深紅の薔薇30本の花束

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

深紅の薔薇30本の花束
 10月30日金曜日は新国立劇場合唱団の練習はお休みで、僕の仕事は夜の東大アカデミカ・コールの練習だけだった。アカデミカ・コールは、東京大学音楽部コールアカデミーという男声合唱団のOB会で、12月12日土曜日に、オリンピック記念青少年総合センター・大ホールでのコールアカデミー定期演奏会において、1ステージだけ現役との合同演奏を行う。
 10月30日は現役との合同練習で場所が東大駒場キャンパスだったので、道路地図を見てみたら、初台に行くのと距離的には変わらなかった。そこで自転車で行くことにした。
ここのところいろいろあって、なかなか自転車で都内まで行くことが出来なかったので、久し振りのサイクリングは爽快そのものだった。明大前を過ぎたところで僕はいつもの道に別れを告げ、南下し始める。めざせ駒場東大前!初めての道は楽しいな。

 伝統的な東大の構内の雰囲気は好きだ。生い茂る緑や古い校舎。こんなところで学生生活を送ることが出来たら最高だ。ところがそんな東大の一画に場違いな近代的建物が建ち並ぶ。昔はここにボロッちい駒場寮と呼ばれる建物があり、とても鼻をつままないでは入れないすえた臭いのするコールアカデミーの部室もあったという。それが取り壊されて現在の建物群が出来たのだそうだ。
 図書館や学食、サークル活動の練習室などがあり、さらにカフェのイタリアン・トマトも入っている。東大にイタトマだよ!僕はそこで練習が始まるまでクリスマス・オラトリオのスコアなどを読みながら時間をつぶした。

 アカデミカ・コールの練習は久し振り。なつかしい顔が集まっている。ところが休憩後練習を再開しようとしたら、いきなりピアニストの大島由里さんがワーグナーの結婚行進曲を弾き始めた。
 なんだ、なんだ、誰か結婚したんだなと思っていると、みんなが、
「先生、結婚30周年おめでとうございます!」
と叫びだした。これにはびっくりした。そして団員がなんと深紅の薔薇の花束を持ってきて僕に渡すではないか。30本あるという。
「我々一同は、先生のホームページを読み、深い感銘を覚えました。先生は結婚30年経っても奥様を深く愛しておられ、しかも何度生まれ変わってもまた一緒になるのだと言われる。これはなかなか出来ることではございません。我々は幹事会で相談しまして、このようなささやかなお祝いをご用意いたしました。」

 いろいろな合唱団に行っているが、みんな性格が違う。女性が仕切っている合唱団では、休憩時間にお菓子やくだものなどが出てくるが、アカデミカ・コールのような男声合唱団ではそういうものは一切ない。まさに質実剛健。それに、アカデミカ・コールは僕が行っている合唱団のなかで恐らく年齢層の高さではトップだ。
 にもかかわらず、いろいろお話しをすると、ここの人達は心の根っこが純粋で、しかもおじさまたちはみんなとてもロマンチストなのだ。考えてもごらんよ。僕の結婚30周年に感動したといったって、30本の深紅の薔薇の花束を贈るという感性は普通じゃないぜ。感動したのはまさにこっちの方だい。まいったな。

団さんのこと
 今回練習しているのは、堀田善衛の詩に団伊玖磨が作曲した「岬の墓」という曲。原曲は混声合唱用に書かれたが、福永陽一郎が男声合唱用に編曲した版で上演する。

 団伊玖磨氏(以下親しみを込めて団さんと呼ばせていただく)にはいろいろな思い出がある。僕は、約24年前にはじめて二期会に入ってオペラの副指揮者として仕事をしたのが、団さんが自分で指揮したオペラ「夕鶴」と「聞き耳頭巾」のアシスタントだった。
 最初に会った時、とても緊張してしまって、
「あの、副指揮の三澤といいます。う、うちの娘(まだ小さかった)が毎日先生の『ぞうさん』を歌っています。」
と言ってしまったのを思い出す度に恥ずかしい。ニコッて笑ってくれたけれど、あほやなこいつと思ったに違いない。
 1989年には、二期会が団さんの「ちゃんちき」というオペラをもって、ベオグラード、ブダペスト、ルクセンブルグ、ドレスデンと演奏旅行した時にも同行し、現地のオケの下稽古もつけて指揮者である団さんに渡しているのだ。
「ちゃんちき」を練習していた時、団さんは僕に向かってまるで子供に諭すようにこう話してくれた。
「ヴォカリーズの合唱はね、森羅万象をあらわすのだよ。森羅万象って分かるかい?自然が音にならない音楽を奏でているのを、音楽にしてみたのさ。」
・・・・・どうも「ぞうさん」の話をした時から、僕は孫みたいに扱われていたかも知れないな。

 「岬の墓」にもヴォカリーズが沢山出てくる。団さんの作品に親しんでいる僕には、そのヴォカリーズの意味がよく分かる。これは森羅万象というわけでもないが、詩のもつイメージを団さんなりに拡大しふくらませたものだ。
 この曲はピアノ伴奏なのだが、大管弦楽でこそ効果を発揮するような雄大な楽想をもっている。堀田善衛氏の詩には三つの鮮烈なるイメージがある。ひとつめは青い海に浮かぶ白い船。ふたつめは丘の岩の間に咲く赤い花。みっつめはその丘にたたずむ白い墓だ。
 船は未来や希望を表現し、赤い花はあこがれや理想を、そして墓はしずけさや瞑想、あるいは過去への追憶を表現しているのだ。こうした過去から未来へと大きくパースペクティヴを広げた詩を音楽化するのに、団さんの音楽の持つおおらかさや雄大さはまさにぴったしなので、とても素晴らしい作品に仕上がっているなあ。

 その後も団さんとの交流は続いた。僕は「夕鶴」のアシスタントを数え切れないほどした。その頃、「夕鶴」は日本全国で旅公演をしていたのだ。僕は一足先に公演地に回って、演出助手と一緒に共演する現地の子供達に練習をつけたりもしていた。いろんなところでいろんなものを食べて、結構いい思いをしていた。
 ある時、団さんは僕に向かってぽつりとこう言った。
「もう夕鶴に関しては、三澤君には楽譜に書いていない細かいニュアンスまで全部教えたから、どこで振ってもいいからね。僕は、本当はこの作品は誰にでも渡したくはないんだ。」
僕はとても嬉しかった。
「はい、ありがとうございます!」
でもね、それ以来「夕鶴」を指揮する機会には今日まで恵まれていないのだ。残念・・・・。

誰か「夕鶴」の指揮の仕事くれ!作曲家直伝の正統派指揮者だぞ!

自転車でどう持っていこう?
 さて、アカデミカ・コールの練習が終わった。問題がひとつある。僕のマウンテンバイクには荷台はついていない。団員は花束を入れる大きな紙袋をくれた。僕は背中にすでにリュックサックを背負っている。
「先生、大丈夫ですか?かえってご迷惑だったですねえ。あらためて送らせましょうか?」
「いやいや、これは家内に今日サプライズで見せないと面白くないでしょう。なあに、ゆっくり持っていきますから大丈夫です。」

 それは本当の気持ちだ。やっぱりどうしても今日家に持って帰りたい。それでみんなに別れを告げ、紙袋を手に持ちながら走り出したが、やはり走りづらいことこの上ない。しかも紙袋が風を受けてひらひらして危なくて仕方ない。でもこれはロマンチックなおじさまたちからの心のこもった贈り物。どうしても無事に届けたい。
 結局、いつもより15分くらい遅れて家に着いた時には、妻は遅いので心配していた。
「見て!」
「何これ?」
「結婚30周年おめでとうだって!」
娘達が群がって、
「うわあ、凄いね!」
やっぱりこの大団円を見るために、苦労して自転車で持ってきたのさ。そして、今や我が家の居間を美しく彩っている。ありがとう、アカデミカの皆様!


ドイツ人にとって特別なクリオラ
 今週末は、東京バロック・スコラーズの「ドイツのクリスマス」の講演会だ。講師には加藤浩子さんをお招きして、僕と一緒に対談形式で講演を行う。「ドイツのクリスマス」というタイトルだが、
「ドイツのクリスマスっていいよ。」
とただ言っていても仕方ないので、実際には12月6日の同名の演奏会のメインプログラムである「クリスマス・オラトリオ」の入門講座のような形になる。

 みなさんは御存知だろうか?ドイツでは、どの都市でも一冬の間に各教会で沢山のクリスマス・オラトリオの演奏が行われるのだ。我々が年末と第九が結びついているように、彼らの間でクリオラ(以下クリスマス・オラトリオのことを略してこう呼ぶ)という曲は特別な意味を持っているのだ。どうしてそれがクリオラなのか?彼らにとってクリオラとは一体何なのか?そうした疑問は当然出てくるわけだ。
 僕個人としてもクリオラという作品は、他のバッハのどの曲とも違う特別な意味を持っている。僕は「好き」という意味では、バッハのどの作品よりもクリオラが好きかも知れないし、日本でも冬になったら毎年この曲を上演したいと思っている。
 だから東京バロック・スコラーズでも早めにレパートリーに入れて、今後は小さい教会でオルガン一台でもいいし、ソリストは団内から出してもいいから、毎年上演したいのだ。それこそ最初は、ただでやらせて下さいと教会に押しかけていって、持ち出し手弁当でもいいからやりたいのだ。

 あまり講演会のネタバレをしてもいけないのだが、みなさんをお誘いするためにひとつだけ思わせぶりな事を言ってしまおう。このクリオラとドイツ人との特別な関係を知らなければ、クリオラという作品を理解したことにならないのだ。
 我々日本人がキリスト教を受け入れた時、それは欧米から来たものなので、キリスト教は欧米の宗教と勘違いしてしまった。しかし本来ユダヤの地に生まれたキリスト教は、大伽藍のカテドラルやステンドグラスやパイプオルガンの壮麗な響きとは無関係な宗教なのだ。それらは後に人間の手によって作られたものなのだ。
 クリスマスに対してだってそうだ。もみの木もサンタクロースもキリストの降誕とは何の関係もない。とはいえ、その発展した文化も、ひとつのれっきとした文化であることには異論はないだろう。そこで、たとえばローマのキリスト教から始まって、たとえばフランスのキリスト教、スペインのキリスト教、あるいはアメリカのキリスト教と言われる独自のキリスト教文化が生まれたわけだが、日本人にはその区別は分からなかったのだ。
 
 そこで「ドイツのキリスト教」だが、ドイツでキリスト教文化を誇る時に、二人の巨人の存在を無視出来ない。そのひとりがマルティン・ルターであり、もうひとつがヨハン・セバスティアン・バッハなのだ。そしてバッハがルターの精神の最も偉大な文化的後継者であることを考える時、バッハこそがドイツのキリスト教を代表する最重要人物であると言い切ってしまっても、間違いではないような気がする。実際、ドイツ人のかなりの人達がそう思っている。
 今回はクリスマスの時期なので、バッハの中に展開されたドイツのキリスト教文化の内、クリスマスに関する考え方、またそこにドイツ人達がどのように関わっているのか、それが日本人とどのように違うのか、その辺を解明したい。そしてそのことによってクリオラという作品の神髄がより深く理解出来るようになると信じている。
 ドイツ人が特別な意味を持ってクリオラという作品に親しんでいるように、日本人にもこの作品と特別な関係を持ってもらいたいのだ。この作品はね、ただの作品ではないのだ。この作品の背後には広大な文化が横たわっているのだ。

 さあ、これ以上の話を聞きたい人は、11月7日に代々木のオリンピック記念青少年総合センター ・国際交流棟・国際会議室に18:30に集合して下さい。きっと目からうろこの体験をあなたはするでしょう。



Cafe MDR HOME


© HIROFUMI MISAWA