赤城おろし

三澤洋史 

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赤城おろし
 烏川(からすがわ)の土手に上ると赤城おろしが容赦なく吹き付けてくる。うっ、寒い!袖や首筋などのあらゆる隙間から北風はいたずら心を出してサッと潜り込んでこようとする。僕はあわててジャケットの立て襟のチャックを一番上まで上げる。首が不必要に伸び、背筋が伸びて強制的に姿勢が良くなる。それから袖先をきつく締める。
 でもむき出しになっている頬は北風の攻撃になすすべもない。顔が固まっていて動かせない。無理矢理微笑むとそのまま頬にバリッと無数の亀裂が生まれて血が噴き出すのではないかという不安にかられる。寒いというより痛い。いや、それも違うな。ジーンと神経が馬鹿になっているので、ぶん殴られた後のように半ば無感覚になっているのだ。久しぶりだな、この寒さ。東京では決して味わえないな。
 陽はとうに暮れていて、僕の愛する赤城山、榛名山、妙義山という上毛の三山や、浅間山などの美しい山並みの景色は深い夜の闇に飲み込まれている。しかしそれらの黒いシルエットは、昼間の親しみやすさとはうって変わって沈黙の中に威圧的な存在を主張している。僕は自分を取り巻く大自然に強い意志があるのを確信する。
 空は妙に明るい。雲も白い光を発していて真綿のよう。大きな月がはっとするほど清楚な姿をして青白く輝き、重力の法則をあざ笑うかのように中空にぽっかり不自然に浮かんでいる。これはシュール・レアリズムなんかではなくて、子供の頃から当たり前のように見慣れている光景なのに、あらためて見ると、なんてシュールなんだろう!どうして月は落ちてこないであんなところに優雅に浮かんでいることができるのだろう!
 満月が近づいている。新聞に書いてあったが、元日の明け方には月食が見られるそうだ。でも4時くらいというからたぶん起きられないだろうなあ。

 僕はさっきスキー場から帰ってきて、愛犬タンタンを連れて土手にお散歩に出たところだ。昼間はもっと寒いところにいたのに今の方が寒く感じるなんて変だ。なんてったって「トンネルを抜けたら雪国だった」っていう新潟県から帰ってきたんだぜ。

ピロリ菌と大掃除
 今年の仕事納めは12月27日。それで28日に一家4人で国立の家の中を大掃除した。今回は長女の志保が、尊敬するピアニストから大掃除の仕方を聞いてきたと言って張り切っていた。我が家はいろいろなものが飽和状態で、これ以上どこにも何も入らないと思っていたが、ロフトから押し入れからかつて乱雑に詰め込んだいろいろな荷物を端から出していって、処分出来るものは処分して、あらためて注意深く積んでいったら、あらら不思議、結構うまく入ってスペースが出来た。
「ママ、これからは順番に丁寧にものをしまうんだよ。」
と志保は偉そうに陣頭指揮をとりながら妻に向かって命令している。
「はいはい。」

 実は、僕はその大掃除には午後から参加せざるを得なかったので、家族のひんしゅくを買っていた。午前中は外出していた。以前もこの「今日この頃」で書いたことのある外科医の赤羽紀武(あかば のりたけ)さんから電話で呼び出しを受けて、赤坂見附のM病院に行っていたのだ。
「先生、例の十二指腸潰瘍の件ね、切り取った細胞からピロリ菌が出たので、ちょっと病院に来られませんか?」
というので出かけていった。
 赤羽さんは内視鏡の写真を一緒に見ながら言う。
「これが十二指腸の潰瘍です。たいしたことはありませんがね。ここに以前潰瘍が出来て治った跡がありますね。出来たり治ったりを繰り返しているらしいです。あとはきれいなものです。ガン細胞のようなものは見あたりませんしね。」
「十二指腸潰瘍とかはやっぱりストレスが原因なのでしょうか?」
「そうとも言えないですね。三澤先生の場合、ピロリ菌が引き起こしていることははっきりしています。このピロリ菌は放っておくとガンなども誘発すると言われてもいますが、長い間持っていても何でもない人も少なくありません。実はわたしも持っているんですよ。駆除したのですがなかなか出て行かない。でもね、わたしの場合もなんともないのです。」
「へえ・・・・。」
「だから何もしなくても良いとも言えてしまいますが、三澤先生の場合、実際に潰瘍を引き起こしているのですから、良い時期を見計らって駆除しましょう。ただ駆除する一週間はかならず薬を飲み続けないと失敗しますからね。覚悟を決めて飲み始めて下さい。」
「はあ・・・・。」
よく分からないまま処方箋をもらって薬屋で薬を買って帰ってきた。
家に帰ると総司令官の志保が、
「パパ、そんなところでボヤボヤしてないで、早く取りかかってよね。」
と言うので、あわてて大掃除に加わった。

 次の日の29日には、妻の車で群馬の実家に帰り、ここでもみんなで大掃除をしてさっさと松飾りをしてしまった。それで今日の30日となるわけだが、朝から娘二人を連れてスキーに行ってきたのだ。僕はね、イマドキの僕くらいの年齢の父親には珍しく、娘達と仲良しなんだ。うふふふ・・・・・って、ゆーか、そんな気にさせておいて、娘達の興味はただ単に僕のお財布の中身だけだったりして・・・・・あいつらの魂胆は分かっているのだ・・・・・でも、
「パパ、健康のためにスキーとかしたら?一緒に行こうよ。」
なんてニコって笑って言われたら、もう尻尾振って、
「はいはい。」
と行くんだ。もう甘甘の情けない父親。でも僕は彼女たちが可愛くて仕方ない。目の中に入れたことはないが、たぶん痛くない。

白銀は招くよ
 群馬は山が近いので、日帰りスキーにはもってこいだ。今は東京からでも新幹線で直通でガーラ湯沢まで行く日帰りコースが人気があるようだが、僕たちはわざと新幹線など使わないで在来線を乗り継いで、越後湯沢から上越線で二駅手前の越後中里に行った。運賃はわずか1620円。越後中里は駅の真ん前からすでにスキー場が始まっている。駅舎がそのままスキー客用のレストランやレンタルスキー場になっているし、改札から最初のリフト乗り場まで歩いて一分。とても便利なので若い時に何度か行ったことあるのだ。
 娘達は毎年スキーに行っていたようだし、次女の杏奈は昨年からスノーボードを始めたということで、今回もスノーボードをレンタルした。でも僕は、実はここ十数年スキーをしていない。大丈夫かなあ・・・・滑れるかなあ・・・・。
「さあ、リフトに乗ろう!」
「ええ?まだ心の準備が・・・・」
「大丈夫、大丈夫!」
という娘達の明るい声に乗せられて一番近いリフトに乗って上まで行く。
 ところがあんた。着いてみたらちっとも大丈夫じゃないじゃない。こ、これって・・・・はっきし言って断崖絶壁やんけ・・・・。ム、ムリ・・・・・。
「パパ、何してんの?」
「無理!」
僕はあっさりあきらめてスキーをはずして肩に背負って、その断崖絶壁を歩いて降り始めた。
「パパあ!な・・・なにしてんの?」
後ろから娘達が驚いて叫んでいる。
「あのね、今ここで骨折するわけにいかないの。だから下のなだらかなところから滑るからね。だんだん馴らしながらね。今は歩いて降ります。そーゆーわけでバイバイ。」
「ちょっと待ってよ。みんなが見ているよ。恥ずかしいよ。パパやめてよ!」
あきれている娘達の声を背中に聞きながら、僕はどんどん斜面を降りる。こんな断崖絶壁なんかいきなり滑れるかい。だが、その断崖絶壁を志保はシャーッとなんの苦もなく降りて行く。杏奈はまだスノボー初心者のうちだが、どうやらスノボーというのは、急斜面でも平気なようで、コケながらもなんとか降りた。おお、やるね、みんな!

 下に降り立って、さあ、僕も滑るぞ!断崖絶壁は過ぎ去って、目の前に広がる斜面は十数年のブランクを馴らすには相変わらず急ではあるが、とりあえずなだらかではある。ところが困ったことが起きた。スキーを履こうとして靴にカチッとはめようとするのだが、僕のいるところだけちょっと斜面が急で体重がかけられず、何度も失敗する。志保が近づいてきて笑いながら、
「パパあ、なにやってんの?」
「見れば分かるだろう、スキーが履けないんだよ。おっとっとっと・・・・また失敗!」
「うわっ、最低!」
出た、志保の有名なセリフ「パパ最低!」。
格闘は約5分間続いた。娘達の目玉はまん丸から三角になり、角度は直視から横目になり、視線は雪よりも冷たくなった。
「さて、レッツ・ゴー!」
「なに言ってんの。今頃。」

 でもね、スキーというのは自転車と同じでね、ブランクがあっても案外体が覚えているものだね。とりあえず一度も転ばないで下まで降りた。それから初心者クラスのリフトに乗って何度か降りてきたけど、自分で言うのもなんだけど、結構いい感じだったよ。
 だんだん慣れてきて、中級コースのリフトに乗り始めた。志保は、知らない間にかなりうまくなっていたので、後を真似してくっついて行ったら、急斜面も結構大丈夫だったりして、なんか調子が出てきた・・・・と思って安心していると派手にコケる。志保が歯を出して笑っている。
 この中級コースは、ちょっと僕には怖い箇所もあるけれど練習には良い。バランスをはかりながら、右に左にストックを使ってダンスのように曲がってみたり、ちょっとスピードを出してみようと直滑降で冒険したり、予期せぬコブがあってバランスを崩しそうになるのを、
「おっとっとっと・・・。」
とかわし、
「そうきたか、じゃあ、こういくぞ。」
と挑戦をけしかけてみたり、スキーってまるでオペラの指揮をしているようだなあ。コブは歌手の気まぐれ。あるいはジャズの即興演奏をしているようとも言える。
 でもまだ意気地がない僕は、急斜面で自分が思っているよりもスピードが出てしまうと、怖くなって体が硬くなってしまい、自分からコケてしまう。気弱になったらいけないんだよな。自分は何があっても大丈夫というイメージトレーニングが必要なところも、なんだか音楽とそっくり。だから楽しいんだ。

 杏奈はスノボーと格闘。僕から見ていると結構上手に見えるが、コケる回数は僕と競争しているよう。スキーよりもずっと難しそうだね。面白いのは、スノボーというのは平らな雪原だと両足固定されているので、止まってしまってにっちもさっちもいかなくなるんだね。甲斐なくぴょんぴょん飛び跳ねている杏奈に今度はこっちが余裕かまして言う番。
「杏奈なにやってんの?」
 中級コースに慣れた後で、さっき「無理!」と言って歩いて降りたところも挑戦。今度は苦もなく滑り降りたよ。最後は志保にくっついて上級クラス。おっ、案外いけるぞ、と思っていたら、ヤベエ、コケまくり。なめたらあかん。

 この冬はこの一回だけと決めていたけれど、あまりに楽しいのでまたスキーに行きたい。1月はもう無理だけど、2月になんとか日程が取れないかな。2月27日の土曜日にワーグナー協会の講演会を頼まれているのだが、その2日前に一日オフ日がある。でもなあ、講演の準備って半端じゃなく大変だから、きっとそのオフの日は一日講演のためにとられてしまうだろうな。なるべく早めに準備を始めて、数日前に終わらせてしまえばいいんだ。ところが僕ときたら、何をするにもギリギリ生活だから、よっぽど意志を強く持たないと無理。
 越後中里だったら一日だけ休みがあれば、前の日、都内で夜仕事が終わってからでも群馬の実家に真夜中頃に着いて泊まり、翌日早朝に出発すれば二時間足らずで着くから、夕方までたっぷり滑れる。う~ん、滑りたい!

 そういえばね、以前の体型のままで行っていたら、恐らく次の朝には体が動かせないほど筋肉痛が起きたかもしれないが、今は体がスリムになっているし、自転車やウォーキングで鍛えているから、翌日は腕がちょっと痛い他は、下半身は膝も腰もほぼ何ともなかったのだよ。やはり減量と運動は僕の人生を確実に変えていくなあ。まだまだ僕は若いのさ。

年末年始
 大晦日に蕎麦さかいからそば粉が届いた。それを使って、今は一年に一度だけだが僕が蕎麦を打つ。僕の田舎では年越しではなく、元日の朝にソバを打ち、おとそとおせち料理の後で茹でて食べる。今回は高崎の高島屋で大晦日に買った合鴨ロースを使って鴨南蛮ソバをした。うーん、最高!
 でもね、お正月というのは血糖値にとって大敵!2日に姉や姪や甥たちがゴロゴロやってきて飲めや食えやとやっている内に、あっという間に1キロ以上太ってしまった。今は必死で戻しているところなんだけど、先週は新年会が3日間続いて大ピンチ。仕方ないので、乾杯だけビール飲んで、あとはウーロン茶で許してもらったが、別に誰も気にしていない。僕はいつも酔っぱらっているみたいなものだからね。
 気がついたんだけど、宴会というのは、気をつけていると意外とカロリー制限出来るものなのだよ。一人一人の皿が別になっているわけではないので、好きなものを好きなだけつまめばいいだろう。かえっていろんな種類の料理を少しずつ楽しめるから充実感もある。要は炭水化物を取りすぎないようにすればいい。鍋などは野菜を一杯食べて、最後のうどんやおじやをあまり食べなければいい。
 一番の敵はなんといってもお酒なんだ。糖尿病やメタボの専門医である大野誠先生は、
「ビールやワインといった醸造酒は、アルコールにジュースを混ぜて飲んでいるようなものなので、高カロリーになってしまうのですよ。」
と言う。あとは量だ。オレンジ・ジュースはとても1リットルなんて飲めないけれど、ビールは飲めてしまうものね。なんでだろうな。アルコールで脳が麻痺するのかな。

僕の中で村上春樹ブームはまだまだ続く
 お正月の間に村上春樹の長編小説「ねじまき鳥クロニクル」を読み終わった。浜松のメサイアをはじめとした準備や勉強があって、第2巻を読み終わったところで中断しようかと思ったが、自分は今なんとしてもこの作品を読み終わるべきだという内なる声が聞こえた。これは驚くべき作品であり、文学を超える文学であり、まさに僕が長い間探し求めていた小説だ。村上春樹という作家は本当に天才だ!
 さて、僕は昨年「1Q84」で生まれて初めて村上文学に触れて以来、これまでに彼の主要作品をかなり読んだよ。今まで読んだものを読んだ順に振り返ってみよう。「1Q84」「風の歌を聴け」「ノルウェイの森」「海辺のカフカ」「神の子どもたちはみな踊る」「めくらやなぎと眠る女」「ねじまき鳥クロニクル」と短期間に結構ハマッたね。その中で「海辺のカフカ」と「ねじまき鳥クロニクル」の二つは文学史上に残る大傑作だと思う。
 ところが、どうも国内の作家や批評家の評判はなにか冷たいね。冷たいというより意図的に村上氏をつまはじきにしているような気がする。彼らの言っていることに耳を傾けてみると、大体こんなところだな。つまり、これはポップカルチャー(大衆文学)であり、純文学とはいえないとか、彼の文章や引用するたとえ、あるいは描く風景が日本的なものから逸脱しており、生活の臭いがしない、あるいは国籍がなく無臭であり、日本文学とは言えないetc・・・・・。
 でもねえ、現代に生きる僕たちは、いつまでも川端康成や三島由紀夫の世界観に縛られてはいないのだよ。僕自身もね、歌舞伎や能よりもオペラやオラトリオに自分を同化しやすいし、そもそもクリスチャンだし、今更日本的なものを要求されてもねえ・・・・そんな自分でもドイツとかにいると、自分が日本人であることをとても感じる。日本人であるというアイデンティティーはなくなってはいないのだ。

 面白い本を見つけた。「世界は村上春樹をどう読むか」(文藝春秋)という本で、たすきにはこう書いてある。「17カ国、23人の翻訳者、出版社、作家が一堂に会し、熱く語り合った画期的なシンポジウムの全記録」。
 これを読むと村上春樹という作家が日本以外でどのように受け止められているかがよく分かる。そして、外国においての方が日本よりずっと正当に評価されているなという感じを受けた。面白いのは、翻訳者達は、僕たちがバタ臭いとかキザで嫌だなと感じる村上氏のカタカナの引用を訳すのに逆な意味で困難を感じているということだ。つまり内容は訳せるのだが、というか自分たちの言葉だから勿論訳すというよりそのままなのだが、村上氏があえて使う時の、現実からの浮遊感とか読者の違和感を表現するのが困難だということだ。それから、僕たちが考える以上に外国人達は村上文学を「日本的」だと感じているということ。それとシンポジウムに関わった全員に共通することだが、村上文学がこれほど世界各地で読まれている背景には、どの民族にも共通する普遍的テーマに触れているということが挙げられるのだ。
 僕はこの本を読みながらいろんなことをずっと考えていたのだが、ある時ハッとひらめいた。それは村上氏の全ての文学でのテーマであり、世界中の読者達が彼に惹かれる“普遍性”の正体は、現代のグローバリゼーションがもたらすところの“喪失感”なのではないか。

喪失感から愛へ
 村上氏が捨て去ったのは、単に日本文学や日本人としてのアイデンティティにとどまらないのではないかと僕は思う。我々はグローバリゼーションの渦の中にいて、アイデンティティがいろんな方面から脅かされているのを感じている。かつてキリスト教に支配されていたヨーロッパ社会や、あるいは戦前の日本などは、ひとつの価値観を強制的に押しつけられていたが、そうした与えられた価値観の中で生きることは、ある意味単純で容易だったともいえる。だからといって今更そうした画一的な価値観に戻ることは、現代人には決して出来ないし、戻るべきだとも思わない。かつての世界は、その与えられた価値観から逸脱した人達を疎外する世界だからだ。
 しかし我々は途方に暮れる。これほど多様な価値観が横行する現代において、各個人は自らの行動を規定する価値観をどう構築していったらいいのだろうか?村上氏はその問いに対し、まず喪失感を我々に提示する。それは、この世の中がとてももろく崩れやすいものであるところから始まる喪失感だ。別の世界へトリップするのもその象徴的あらわれ。それから彼は全てのタブーを彼の小説の中で破って見せ、そうして獲得したあきれるような自由の中から、我々が何を選び取っていくべきかを我々に問うているような気がする。
 とはいえ、彼は我々に何か答えを与えようとしているわけではない。断じてない。彼はただ問題を投げかけるだけだ。答えは恐らくひとりひとりが見つけていくべきであると彼は考えているのだろう。同時に彼は、各個人がその答えの扉を開けるための鍵を示している。それは(月並みな言葉になってしまうのだが)“愛とやさしさ”なのだ。それは「海辺のカフカ」のナカタさんであり、「ねじまき鳥クロニクル」のクミコを追いかける主人公なのだ。
 宇宙は不確定で道しるべも地図も何もないが、その真ん中に自分の座標軸を引くのは自分自身なのだ。そこにまぎれもない自分がいる。こうなったら嫌だと思う自分がいて、こうならなければ嫌だと思う自分だけのこだわりを持つ自分がいる。そのこだわりだけは、どんなに自分に近くても、自分自身でない限り他人とは共有出来ないものなのだ。だから人はみな絶対的に孤独である。そして、それだからこそ人は他人を受け入れるべきであり、他人にやさしくあるべきであり、他人を愛すべきなのだ。現代の我々が宗教なしにこうした結論に達するためには、きっと村上氏の考えるように喪失感から始めるしかないのかも知れない。

村上氏の使う音楽
 話は変わるけれど、1Q84の冒頭で使われたヤナーチェック作曲の「シンフォニエッタ」という曲のCDを買ってきて聴いた。僕もまんまと春樹ブームに乗せられているなあ。この曲は、昔聴いたことあるが特に印象に残った記憶もないので、家にはレコードもなければCDもなかった。でもあらためて聴いてもその感想は変わらなかった。むしろ最初は1Q84とのつながりを意識して聴いたので、先入観や期待が大き過ぎて失望感に変わってしまった。二度目に聴いた時には、1Q84をわざと自分の意識から離して純粋に曲として聴いたので、それなりに面白い曲だなあとは思った。でもねえ、要するにB級グルメだな。庶民的でめっちゃ明るいファンファーレ。田舎っぽくてダサイ。「明るい農村」という感じ。1Q84の方がずっと都会的だし良く出来ている。
 この曲を聴きながら主人公の青豆は別の世界へトリップするのだが、曲はそんなミステリアスな雰囲気から遠く離れている。それに、村上氏が聴いていたと言われるジョージ・セル指揮のクリーブランド管弦楽団は実にうまいオケで、ファンファーレの金管楽器などはほれぼれするのだけれど、あまりに陰影に乏しくクリアー過ぎるので、曲から神秘性というものが全く感じられない。やはり僕はヨーロッパのオケの、あの微妙なズレというかニュアンスが作り出すところの神秘性が好きだな。まあ、演奏に関してはどうでもいいのだけれど・・・・。

 僕は村上氏の音楽の選択には必ずしも同調しないな。彼が取り上げるジャズもそうなのだが、ちょっと有名どころをはずれた選曲は通好みでオタッキーでかっこよい気もするが、それらの曲はやはりメジャーになりきれないB級グルメが多いので、はっきり言って音楽としてつまらない。
 村上氏自身はどう思っているか知らないが、だいたいは彼が取りあげる音楽より、彼の描く文章や場面の方がずっと良く出来ている。作品の内的な部分に直結しているような音楽を取りあげる場合、しばしばその曲を聴いてしまったことで小説自体の印象まで悪くなってしまうことがある。彼はファッションのような感覚で音楽を使うのかもしれないが、読者がファッションに気をとられて中身を見誤ってしまったとしたら逆効果だ。村上ファンの方がこの文章を読んで気を悪くしていたとしたら、ごめんなさいね。僕は音楽家だから、音楽にはどうしてもシビアになってしまうのです。でも文章の方が使う音楽より優れているというのは、僕なりの最大の褒め言葉です。

旅に出ます
 今週なんだけど、実は12日から25日まで山陽、山陰地方に旅に出る。といっても別にひとりでさすらいの旅をするというのではない。新国立劇場合唱団が文化庁主催のスクール・コンサートを今年からすることになったのだ。全部で小学校を9校回る。それで17日の浜松バッハ研究会の演奏会は、15日に米子から駆けつけ、16日の練習と本番をやった後、新幹線で山口県の防府(ほうふ)まで17日の内に帰る。次の更新はその次の日の1月18日だと思います。小学生との触れ合いや楽しい旅の話が書けるのではないかな。



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