お客様は神様です

三澤洋史 

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薬かストイックか
12月8日(火)

 先週採血した結果を聞きに赤坂見附のM病院に行く。食事制限を始めた頃は、ある意味痩せるのが目的のところもあったので、かなりストイックに食生活を送っていたが、最近はこの体重を維持していればいいので、以前に比べたら我慢度が少なく、なにかルーズな生活をしているように感じられた。加えて前回から2錠飲んでいた薬を1錠にしたので、血糖値は上がっているに違いないとドキドキでいた。でも結果はヘモグロビンA1cが5.3で以前と同じ。
 ああ、よかった!糖尿病やメタボの専門医である大野誠先生は、結果に満足しながらこう言う。
「薬をやめてしまってもいけると思いますよ。でもそうするとまた結構ストイックな生活をしなければなりませんね。どうします?」
「うーん・・・・・。」
「では、もうしばらくこのまま1種類の薬を飲んで様子を見ましょう。あまり我慢をすると嫌になってしまいますからね。お酒も飲みたいでしょう。」
「はい!」

内視鏡
12月11日(金)

 今週はもう一度M病院に行った。実は六本木男声合唱団倶楽部の団員でもありM病院の外科医でもある赤羽紀武(あかば のりたけ)氏に薦められて胃の内視鏡を飲むためだ。僕は、これまで胃カメラというものは一度も飲んだことない。
「ゲボゲボして死ぬかと思った。」
という知り合いの言葉を聞く度に、病気でもなってどうしても飲まないといけない事態にならない限り生涯絶対に飲むまいと心に決めていた。
 でも赤羽さんは言う。
「この病院では全く苦しい思いはしませんよ。しかもここの内視鏡の専門医は優秀で判断力に優れていて、何かを見落としたり誤診したりすることは絶対ないのでお薦めですよ。」
そこで「ホンマかいな。」とは思ったが、意を決して行ってみた。

 赤羽さんの言うことは本当だった。ベッドに寝かせられ血管注射に医師が麻酔薬を混ぜると、ただちに周りの壁や天井がグラリと大きく動いた。で、次の瞬間、
「あれえ?どうしたんだっけ?」
という感じで目覚めたら、もう全てが終わっていた。痛みもゲボゲボもなんにもない。

 医師が来た。
「三澤さん、十二指腸に潰瘍がありますねえ。」
「ええ?そうですか?」
「内視鏡は初めてなんですよね。」
「はい。」
「実はこの十二指腸潰瘍、かなり以前からあって、出来たり治ったりを繰り返しているようです。」
「へえっ?」
「これまで胃の痛みとかなかったですか?」
「全然ありませんでしたねえ。」
「組織を切り取りました。ピロリ菌とかないか調べますので、赤羽先生のところでまた見てもらって下さい。」
 あらら、意外や意外。自分はストレスなんか溜めるタチではないから、胃や十二指腸の潰瘍など縁遠いと思っていたけれど、そうでもないんだなあ。職場では、上に立つ者の努めとして、いろんな決断をしてきたが、その時に僕の決断によってハッピーになれない人が出るだろう。そんな時は、確かにその人の生活とか思ったりして心を痛めていた。そうした事が重なって自分でも気付かない内にストレスを溜め込んできたのかも知れないな。
 近くの調剤薬局で胃酸を抑制し粘膜を保護する薬をもらって渋谷に出た。内視鏡を飲む場合、前の晩8時までに夕食を済ませないといけないし、その日も朝の7時以降は水も飲んではいけない。治療が終わっても麻酔による嚥下障害とかあるので、13時以前には食べないで下さいと説明書には書いてある。しかもお昼はうどんとかおかゆとか軽いもので済ませて下さいとある。
 でもねえ、めちゃめちゃ空腹感が沸いてきた僕は、渋谷で1時半くらいまでヤマハで楽譜を見ながら時間稼ぎした後、いつものウナギ屋で鰻重を食べてしまいました。ここにあらためて懺悔申し上げます。
 僕はどうも麻酔が効きやすい体だとみえて、その日の午後はずっと宙に浮いているような感じだったなあ。

指揮者の暗譜
12月12日(土)

 今日は東京大学音楽部コール・アカデミー定期演奏会。OBのアカデミカ・コールが1ステージだけ現役と合同で團伊玖磨作曲「岬の墓」を演奏するが、その指揮を頼まれたのだ。練習には10月から通っていたが、今回は「ドイツのクリスマス」演奏会が一週間前にあったので、暗譜が遅れていた。実際には今週に入ってから集中して暗譜を完了した。

 指揮者の暗譜については賛否両論あるが、僕は自分の経験から言うと、演奏会で譜面を置く置かないにかかわらず、自分が指揮する曲に関しては、基本的に9割以上暗譜しないと演奏会に臨んではいけないと思っている。指揮者がその曲を振るだけだったら、初見でもかなり対応できる。どんなに音符が沢山あっても4拍子の曲は4つに振り続ければいいだけだから、基本的なバトンテクニックさえ習得してしまえば指揮者ほど楽な商売はない。でもだからこそ、その曲のためにきちんと時間をとって、曲に真っ正面から向かい合うことをしないと、どこまでもイージーになれてしまうのだ。
 譜面を浅く読んでいた時にはこう行くしかないだろうと思い込んでいたことについても、よく読み込んでくるにつれて、「まてよ、こういう展開もあり得るな。」とか「こういうテンポ感でやってみたらどうだろう。」と、あらゆる可能性を試してみたくなるのだ。世の中にはいろんなテンポやいろんな解釈が存在するが、自分なりに試行錯誤を繰り返す内に、自分としてはもうこの解釈以外あり得ないというところに到達する。そこまでいかないと、その曲を演奏会で指揮してはいけない。

 さらに暗譜して譜面から目が離れると、何かが変わる。自分自身も譜面という制約から解放されて音楽自身に向かうのを感じる。そして演奏会に臨む。するともう一皮むける。僕の場合は、何かが降りてくる。そうした時はいつも、目の前にヴィジョンが浮かぶ。それが景色の時もあるし、ひとつのイデーのようなものの時もある。

 「岬の墓」の暗譜は遅れていたので、事前の通常練習で暗譜を試すことが出来なかった。こちらからは特に意識はしていないのだが、突き詰めた末のテンポ感は、随所で通常練習と違うだろう。それを試すのはゲネプロでしかない。みんなびっくりすると困るなあ。でも僕の場合、仮に事前に暗譜で試すことが出来たって、通常練習と本番日は違うものになるだろうし、どうせゲネプロと本番も違うんだ。アカデミカのみんなは、そんな僕にずっと付き合ってくれているから、きっと分かってくれるだろう。

 案の定、僕のそういう状態に慣れている彼らは実にフレキシブルで、しかも本番を振りだした途端、僕の方が驚いてしまったのは、アカデミカから発信するエネルギーがゲネプロの比ではない。僕は嬉しくなってしまった。こうなったら「豚もおだてりゃ木に登る」で、僕のインスピレーションも一気に全開状態!
 紺碧に輝く海や、岩の間に咲く赤い花や、白い墓の静けさなど、ヴィジョンが次々に現れてきて、しかも口ではうまく言えないけれど、そのヴィジョンは音楽化されているのだ。つまりヴィジョンにハーモニーやサウンドや音楽的色彩があるのだ。僕は心に浮かぶまま次々に新しい表情を出す。アカデミカが答える。また刺激されて新たなヴィジョンが現れる。アカデミカが答える。こうして僕とアカデミカ・コールのキャッチボールが続けられた。こうしたことは暗譜しなければけっして起こらないことだ。

 打ち上げで演奏会の講評を求められたけれど、こうした「本人イッちゃってる演奏会」では、指揮者自身が完全な当事者となってしまっているので、細かい批評などする気にもならない。暗譜した指揮者は、高次の存在とチャネリングする一種のシャーマンとなるのだからね。それより、アカデミカ・コールは、僕との付き合い方を完全に理解してるやんけ。これぞオ・ト・ナの付き合い!本番の醍醐味!

演奏会とは、とどのつまり本来的な意味での“祭り”なのだ。

お客様は神様
 先日カラヤンの対談でご一緒した板倉重雄(いたくら しげお)氏の著書「カラヤンとLPレコード」(アルファベータ)を読みながら、カラヤンの考えていることが僕と似ているなあと思ったことがある。それは、カラヤンがLPレコードを作る時にトータル・パッケージということを考えていたことだ。つまり、録音から始まって、曲目の配列からレコードのジャケットに至るまで、カラヤンが自分の積極的な関与を求めたことである。
 こうしたことは、これまでカラヤンに対して否定的に語られる時に常に引き合いに出されてきた。すなわち芸術家としてあるまじき商業主義とか、全てを仕切りたい傲慢な性格といった風にである。しかし僕は、逆にカラヤンほどお客様のことを最優先に考える人はいないと信じている。そして、その点で僕に似ていると思ったのである。

 僕もお客様の立場に立ってものを考える人間だ。たとえば僕は、一日の演奏会でモテット全曲を演奏するとか、クリスマス・オラトリオ全曲を演奏するとかいうのを好まない。まあ、オタッキーなお客にはいいだろう。でも一般のお客に対しては、なにか親切ではないような気がしてしまうのだ。
 僕のような考え方は、しばしば演奏している当事者からは理解されない。「自分たちが一生懸命練習したモテットを並べて演奏して何が悪い!」と思うのが普通だ。また、たとえば僕がある合唱団から依頼されてクリスマス・オラトリオを指揮する場合、僕が提案したところで、先日の演奏会のように二回の演奏会に分けて、それぞれに合唱曲でないブランデンブルグ協奏曲などを組み合わせるという発想は、恐らく受け入れてはもらえないだろう。何故なら、合唱が関係ないところに安くない器楽ソリスト達のギャラが発生してしまうわけだから、合唱団の立場からすれば“無駄”以外の何物でもないと映るのだ。

 でも一度立場を変えて、純粋にお客様の立場からものを考えると、全く違った視点が得られるものだ。僕が声楽曲のひとつの頂点と評価するバッハのモテットを一日で演奏するとしたら、先日のバッハ・フェストのようなやり方しか思いつかない。すなわち、複数の団体でそれぞれのモテットを演奏させ、解説や討論会などをはさみながら進行して、さらに第6番のモテットは合同演奏にする。こうすれば、お客様はいろんな団体の演奏を聴き比べながら、決して興味を失うことなく全曲を聴き終わるに違いない。

 クリスマス・オラトリオもそう。この作品は大傑作には違いないのだが、受難曲のように凝縮性に富んでいるわけではないし、全体的にほのぼのした雰囲気に満たされている。アリアも長い。だからこちらが悲壮感を漂わせて我慢大会のように全曲通し演奏をしても、お客様が曲の良さを感じる前に飽きてしまってはなんにもならない。
 でももし、その前にモテットやブランデンブルグ協奏曲などの別のジャンルの曲を配したらどうか?しかも一流の器楽奏者を使って思いっきり楽しくやるのだ。そうするとお客様の方にクリスマス・オラトリオを聴く下地が出来てくる。
 そこで休憩後にはゆったりとクリスマス・オラトリオの半分だけを演奏するのだ。そうすれば、この曲の魅力を最大限にお客様に受け入れてもらえる。そして結果的に、お客様が「来て良かった!こんな良い曲なのか!」と思ってくれるような演奏会が実現出来るわけなのだ。
「クリスマス・オラトリオの半分しか聴けなかった。損した。」
というお客様は恐らくいないかとても少ない。なんでも沢山あればいいというものではないのだ。マグロの刺身だって、無造作に大量のかたまりに盛られて、
「ほれっ、いくらでも食べろ!」
と言われたって嬉しくはない。適度な量に美しく切られ、大根やパセリやきれいなお皿があってこそ、刺身もおいしく味わえるのだ。

 さらに僕は、この演奏会をカラヤンよろしくトータル・パッケージとしようともくろんだ。それはまずこの演奏会のチラシとプログラム表紙の図案にこだわるところから始まる。チラシの真ん中にあるのは有名なラトゥールの聖母子の絵だ。
 僕はクリスマス・オラトリオの全曲の中で、特に自分が強く惹かれる箇所にポイントを絞り、レクチャーでもプレトークでもそれを強調して語った。プログラムにもそれを記載した。それは聖母マリアが全ての出来事を内に秘めて想いをめぐらしていたという記述の箇所と、三人の東方の博士達が黄金、乳香、没薬をたずさえて幼子を探し当てて贈り物を捧げる場面だ。
 今回の演奏会自体が、この二つの場面に的を絞ったトータルパッケージなのだ。そして、この幸福に満ちたパンフレットの聖母子の絵にも、その関連性が感じられる。その聖母子の絵のまわりを飾るのは、ブランデンブルグ協奏曲などが醸し出すちょっと華やいだ祝祭性だ。

 このように意図的に誘導されるのは嫌だという人もいるであろう。クリスマス・オラトリオには、その箇所以外にもいろんな魅力的な箇所があり、それらを自由に楽しみたいと思う人もいるであろう。でも、そう考えるような人は、すでにこの曲をよく知っている人だ。
 一般の人にとってみると、一体どこから近づいていったらいいか分からないようなこうした大曲に、ポイントを決めて鑑賞の手引きをしてもらうことは、決して迷惑ではないだろう。指揮者が現実に心を込めてその箇所を演奏しているのは事実だし、そこからこの曲への理解が始まり深まっていくとすれば、それはそれでいいのではないか。あとは自分で個別に楽しみを広げていけばいいのである。

 カラヤンの話に戻ろう。「カラヤンがクラシックの大衆化を促した」ということは事実だ。それどころか「カラヤンがレコード会社と組んでクラシックの商業化を図った」というのも事実だ。でも、カラヤンの死後、レコード・マーケットは牽引役を失って、「クラシックが売れない」状況が続き、今後それが改善される可能性が薄いことを考える時、クラシック音楽の普及にどれだけカラヤンが寄与したかが明らかになってくる。
 僕らは、昔、あの金環食の写真の表紙の「ツァラトゥストラはかく語りき」や、数字が「燃えている!」英雄交響曲や、カラヤンが革ジャンを着てカッコ良く立っている「英雄の生涯」に胸をときめかしたものだ。そのように「誘導された」ことを、僕たちが現在後悔していたり、カラヤンに恨みの心を持っているかというと、そんなことはない。
 その後僕自身、英雄交響曲はカラヤンよりもフルトヴェングラーの方が好きになったり、好みは自由にカラヤンから離れて行ったり戻って来たりしたけれど、そのきっかけを作ってくれたカラヤンには今でも感謝しているのだよ。

 「ドイツのクリスマス」演奏会前日、オケのメンバーを帰した後で、モテットの練習を鬼のようにやり、合唱団員が泣き出す一歩手前くらいまで容赦しなかった時も、僕の頭の中を支配していたのは、
「このままでお客様の前にお出しするわけにはいかない。」
という想いだった。愛するバッハだからこそ、最上の形でお客様に届けたい。そう強く感じていたのだ。
 そんな時僕は、自分が昨年亡くなった親父と「職人」ということでつながっている事をとても意識する。そして職人気質(しょくにんかたぎ)の自分の脳裏を支配しているのは、いつも「お客様は神様です」という美意識なのである。



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© HIROFUMI MISAWA