進化するダン・エッティンガー

 

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

進化するダン・エッティンガー
 新国立劇場元芸術監督のトーマス・ノヴォラツスキー氏の功績の中で、最も大きいものはダン・エッティンガーという人材を発掘したことではないかと今になって思う。かつて、たまたまテルアビブのホテルで一緒になった若い指揮者と話をしている内に、なんとなくピンとくるものがあって、ノヴォラツスキー氏はその若者に、
「君は自分のことを良い指揮者だと思うかね?」
と試しに聞いたところ、
「はい、思います」
と若者は答えたが、その答え方の屈託のなさに、
「決めた!」
と思って、その場で契約の話をして、新国立劇場に連れてきて「ファルスタッフ」を振らせてしまった。まかり間違えば、
「なんという無責任な!」
という批難をも受けそうなエピソードであるが、その後のダンの成長ぶりを見ると、ノヴォラツスキーの人を見る目もたいしたものだと思う。こうしたリスクを引き受けて決断をすることは、ヘッドといえどもなかなか出来ることではない。

 ダンの人なつこいけれど決して物怖じしない性格を見ると、僕も初めて見た時から確かにコイツはどっちかだなと思わせるものを持っていた。テルアビブのホテルで彼が「はい、思います」と答えた時の屈託のない表情も手に取るように想像できるし、それを見て彼に賭けようと決心したノヴォラツスキー氏の心中もよく分かる。
 どっちかだと言ったのは、自らの内から輝き出た自信というか才能のみが醸し出している雰囲気をダンは持っていたが、時に、なんにも知らないくせに根拠のない自信のみ持っている者も、こうした雰囲気を醸し出す事があるもので、その境界線が曖昧だったわけである。
 それで2004年に新国立劇場で「ファルスタッフ」を指揮した彼だが、時同じくしてバレンボイムに引き立てられてベルリン国立歌劇場の指揮者となり、さらに2009年からマンハイム歌劇場音楽監督になって現在に至っている。「ファルスタッフ」の時も、初めての大舞台でのオペラ指揮だったわけであるが、どうしてどうして立派に大役を務めた。それから来日する度に成長していて、原石の中からしだいにダイヤモンドの純度が高まってくるのを楽しみに見ていたが、昨年の「リング」前半と比べても今年の進化の度合いは著しく、楽しみは驚きに変わった。恐らくマンハイム歌劇場の音楽監督になって、自分のフィールドを手に入れたことが大きいのではないだろうか。

 「神々の黄昏」のオケ合わせが行われた。ダンの頭の中で鳴っているワーグナー・サウンドがよく分かる。そしてその伝達の仕方も適切だ。彼の場合、練習が始まってからいろいろ考えを変えるので、テンポも振り数もよく変わるのだが、不思議と曖昧な感じやいい加減な感じがしない。それは基本のイデーが揺るぎないからなのだ。
 東京フィルハーモニー交響楽団の常任指揮者にこの4月から就任することに決まったこともあってか、東フィルとの接し方にも変化が見られる。彼は自分の要求を遠慮なしにはっきり突きつける。それでいて天性の柔らかい人柄故に、決して角が立つことなく、練習場の雰囲気もなごやかである。東フィルも良い音で鳴っている。
 彼は僕の合唱の音楽造りを尊重してくれて、その上にさらに味付けを加えてくれるため、気持ちの良い連係プレイが行われている。合唱団も頑張っている。「神々の黄昏」は2004年以来の6年ぶり。メンバーも半分くらい変わっていて著しくパワー・アップ。ボリュームも全然違うが、そこだけに注意が行かないで、細かいドイツ語のニュアンスや、表情の変化を聴き取って下さいね。僕もダンに負けないように、どこにもない世界屈指の合唱を作り上げているからね。

お誕生日とエピ
 いまさら隠しても仕方がないので、白状しよう。なんと五十五歳になったのだ。いつの間に年取ったのだろう?そう、3月3日はひな祭りであるが、同時に僕の誕生日なのである。

 その日は、新国立劇場の「神々の黄昏」の立ち稽古が昼間だけになったので、夜はこの「今日この頃」でもお馴染みの、代官山にあるフレンチ・レストランのエピLe petit restaurant epiに行った。長女の志保は、目下のところ二期会とびわ湖ホールが提携した公演「ラ・ボエーム」のピアニストでびわ湖ホールに行っているため、妻と次女杏奈の三人。
 杏奈は、その日のランチ・タイムにエピでアルバイトし、夜は、今度はお客として偉そうに食べるというわけだ。その間にメイクの学校に行って授業を受けたということで、ランチ・タイムが終わると、エピのシェフが作ってくれたまかないの食事を口にほおばって学校に駆けつけ(といってもエピから歩いて2分)、エピの予約時間の六時まで授業をしていて、やや遅れてお誕生日食事会に合流。こんなめいいっぱいのスケジュールをこなせるのも若いからだね。

 僕は、エピの鈴木智則シェフの料理に対する心意気が好きだ。仕事柄フランス料理を食べる機会は少なくないけれど、鈴木シェフの料理はひと味違う。このひと味の違いを出すために、どれほどの才能と努力と工夫が必要なのか、僕は料理のプロではないが、同じ何かを作り出すプロとしてよく分かる。
 トリュフなど、日本では仕入れ値のとても高い食材も、
「これって、こんなにふんだんに使ったら儲からないだろう。」
とこっちが心配になるほど思い切って使う。聞くと、
「ええ、はっきし言って全然儲からないです。」
と正直に言う。勿論、趣味というわけではないのだから採算は考えているだろうが、そのせめぎ合いの中で、鈴木シェフはそのわずかな味の違いを最優先する。そのわずかな味は、もしかしたら分からない人が多いかも知れない。だからここまで身を削らなくてもそれらしい味にはなるだろう。
 しかし鈴木シェフは、むしろそれが分かる人の側につき、分かる人に賭け、分かる人のために料理を作る。いや、というより、僕が指揮をする時、自分自身を最初の客として、自分自身のために納得のいくような音楽造りをするように、鈴木シェフも彼自身のためにその食材を求め、その味を作り出すのだろうな。そこに感動が生まれる。僕がエピに行く時には、そうした感動を求める。そしてそれは毎回満たされている。
 「ドイツのクリスマス」演奏会の時に鈴木シェフを招待した。そうしたら、素敵なお花を池袋の東京芸術劇場に届けてくれた。それがちょうど馬小屋などのドイツ風のディスプレイにマッチしていたので、そのそばに飾った。演奏会後、家に持って帰ってきて階段の所にしばらく飾っておいた。これもエンジ色を基調としたひと味違ったお花だった。

 さて、お誕生日食事会の日は、一番始めにエピを訪れた時に食べた「鴨のもも肉のコンフィ」をメインにして、その前にパテやムール貝などをアラカルトで取った。このコンフィも、鴨肉のボリュームと仕込みの手間から考えて、採算ギリギリの感じがするよ。
 ワインを飲みながらふと思った。誕生日を家族と一緒にのんびり迎えるなんて、何気ないことのように思うけれど、とても幸せなことだ。家族って、一つ屋根の下に住んでいるので、いつも一緒に居るといえばいるんだけれど、普段はそれぞれがそれぞれのことをやっていて、バラバラといえなくもない。家族だから心がひとつと安易に信じることは幻想だ。家族は、いつも一緒に住んでいるからこそ、きちんとコミュニケーションを取る努力をしないと、一番近くにいるようでいながら、一番心が離れている状態になりやすい。家族は、築き上げるものであって、自然に出来るものではない。
 たかが外で一緒に食事をするだけと思わないで欲しい。誕生日に家族が一緒に食事をしてくれるということが、どんなに有り難いことか。僕は良い家族に恵まれた。これこそ、僕の人生の中で、音楽の業績よりも何よりも真っ先に誇れる事だと断言できる。

クラシックジャーナルついに発刊!
 誕生日の直前、とても嬉しいニュースが飛び込んできた。音楽雑誌クラシックジャーナル編集長の中川右介(なかがわ ゆうすけ)さんからのメールだ。皆さん!長らくお待たせしました。ついに出るよ!例の「カラヤン対談」のことです。クラシックジャーナルが「やっぱりカラヤン」という見出しで、3月10日に発売されます。その巻頭を飾るのが、昨年12月に五時間に渡る座談会を記録した「長時間座談会」なのだ。
 雑誌の記事は、この座談会だけではないのだが、編集長の中川右介(なかがわ ゆうすけ)さんの性格を反映して、全くオタッキーなことに、最初から最後まですべてカラヤンの話題のみで構成されている。こんな雑誌も珍しい。
 内容は、あらためて読んでもかなり素晴らしいですと自画自賛するよ。座談会以外の記事も、すでに語り尽くされた感のあるこれまでのカラヤンに関する記事と比べても、ひと味もふた味も違った、カラヤンという指揮者の本質に切り込んだ内容となっている。
 これはカラヤン・ファンは勿論の事、カラヤンが好きな人も嫌いな人も、いや、これまで特別関心がなかった人も、すべての音楽ファンは一度は読んでみるべきだ。特に、この「今日この頃」を読んでしまったあなた!必ず買って下さいね。いいですね!
 保証しますが、絶対に後悔しません。定価は税込みで1260円と、雑誌としては決して安くはない値段だけれど、それだけの価値はあるよ。ただ、オタッキーな雑誌だからどこの書店にもあるというものではないかも知れない。大きめの書店に行ってみてね。

スキーにハマッてます!
 さて、スキーの魅力に取り憑かれてしまった僕は、3月5日の金曜日にまたまたスキーに行った。例によって前の晩の3月4日木曜日の「神々の黄昏」の立ち稽古終了後、高崎線に乗って群馬の実家に帰り、翌朝早く実家からスキー場に出掛けた。
 でも5日の晩に新宿でひとつ用事があったため、在来線でトコトコ行くのはやめて、高崎から新幹線で行った。さらに今回の行く先は中里ではなくガーラ湯沢だった。帰りが直通の新幹線で都内に出れるといったらガーラ湯沢以外に選択肢はなかったのだ。

 5日の朝早く起きると、前の晩の雨模様とは打って変わって快晴。僕は嬉しくなってお袋に、
「ほうらね、心がけがいいから晴れたよ。天気予報では雨と言っていたのにね。」
と言った。
ところが、
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」
という川端康成の小説の書き出しのように、トンネルを抜けると雪があり・・・・そして・・・・・雨が降っていた。ガッチョーン!それでも、スキー場はガーラ湯沢駅から8人乗りゴンドラでかなり上がった高台にあるので、上に行けばまた天気も違うのでは・・・と淡い期待を抱いたのだが、それも見事にはずれ、霧雨のしとしとと降り注ぐ最悪のコンディションであった。

 うんにゃ、そんなことでは決してめげない僕は、その雨の中滑りましたよ。まあ、これだけのハードスケジュールの間を縫って、無理してやって来たんだもの。今更雨ぐらいで滑らないであきらめて帰れるかいってんだ!半ばヤケだったけどね。
 ガーラ湯沢駅には8時50分くらいに着いて、なんだかんだで9時半頃から滑り始め、お昼の30分くらいの休憩をはさんで、2時15分くらいまでみっちり。3時の新幹線に乗ってもう5時には新宿にいたのだ。皆さん、その気になればこんな風に日帰りスキーって簡単にできるんだよ。
 滑っている間は本当にノンストップ。リフトに乗っている間だけ休んでいる。僕は何でも始めると夢中になってしまうんだ。中途半端というのが出来ない性分。全く困ったものだ。いくつかのコースを試してみたけれど、結局二つの中級コースが無駄がなくちょうど良いので、そこを交互に滑っていた。
 雪自体は2メートル近く積もっていたけれど、当然雪質は最悪。リフトに乗っている間に、眼鏡に雨の滴がついて前が全然見えない。もう、うっとうしいので裸眼で滑る事にした。頂上には雨と共に霧が立ちこめ、いずれにしても視界が悪く、コースがよく分からん。
それに加えて、スノーボードの連中がコースを荒らすので、コースの状態も最悪。随所でバランス崩しまくり。もう最悪づくしで怒りながら滑り始めたけれど、滑っている内にハッと思った。確かに悪雪で滑るのは心地良くないが、悪雪と格闘するのもスキーの楽しみのひとつと考えればいいのかな・・・・と。そうしたら、後半はだんだん楽しくなってきた。
 でも、残念ながらその日はずっと雨は降り止まず。終わって手袋を絞ったら滝のように水がこぼれた。ウエアーも上下水浸し。なにもかもビショビショ。来た時よりも荷物は濡れて倍くらい重くなっていた。よくこんな中で滑っていたね。アホとしか言いようがないね。もう今年は無理かなあ。このまま春が来てしまうのかなあ。出来たらもう一度くらい滑りたい・・・・。

 そういえばクラシックジャーナルで、角皆優人(つのかい まさひと)君の単独記事「カラヤンとわたし」に書いてあったのだけれど、カラヤンが脊椎を痛め、運動に制限が出た時にこんな言葉を発したという。
「ひとつだけまだあきらめきれないのは、二度とスキーができないことだ。六十五年間も滑ってきたのに、もう二度と滑れないとは考えたくない。誰かスキーをしている人を見ると、泣きたくなる」

この一年を振り返って
 僕は昨年の54歳の誕生日が来た時、
「あれっ、まだ生きているぞ」
と思った。何故なら、かつて夢に現れた守護霊の予言によると、僕の人生は53歳で終わるはずだったのだ。でも今、昨年の誕生日から今日までの一年間を振り返ってみて、なるほどなと思う。
 明らかに言える事がある。それは・・・・僕の「前の」人生は、確かに53歳で終わっていたのだということ。最初はそれに気がつかなかったけれど、振り返ってみて分かった。昨年の誕生日以降、僕は「新しい人生」を生きている!

 まず体型からして変わった。昨年の3月3日に、妻の陰謀で病院に検診に行かせられたことは、すでに書いた。そこで血糖値が高いことが発覚し、医師からなんとかしなさいというお達しが出た。そのきっかけが3月3日というのも象徴的だ。
 そこで最初は食事療法から始まり、しだいに運動を生活の中に取り入れ、約10kg痩せて今日に至っている。血糖値は正常値になっているが、それだけではない。運動のお陰で体はかなり筋肉質になり、若返った。そして発想もよりポジティヴになった。以前の自分は、もっと全てが重く、鈍く、不健康で、ものぐさで、奏でる音楽に切れ味のかけらもなかった。

 音楽を演奏している時に何を考えているかということについても随分変わった。以前は音楽に没頭している・・・・と信じていた。巨匠的に瞑想していた。このまま歳と共にテンポもどんどんゆっくりになってきて巨匠的になっていくのだと考えていた。でも今はそんな発想に虫酸が走る。以前の音楽など聴きたくもない。あんなもの瞑想でもなんでもないし、自分は悟っていたわけでもなんでもない。そう信じ込んでいただけさ。
 勿論、今の自分だって音楽の美しさに没頭している瞬間だって少なくないし、酔い痴れている自分がいる。でもあのニセ瞑想とは質が違う。今の自分はもっと覚醒していて、あたかもスキーヤーのように、目の前に現れてくる様々な景色をエンジョイしながらさばいている。それが、今の自分の筋肉質の肉体と連動している。

 同時に、僕は自分も含めて音楽家の運動性や身体能力に関心がいくようになった。たとえば、僕が車の助手席に乗っていて、誰かが隣で運転しているとする。突然路地から別の車や人が飛び出してくるとする。自慢ではないが、今の僕はそれをかなり早く認識してハッとする。そのハッとする瞬間が、大抵の人は僕より一瞬だけ遅い。一般的には女性の方が遅い。でも、女性でもたまに僕と同じくらい早い人がいる。優秀なピアニストはかなりの確率で早い。だからしばしばピアニストの運転は荒い。荒いが上手だ。
 実際に筋肉を使う運動とは直接関係ないかもしれないが、こうした瞬間的な認識能力がその人の奏でる音楽ととても関連性がある。一番密接に関係しているのは、テンポ感とリズム感、それにフレージングだ。それと演奏している最中の集中度。指揮者でいえば、アクシデントが起きた時の認識力と判断力だ。僕がスキーにハマッているのも、スキーはこうした瞬間の認識力と判断力が要求され、かつこれを磨き養えるからなのだ。

 こんな風に、今や僕は別の肉体を持ち、別のことに関心を持ち、別の認識力で音楽を奏でている。これが別の人生でなくて何であろうか。

 それと、僕をとりまく環境も変化している。僕のまわりには、これまで起きなかった様々な事件や問題が起き、逆にこれまで起きていた問題が決して起きなくなっている。ゲームでいえば、今までとは別のステージになり、べつの敵が立ち現れ、その代わりに別の武器が与えられている。そして別のゴールが設定されている。
 
 まあ、自分にとっては今の人生はおまけのようなもの。どこまで突っ走れるかは神様のみ知るところ。ひとつひとつを楽しんで、スキーのように時にスピードを制御し、時にスピードをけしかけ、与えられたゲレンデの中で精一杯自分の音楽を奏でていきたいと思う。



Cafe MDR HOME


© HIROFUMI MISAWA