記述はなく、「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」と言って息を引き取る。けれどヨハネによる福音書の「成し遂げられた」という言葉は、他の福音書のどれよりも増して、神学的には重要だ。
 受難についてだけではなく、ヨハネ福音書においてあらわされているイエス像は、あくまでポジティブで強く、迷うことはない。ゲッセマネの園での苦しみもなければ、十字架上においても己の運命を受け入れている。そして死の間際の究極の言葉が「成し遂げられた」なのだ。
 この言葉は、自分が成し遂げようとした「人類の救済」が今成就されたことを示す。だからバッハも、それを受けてアルトのアリアの中間部で勝利の喜びを奏でるのだ。ただその音楽が激しく中断され、再びアルトが「成し遂げられた」とつぶやくように歌うのを聞くと、それが大きな大きな犠牲を伴ったものであることを、誰もが感じ取る。こういうところがバッハの偉大さだ。

 さらにこのモチーフは、一見無関係なアリアのモチーフとつながっている。No.13テノールのアリアだ。ペテロはそばにいる人達に「あんたはイエスの弟子だろう?」と聞かれて、三度も知らないと言ってしまった。するとその時鶏が鳴いた。彼は、「お前は鶏が鳴く前にわたしのことを三度知らないと言うだろう。」と、イエスが言った予言を想い出した。そして外に出て行ってさめざめと泣いた。その福音史家のレシタティーヴォの直後に、切り込むような激しさをもってこのアリアは始まる。
 バッハは、わざわざマタイ福音書からヨハネの泣く描写を引用して当てはめて、表情豊かなレシタティーヴォを作り、アリアに突入させた。この辺が劇作家バッハのドラマトゥルギーを感じさせる。でもその劇性の方向は、マタイ受難曲の同じ場面でのヴァイオリンのすすり泣くようなオブリガートを伴ったアルト・アリアとは全く対照的だ。

 このアリアの前奏のモチーフが「成し遂げられた」のモチーフと関連がある(譜例参照)。

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No.30のヴィオラ・ダ・ガンバのフレーズと比較してみるとよく分かる。キリストの亡き後、ペテロは布教の中心人物になっていった。ローマでの殉教に至るまで、決して迷うことなく信仰への道を走り通した。キリストの逮捕の夜、あんなに弱かったペテロは、自らの弱さと徹底的に向き合ったからこそ、その後の生まれ変わったような華々しい活躍があったのだ。だから「成し遂げられた」というキリストの言葉とペテロの悔恨とに、バッハが関連性を見いだしたとしても不思議はない。

 このように、個々の部分をよく見ていくにつれ、バッハが様々な神学的、教義的面に配慮しながら、丁寧に曲を構成していったことが分かる。そこがバッハの受難曲の深さだ。 よくバッハの受難曲をオペラ的と安易に言う人が多いが、オペラは、そこで表現されたことが全てだし、作曲家もそう思って曲を作っている。ある意味表面的なので、ヨハネ受難曲のような奥深さはオペラには決して求められないものだ。

たった一人、ワーグナーという作曲家をのぞいては・・・・。



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