志木第九の会演奏会無事終了

三澤洋史 

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志木第九の会演奏会無事終了
 カンタータ第4番もモーツァルトのレクィエムもいい曲だな。でも指揮していて思ったけれど、バッハとモーツァルトでは随分体にかかる負担度が違う。バッハはほとんど汗をかかないけれど、モーツァルトはベートーヴェンと同じくらい疲れる。やっぱり感覚がモダンなんだな。どっちがいいとか悪いとかの問題ではないのだよ。
 レクィエムのDies Irae (怒りの日)の表現なんかは、この古典派様式で表現し得る極限をいっている。よくヴェルディのレクィエムなどが怒りの日をドラマチックに表現し過ぎると批判されるが、そのきっかけを作ったのはむしろモーツァルトだ。これはモーツァルトがオペラを作っているからこそ成し得た世界だ。僕は、モーツァルトは面白がってこの大げさな表現を書いたのだと信じているから、彼の意図通り思い切ってドラマチックに指揮した。五十代半ばになると演奏家も普通はだんだん落ち着いてくるものかも知れないけれど、どっこい、僕のモツレクはどこまでもイケイケだい!ふうっ、ちょっと汗かいたぜ。

何故二十年も?
 演奏会当日に、ケーブルテレビが取材に来て僕にインタビューを求めてきた。
「志木第九の会はもうすぐ二十周年を迎えると聞きましたが、忙しい三澤先生がこの団体に創立以来ずっと来続けるのは何故ですか?」
と聞かれて、う~んと考えてしまった。何故なんだろう?特に2001年に新国立劇場合唱指揮者になってから、年間のかなりのスケジュールをそちらに取られてしまい、いくつかの合唱団には残念ながら行けなくなってしまった。それが志木第九の会にだけは今日に至るまで確かに来続けている。いろいろ考えていくつかの理由が浮かんだ。

 ひとつは志木第九の会の持つ独特な雰囲気だ。この団体にはなんともいえない暖かさがある。みんな和気藹々として仲良しだ。それに、新しい団員や、僕の元でこの曲だけは歌いたいとよそから臨時団員のようにやって来る人達に対してもとても開放的で分け隔てがない。そんな雰囲気の中で、僕自身もこの合唱団に指導に来るのが楽しみになっているのだ。
 それともうひとつは、僕が音楽で何を目指しているのかを団員達がよく理解しているという点だ。勿論合唱団は仲良ければそれだけでいいというものではなく、お金を取って演奏会をやるからには少しでもクォリティを上げていかなければならない面もある。僕が演奏会直前に魔の特訓をやることは知られている。
「もうみなさん良くできたから、今日は練習をやめて早く帰りましょう」
なんて僕が本番直前に言うはずがない。僕の練習は、アマチュアを相手にやるにしてはかなり厳しいと思う。でも、それは僕が今取り組んでいる曲を愛するがあまりなのだ。勘違いして欲しくないのは、僕が本番直前に特訓をやるからといっても、
「本番さえ良ければ後はどんな態度で曲に臨もうが知ったことではない」
などという考えとは完全に袂を分かつのだ。そんな変なプロ意識の出来損ないのような態度は、僕はプロに対しても許さないし、ましてやアマチュアには決してあってはならないことだと思っている。曲にはね、それぞれその作曲家が込めたかったギリギリの想いが凝縮されているのだ。
 また、その曲が生まれた背景や、その作曲家が引きずっている文化や境遇などあらゆるものがその曲の中に溶け込んでいる。それを探求しなくてどうして演奏する資格があるか、というのが僕の持論だ。こうした僕が大切に思っていることに対して、団員達も本当に大切に受け止めてくれているのだ。
 僕は亡くなった前団長の冨倉さんの人間性にとても魅力を感じていたし、それを引き継いだ現団長の悠々自適な生き方にもとても惹かれる。音楽と結びついた健全で豊かな市民性の理想の姿がここに見られるような気がするのだ。なにより、僕はここに来るとふるさとに来たような気がするのだ。まあ、ふるさとと言えば、もうひとつ長く続いている新町歌劇団も同じような暖かさと親和力に満ちている。
 こうした団体と共に音楽を作っていきたいと常に願い、そのように歩んできたところが、まさに僕の僕たるゆえんなのだ。そして実際、志木第九の会はそうした暖かく人間的な演奏をするのだ。しかもみんな一丸となって。

 インタビューで僕はそんなことを答えたと思う。そうしたらケーブルテレビの人達がなんだかとても感動してくれて、
「いい話を聞かせてくれてありがとうございました!これを放送したら団員の人達も喜んで下さると思います。」
と何度もお礼されてしまった。

志木らしい演奏
 僕は、自分がここまで生きてきて、こうした人達に囲まれていることをとても幸せに思っている。今日の演奏会も、本当に志木第九の会らしい演奏をしてくれた。競演してくれたニュー・シティ管弦楽団も、音楽に向かう姿勢が真摯で嬉しく、しかも本当に熱演してくれた。
 ソリストも、ソプラノ藤崎美苗(ふじさき みなえ)さん、アルト佐々木昌子(ささき まさこ)さん、テノール初谷敬史(はつがい たかし)君、バス初鹿野剛(はつかの たけし)君達が、揺るぎないハーモニーを聴かせてくれた。特にバッハの二重唱での藤崎さんと佐々木さんのアンサンブルの美しさは絶品でしたなあ。
 また、今回初めて通奏低音奏者としてオルガンを弾いた第九の会専属ピアニストの矢内直子さんも立派に役目を務めてくれた。ポジティブ・オルガンは足鍵盤もないし、一見誰でも弾けそうに見えるけれど、実はなかなか大変なのだ。彼女は僕の、
「あまり棒のタイミングを見ない方がいい。それよりも、チェロとコントラバスのタイミングにアインザッツとテンポを合わせるように」
というアドヴァイスを冷静に守ってくれた。みなさん、本当にお疲れ様でした!一番お疲れ様を言いたいのは、全てに気を配っている志木第九の会の母、Oさんですよ!

 いつも思うのだけれど、最後のフェルマータを切る時の、
「ああ・・・終わってしまう・・・・」
という残念な想いを今回も感じた。僕はね、本当に舞台の上が好きなんだな。

長大なカラヤン座談会原稿
 すでにこのページでも書いたことがあるが、昨年12月はじめにカラヤン帝国興亡史(幻冬舎新書)の著者でもあり雑誌クラシック・ジャーナル編集長でもある中川右介(なかがわ きょうすけ)氏の発案で、「カラヤンを語る」座談会を行った。
 その座談会を文章に起こした原稿があがってきて、僕の語った部分の確認と、もし訂正があれば今の内に訂正して戻して下さいと言われた。そこで出来上がった原稿を読んでみて驚いた。もの凄い量だ。
 確かに座談会は1時から5時半過ぎにまで及び、カラヤンについてみんな想いのたけをぶちまけた長大なものだった。でもこういうのは、通常はかなり編集されて、出来上がってきた時には「あれっ?」と思うくらい短くなっているのが普通だ。ところが今回は違った。
 自分の語った部分の表現を直して、中川さんに添付書類つきメールを送りながら、
「それにしても膨大な量ですね」
と書いたら、また返事が来た。
「でも面白かったですよ」

 確かにこれは画期的な対談だ。カラヤンの芸術性と彼の行動との秘密を探るべく、ありとあらゆる方面からカラヤンの人生の軌跡を徹底的に調べ上げた中川さんとはじめとして、「カラヤンとLPレコード」(アルファベータ)を書いた板倉重雄さん、僕の高校時代からの親友で、我が国のフリースタイル・スキーのパイオニア的存在である角皆優人(つのかい まさひと)君、そして僕と、みんなハンパじゃないカラヤンおたくの集まりの座談会が面白くならないはずがないのだが、出来上がった原稿をあらためて読んで思ったのは、この記事がもし世の中に陽の目を見たら、これまで数知れず出版されたカラヤン関係の書物の中でも、ひときわ輝くものになること間違いない。早く出版して欲しくてワクワクしてきたよ。

ターン弧に対するプレッシャー
 内容に関しては読んでのおたのしみだが、その原稿の中で、対談の時には特に気になっていなかったのだが、角皆君がスキーに関して述べていたコメントが読み返してみて心に引っかかった。
 角皆君は、冬期オリンピックに出るようなトップ・スキーヤー達を指導し、彼等とカラオケに行く内に、その人の歌とスキーの滑り方との間にとても密接な関係があることに気付きはじめたという。それを分析していく内に、音楽家達の演奏を聴くと、その演奏家がスキーをした時にどんな滑り方をするかが手に取るように分かるようになったというのだ。
 あの対談の後で僕は年末に娘達と一緒にスキーに行っただろう。その時に、
「ああスキーって音楽と同じだなあ!」
としみじみ思った。だから対談の時にはまだ角皆君のコメントにはピンとこなかったというわけだ。
 角皆君の見方は、当然僕のような素人と違う。彼は「ターン弧に対するプレッシャー」という言葉を使う。ターン弧というのは円の一部を描くので、遠心力と重力がかかる。その双方をどうコントロールしていくかという点に、その人間の持つプレッシャーに対する限界が現れるという。それが滑りにも音楽にも共通するというのだ。
 ただ音楽は競技ではないから、常にタイムや技などで“限界”に挑んでいるわけではない。音楽家とスポーツ選手とは似ているところも多いが、違うとするとその点だ。たとえばピアニストが「エリーゼのために」を弾く時に求められるのは、ショパン・エチュードで求められるような技の限界というものではない。でも、「エリーゼのために」だって演奏者によっての違いが出る。そんな簡単な曲だって、人前で弾くとなればプレッシャーもある。演奏者は別の意味での限界に挑戦するという言い方も出来ないわけではない。それは、「完璧なフォーム」という限界に対してのものだ。

 たとえば、僕がバイロイト音楽祭の練習中に間近で見たプラチド・ドミンゴは、練習中には少しも無理することなく安定したフォームでジークムントを歌いきる。その歌唱テクニックは完璧だし、そんな時は力が抜けていて本当にほれぼれするような美声だ。人はジークムントを歌いきるだけで大変だと思うだろう。だが、そんな状態ではとても舞台にまで持って行くことは出来ないし、何度も繰り返す稽古に耐えることも出来ない。安定したフォームで歌いさえすれば、恐らくドミンゴは一日に何回でもジークムントを軽々と歌うことは出来る。
 しかし、そのままでは本番で舞台に立った時に、聴衆にとっては不満なのだ。表現に踏み込むためには、その完璧なフォームを踏まえつつ、一歩だけ踏み出しちょっとだけ無理をする。その時にどこまで踏み込んでよくて、どの程度フォームの安定性の瀬戸際までいけるかというのが勝負なのだ。恐らくそれが自己ベストタイムを更新する瞬間の運動選手の状態なのだと思う。歌では、それが血湧き肉躍る熱狂感を作り出し、なりふり構わずドラマにのめり込んでいく臨場感を作り出す。発声は完璧なのにしばしばパバロッティがドラマ性に欠けると言われるのはその点でバランスを崩さないからなのだ。

 それは指揮者にとっても言えることだ。指揮者が本番でどの程度限界に挑戦するのかという観点から見た場合、カラヤンは他の指揮者よりも少しだけ安定したフォームにこだわる。だから恐らくカラヤンがスキーをした場合、もの凄く高度なところで乱れることのないスキーをするのだろうし、実際彼の演奏も他の人達よりちょっと冷静で、完璧な音色の美学を追究しているのだ。カラヤンに「なりふり構わぬ」は似合わないというべきか。
 
 スキーのターンに関して言うと、年末に久しぶりにスキーをした時、丁度僕は初めてターンにかかる重力をコントロールすることを面白いと思ったのだ。自分の膝の筋肉が持ちこたえられるかと心配しながらスピードを制御していくか、それとも逆にスピードを仕掛けていって挑戦するか、そこのところに人間性が表れるなあと思っていたのだ。だから角皆君が何を言いたかったかが今こそ分かった気がした。
 そこですぐ角皆君にメールを書いた。そしたらまた返事が来て、僕のホームページを時々読んでいて、越後中里なんか行かずに白馬に来ればいいのになと思っていたという。僕だってね、白馬に行きたいのだよ。一週間くらい仕事を全部放り出して白馬にこもり、昼は一日中ゲレンデにいて、夜は角皆君のところでカラヤンに限らず音楽やいろんなことについてとことん語り合う、なんて出来たらどんなに良いだろう。温泉にも入りたい・・・・ああ・・・・見果てぬ夢!

ヤバい、パソコンが・・・・
 それより日本ワーグナー協会の講演会が近づいてきて準備が佳境に入ってきているというのに、いきなり自作パソコンの調子がおかしくなってきた。ライト・モチーフを説明するのに譜面ソフトで譜例を作って、それを画像ファイルに変換し、パワーポイントで動かせるように先週作業したのに、その画像が入っているパソコンが起動出来ない。もう絶体絶命!どうやらWindows XPの入っているハードディスク・ドライブHDDに寿命が来たみたいだ。
 幸い僕はこんなこともあろうかと思ってHDDをパソコン内に二つ入れている。ファイル類はすべてWindowsのある方とは別の方に入れてある。まあ、それを取り出せばいいのだが、そのHDDは今のパソコンでは動かせないので、となりにある妻のパソコン(それも僕が自作した)にHDDを一度入れてパソコンを起動し、そこから外部に取り出さなければならない。面倒くせえな。時間かかるな。今晩やらなければならない。
 ちなみにこの原稿はノート・パソコンで書いている。もし無事にファイルが取り出せたら、このノートで作業すればなんとか講演の準備は出来る。自作パソコンの方は、講演が終わったら落ち着いてハードディスクを買い、ついでに新しいWindows 7を入れちゃおうかなと思っている今日この頃です。なんだ、またドサクサに紛れて良からぬ事を考えているようだな。



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