夏にバイロイトに行きます

三澤洋史 

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こ、声が出ない!
 高尾山に行った次の日の明け方、何かとりとめのない嫌な夢を見ていたが、夢の中で体が冷え切っていた。ふと目が覚めた。あたりは明るくなっていたが、まだ散歩に行くには一時間くらい早い。気がついてみると布団をはいで寝ていた。嫌な予感がした。
 予感は的中した。その日は新国立劇場で「影のない女」のオケ合わせだったが、夕方頃から喉が痛くなってきた。家に帰るとすぐにベッドに入った。布団の中に入るやいなや寒気がし、熱が出た。計ったら38度6分あった。布団の中で何度も汗をかいて、なんども着替えをしたら一晩で治った・・・・と思った。先週の「今日この頃」の更新原稿は、この治ったと思った時期に仕上げている。その前二週間あったので、大部分は風邪を引く前に書き上げてしまっていたのだ。
 たしかに熱は平熱に戻ったのだが、予想に反して、風邪は僕の体が居心地が良いと思ったのか、その後なかなか出て行ってくれなかった。ずっとグズグズと治るような治らないようなさっぱりしない状態が続いていた。その間に、今度は声の調子が悪くなってきた。
 そうなると僕は気をつけなければいけない。何故かというと二つ理由がある。ひとつは僕の場合、風邪を引くと、風邪が誘発する喉のアレルギーが起こって、声に障害が出る事があること。もうひとつは、そんな時に合唱の練習をすると、喉にてきめんに影響する事だ。 

僕の合唱練習のやり方
 僕は、合唱の音楽練習をつけるとき必ず歌いながら行う。昔からそういう傾向はあったが、このやり方を意識して行い始めたのは、バイロイト音楽祭で合唱指揮者をしていたノルベルト・バラッチの練習を経験してからだ。彼は、どんな難しいパッセージでも全て自分で見事に歌いながら規範を示し、短期間で祝祭合唱団を最高水準に導いていった。百の言葉を費やすよりも、まるで口移しのように歌って示すのがどれほど効果的か、僕は彼から学んだ。
 僕もバイロイトで練習を任せられた時、試しにやってみた。ドイツ人の合唱団員達の前では、下手なドイツ語で説明するよりも歌った方が早いという現実的問題もあったからね。自分よりはるかに上手な声楽家達の前で歌うのは勇気が要ることだが、別に素晴らしい声で歌わなくてもいいわけで、伝えたい事を歌に乗せれば相手は分かってくれるということが分かった。それ以来僕は、相手がどんな素晴らしいプロであっても、恐れ多くも自分で歌ってあげながらフレーズのイメージや言葉のニュアンスを伝えていくことにしている。

 ただこの方法は、自分の喉の調子が悪くなると、もっと声帯を痛めることになる。声楽家のように美しく歌っていれば逆に声帯への負担が少ないのだが、それでは意味がないのだ。言葉の表情を導き出す時は、かなりカリカチュアするし、こうやったら駄目だという悪い見本を示したりする時は、わざと悪い発声で歌う。だから必要以上の負担が喉にかかるのだ。

 新国立劇場では「カルメン」の音楽稽古が始まっている。女声合唱の「喧嘩の合唱」では、カルメンとマニュエリタが流血騒ぎを起こし、女工達がカルメン派とマニュエリタ派に分かれて軍曹に自分たちの正当性を主張する。その激しい言葉の応酬をフランス語に乗せて表現しなければならない。
 フランス語というと、柔らかくてセクシーな語感を持つ言語だと思っている人は多いし、これまで日本でもそう指導されてきた。勿論基本的にはそうだが、時にフランス語は豹変するのだ。
 考えて見ると、あのフランス革命を起こし、マリー・アントワネットを初めとする沢山の貴族達を容赦なくギロチン台へと送り込んだ国民の言語なのだ。また、エディット・ピアフのシャンソンや、激しい語調で表現されたフランス語の歌唱を聴いてみると分かるが、フランス語の歌唱は決して「素敵ねえ」だけで片付けられるようなヤワなものではない。 そのような激しい表現を合唱団にさせるために、僕は何度も自分で見本を示し、そして合唱団には何度も何度も繰り返し歌わせる。その点に関してはプロとアマの差はない。新国立劇場だけではなく、そんな風にしていくつかの合唱団で練習していたら、見る見る声がつぶれていった。
 一度つぶれてしまうと、今度は歌うだけでもう負担がかかってしまうので、なかなか治らない。そうこうしている内に一週間経った。今、体の方はもうすっかり治ってきて元気なのに、声だけつぶれている状態が続いている。

相殺はダメ!
 何故風邪を引いたのかという理由をいろいろ考えてみた。「高尾山に行った疲れ」という説も可能性として挙げたが、それは直接的な原因ではないような気がする。ここのところ日によって天気の差が激しく、一日交替で晴れたり雨が降ったりしているし、気温の高低も激しい。その明け方も、前の晩は暖かかったのにグーッと冷え込んできたので、布団をはいでしまったのだ。きっかけは要するに寝冷えだ。
 でも、長引いた原因としては、やはり体力が落ちていたのかなとも思う。それは、先週書いたように、風邪を引くまで僕は、ワインを飲んでは「運動して相殺」というのを繰り返していた。これは僕の意識にとっては“相殺”でも、僕の肉体にとってはちっとも相殺でも何でもなくて、ワインを飲んで肝臓に負担がかかり、さらに運動をして体に負担がかかりで、要するに負担続きの踏んだり蹴ったりだったのかも知れない。だから体が疲れ果て、
「もう嫌!いいかげんにしてよ!」
とストライキに突入した可能性も否定出来ない。

 でも運動出来ないのは結構つらいなあ。この一週間ばかり本調子ではなかったので、朝の散歩の時間を短めにし、自転車の長距離もひかえていた。するとね、体重がちょっと増えてしまった。お酒は少しも飲んでいなかったのにだよ・・・・・。運動しない分だけ食事をひかえるべきだったのかも知れないが、病み上がりだろう。体には栄養をつけなければとも思って、そうひかえるわけにもいかなかった。こんな時はまさに袋小路だな。
 まあ、今は平時ではないのだから、あきらめるべきかも知れない。それより、一刻も早く声も含めて元気になって、運動を再開すればいいのだ。また夏に向かって筋肉をつけて代謝を良くして、血糖値のためだけではなく健やかな肉体を保つのだ。体が元気でないと発想も消極的になりがちだからね。まだまだこの肉体には働いてもらわないといけないから、しっかりチューン・アップしてアクティブな人生を送りたい。

夏にバイロイトに行きます
 特に今年は、夏に向かって是非とも元気溌剌でいたい。何故なら、今年の夏にはなんと7年ぶりにバイロイトに行くのだ。と言っても、働きに行くのではない。もうそんな時間は取れない。僕は1999年から2003年まで毎夏バイロイト祝祭劇場で合唱アシスタントの仕事をしていたが、ノヴォラツスキー芸術監督が2004年夏から「子供オペラ」を始めたので、これまで毎年7月の終わりまでは身動きがとれなかった。でも今年は子供のための公演はバレエの「白雪姫」が決まっている。僕は本当に久し振りに7月後半がぽっかり空いたのだ。

 バイロイト祝祭劇場では、7月25日のシーズン開幕に合わせて、7月18日から23日までゲネプロ(公開総練習)を行う。僕は17日まで新国立劇場で高校生のための鑑賞教室「カルメン」の合唱指揮をしているので、日本を発つのが18日。残念ながら初日の「ラインの黄金」は見る事が出来ない。でもその後、19日「ワルキューレ」、20日「マイスタージンガー」、21日「ジークフリート」、22日「ローエングリン」、23日「神々の黄昏」とシーズン演目のゲネプロを見させてもらうことになった。

 毎年働いていた頃は、ヨーロッパのアクチュエルな情報、特にワーグナー歌手などのレア情報が手に取るように得られていたが、やはり日本にずっといるとそうしたものにかなり疎くなってしまう。その意味でも今回の渡独は有意義だ。
 バイロイトも、僕が行かなくなってしまってから随分変わったようだ。あの頃はまだ後継者騒ぎをしていたが、それも決着がついてヴォルフガング・ワーグナーの前妻の娘であるエヴァ・ワーグナーと、後妻の娘であるカタリーナ・ワーグナーが仲良く?共同で音楽祭を取り仕切っている。その話題の渦中の人ヴォルフガング・ワーグナー氏は先日亡くなってしまったし、その二年ほど前には、ヴォルフガング時代の劇場運営を実質的に全て仕切っていた後妻のグートルン・ワーグナーさんも亡くなってしまったのだ。事務局もほとんど総入れ替えという感じなので、僕が劇場に行っても、知っている人が極端に少なくなってしまった。
 勿論、合唱指揮者のエバハルト・フリードリヒは健在だし、恐らく合唱団のメンバーもかなり入れ替わったとはいえ、知り合いはまだ沢山残っているだろう。

Winter和子さんとディーター
 僕がバイロイト行きを決めて妻と二人分の航空券を予約した時、真っ先に連絡したのは、バイロイトに住む日本人のWinter和子さんという人だった。彼女は外交官の娘として生まれ、世界各地を転々とした後、ドイツ人と結婚してバイロイトに居を構えた女性で、英語をネイティブとし、次いでドイツ語を話し、日本語はかなり怪しい。でもそれでいながらバイロイト大学で日本語の講座を持っている。
 日本語は怪しいとは言っても、ある意味、僕たちよりもずっと「正しい」日本語を知っている。
僕が、
「ああ、そんなことなら全然いいよ」
などと言おうものなら、
「三澤さん、全然を使う時は否定形でないといけませんよ。全然よくないとか・・・・あるいは全然構わないとか・・・・」
と注意される。
「いいの。これが生きた日本語なんだから」
と反論すると、
「ああ、日本語は乱れてますねえ!」
と彼女は嘆く。

 僕たち夫婦は、最初バイロイトにホテルを取ろうと思っていたのだけれど、和子さんがどうしても自分たちの家に泊まって下さいと言うので、今回は甘えて、僕たち夫婦は和子さんの家に泊めてもらうことにした。
「ディーターもとても楽しみにしていますからね」
と言う。
 ディーターとは、もう退官したのだが、僕がバイロイトで働いていた頃はまだ現役でバイロイト大学の細菌学の教授をしていた人物だ。教授といういかめしい肩書きには全然似合わないとても気さくで自由な人間で、僕は彼とはとても気が合うのだ。彼と会うのも楽しみだなあ。

フリードリヒとショイフェレ
 和子さんとほぼ同時にメールしたのが、当然合唱指揮者のエバハルト・フリードリヒだ。彼は僕が新国立劇場から離れられない立場であることを分かっていながら、約束通り毎年僕に合唱指導スタッフとしての招聘依頼書を事務局に送らせている。毎年お断りするのが心苦しいほどだ。
 フリードリヒからはすぐにメールの返事が来た。
「とても楽しみにしているよ。練習もみんな見られるように事務局に伝えておく。それから、一緒にショイフェレでも食べないかい?」
 ショイフェレとは、フランケンの地方料理で、豚肉のかたまりのローストのこと。これをじゃがいも団子と一緒に食べる。フリードリヒが住んでいるベルリンにはないし、僕もバイロイトに来て初めて知った料理だ。
「いいね。ショイフェレ。でもね、きっとエバハルトは僕を見てびっくりすると思うけれど、僕は10キロ近く痩せたんだ。血糖値が高くてね、食事制限をして運動をした。でも今では血糖値はほぼ正常値に戻ったので、ショイフェレを食べても平気だよ」
 と、返事を書いたが・・・・うーん、本当はあんまり平気でもないなあ。ドイツ料理はものすごい分量だからねえ。あれをおいしい生ビールなんかと飲んだらマジやばいね。でもバイロイトに行ったらショイフェレははずせないよね。それからアイスバインと同じ部分、すなわち豚の骨付きもも肉のローストであるハクセや、鴨料理や、注文してから池から釣り上げる鱒料理や、ゾンネンホーフのウイーン風カツレツや、オイレの西洋わさびステーキ・・・・・それらを食べながら小麦で作ったヴァイス・ビールや、琥珀色したドゥンケル・ビールを飲む。あるいは爽やかなフランケン・ワインと・・・・・・あああああああ、欲望が止まらない!

相殺、相殺~!
 そういえば和子さんのところには僕の自転車が預けっぱなしなのだ。
「自転車いつでも乗れるからね」
と言っていたっけ。しかもこれもマウンテン・バイクなのだ。
 ようし、フランケン地方を自転車で駆け回るのだ。そうして運動で相殺~!あれえ?さっきオーバーカロリーを運動で無理矢理相殺はダメと書いたばかりのような気がするなあ。でもね、僕は声を大にして言いたい。この間は食べる事を控えるのはちょっと勘弁してもらいたい!分かったあ?僕は、この間は好きなものを食べます。何か文句ありますかあ?・・・・・って、これ、一体誰に向かって言っているんだろう?

 帰国後は、白馬に住んでいるスキーヤーの角皆優人(つのかい まさひと)君が、
「今年こそ遊びにおいで」
と誘ってきているし、富士登山もしようとしているし、ここでも相殺、相殺~!
 夏は仕事よりも遊びに命をかけそうだな。まあ、ずっと仕事仕事ばかりで忙しかったから、たまにはこういう夏も良いと思う。



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