「カルメン」においで!

三澤洋史 

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降りてくる・・・次の日はフヌケ
 「ワイマールのバッハ」演奏会の次の日は、一日頭がボーッとしていて、何をやっても駄目だった。幸い「カルメン」の立ち稽古で、僕は稽古の流れを見ながら合唱団にサジェスチョンを与えるだけだったので、ボロが出ないで済んだ。でも稽古の最中、気がつくと、何も見ていず何も考えていない自分にハッとなることがしばしばだった。俗に「まるで魂を抜かれたよう」とか「フヌケ」とかいう状態に陥っていたわけだ。

 演奏会は魔物だ。練習と本番とは同じ事をするのだが、その質が全く違う。「パルジファル」風に言うならば、本番中はまさに「時間が空間となる」感覚で、時空がゆがみ、そして「なにものかが僕の中に降りてくる」のだ。
 そういう時の脳という器官はね、ある意味無線LANでインターネットにつながっているパソコンのCPUのようなものではないかと思う。僕は実際に手を動かしてテンポをとったり様々な具体的な指示を出すだろう。それは純粋に三次元的な運動に過ぎないわけだけれど、その運動を促す根源的な欲求、つまり「こう演奏したいという衝動」がどこからやって来るかというと、それは無線LANの先のWorld Wide Webのような“途方もない叡智の集合体”から来るような気がする。
 反対に練習というのはとても三次元的な作業だ。言ってみれば、LANがつながっておらず、CPUを仲介としてアプリケーションとキーボードとの間の実務的な作業に終始する事に似ている。
 それが本番でWWWの大海原に船出するのだ。時には思いがけない指示が降りてくることがあるが、それは一般に言われているような「即興的」なものなんかではない。むしろ「こうでしかあり得ない」という絶対命令に近いものなのだ。
 演奏という行為は、書いてある音符を間違わずに弾けばいいというものではないし、解釈というものは「右にあるものを左に動かしてみようかな」などという偶発的なものではない。バッハを演奏するという行為は、オーバーに言えばバッハを演奏会場に降霊させる一種のイニシエーションのようなものだ。

 まあ、そんな大それたことをやっているから、演奏会の次の日にいつもその反動が来るんだ。これがあの神秘体験を手にしていた者と同一人物ですか?と思うくらい、もう見事に廃人のようになる。つまり演奏会終了後の二、三日は、僕となにかマトモな話しをしようとしても無駄ということですなあ。あっはっはっはっは!   

「カルメン」においで!
 新国立劇場では、再演の演目の練習はピッチが速い。外国からやって来た主役歌手達は、勿論いろんな歌劇場でそれぞれの役を演じてきた百戦錬磨の人達ばかりだけれど、それでも、初演時に4週間たっぷりかけて作り上げた演出のディテールまでを、限られた期間で全て理解し演ずるのは簡単ではない。特に「カルメン」は、群衆の動きや立ち回りも多い動的なオペラなので大変だ。今は舞台に入ってピアノによる舞台稽古を行っている。もう今週6月10日の木曜日には初日の幕が開くんだな。

 指揮者のマウリツィオ・バルバチーニは、第一幕の「喧嘩の女声合唱」の立ち稽古を初めて指揮した後、驚いて、
「メトロポリタン、スカラ、ベルリンといろんなところに行ったけれど、ここの合唱団の『喧嘩の合唱』は文句なく世界一だ!こんなに揃って、こんなに言葉が鮮やかに立って、こんなに激しいのは聴いたことがない!」
と言ってくれた。
 この合唱曲の練習には命を賭けていたからね。フランス語をバリバリはっきりくっきりしゃべらせて、それから音程をつけないでリズム練習をやって、音をつけて何度も何度も異なったテンポで歌わせて、それからひとりづつ歌わせて・・・・だから、この曲はみんな一番確実に歌えると思う。それにしてもバルバチーニのテンポは速い。これまでの中で最速だ。でもね、「カルメン」のような作品は遅すぎるよりは速い方がいいよ。

 先週この欄で紹介したキルスティン・シャベスへの僕の評価は、第一印象と変わらない。彼女の演じるカルメンは毎日微妙に変わるのだが、その時その時で100パーセントのリアリティを持っている。それでいながらいろいろ試している。そして通し稽古。彼女はカルメンそのものを“生きて”いた。
 第二幕。カルメンはホセの前で踊りを踊ってみせる。ところがホセは帰営のラッパを聞いて帰ろうとする。ふてくされるカルメン。ホセは「花の歌」を歌って自分のカルメンへの想いを切々と訴える。
 その時僕はあれっと思った。ホセの歌を聞いているシャベスの息がしだいにあがってきている。それはどんどん大きくなっていき、最後には「ハアハア!」と、昼間から聞いてはいけないようなあえぎになっていった。真ん前で見ている僕は身の置き所がなくなってしまった。シャベスを見ると、目はうつろになり、半開きになった口からはよだれが垂れそうになっている。彼女はホセの告白に対し、全身で“感じて”いるのだ。
 男から男へと自由に渡り歩いていたカルメンだったが、こんな自分に対する熱い想い、こんな法悦にカルメンは出遭ったことがなかった。その時彼女は思った。この男をすっかり自分のものにしてしまおうと。この男から秩序もなにもかも奪い去ってしまおうと。悪気はない。全く自然に彼女はホセの全てを欲した。でも、こういうのを究極の悪女というのだな。
 終幕。ホセに刺されてカルメンが倒れる。すでにこときれている。その時、僕は気付いた。カルメンの目が開いたままなのを。
「うわっ、シャベスったらそこまでやるか!」
と思った。でも、勿論リアルにはそうなのだ。

 このようにシャベスの演技は、演技というものを超えている。とにかくみなさん、だまされたと思って「カルメン」を観に来て下さい。絶対に後悔はしないと保証します。シャベスのカルメン、マジ凄いっす!

迷走日本~今こそみんなで
 情けないねえ。今の日本。鳩山首相がいずれ退陣するであろうことは予想していた。でもマスコミの論調や野党達の態度を見ていると、本当にこの国には民主主義が育っていないなあと思う。もうそろそろ気がついてもいいのではないだろうか?今は民主党の責任を追求していれば済む時ではないということを。
 政権交代して今日までの間に良かったことがひとつだけある。それは、何が出来ることで何が出来ないことなのかを国民の前に透明にして見せてくれたことだ。そこで出来なかったことは、本当は鳩山さんが悪かったというよりは、誰がやっても出来なかったことなのだ。
 というより、そこにはとても本質的な問題が横たわっているのだ。だから、「誰かにやらせっぱなしにして責任をかぶせて退陣に追い込む」という方法をただ繰り返していくだけでは何も解決しないのだ。むしろ党派を超えてみんなで考え議論していかなくてはならないのだ。

 たとえば消費税の議論だってそうだ。分かっただろう。国に財源がないんだ。それに今後働く人の割合に対して働かない人の割合がどんどん多くなってくるので、もっとなくなってくるのだ。
「決して消費税を上げません!」
とか、
「みなさんのためになるお金をばらまきます!」
と言われたって、
「ああ、いいね。目先しか見えない私たちには有り難い」
とノコノコついて行っちゃ駄目なのだ。
 消費税さえ上げなければ良いなどという議論はもはや不毛だ。さすがに今後そんなことを選挙の争点として第一に掲げてくる政党もないと期待しているが、もしまだそんなことを言っていて、まだついて行く国民がいたら情けない限りだ。
 鳩山さんもズルイねえ。
「私の任期の内は消費税は上げません!」
だって。それでこんなに早く辞めちゃったんだから、確かに嘘はつかなかったけどね。

 沖縄の基地の問題もそうだ。自民党は、
「ほれみたことか、バーカ、バーカ!」
と喜んでいるだろうが、アメリカとの関係、将来に渡って本当にこれでいいのだろうか?社民党の福島瑞穂党首も、カッコ良かったように見えたが、では、
「あんた首相になってやってごらんなさい」
と言われたら、アメリカ相手に本気でやり合えるのでしょうかね?無理でしょう。
 まあ、今のままでは誰も出来ないと思う。アメリカだって馬鹿じゃないからね。
「誰のお陰で日本国民は北朝鮮や中国の脅威がありながらのうのうと暮らしてられると思ってんだ!日本の領域内を守るのだから日本の領域内にいる。これ常識。」
と思っている。

 憲法第九条は守る。基地は国外移設。とても結構!でも、もし今、ある国がミサイルを新潟に打ってきて新潟市が全滅し、次の攻撃の準備を開始していて、東京あたりに打ってくるという情報が飛び交っているとしよう。日本人は怯え、うろたえ、豹変する。
「自衛隊は何やってんだ。このままやられるのを待っているだけか?」
その通りだ。今の憲法のままでは自衛隊は国境を越えての先制攻撃や報復攻撃は出来ないから、国民はやられるままである。国境を越えての攻撃とは、つまりは「戦争をする」ということだからね。
「米軍は何やってんだ。早くやっつけてくれ!」
その時にもし、日本から米軍基地が撤退していたら、間違いなく米軍は何もしてくれない。今だってどこまで面倒見てくれるか分かったものではないのだからね。せいぜい相手が思うように攻撃し尽くし、東京を含めていくつかの都市が廃墟になってから、重い腰を上げて交渉には入ってくれるだろうがね。

 このホームページはいろんな人が見ているだろうし、僕の政治思想をヘタに述べて不必要な敵を作るのも嫌なので、確実に言えることだけを言おう。もし基地問題を根本から変えたいと本気で思うならば、日本国民は二つの選択肢のどちらかを覚悟して選ぶ必要がある。

 ひとつは、本当に非武装で平和主義に徹すること。その場合、もし攻撃されてもされるままでいることで抗議する道を選ぶことだ。これは案外悪くない選択肢だし、非武装中立という意味では徹底していて国際的にもアピールできる。自衛隊は完全に武装を解き、災害救援集団となる。米軍基地には完全撤退してもらう。その代わり、攻撃されてもやられっぱなしだ。いいではないか。平和という理想のために、みんなで喜んで死のう!
 そうではなくてアメリカに本当に出て行ってもらいたいなら、米国との安全保障体制を根本から見直すしかない。つまり、自国を最低限守れる武装と、それを機能できる法整備を整えた上で、アメリカをある意味敵に回すくらいの覚悟・・・理想を言えば、アメリカと対等に渡り合える大人の外交を始めることだ。アメリカはあわてて経済封鎖とか日本をイジメながら、なんとか自分たちの対面を保とうとやっきになるだろう。でも屈してはいけない。

・・・・・と、言ってみてもなあ・・・・現在の日本人には、そのどちらの覚悟もないでしょう。

 断言するが、その覚悟がない以上、基地問題は決して解決はしないのだよ。今の日本は、親に養ってもらってお小遣いをもらいながら、
「もう子供じゃないんだから、干渉しないでくれ!」
とうそぶくドラ息子のようなものだからね。
 もう誰が総理大臣になっても、どんな天才を連れてきても、無理なのだよ。とにかく、もう今更民主党だけを責めても始まらないのだ。マスコミは今度は菅直人さんの身辺をいろいろ暴き、金銭問題や女性問題などで足もとをすくおうとするだろう。そんなことしてみても誰のためにもならない。出てくる度に違う顔のモグラを次々に叩いて、
「やっつけたぞ!」
と喜んでいる間に国が滅んでしまうぞ!
 だから今こそ党派を超えて、この沈みかけている国をどうするか考えるべきだ。その際、国民も引き受けるべき負担は引き受け、するべき覚悟はしていかないといけない。

もう糖尿病とは言わせない
 さて、喜ばしい結果を知らせよう。3月の終わりに糖尿病とメタボの専門医である大野誠先生のところに行って、採血の数値が良いのでしばらく薬を全くやめて様子を見ようという事になった。そして先日約2ヶ月ぶりに採血をし、その結果を聞きに行ったら・・・・なんと正常値の範囲内だった!数値を発表しよう。空腹時血糖値の112はちょっと高めではあるが、126から糖尿病の範囲に入るのでセーフ。ヘモグロビンA1cに至っては、先日まで5.3だったので、薬を全く飲まない状態で5.5というのは普通の人と一緒だ。
「おう!よく頑張りましたね!」
と大野先生も驚いていた。
 思い返してみると、もう10年くらい前になるNHK「ためしてガッテン」出演時に、僕はすでに空腹時血糖値125となっていたのであるから、その時から比べてもかなり良い状態なのだ。今の僕の体重は、1年3ヶ月前から約10kg痩せた状態で横ばいにキープしている。これは20代前半の体重だ。話によるとメタボであるというだけで代謝能力が落ちてくるそうなので、この体重を大幅に増やさない限り僕の血糖値も維持できると思われる。

 糖尿病は、一度なったら決して治らない病気とも言われているが、見ろ見ろ!今や僕は完全に健康体だ!治ったぞ!普通治らないのは、生活を変えないからだ。多少ダイエットしてもすぐリバウンドしたりで、長年の習慣を変えるのは難しいのだ。でも、僕はやり遂げたのだ。この意志の強さよ!おほほほほほほ!きょうだけは自画自賛させて下さいね。もう誰にも糖尿病などとは言わせない!やーい、やーい、ざまあ見ろってんだ!

「念のため8月のあたまにもう一度採血をして、それで結果が良かったら治療を終了しましょう」
バンザーイ!と喜んでM病院を後にしたが、ハッとあることを思い出して背筋に冷たいものが走った。
「ヤバイ・・・・採血の直前までドイツにいるぞ・・・・・」
まるでこなきじじいが背中に張り付いたように、四谷までの紀の国坂の傾斜が急に負担に感じられ、足取りが重くなった。

 そうなのだ。今年の7月後半は、久々にバイロイト音楽祭のゲネプロを観に行くのだ。それから帰国まで数日間オフの日があるので、妻と二人でどこに旅行に行こうか決めかねていたが、妻は先日の「ワイマールのバッハ」演奏会を聴いた後で突然、
「バッハゆかりの地を訪ねてみたい!」
と言い出した。そこで急遽、アイゼナッハから始まって、ワイマールやケーテン、ライプチヒなど、バッハの足跡を辿ってみようということに決定した。
 問題はなんと言っても食事なのだ!先日この欄で書いた通り、バイロイト音楽祭の合唱指揮者エバハルト・フリードリヒは、
「ショイフェレを一緒に食べような!」
と張り切っているし、バッハゆかりの土地チューリンゲン地方といえば、チューリンゲン風焼きソーセージのおいしさにかなうものはない。またライプチヒに行くと、ゲーテが足繁く通っていたAuerbachs Kellerというワインケラーがあって、そこの辛口白ワインと料理のマリアージュがたまらない。
 そんなグルメ三昧の日々を送って帰ってきて、すぐに採血とは・・・・む、無理・・・・どこか人知れぬ所へ逃げてしまいたい・・・・あるいは仮病を使って採血を休むとか・・・・・あるいは三澤と偽って他の人をM病院に送り込むとか・・・・・そんなことしても意味ないなあ・・・・どうしよう・・・・と深い悩みに我が身をさいなむ今日この頃です。



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