勉強ばっかりの生活

三澤洋史 

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勉強ばっかりの生活
 村上春樹の小説をもっと読みたいのだが、中断して、尼崎の「蝶々夫人」と、東フィル「午後のコンサート」の勉強に入っている。僕の場合、勉強の時期に入ると、これまでのように読書をしたり映画を観たりといったよそ見をする事がなくなって、空いている時間は本当に勉強だけに集中する。

 僕という人間と何日か生活を共にしてみると分かると思うが、自分でも勉強ばかりしていて本当につまらない奴だと思う。昔、妻と結婚する前、デートする前にもスコアを見ていたし、彼女と別れた直後も、家に帰るまでそのスコアの続きを読んでいた。
「あたしとバイバイした後、すぐ勉強するの?」
「うん・・・・まあ・・・・。」
「あたしと離れたらすぐにあたしのことなんか忘れてしまうんでしょ。」
「そんなことないよ。」
「うそばっかり!」
そんな会話ばかりしていた気がする。で、結婚しても似たようなものだ。

 勉強は午前中にする。午後から夜にかけて新国立劇場の練習や仕事があるので、使える自由時間は午前中と夜だが、今は、朝7時前に起きてタンタンと一時間の散歩をするから、夜は12時前に寝ないといけない。そうすると夜はメール・チェックが精一杯だ。それに身体が朝型に慣れてくると、脳は朝の方が断然冴えている。
 サラリーマンは勤務時間だけ仕事していればいいが、僕のような職業は、練習初日にはもう勉強が仕上がっていないといけない。なので、気がついてみると余暇は全て勉強に充てられてしまうのだ。それに、指揮者はどんなに物知りでも知りすぎるということはない。いつかどこかで役に立つ。そんなことを考えていると、どこまで努力しても果てしない。時間がいくらあっても足りない。
 7時半から始まるフランス語講座、7時45分から始まるイタリア語講座も散歩しながら楽しく聞いている。これも朝は頭がフレッシュなので能率的。簡単すぎるイタリア語講座も、だいぶ進んで面白くなってきた。と思っていたら、今週でひとまずおしまいだって。
来週からそれぞれ新しい講座が始まる。で、テキストを買ってびっくり。また「こんにちは、わたしはミサワです。」の世界に逆戻りだあ。中級も、これまでの初級の続きのレベルになってしまっている。もう!上級を作れ!上級を!

午後のコンサート~ドイツ・オペラの変遷
 「午後のコンサート」の演目の中にウェーバー作曲「魔弾の射手」序曲が入っている。この曲の勉強をするにあたって、カルロス・クライバーの練習風景ビデオを観た。結構若い時の有名なビデオ。いやはや、もの凄い才能だ!
 冒頭のユニゾンをほとんど棒を動かさずに振り、いつ入ってきたのか分からないように演奏させる。弦楽器はいいが、木管楽器は小さく吹くのが難しい。だから少し遅れて入るようにクライバーは管楽器奏者に指示している。うーん、なかなかあそこまでやる勇気がないなあ。
 まだ若いクライバーの言うことを、コンセルトヘボーのオーケストラの楽員が半ばあざけりながら聞いているのが気になる。確かに時々クライバーは変わった事を言うよ。
「みなさん、幽霊の存在を信じますかあ?」
と彼が言うと、ふん、何言ってんだこの若造が、という顔をオケマン達はあからさまにする。クライバーの要求することはなかなか内面的で抽象的。でもさあ、
「そんなこといいから、強くするの弱くするの?長いの短いの?」
っていう感じで彼に接するのはやめて欲しいな。ビジョンを示し、イデーを提示するのが指揮者の役目なんだから、少しくらいロマンを語らしてよ。
 そんな練習を積んで出来上がったクライバーの演奏だが、オケの団員達がどう思っていても、客観的には素晴らしいのひとことにつきる。エネルギーに溢れ、表情に富み、一見単純なウェーバーの音楽の中に潜むロマン派の精神や、闇の世界の深淵を描き出している。「魔団の射手」ってこんな深みのある音楽だったのか、自分のスコアの読みはまだまだ甘かったなと自らを恥じたほどだ。

 僕がお話しをしながら進めていくこの「午後のコンサート」。プログラムの第一部は、ドイツ・オペラの変遷を簡単に辿るねらいで曲を並べたが、考えてみるとモーツァルトの「魔笛」からウェーバーを通ってワーグナーに至るまで、ドイツ音楽に脈々と流れるテーマは、光と闇との相克なんだな。そして、あのドイツの国の至る所に広がる森は、人間の深層心理を表現している。ワーグナーの弟子だったフンパーディングの「ヘンゼルとグレーテル」だって、童話とはいいながら森や魔女やおかしの家の誘惑など、いろいろな事柄を象徴し含蓄に富んでいる。

ローエングリンへの想い
 第一部の最後である歌劇「ローエングリン」には忘れがたい思い出がある。今から12年前の1997年、僕は新国立劇場開場記念公演「ローエングリン」で、あのワーグナーの孫である演出家ヴォルフガング・ワーグナー氏や合唱指揮者ノルベルト・バラッチ氏などと知り合った。そのことが僕の人生を大きく変えた。僕はバラッチ氏から招聘される形で、1999年にバイロイト音楽祭の合唱音楽スタッフの一員に加えていただく。それから5年間に渡る夏のバイロイトの地で僕はどれほどの事を学んだことか。

 「ローエングリン」といえば、バイロイト音楽祭で初めての僕の仕事は、「ローエングリン」の合唱音楽練習の伴奏ピアノを弾くことだった。アシスタントは交代で練習の伴奏を弾くのだ。その年の「ローエングリン」は、トーキョー・リングを演出したキース・ウォーナー演出の新プロダクション。まだ無名に近かったウォーナーが初めて「ローエングリン」の演出でバイロイトに登場した時だ。このデビューをきっかけとしてウォーナーはビッグな世界的演出家に成長していった。新国立劇場は、まだ無名の時にウォーナーにつばをつけて呼んでおいてよかった。
 
 先日若杉弘さんの「お別れの会」が催されたが、その時にビデオで指揮姿が流れたのも「ローエングリン」前奏曲。1997年の開場記念の映像だ。そんなわけでこの曲を演奏する時には、きっといろいろな想いが胸にこみ上げてくるような気がする。

 かつて16歳のバイエルン国王ルートヴィヒⅡ世を熱狂させたというこの前奏曲は、僕個人はワーグナーのあらゆる音楽の中で最も美しい曲だと思っている。スコアを見ながら頭の中で音楽を鳴らしているだけで泣きたい気持ちになってしまう。
 細かく分かれた高音のヴァイオリン群が天上的な清澄な世界を表現する。そのメロディーは木管楽器に受け継がれしだいに地上的な響きを帯びてくる。やがて身の震えるようなクライマックスが来る。そして再び天上界に戻っていく。僕には、これこそがキリストの姿のように思える。ワーグナーは本当に霊的な音楽を書いた。この曲を演奏出来る僕は限りなくしあわせだ。
 
 第三幕への前奏曲は、バイロイトではいつもあの有名なオケピット内で聴いた。そのすぐ後の結婚行進曲をオケピット内で合唱団が歌うため、僕はペンライトを持って待機していた。マエストロを直接見ることの出来ない位置にいる団員に中継して振るためだ。
 ピットは後ろに行くに従ってどんどん深く下がっていく。さらに上にかぶさっている覆いが金管楽器のダイナミックスを調節するので、客席ではあの大管弦楽といえども歌声を覆うことがないのだ。逆に言うと、金管楽器は通常のオケの中と違って、好きなだけ大きく吹ける。
 いやあ、あのバイロイトのオケの金管楽器のよく鳴ること!スコアを見るだけで、あのつんざくような金管のバイタリティが脳裏によみがえってくる。あのエネルギーを再現しつつ、バランスを保ちながら演奏するにはどうすればよいか、いろいろ考えねば。指揮者にとってオケ中の楽器の音量バランスとは演奏のかなめだからね。

いよいよ「ナガサキ」練習開始
 「蝶々夫人」の勉強も開始した。「蝶々夫人」の立ち稽古が始まると、否が応でも「蝶々夫人」モードに突入していかざるを得ないので、むしろ今の僕の頭の中はドイツ・オペラの前奏曲に集中している。
 合唱団は「蝶々夫人」の音楽練習と一緒に、いよいよ待ちに待ったシュニトケ作曲カンタータ「ナガサキ」の練習が始まった。自分でピアノ・ヴォーカル譜をアレンジしたから曲は頭の中に入っていたけれど、あらためて合唱で響かせてみると予想通り感動的な曲だ。「ムツェンスク郡のマクベス夫人」をやったお陰でロシア語にもだいぶ慣れてきた。この曲のことはまた本番が近くなったら書くと思う。

空飛ぶタイヤ
 ある時、ふとチャンネルを回した僕の目に、ちょうど始まったばかりのドラマの映像が飛び込んできた。僕の目はそのまま釘付けになり、気がついたら最後まで観てしまった。それがWOWOWの提供した「空飛ぶタイヤ」というテレビドラマだった。五週連続と表示が出ていたが、その時はずっと観るとも思っていなかった。
 でも次の週になってその時間が近くなってくると、なんだかソワソワしてしている。困ったな、いろいろやらなければならないことがあるのに・・・・。で、五回分が終わってみたら、途中の一回分だけどうしても仕事で観ることが出来なかった他は全て観ている自分がいた。扱っているテーマも興味深かったし、ストーリーの運びも秀逸。いかにも雑な作り方だなと思わせる番組に溢れているテレビドラマの中にあって、良いものを創ろうという気迫に溢れた優れたドラマだと思った。
 僕は周りの何人かに話してみたけれど、どうも見ている人はいないみたいで、ちょと淋しい想いをした。残念だな。もっと多くの人に観てもらいたかったなと思った。その内、日常の仕事に追われて忘れてしまっていた。

 最近、その「空飛ぶタイヤ」が日本民間放送連盟賞番組部門テレビドラマ番組最優秀を受賞したと新聞に載っていた。僕は、まるで我が事のように嬉しかった。ああよかった、一見地味なこうした作品を評価する健全な目が生きている、この国もまだ捨てたものではないと思った。昨日の新聞には、10月7日DVDレンタル開始、10月23日売り出し開始の宣伝が載っていた。興味のある人は一度観てね。

 大企業のリコール隠しの犠牲に追いやられていく中小企業の社長の孤独な戦い。一方、大企業の巨大組織の中で戦う中堅社員。その夢や欲望や保身や挫折感の交錯する息詰まるような展開は素晴らしい。これを観ながら僕は、現代における戦場とは会社であり、戦う相手は自らの内面にある保身の心なのではないかと思った。

とにかく、ここに「空飛ぶタイヤ」の受賞を心から喜ぶ一ファンがいることを、WOWOWの関係者に知り合いがいる人は必ず伝えて下さい。



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