帰る家

三澤洋史 

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ヨハネ受難曲演奏会無事終了
 東京バロック・スコラーズ第4回「ヨハネ受難曲」演奏会が無事終了した。本番は15:00開演だが、14:30から僕は簡単なレクチャーをすることになっていた。30分も前なので、会場にはお客はパラパラだろうなと思いながら、出て行くとすでにかなり埋まっていたのでびっくりした。
 随分前からチケットは完売になっていて、当日も満席が予想されていたけれど、この観客の熱気は予想外だった。僕は、みんなに分かり易くをモットーに、教会暦の話からレクチャーに入っていった。

 教会では、むしろクリスマスよりも復活祭の方が大きな祭りである。この復活祭というものは、たとえば毎年12月25日と決まっているクリスマスなどと違って、移動祝日である。春分の日の後の満月の次の日曜日ということなので、3月下旬から4月中旬まで、その年によって約一ヶ月近くも違う。
 その復活祭の前の一週間は聖週間と呼ばれ、キリストの受難を偲ぶ週となる。その中で最も重要なのが、キリストが十字架に架かったとされる金曜日。この日は聖金曜日と呼ばれるが、1724年の聖金曜日である4月7日、「ヨハネ受難曲」は上演された。
 ちなみに、今年の復活祭は4月12日。聖金曜日は4月10日だ。今はその復活祭の前40日間の四旬節と呼ばれる時期に当たる。これは聖週間や復活祭に備えて、断食をしたり派手なことを慎む時期なのだ。
 この四旬節の内に僕はどうしても「ヨハネ受難曲」の演奏会をやりたいと思っていた。本当は聖週間のしかも聖金曜日に上演をすべきなのだが、むしろその時期は教会に行きたいのだ。信者を取るか演奏家を取るかで、これってワガママ?

 さて僕は、ヨハネ受難曲とマタイ受難曲との性格の違いを説明した。それは、両方の福音書の違いに端を発するが、その詳しい説明はヨハネ講座そのⅤを見てね。
 こうした僕の説明に、しだいに増えてきてすでにほぼ満席になっている観客が大きな興味を示しているのが肌で感じられた。凄いな、この聴衆は!と思って、演奏前から僕も軽い興奮状態になっていた。

 演奏会は、聴衆の側からはあまり分からないかも知れないが、演奏者が一方的に作るものではなく、聴衆との共同作業だ。演奏中のプレイヤーは、実は聴衆からもの凄く“気”をもらうものだ。特に、今回の演奏会では聴衆の集中力を感じ、それが追い風となって演奏者を後ろから後押しした。特に後半、オケも合唱も信じられないほどの緊張感を醸し出して受難のドラマを描き出していった。
 いつも通り畑儀文(はた よしふみ)さんの精妙な語り口も冴えていた。塩入功司(しおいり こうじ)さんのピラトと、大森一英(おおもり かずひで)さんのイエスとのやりとりも、勿論僕が指導もしたのだが、オペラでドラマ表現を鍛えているだけあって、ピラトとイエスとの関係を見事に浮き彫りにしてくれた。
 この演奏会の様子を言葉で逐一説明しても仕方のないことであろう。ただひとつ言えることは、合唱もオケも全てのソリストもソロ楽器も、そして福音史家と寄り添う僕のチェンバロも、みんなバッハの描く受難のドラマに向かってひとつになっている感じがした。今まで何度もヨハネ受難曲を演奏したけれど、文句なくベストな演奏会だった。

帰る家
 というより、僕はこの団で、自分のやりたいバッハが本当に実現できるのだと感じた。こういうのをホーム・グランドというのだ。僕には家があるのだ。勿論、これからも他の団体で僕はバッハをやるだろう。でも、僕には帰る家があるのだ。
 東京バロック・スコラーズは僕の団体であり、僕は死ぬまでこの団体を率いて自分のバッハを追求するのだ。こんな団体を僕は持っている。これに勝る幸福があろうか!

ヨハネ講座
 ヨハネ受難曲の講座を「今日この頃」で毎週続けていた。最初は軽い気持ちで負担にならない程度に気がついた部分だけに触れていけばいいやと思っていたが、ちょうど本番に向けて勉強をしている最中だったので、いろんな点に気がつき、それを書き留めていく内に思ったよりも膨大な量になった。しかも全部集めて後から読み返してみると、意外と断片的ではなく、全体に渡って述べているので、ちょっと欲が出た。
 つまり、本番が終わってちょっと精神的にも余裕が出来た今、暇な時にこれを整理してひとつの論文に仕上げようと思うのだ。譜例は本でも見ることが出来るが、こうして音資料を鳴らしながら読むと具体的でより分かり易い。案外これはいけるかもね。なお、東京バロック・スコラーズのホームページにも掲載されています。

分析癖
 僕は、音楽をはじめたのが人に比べて遅かったので、他の人が感覚で手に入れたものを、頭で考えて獲得した。ジャズ・バンドに入って編曲することから音楽の道にのめり込んでいった僕は、なんでもかんでも分析するのが好きだ。和声を分析しモチーフを分析し、オーケストレーションや楽式や、あらゆるものを分析しないことには演奏に入れなかった。 バイエルを勉強している時には、バイエル風の曲を作り、それがソナチネに入ると、ソナチネ風の作品になっていった。その様式に精通するということは、僕の場合、それと同程度の作品を書いて初めて到達するのだ。だから12音技法の曲も一通り書いたし、バルトークやストラヴィンスキーには一時かなりハマッた。それもどきの作品は、現在では随分処分してしまったが、その辺に転がっている。

 話は変わるが、パソコンをはじめた時、そのハード、ソフト両面の仕組みが知りたくてパソコンを分解し、これがハード・ディスクか、ははあ、これがマザーボードなのだな、という感じで、くまなく調べ、それが現在の僕の家の2台の自作パソコンと、母親に作ってあげた自作機につながっている。
 1999年に妻が勝手に買ったNECのデスクトップは、いつの間にか僕がぶんどって、「プログラムの追加と削除」で、どこまでいらないファイルをアンインストールできるか夜通しかかって試した挙げ句、ウィンドウズの起動に必要なファイルもバンバン削除してしまい、何度も初期化しなければならないハメになった。

 こんな性格だから、毎回演奏会する曲目は、必ずヨハネ講座で書いたような分析をしているのだ。今回はそれを書き出してみただけに過ぎない。
ただ、演奏会になると、こうした理論は背景に追いやられ、感性と感性とのぶつかり合いになる。このように理論と実践とは微妙なところで重なり合い離れ合う。

 昔、クリストファー・ホグウッドのアシスタントをした時に、僕は彼に訊いたことがある。
「いろいろ研究して本も出してますけれど、そうした研究はやはり実践に生かされているわけでしょう?」
「いいや。もう演奏に入ったら、研究もヘチマもあるものか。やりたいようにやる。これだけだよ。」

まあ、これが音楽家の正体ですなあ。




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