角皆君への手紙

三澤洋史 

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角皆君への手紙
 親愛なる角皆君、元気かい?昨年の12月に長時間座談会をやってから、君は例によって雪山にこもり、僕は自分の用事に追われて、あれから一度も会ってないね。でも君の存在はいつもとても気になっているよ。いや、これまでにも本当にたまにしか会わなかったけれど、いつもいつも心のどこかで君の存在が支えになっていた。
 会う頻度だけみると、これしか会わないで果たして親友と言えるのか、という感じだけれど、君が僕の人生にとってかけがえのない大親友であることには変わりはない。実際、君のいない人生というものは、僕には想像出来ないんだ。
 僕の誕生日は3月3日なので、一度聞いた人は忘れようがないかも知れないけれど、それでも君が僕の誕生日をきちんと覚えていてくれて、メールをくれたのは嬉しかったよ。僕たちの座談会をおさめたクラシックジャーナルがその前の日に僕の手に届いたのもタイムリーだった。

 そのクラシックジャーナルの最後の方の君の「カラヤンとわたし」という記事を読んで僕はハッとした。そして君の書いたノンフィクション「流れ星たちの長野オリンピック」(潮出版社、潮賞受賞)を本棚から引っ張り出してきて読み返し、僕は自分の発言でもしかしたら君の心をとても傷つけてしまったのではないだろうかと後悔した。決して悪気はなかったんだ。
 角皆君は、クラシックジャーナル編集長の中川右介(なかがわ ゆうすけ)さんが別の本の中に書いた「すごく不幸な出来事や悲惨なことがあった時に、芸術が輝く」という考えに同感していたが、それに対して僕は冷たく、
「ただ、不幸な人がみんないい音楽を奏でるわけじゃないんだよね」
と言った。
 これ自体は一般論であって、特に悪意に満ちた発言ということでもないかも知れないけれど、「カラヤンとわたし」で書かれたような、スポーツマンとしたら致命的ともいえる膝の損傷を経験し、その中においてギリギリの気持ちで音楽を求め続けた角皆君に対する言葉としては無神経そのものといえた。本当にごめんなさい!

 勿論、僕だってこれまで何の障害もなくノホホンと音楽に関わって生きてきたわけではない。むしろ僕の苦悩や落胆は、音楽家なのだから音楽そのものからもたらされることが多く、その度に、
「それでも音楽を愛し続けていられるか?」
という問いとなって僕自身に投げかけられてきた。
 でもね、角皆君ほどの深い絶望の中で餓え乾くように音楽を求めた体験があるかと言われれば、ないと答えるしかないんだ。これには理由がある。そこまで絶望するためには、その前に頂点に上り詰めた成功体験がないといけないのだが、僕にはね、そうした成功体験がなかったのだ。あるとすれば成功体験を持てない欲求不満だけ。でもそれは無理もないんだ。僕が音楽を本格的に始めたのは高校一年の時からだからね。これは職業音楽家となるには致命的な遅さだ。だから僕は全ての面において人より遅れていた。
 本当はあこがれていたんだ。若い頃に華々しくコンクールで優勝し、衝撃的なデビューを飾り・・・といった人生。たちまち第一線に躍り出て、飛ぶ鳥を落とす勢いで次々に素晴らしいポストをものにしていくカラヤンのような音楽家の生き方に・・・・。
 だから大学時代からは角皆君のこともとてもうらやましかった。フリースタイル・スキーを始めたと思ったら、あれよあれよという間に優勝し、あの頃君の周りには連戦連勝しかなかったんだからね。君は僕よりもずっと先を行っていたのだよ。でも妬んだりはしなかった。元々僕には競争意識というものが希薄なようだ。それでもね、同年代の連中が次々に世の中に躍り出ていくのを見るのは、正直言って淋しかった。

 あの頃僕は、自分が音楽とは全く関係ない環境で育ったことに関しても残念に思っていた。勿論、それでもあえて音楽の道を選んだのは自分自身だし、大工の父親が音楽大学に進学する僕を許してくれただけでも感謝するべきなのだが、国立音楽大学に進んでみて、みんなが当然のごとく知っていることを何も知らなくて恥ずかしい思いばかりする自分がそこにいた。
 小さい頃から自然に音楽的環境に囲まれ、才能を育んできた者達には、ある種の香りのようなものが備わっている。それにはどうあがいても太刀打ち出来なかった。僕は、自分の意志で音楽家になろうと決心し、みんなが肌で感じていたものを頭で理解し、無理矢理体に覚え込ませ、必死でみんなに追いつこうとしたけれど、肥大していくのはただコンプレックスばかりだった。
 それに加えて、声楽科の3年生になってから指揮者になろうと決心し、それから指揮者としての本格的な勉強を始めたわけだよ。指揮者といえば神童と言われた者達の中から、さらに選りすぐれた者だけがめざす事の出来る職業だもの。もう無茶としかいいようがなかった。
 今から考えてみるとね、だからこそ“大きな挫折感を経験しないでここまできた”のだとも言えるのだ。究極の逆境というのは、むしろ最初の“指揮者となるには絶望的な境遇と状態”だったのだからね。あまりにも無知なため、その逆境の意味すら知らないという状態から僕は自分の音楽人生を出発したのだよ。知らないということがこれほど幸福なことだと知ったのはごく最近だ。ああ、冷や汗が出るよ!まあ笑ってくれ!

 だからはっきり言って、勝利の味に酔いしれ、無敵の状態を味わい尽くして、自分こそこの世界をリードしていくのだという絶対の自信と自負を持った後で、その道がいきなり閉ざされた時の底知れぬ深淵の味というものを知らないんだ。イメージ出来なくもないけれど、僕はずっと日なたをノロノロと歩んできたカタツムリなのだ。雪山で傷ついた狼の孤独を知らない。
 それでも、音楽家なのに耳が聞こえなくなったベートーヴェンの苦悩や、社会的抑圧を受けながら自分の信じる音楽を書いたショスタコーヴィチの苦悩は、カタツムリの僕にだって想像出来なくはないし、逆境の中からだこそ開いた花の美しさも感じることは出来る。
 耳が聞こえなくなったとしても、ベートーヴェンには音楽家を辞めるという選択肢が存在しなかったように、社会から抑圧されてもショスタコーヴィチに音楽から離れて別の職業につくという選択肢はなかったのだろう。むしろ彼らは、そうした自分のありのままの姿を、自分が紡ぎ出す音楽の中に投影しようとした。なんという不屈の精神なのだ。
 そして・・・・ここが肝心なところなのだが、彼等の紡ぎ出した音楽は、場所も時代も遠く離れた同じように苦悩する者達の心の中に入り込み、彼等の心を癒し、慰め、力づけてくれる。伝記を読んだり話を聞いたからではない。まさに音楽自体の中にその力が宿っているというわけだ。これぞ音楽の持つ不思議な力。ベートーヴェンが「心から心へ」と呼んだものだ。
 僕がこれまで無頓着だったことは、そうした逆境から生まれ出た音楽を、必死で渇望する「音楽家以外の」聴き手がいるという事実だった。考えてみれば当たり前の事で、音楽は勿論「音楽家だけのもの」ではない。僕はあまりにも、「音楽の生産者の立場」からしかものを見ていなかった。そうした真摯な聴衆の音楽への愛情は、もしかしたら下手なプロの何百倍も強いものかも知れない。
 そうした聴衆に対して、プロの音楽家が生半可な気持ちで中途半端な音楽を提供したとしたら、それは音楽に対する冒涜以外の何物でもないのだろう。角皆君はそれを僕に気付かせてくれた。またしても君の方が一歩先に行っているなあ。

 さて、早熟でそれ故に大きな挫折を経験した角皆君と、カタツムリのように歩んできた僕とは、この歳になってみると、お互いそう遠くないところにいるような気がしている。二人ともある歳になってからブラームスが好きになった。その背景には、それぞれの人生に立ちはだかった様々な事件や出遭いや人生展開がもたらした悟りや諦念があるのだろう。つまりは、歩み方は違っても、それぞれの境遇の中で人格や人間性が磨かれてきたってことで、それぞれ別の谷底を歩いてきて、気がついてみたら同じ山頂を目指して隣の尾根を歩いているという感じかな。

 僕と角皆君の性格は二つに激しく分断されている。どういう意味で分断されているかというと、よくこれだけ違う二人が仲良かったねという部分と、二人はなんて似ているのだろうという部分とがあって、中間がないのだ。

 まず全然違うのは外見。角皆君の方が問題にならないくらいハンサムで女性に異常にもてた。僕は昔から全然ぱっとしなかったし、女性に騒がれることもなかった。まあ、それを特に残念に思うこともなかった。僕は自分の好きな子さえ振り向いてくれればそれでもう満足だったしね。
 次に違うのはスポーツについて。僕はスポーツには苦手意識しか持っていなかった。決して体を動かすのは嫌いじゃなかったのだよ。でもあの頃、スポーツはのんびり自分のペースで楽しむなんて許されないことのように思われた。たとえばテニスというものをやりたいなと思っても、目の前にテニス部でガンガンやって選ばれて大会に出なければ人生おしまいっていう人間がいると、気後れがしてしまって、もうやる気がなくなってしまう。どうして中学生や高校生にとってスポーツとは、大会やタイムのみなのだろう。
 そんなわけで、自分は運動選手と親しくなることはあっても、親友になるなんて自分の人生にはあり得ないことのように思われたが、どういうわけか角皆君だけは唯一の例外だったのだ。水泳部のエースで典型的な逆三角形の胸をしていたが、他の選手達と決定的に違っていたのは、タイムのみが全てという風には思っていなかったこと。もっとスポーツそのものを愛していたといったらいいのかな。それとスポーツ選手なのに音楽家のような感性を持っていたことだ。

 一方、僕と角皆君が似ているところは、本当に似ている。まず、二人とも高崎高校という群馬一の進学校に来ていながら、迷うことなく劣等生となったこと(笑)。二人とも、成績が全てだという、他の生徒が何の疑問も感じなく持っていた価値観に根本から疑問を感じていたこと。君はよく主張していたね。
「学問というものが人間性を高めるなんて幻想だ。時には学問が人間性をゆがめることだってある。つまりは勉強が出来たって、その人間の価値には関係ないってことだよ」
 そして、僕たちは結果的に進学校から一流大学に進んで一流会社に就職してという通常コースとは全然違う人生を歩んでいる。それどころか、スキーヤー、音楽家というそれぞれの分野の中でも、かなり変わっていて、かなり変わったキャリアを築いているのではないかな。

 次に似ているのは、二人を結びつける最も大事な点。すなわち二人とも音楽が好きで、さらに音楽と同じくらい文学にも惹かれていたこと。高校時代、本当に君とは飽きずにいろんなことを語り合った。僕はよく君の家に泊まって様々なレコードを聴いた。君のお父さんは、大工である僕の父親と違って知的で、角皆家には文化の香りがぷんぷんしていた。その香りは、君の家に行く度に僕を酔わせたのだ。
 君はその頃僕が全然知らなかったマーラーやシベリウスなどを聴いていて僕に紹介してくれた。マーラーは最初僕に激しい抵抗感を与えた。恐ろしかったのだ。この世の音とは思えなかった。その響きは彼岸から来ていた。こんな人間はガリガリに痩せていて、今にも死にそうな風貌をしているに違いないと思ったが、角皆君の説明では、ウィーン国立歌劇場の音楽監督にまで上り詰めたアクティヴでエネルギッシュな人間だということで、ますます驚いた。
 それに、それまで川端康成や夏目漱石などの日本文学ばかり読んでいた僕に、ヘルマン・ヘッセやトマス・マンやロマン・ロランなどの外国文学を紹介してくれたのも君だ。君はすでに小説を書いていて、僕に読ませてくれたが、そこにはヘルマン・ヘッセの影響があからさまに現れていた。こんな若くして小説なんか書いていて、なんて奴だと僕はあきれていたな。
 君はこんな風に、あの頃の僕にどれだけの影響力を与えてくれたか!数え切れないほどの新しい芸術上の出遭いを与えてくれた君に本当に感謝している。一方、君は君で、僕の反応が面白かったみたいで、それを紹介した後で僕が何を感じ、どんな感想を言うのか、目を輝かせて聞き入っていた。勿論、その反対に僕が君の知らないものを紹介すると、今度は君が一体どんな意見を述べるのだろうと思って、僕は君に会う前からワクワクしたよ。そして君の意見から得るものというのは、いつもとても大きかったのだ。

 三つ目には、二人とも語学に精通していること。たとえば、僕がアガサ・クリスティの話をすると、君はそれをすでに原書で読んでいるしさ。僕にはドイツ語というものがあるけどさ、君の英語能力はハンパじゃない。
 考えてもごらんよ。フリースタイル・スキーヤーで、車に乗りながらマーラーを聴いて、「ダヴィンチコード」を平気で原語で読んで、ノンフィクションの本を書いたら潮賞を受賞出来ちゃう人が一体何人いるかってんだ。君がスポーツの世界に生きていながら、僕とこれだけ話が合うということがどれほど非凡なことか分かるかい?

 僕は思うんだな。僕たちがこれほど違う分野にいながら仲が良いということは、僕も君もその分野にいながら、その分野を超えているものを持っていて、そこでつながっているのだろうってね。
 相撲の力士に勝負の直後にインタビューしたって、
「そうですね」
とか、
「はい!」
という返事しか返ってこないように、その分野で自分が実際に関わっていることって、しゃべれない要素が多い。体で会得しているのだから無理もないが、そういう人達と僕は話す話題が何もないんだ。でも角皆君は、スポーツをもっと人間の営み全般から捉えていて、スポーツ選手でありながらスポーツ選手を超えて、もっとスポーツを通した大きな悟りの中にいる。
 君も君の立場から言っているね。他の音楽家と話をしてもつまらないってね。僕が他の音楽家と違うところは、僕が遅くから音楽を始めたせいで、音楽を知性を使って外堀から攻めていき、全体から捉えていることに由来するのかも知れない。
 とにかく、こうした二人の結びつき自体がある意味奇蹟だな・・・・と僕は自画自賛したい。

 さて、角皆君!ここのところ僕がスキーにハマッていることは知っているよね。これも君の影響なんだよ。君からカラヤン対談の時に「ターン弧」の話を聞いてからというもの、僕は気になって仕方がなかったんだ。ターン弧?なんだそりゃ?ってね。
 僕は昔、国立音大の体育の課外授業に参加して蔵王に行った事がある。とりあえず遊びではなくて集中講義の位置づけがされていて、バスで行って何泊かし、みっちりコーチを受けると半期分の体育の単位がもらえるというシステムだった。そこに参加して、ボーゲンから始まってパラレルターンやウェーデルンなど、一通りのことは習ったんだ。
 その数日間、ずっとコーチがつきっきりで、全然自由に滑らせてもらえず、とても不満だったんだけれど、最後の日に試験をして単位を取得した後、一度だけ山頂から蔵王全体を下まで自由に滑っていいことになって、滑ったら、見違えるように滑れる自分がいた。でもね、その時コーチから「ターン弧」という言葉は出て来なかったな。

 昨年の暮れに二人の娘を連れて十数年ぶりにスキーに行った時には、この冬はこれ一回こっきりだろうと思った。でも、それから気がついてみたら病みつきになってしまった。実は3月11日の木曜日にも行ってきたんだ。新国立劇場の「神々の黄昏」のオケ付き舞台稽古なのだけれど、序幕と第一幕だけの練習になったので、合唱がトリになった。合唱がないということは、合唱指揮者もいても仕方がないということで、ガーラ湯沢に長女の志保と二人で日帰りで行ってきた。都内からリフト一日券付きの新幹線割引切符が出ていて、群馬の実家から行くよりずっと安かった。
 今回は新雪で雪質が良く、前回の悪雪との奮闘がかなり功を奏して、随分上達していた。僕は落ち着いてウェーデルンの練習が出来た。その時思ったのは、これをもっともっと細かくやっていったら、モーグルも出来るようになるのかなということ。
 角皆君は知っているだろうけれど、ウェーデルンwedelnというのはドイツ語だ。ハンカチなんかを「細かく振る」という意味で、
Der Hund wedelt mit dem Schwanz.
と言うと、「犬が尻尾を振る」という意味になる。でも、あれだよね。スキー用語も、最近では英語の方に傾いてきて、あまりウェーデルンとは言わないみたいだな。角皆君もショート・ターンと言うのかい?

 さて、「ターン弧」という言葉は、僕にとって対談以来魔法の呪文のようなものとなって、頭から離れなくなった。それから何度もスキー場に行って練習している内に、ある時ハッと思ったんだ。つまりは美しいターンを描く事だな・・・・と。これまでは重心をずらして荷重していくこととバランスを崩さないようにすることにだけ注意がいっていて、ターンが弧なのだという単純なことすら意識していなかった。でも、ここに重力と遠心力とが働いていて、それをどうコントロールして次のターンにつなげていくか、ということに初めて意識が向いたのだよ。

 そう思っていたら、ある時、テレビで上村愛子のモーグルをやっていた。それを見ていて、
「あっ、これだ!」
と思った。いやいや、すぐこれをやりたいという事ではないよ。って、ゆーか、出来るわけねーだろ!そうではなくて、今までモーグルを見ていても、早くて何をやっているのか全く理解できなかったのだ。それがね、初めて分かった気がしたのだ。
 彼女はコブを見た瞬間に、コブのどこをどうターンしようか決め、すばやくターンしてバランスを取りながら次のターンにつなげ、なるべく安定した状態でジャンプ台に辿り着き、美しい形でジャンプして、また次のターンをして・・・・・という風に滑っているのだ。角皆君からしてみると、
「何今頃当たり前の事を言っているの?」
という感じだろうけれど、普通の人というのはね、そんなことも分からないのだよ。
 それで以前君が、
「ターン弧に対するプレッシャー」
と言ったり、
「モーグルの滑り全体が芸術だからね」
と言った意味が初めて分かったのさ。
 それまで僕には、モーグルは競技と感じられても芸術とは感じられなかったのだ。でもモーグルも、ピアニストがショパン・エチュードを、難所をくぐりながら“ひとつの作品として仕上げる”ように、どう全体を美しくまとめるかという要素と、どう技巧にチャレンジしていったかというせめぎ合いの芸術的競技なのだということがよく理解できたのだ。

 そこで僕は決心した。角皆君にもメールで知らせたよね。僕はこれからモーグルをやる!・・・・といってもすぐではないのだ。長女の志保と二人で五カ年計画を立てた。これから二年間かけて、通常のスキーの腕を上げる。それからコブに挑み始め、還暦の祝いをスキー場でモーグルをやりながら行うというものだ。
 君は、僕の決心にすぐ返事を書いてくれたよね。でも正直言って、君の返事に僕はドンビキした・・・・。
「それは素晴らしい計画だ。それでは是非とも可能な限り白馬においで。僕がみっちり教えてあげる。還暦を一緒にモーグルしながら祝おう!」
・・・・・あのねえ・・・・いっとくけど、角皆君とは一緒には滑れないよ。レベルが違いすぎる。僕はなにも競技に出るわけではないから「なんちゃってモーグル」で結構だからね。それに、いっとくけどエアリアルはやらないからね。あんなスキーをヘリコプターのプロペラみたいにして宙返りしたりくるくる回ったりしなくて結構。そんな練習をしていたら角皆君のように眼球だって飛び出してしまうからね。まだ僕は人生の終わりまでに「マタイ受難曲」やマーラーの交響曲やワーグナーの楽劇を指揮したいので、半身不随になって指揮者生命を絶ちたくないからね。

 でもモーグルはかっこいいなあ。是非やりたい!最近、スピードが出るのが楽しくなってきているのだ。モーグルってさあ、見ていると上体は一定にしていて腰から下がめっちゃ曲がるみたいだから、足腰だけは鍛えておかなければね。暖かくなってきたから自転車に乗って、夏には志保達と富士山に登る計画も立てている。還暦に向かって目標が出来たってわけだ。

 そういうわけで僕と君との友情はこれからも続いてゆく。君のお陰でスポーツも芸術だと思うようになったし、まだまだ音楽についても文学についても君と語り合いたいことは果てしなくある。こういうものが人生における真の財産というものなのだな。

僕たちの友情に乾杯!




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