死を内包した生への賛歌

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

高崎線にて
 親父の命日が近づいている。昨年は、親父がなくなる直前まで名古屋にいて、メンデルスゾーン作曲オラトリオ「聖パウロ」を指揮していた。入院していた親父の容体が急変したことを演奏会の日の早朝に妻からのメールで知り、演奏会終了後は打ち上げにも出席せずに、名古屋から東京を通り過ぎて群馬に直行した。その時も、まさか3日後に本当に死ぬとは思っていなかった。親というものはそう簡単には死なないものだと、今から考えると何の根拠もなく信じていたなあ。

 初盆が過ぎた時、さて一周忌の法要をいつ行うかという話になった。命日は11月26日だが、平日なので通常はその前の土曜日か日曜日に行われるという。予定表を見てみたら、週末の11月21日土曜日は、新国立劇場で「ヴォツェック」の公演が14:00からある。そして公演終了後は、東京バロック・スコラーズ(TBS)の合宿に行って一泊し、日曜日の22日夕方までガシガシ練習をつけなければならない。
 これは困った!「ヴォツェック」合唱のペンライト・フォローもTBS合宿も、どちらも簡単に代わりを探して誰かに任せてというわけにはいかない。「ヴォツェック」合唱は、量こそ少ないけど、恐らくペンライト・フォローがなかったらズレズレになるに決まっている。一方、TBS合宿は、オケ合わせを来週に控えて、今練習しなければ演奏会そのものクォリティに責任が持てなくなる。

 法要は近親者をお寺に集めて午前中から行われ、その後お墓参りをして食事をする。土曜日にやったら「ヴォツェック」に間に合わないし、日曜日にしたらTBSの合宿そのものが成立しなくなってしまう。
 でも、法要とお墓参りだけ出席して電車に飛び乗れば、「ヴォツェック」の本番には間に合うことに気がついた。おまけに第一幕には合唱の出番がないから、もし電車が遅れて本番開始に間に合わなくても余裕がある。

 ということでお寺には喪主らしく偉そうに出掛けて行って一番前に座り、お墓参りを済ませた後で近親者一同に向かって、
「それでは○○にささやかな会席を用意しておりますので、皆様、お時間の許す限り召し上がっていただきたいと思います。」
と声高らかにお誘いした後で、お時間の許さない僕だけがこっそり逃げ出した。といっても、近い人達は内密に知っていることなのだけれど。
 喪服で新国立劇場に入るのは嫌なので、近くに留めていた妻の車の中で普段着に着替えた。間の悪いことに、ズボンを脱いでパンツ一枚になった瞬間に、目の前を人が通るんだぜ。
「おっとっとっと・・・・指揮者のこんな姿を人に見せられませんがね。」
と言ったら、妻が見張りながら笑っていた。それからその車で駅に直行し、高崎線の電車に飛び乗った。なんというギリギリ生活!まあ、いつもこんな生活なのだが、これでよく親父の死に目にだけは会えたものだ。本番と本番の間の丁度良い時に親父は死んでくれた。こんな風に案外気を遣ってくれるのも親父らしい。

 この原稿は高崎線の中で書き始めた。お寺というものは教会と違ってセレモニーに時間がかからないからいいね。坊さんがお経を読んで焼香するだけだからね。般若心経は一緒に朗読させられたけれど・・・・。で、いつも思うんだけど、あんな風に「かんじーざいぼーさー」ってフレーズ感もなく読んで何が面白いんだろうね?

 知っているかな?般若心経の意味を?これはもの凄く深い意味を持っているし、これを読んだだけで釈迦の悟りの限りない高さが分かるというものだ。色即是空空即是色というあまりにも有名なフレーズだって、この真理をこんな簡単な言葉で言い切ってしまうためには、この世界の有り様に完全に精通していないと無理だ。
 我々が「そこに存在している」「目に見える、手に触って確認出来る」と思っているものほど、その存在感は流れゆく時間の中で希薄なのであり、逆に大切なものは目には見えないのだ。あれえ?この言葉は最近どこかで聞いたことがあるな。そうさ、「星の王子様」だ。つまり色即是空はキツネの言葉なのだ。「星の王子様」は般若心経くらい深いというわけだ。

新国立劇場の楽屋にて
 ええと、話がちょっとそれた。そんなわけで法要がサクサクっと済んでくれたので、喪主としての勤めは落ち着いて果たすことが出来、お墓参りも行って、さらに予定よりも一本早い電車に乗れた。食事会に出席出来ないのは参会者に対して申し訳なかったが、「ヴォツェック」本番には楽勝で間に合って、今この原稿は新国立劇場の楽屋で書いている。今は第一幕の途中。合唱の出番まではまだ少しある。あっちこっちで今日はチビチビ原稿を書いているね。

 親父が死んだからって、特に生活が変わったわけでもない。だが、“死”というものに対する意識は全く変わった。死は、自分にとって、これまでのように日常と対立する“特別遠いもの”ではなく、日常の中に取り込まれたごく自然な“生命のあり方の一形態”と感じられるようになった。まあ僕の場合、もともとそう感じる人間ではあったのだがね・・・。

 バッハの死生観にも以前にも増して共感出来るようになった。12月6日の演奏会で、クリスマス・オラトリオの前曲として演奏されるモテットは、そのほとんどが葬儀のために書かれたというのが通説となっている。そのため歌詞の内容もペシミスティックな内容のものが支配的だが、ここで語られている内容が胸にしみるねえ。

モテット第一番「新しい歌を主に歌え」から

Er kennt das arm Gemächte, 彼は(神は)哀れな出来損ないである我らのことを知っておられる。
Gott weiss, wir sind nur Staub,
神は分かっておられる
我らがちりに過ぎず
gleichwie das Gras vom Rechen, 刈り取られる草のようであり
ein Blum und fallend Laub. 花や枯れ葉のようであることを
Der Wind nur drüber wehet, 風がその上を吹きすぎるだけで
so ist es nicht mehr da, 跡形もなく消えてしまう
also der Mensch vergehet, そのように人間は消え去ってしまうものだ
sein End das ist ihm nah. その最期は近い

モテット第五番「イエスよ、来て下さい」の終曲コラール

Drum schliess ich mich in deine Hände だから私は自分自身をあなたの手に委ねよう
und sage, Welt, zu guter Nacht ! そして言おう、世の中よおやすみ・・・と
Eilt gleich mein Lebenslauf zu Ende, 私の生涯は終わりに向かって急ぐ
ist doch der Geist wohl angebracht だが魂はしかるべき居所を得ているのだ
Er soll bei seinem Schöpfer schweben, 魂は創造主の元で漂うだろう
weil jesus ist und bleibt der wahre Weg zum Leben. 何故ならイエスは生きるための真実の道であり
またあり続けるだろうから

 バッハが好んで取りあげたこうした歌詞には、ルターのプロテスタンティズムが脈々と生きている。たとえばカトリック教会が葬儀の時に用いるレクィエムの典礼文と比較してみると良く分かる。レクィエムの続唱「怒りの日」以降の部分では、最後の審判の有様とその恐怖が延々と語られる。中世のカトリック教会では、死は恐怖の対象であったのだ。

Judex ergo cum sedebit, 裁判官が着席する時には
quidquid latet apparebit: 隠れていることは何であっても明らかになるであろう
Nil inultum remanebit. 罰せられないで残るものは何もないだろう

 でもルターから始まるルター派教会の文献のどこを探しても、こうした恐怖を煽る言葉は見つからない。むしろカトリック教会では最も恐ろしいとされる、
「誰も知らないはずのあんなことやこんなことがみんなバラされ、呪われた者として地獄に堕とされたらどうしよう!」
という考えが、ルター派教会ではむしろ限りなくポジティブに捉えられていて、
「この世で報われなかったあんなことやこんなことが、人生を終えた後、神の御前で全て報われ、イエス様と共に喜びの世界に憩うことが出来るならば、死ぬのはなんと楽しみなのだろう!」
という風に、むしろ来世願望のシンボルとして語られているのだ。

 ただ、勘違いしないで欲しいのは、今日のカトリック教会では、決して最後の審判の恐怖を煽ったりはしていないのだよ。あれは中世の話。当時の教会は、確かに恐怖で人々を縛り付けることによって罪を犯すことを防ごうとしたわけで、それに対してルターは正反対の方法をとったわけだ。

 それにしても、あなたはどうですか?あなたの「あんなことやこんなことは」バレたらヤバいことですか?それとも、この世では誰も気付いてくれない隠れた努力や善行ですか?

Bumbにて
 今、この原稿は、夢の島にあるBumb東京スポーツ文化館の一室で書いている。最寄り駅は新木場。合宿所として最高の施設。今週はなんとチビチビと原稿を書いているのだろう。東京バロック・スコラーズの合宿の第一日目が終わり、今は懇親会までのわずかな間。きっとこの続きは明日の朝に書くのだろうな。

 さて、葬儀に使ったというモテットの歌詞をカトリック教会のレクィエムと比べたが、実はバッハの彼岸願望の思想は、なんと救い主の降誕を扱ったクリスマス・オラトリオの中にも歴然と表現されているのだ。例えば、第三カンタータの第33番コラールの歌詞を見よ。

Ich will dich mit Fleiss bewahren, 私は一生懸命あなたを心にとめておきたい
ich will dir leben hier, あなたの元で生きたい
dir will ich abfahren, そしてあなたに向かって旅立ちたい
mit dir will ich endlich schweben, あなたとともについには漂いたい
voller Freud ohne Zeit, 喜びに満ちて時もなく
dort im andern Leben. かの来世において

 こんな内容のコラールを、降誕の喜びの真っ最中に置こうと思うのはバッハくらいだな。でもだからこそ、クリスマス・オラトリオという作品は、ただ単にノー天気に喜んでいるだけのものではなくて、深みがあるのだ。有名な受難コラールが第一カンタータと終曲に使われている事もそうだけれど、この作品の中では、降誕だけではなく、救世主の受難も死も、また信徒の全ての生の営みをも含んでいるのだ。

 僕も、これから親父の命日を通ってクリスマス・オラトリオの演奏会に向かう。死を自らの内に内包した生への賛歌を高らかに、しかもしめやかに奏でたいと思って、今は毎日クリスマス・オラトリオに触れている。もう何度も演奏した曲。こんなに勉強しなくても演奏は出来る。でも、そういうことではないのだな。
 この作品が好きだから、バッハの音楽が好きだから、恋人といつも一緒にいたいように、この作品と向き合っていたいのだよ。これから演奏会までの間、どんな時もこの作品と離れたくないのだよ。親が自分の子供にいつも触れていたら、ほんのちょっとの変化に気付くだろう。そんな風に、この作品が自分にとって本当にかけがえのないものでないと嫌なんだ。
 完璧な演奏をしたいからじゃない。むしろ逆だ。他のCDなどといつでも取り替え可能な演奏なんて存在意義がない。むしろ世界でひとつしかない演奏をしたい。ルターの想い。そしてそれを受け継いで音楽の中に具現化していったバッハの想い。そこにどこまで肉薄できるか。そして21世紀に生きる“僕の想い”を先人達の想いにそっと重ねていきたい。 僕なんてバッハに比べればちっぽけな存在だけれど、それでもね、ある時この世に生きていて、バッハの音楽に魅せられ、それを精一杯表現しようとしていた。その足跡を残したいのさ。後生にか?いや、違う。自分自身の魂の足跡に残したいのだ。

早朝
 今は日曜日の朝。今日は6時半に起きて夢の島一帯をぐるぐると一時間かけて散歩した。寒かったが緑が多くて気持ちよかった。でも最後の方にちょっと雨が降ってきたのであわてた。
 昨夜の原稿は、書き始めたのだがすぐに中断。シャワーを浴びて懇親会に行ってしまって、おいしい甲州ワインで酔っぱらい、そのまま寝てしまった。だから上の原稿の大部分は、実は今朝書いたのだ。

 さあ、合宿でみんなの気持ちもひとつになってきた。サウンドも整ってきた。これから4時まで練習だ。そして次の日曜日はいよいよオーケストラ練習。だんだん楽しみになってきたぜ。



Cafe MDR HOME


© HIROFUMI MISAWA