旅日記その二

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

1月19日(火)
 スクール・コンサートで合唱団員が一番恐れているものって何だか知ってるかい?それはね、児童とトイレが一緒になること。特に午前中に学校に着いて場当たりとゲネプロを済ませ、それからお弁当を食べると、14時からの本番までの間にね・・・・もよおしてくるのだ。
 今回の事ではないのだが、あるバス団員が自らの体験を語っていた。
「トイレから出て行ったらさあ、小学生達とかち合っちゃったんだよ。そしたら口をぽかんと開けて小さい声で『あっ、うんこしてる・・・。』って言うんだよ。その日ソロの出番があったんだ。本番が始まって子供達の間を歌いながら回っていたら、あっちこっちからヒソヒソと声が聞こえてきた。『あの人ね・・・・うんこしてた・・・・うんこ・・・・うんこ・・・・』」
「あははははは!」
まるでちびまる子ちゃんの世界だが、小学生というのはそういうものだ。

 養護学校を別にしてコンサートの開始は午後から。そうするとその前に児童達は給食を食べて掃除の時間となる。さっきとは別の団員は、ある時楽屋にしている理科室に走って戻って来るなりこう白状した。
「うー、あせった!用を足していたら、掃除の子供達がガラッと戸を開けて何人もドカドカッとトイレに入ってきたんだ。『あれえ、ふさがっている・・・・誰が入っているのかな・・・・先生かな・・・・・』と言いながら他の所を掃除していたんだけど、延々続いて・・・どうしようか?出て行くべきかこのまま居るべきか?と迷っていたら、掃除をし残して行っちゃった。それから恐る恐る出てきて、廊下を見渡して一目散に走って戻って来たけど・・・・ああ、死ぬかと思った!」
 他の団員が言う。
「そういえばさあ、小学校の頃って、学校でうんこ出来なかったよな。そんなの同級生に見つかったら何言われるか分かったもんじゃなかったものな。それで、よく授業が終わると家までダッシュしなかった?」
「したした!」
「俺も・・・」
「ヤベえ、行きたくなった。どうしようかな、我慢しちゃおうかな・・・・」
「行っておいた方がいいよ。本番中に行きたくなったら後で後悔するよ」
僕たちは夢を売る職業だろう。子ども達の夢を壊したくないという気持ちも働くのだ。

自分の居場所に帰りたい
 そんな話を笑いながら聞いていて、ふと思う。これがもし演奏旅行ではなくて戦地だったらどうなのだろうと・・・・・。たとえば3人のバス歌手達は、同じような時期に奥さんが子どもを産み、パパになった。それがきっかけで互いに共通の話題が出来て仲良くなったようだ。僕にも覚えがあるけれど、その頃の新米の父親というものは、もう自分でも情けないほど赤ん坊にメロメロで、仕事から家に帰るのが楽しみで仕方ない。ましてや、その赤ん坊が少しでも成長して、父親が帰ってくるのを喜んだり待ちわびたりするようになったりしたら、もうお父ちゃんはその家族を守るためにどんなことでもしようと思ってしまう。その姿はあまりにもけなげで痛々しいほどだ。そんな若い父親がつかの間とはいえ家を離れることはかなり淋しいのだろう。本番を待っている間に互いに子供達の情報交換をしている。
 また、他の団員のひとりは、
「妻には別に逢いたいと思わないんだけど、犬が恋しい。」
なんてうそぶいているけれど、僕はそんな言葉は信じない。まあ、信じないというよりか、そう言っている者は自分で気がついていないだけなのだけれど、彼は「犬」にだけ逢いたいわけではないのだ。彼が恋しいのは、本当は「犬がいて自分の居場所がある家庭」なのだ。当然だろう。その中には妻だっているし、なにより頼られている自分自身がいるのだから・・・・。

 帰る家のあること、自分の居場所のある者はしあわせだ。それだけに、そこから引き離されるのは辛い。たとえそれがわずか二週間であろうとね。そんな彼等の姿を見ていると、僕はどうしても、もっと辛い極端なケース、すなわちこれがもし命と隣り合わせの激戦地にいる兵士達だったらどうなのだろうと勝手に想像力がふくらんでしまうのだ。
 戦地では昨日まで一緒に身の上話をしていた同僚がどんどん死んでいく。戦死者何名などと数字で簡単に片付けられてしまうが、数の問題ではないのだとつくづく思う。人の命の数だけ、その人のしあわせの種類があり、その人の居場所の種類がある。居場所を持っている人は誰だって「こんなところでは死ねない」と思っている。でもその死ねない者同士が殺し合うのが戦争だ。それを思うとたったひとりだって殺し合いなどしてはいけないと強く思う。人の命は地球よりも重い。
 勿論、これは単なる演奏旅行だから、この楽屋を共有する仲間達が戦死したり負傷したりするわけではない。でも、家から遠く離れて一週間経ちホームシックが始まると、こんなことを考えたりするものだなあ。世界中の帰りたくて帰れない人達のしあわせを僕は祈ります。

割引をねらって
 旅の日々が続く。昨日までみんなは防府(ほうふ)に連泊していた。今日は柳井(やない)。最初の内こそ宴会のようにして騒いでいたみんなも落ち着いてきて、食事もそれなりにつつましくなってくるようだ。みんな節約モードに入っている。
 SATYやYou Me Town(ゆめタウン)などの食料品コーナーでは、6時半を過ぎると店員のお兄さんが3割引や半額のシールをお寿司やお総菜などに貼っていく。合唱団員達は、そのお兄さんの後ろからぞろぞろとくっついて歩いて、
「これ早く貼ってよ。」
「済みません、これは割引にならないんです。」
なんてやりとりを繰り返している。お兄さんがシールを貼るやいなや、彼等は、
「やった!半額だ!」
なんて言いながらレジーに持って行く。
 先週あたりはそれを笑って見ていたんだけれど、ホテルの部屋で食べるのも時間が節約出来ていいなと思い始めた僕は、月曜日からみんなのやり方を真似している。最近のスーパーのお総菜コーナーは馬鹿にならないよ。安くてとても充実しているので、下手なレストランに入るよりずっといい。
 昨晩はウニも入っているおいしいにぎり寿司を2割引で買い、サラダも和風ドレッシングと一緒に買ってイタリアの赤ワイン250mlビンと一緒に食べた。今日は3割引の五目寿司やら半額の筍とふきを似たものやらいろいろ買った。驚くほど安い。今晩はお酒抜き。明日から広島に2泊するので、広島焼きやら牡蠣やらというノリになるだろうからね。そんな時はお酒がないと話にならないからね。

シャネル&ストラヴィンスキー
 で、部屋に帰って読書をしている。防府の本屋で見つけた「シャネル&ストラヴィンスキー」(クリス・グリーンハルジュ著・竹書房文庫)を冬の夜長にホテルの部屋で一気に読んだ。次女の杏奈が最近
「シャネル、シャネル!」
と騒いでいるので、名前が気になっていたのだ。杏奈は今メイクアップの勉強まっしぐら。

 20世紀前半、それまでのゴテゴテとした装飾に満ちた女性の衣装に革命を吹き込んだココ・シャネルことガブリエル・シャネルは、シンプルでモノトーンを基調とした斬新なファッションで一世を風靡した。私生児として生まれ、お針子から帽子屋になり、服飾デザイナーで世に躍り出た後も、香水など次々と新しい分野を切り開いていったココ・シャネルに、杏奈は自分の生き方を投影しているようだ。
 僕も杏奈から間接的に話を聞きながら、
「ふうん、そんな人だったんだ。」
と思っていた。一方、僕はストラヴィンスキーの音楽は大好き。だからむしろストラヴィンスキーの側から興味が湧いてこの本を買ってみた。

 読み始めてしばらくはココ・シャネルという女性に僕も惹かれ、
「なんて魅力的な女性だろう。それにこのたくましさ!」
と驚嘆していたが、その内に、ココがイゴール・ストラヴィンスキーに接近し、パトロンとして自分の別荘にイゴールの一家を住まわせ、妻のカテリーヌも一つ屋根の下に住んでいるというのにイゴールを誘惑し、不倫を重ねていくというあたりから、うーん・・・・と思い始めた。
 やがてイゴールの不倫に愛想を尽かしたカテリーヌは、子供達を連れてココの別荘を出て行く。イゴールは、家族の喪失感とココとの誰にも気兼ねしない新しい関係への希望の間で揺れ動く。ところがその目の前で、あろうことかココはドミトリー大公を別荘に招き、急速に接近して愛人となり、今度はイゴールと一つ屋根の下にいながら彼を無視してドミトリーと情交を重ねる。そして挙げ句の果てに、
「私は、いつも仕事が最優先。男はその次よ。」
と言ってのける。そんなココの姿に、しだいに僕のシンパシー(共感)はアンティパシー(反感)に変わり、最後は男として釈然としない気持ちで読み終わった。
 まあこれは、男性から独立したい女性や、男性から虐げられている女性にとっては、
「ざまあみろ!女だって自由に生きられるのさ!」
と読んで胸がすく思いなのかも知れないが、そういう風に男を食い物にばっかりしている生き方はどーなんでしょうね・・・・・。ま、全ての面においてヴァイタリティに溢れ、アクティブで聡明で、男でもなんでも利用出来るものは全て利用し、捨てるものは全て捨てることが出来たからこそ、あそこまで上りつめることが出来たことは事実。

 ある時、ココが自分自身のことを“芸術家”と呼ぶことに対し、イゴールは、
「もし君が、商売よりも創作にもっと時間をかけているなら、芸術家だと認めてもいい」
と言った後で、
「君は芸術家じゃないよ。ココ。洋服屋だ」
と言う。このくだりは実に興味深い。ココだって勿論芸術家だ。彼女に卓越した芸術的センスがなかったなら、あのアイデアも名声もあり得ない。しかしイゴールの指摘は、ギリギリのところでココが芸術とビジネスとの境界線の上で綱渡りをしているのを言い当てている。
 だけどね・・・・そんなら、そのココの財力に甘え、女パトロンから経済的援助を受けるだけでなく関係を持つことで家庭を崩壊させ、挙げ句の果てにそのパトロンにも男として捨てられてしまったイゴールってどーよ。
「自分は芸術家で特別な人間なのだから、人から援助を受けて当然!」
と思っていたとすれば、彼も相当おめでたい人間だ。
 世の中にただほど怖いものはない。結局ココは、無償の博愛家なんかではなくて、欲しいものを自分の財力をもって手に入れ、そしていらなくなったから乗り換えていったということなんだな。乗り換えられてしまったイゴールはただの愚かな男さ。作品がどんなに素晴らしくても、その点ではあまり同情出来ない。
 あの若さで「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」と、それまで誰も考えもしなかったような衝撃的で真に独創的な作品を世に問うた大天才なのに、その後の作品群があまりパッとしなかったのにもココの存在が影響しているのかな。とにかく援助を受けるということは、援助する人の支配下に入るということだから、芸術家だって大変だけれど安易にパトロンに頼ったりしないで経済的に自立するというのは必要なことだ。

1月20日(水)
 早朝、柳井の街を散歩していたら、白壁の町並み保存区域という一角にたまたま入り込んでしまった。柳井の白壁この街は室町時代から港町として栄えていたそうだ。立て札を見ると、
「この白壁の町並みは、元禄時代以降の典型的な町屋造りで、江戸時代の繁栄ぶりが偲ばれます」
と書いてある。陽が登る前、街灯がついた朝靄の町並みは幻想的でとても印象的だった。

 柳井のホテルを出発して今日は平生(ひらお)町立平生小学校。ここの女性の校長先生は陽気でヴァイタリティに溢れている。だから児童達もノリが良い。合唱団達も児童達にノセられてノリノリの内に公演が終わった。
 その後一時間半のバス移動で広島に向かう。途中トイレ休憩したサービスエリアで、揚げもみじ饅頭があまりにおいしそうなので、間食を控えるという自らの掟を破って買って食べる。これはうまい!子供オペラで森の小鳥やタムタムの役もやっているソプラノのNYさんがそれをめざとく見つけて、
「あっ、三澤先生見ちゃった!やっちまいましたね!」
なんて言っている。もう、ほっといてよ。

広島食い道楽だあ!
 防府や柳井からいきなり出てくると、広島は目眩がするくらい大都会の香りがする。牡蠣の鉄板焼き青信号の間に渡りきるかなと心配するくらい広い大通りや、市電の縦横に走る街角、川辺と橋のかもし出す風情、いろんな店舗が入り込んだ立派な駅など・・・・・でも、考えてみると僕たちって東京からわずか一週間前にやってきたばかりなんだよね。不思議だけれど、僕たちはそんなにも早く地方の小都市に馴染み、そこに自分を同化してしまったというわけだ。

 さあ、そうなると、昨晩もアルコールを控えたことだし、また小林万里子さん達を誘って今晩は広島食い道楽パート1。それはなんといってもお好み焼き!ホテルから歩いて4,5分の繁華街の中にある「みっちゃん」というお店。ここで僕たちは当然メインとしてお好み焼きを食べたわけだけれど、その前に来た牡蠣の鉄板焼きがヤバいくらいおいしかった。 広島焼き
 広島風お好み焼きといったらやきそばが入っているのだが、それだけではない。言葉ではとうてい表現出来ないのだが、とにかく東京あたりで食べるものとは味が全然違う。僕はミックス焼きを頼んだからというのもあるけれど、実にいろんなものが入っている。この地で「イカ天」と言った場合、ただのイカの天ぷらと思ってはいけない。昔駄菓子屋で売っていたでしょう。あのペラペラの味つき「のしイカ」の揚げたやつ。分かるだろうか?広島ではこれが定番として入っているのだよ。びっくりしたなあ!

1月21日(木)
 今日は広島特別支援学校。ここは小学生だけではなく中学生も一緒。知的しょうがいの子供達というのは、感受性に関してはもの凄く豊か!感動をストレートに表現する。最初の曲を歌い終わった時、
「ウワーッ!」
と大きな歓声が上がったのでびっくりした。この子達凄いわ!曲が進んでくるにつれて、彼等の反応に僕たちは心底驚きっぱなし。というのはね、彼等の反応は、まさにイタリア人のオペラ通の反応と全く同じなのだ。違うのは、
「Bravo !」
という代わりに、
「ウワーッ!」
というだけなのだ。そのタイミングも絶妙!
 公演が終わって帰ってきた合唱団員達はみんな口々に、
「これって、普通のイタリア人のリアクションだよね」
と言っていた。

 僕が今日彼等から一番学んだことは、僕たちはなんて知性偏重の世の中に生きているのだろうかということだ。頭が良い人間が世の中を支配していくという常識がまかり通っている世の中では、テストの点数が悪かったら、もう何をしても駄目という価値観を作り出す。運動が出来ても、歌がうまくても、所詮成績が良くなければ社会を渡っていけない。 
 こうした知性偏重の価値観が、アメリカ人がインディアンを駆逐したり、アフリカから黒人達を買ってきて奴隷として家畜のように使ったり、日本人が中国人にひどいことをしたりする行為とどこかで結びついていなかっただろうか?支配する人間と支配される人間の線引きは、知性のあるなしで行われてはいなかっただろうか?素朴で善良な先住民と、狡猾で冷酷な人達のどちらが人間として優れていたのだろうか?そして、どうしてそういう問いが、数々の略奪の行われる前に発せられなかったのだろうか?やさしさとかあたたかさとか感受性だとか、地上に平和(in Terra Pax)を作り出す善き意志(Bonae Voluntatis)を、どうして価値観の最初に人類は持ってこなかったのだろうか?

 今回の演奏旅行の前にもこれまでいくつかの養護学校に行っている僕が明らかに言えることだが、知的しょうがいを持っている子供達は、他の子ども達にはない特別に鋭敏で繊細な感性を持っている。だから、たとえば盲目の辻井伸行君が、目が見える人の誰よりもピアノを素晴らしく弾けるならもうそれで充分なように、広島特別支援学校のみんなも、こんな豊かな感性を持っているなら、もうそれで人間として充分だと思うのだ。
 僕は実際、彼等の素直な性格と解き放たれた感性に本当に感動してしまって、またまたウルウルしてしまった。加えて、ここの校長先生はとても純粋な人だ。公演後の校長先生ご挨拶の時、目に涙をいっぱいためて本当に心のこもった感動的な挨拶をしてくれたので、それまで我慢していた女性団員達もみんな目が赤くなってしまった。自分の言葉で語る校長先生のいる学校の生徒はどこもきちんとしている。この学校からも僕たちは、人間として生きるために何が一番大切かということを教えていただいた。
 
 僕は思っているのだよ。むしろ養護学校だけでスクール・コンサートをやってもいいな・・・と。ただ、その場合、連れて行く人達は、この新国立劇場合唱団のように最高の人達でないと駄目なのだよ。歌がとびきり上手で歌に心がこめられ、しかも心が限りなく豊かでやさしくないといけない。最高のものこそが彼等に必要なのだ。

宮島
 広島特別支援学校の公演は午前中だったので、朝は早かったのだけれどお昼前に終了してホテルに戻ってきた。午後から夜がまるまる空いたので、僕厳島神社の鹿は宮島の厳島神社に行くことにした。広島出身のバス団員にいろいろ聞いた。常識的には宮島口まで行ってフェリーに乗るのだが、広島港まで市電で出て、そこから高速船に乗っていくという方法もあるという。僕はそれに決めた。
 船旅は快適だったし宮島は良かった。海の中に立っている鳥居は、よくいろんな写真で見た通りだが、島全体がなにか信心深い感じがする。やはり霊場だ。鹿が沢山いる。ここの鹿は角がなくて毛並みがつるんとしていて、まるでうちの愛犬タンタンのよう。見ていたらタンタンに無性に会いたくなった。彼らは寄って行っても逃げない。なんて人なつっこいんだ。
 入場に300円取った厳島神社自体は・・・・あははは・・・まあ・・・こんなものでしょうね、名所旧跡というのはね・・・・大体においてプロが撮った観光写真の方が素晴らしい。いやいや、勿論よかったのだけれどね。
 お参りの後は、参道に並ぶ土産物屋を冷やかして歩く。表参道僕は別にもみじ饅頭ってそんな特別に好きということはないのだけれど、あまりに沢山並んでいるので、ひとつ買って食べてみた。その場で作っているからうまいよ。でも、どこの店もみんな元祖とか本家とか書いてあるんだけど、本当の本当の本家って一体どこよ?

 帰りはフェリーで宮島口まで出る。行きの高速船は本数が限られていて待たせられ、しかも1800円もしたのに、帰りのフェリーはなんと170円で5分に一本。所要時間は行きの30分に対して10分。だから僕のルートは船旅を楽しみたい人向きであって、万人向きではないかもな。
 宮島口から市内まではヒロデン(広電)で出て、原爆ドームのあたりからホテルまで歩いて帰って来た。西陽をうけた原爆ドームはその凛とした姿をたたえて美しかった。この美しさは意図したものではないだろうが、廃墟には廃墟の美しさがある。
夕暮れの原爆ドーム
 夜は広島食い道楽パート2。今晩は牡蠣三昧。牡蠣問屋直営店の“柳橋こだに”という店を予約した。牡蠣の土手鍋を基本にして、その他に牡蠣の昆布焼き、牡蠣のバター焼き、牡蠣時雨煮など、もう本当に牡蠣づくし。土手鍋はやばいくらいおいしかった。
 その後このスープを使って雑炊にしようとしたら、店のお兄さんが、
「雑炊はこの味噌スープで作るには濃いので、あらためて雑炊を頼まれたらいかがですか?」
と言う。でも合唱マネージャーのTさんは、
「これで雑炊は駄目なんですかあ?このスープで雑炊食べたいなあ~。」
と食い下がる。お兄さんはややひるんで、
「このスープで食べたいとおっしゃるお客様もいらっしゃるので勿論出来ます。ただそのままでは濃いので、薄めるためにスープを持って参ります」 牡蠣の土手鍋
と言う。そこで無理矢理という形で、土手鍋の味噌スープを使った雑炊を食べた。どうしていつもこうしないの?と思うほどおいしかったよ。でもね・・・・後で分かった。部屋に帰ってからめっちゃ喉が渇いたのだ!

1月22日(金)
 早朝の広島の街を散歩する。駅前のホテルから平和大通りに出て、平和記念公園に向かう。早朝の平和大通り街が目覚め、動き始め、新しい一日が始まるエネルギーに溢れたこの時間帯を散歩するのが僕は好きだ。朝焼けの中、車はまだライトをつけて走っている。
平和記念資料館の横を通り、平和記念公園に出て原爆ドームの方に向かう。朝焼けの中の原爆ドームは、昨日の夕暮れとまた違って、早朝の原爆ドーム人々がせわしなく行き交うのを微笑みながら見つめているようだった。

 広島という街は市電があるから独特な雰囲気を持っている。その市電を待つ人々にも活気を感じる。市電を待つ人々

 今日は、広島駅前のホテルからバスで一時間半以上も行った安芸(あき)高田市の小田小学校。小田小学校ここはまるで絵に描いたような「ふるさとの小学校」という感じ。道が細くてバスが学校まで乗り入れられないというので、先生達が総動員して車を出してくれて、バスから学校までをピストン輸送してくれた。
「うわあ、あたしの田舎の小学校みたい」
と地方出身者は嬉しそうに語る。生徒数も少なく(全校で60人くらい)こじんまりした学校。児童達も素朴で人なつこい。小田小学校の子ども達
 演奏会の後バスまで歩いてみたくなったので、先生の車をお断りして、何人かの団員達と歩き始めたのだが、実にのどかでほのぼのとした山村風景に身も心もリフレッシュした。

小田小学校からの帰り道

 こうした地方の小規模な学校に、新国立劇場合唱団が30人で来てこのレベルでコンサートを行うなんて、文化庁主催でないと絶対に出来ないなあ。「事業仕分け」でいろいろ無駄遣いがシビアにチェックされている今日この頃だけれど、こうしたところにだけは決してお金を惜しまないで欲しい。どういう「明日の日本国民」を作るかという観点から見た場合、芸術の力というのは決して軽視できないものがあるのだ。先ほども書いたとおり、21世紀は知性偏重の時代からやさしさの時代になっていかなければならないのだから。



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