ゲゲゲの女房~貸本屋と小学校時代

三澤洋史 

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変なオランダ戦の晩
 6月19日土曜日。指揮者の沼尻竜典さんは、オランダ戦の開始時刻に合わせて、「鹿鳴館」のオケ付き舞台稽古を8時20分に終了してくれた。本人はこれからスタッフ・ルームで観戦しようと言っているが、僕はやはりサッカーは家で夕飯を食べながら見たいので、急いで劇場を後にした。
 電車の所要時間と、府中からの自転車の時間を考えると、休憩の間に家に着き、後半戦は家で観戦出来る予定だ。京王線の間は・・・・そうだ、携帯電話のワンセグを使ってみよう。ワンセグって、これまでほとんど使ったことがないのだ。

 初台駅でちょうど快速橋本行きが来た。「お、ラッキー!」と思って乗り込んだが、なんだか様子が変だ。混んでいるはずなのに、車両の真ん中くらいが空いている。気がつくと若い女の子が何やら叫んでいる。どうやら僕のすぐそばで知らん顔している若いおにいさんが、その女の子にぶつかったか何かみたいで、女の子が、
「人にぶつかっておいて御免なさいの一言もないのかよ!」
ともの凄い剣幕で怒鳴りながらそのおにいさんに突進しようとするのを、横で彼氏と思われる男性が必死で止めている様子だ。
 女の子は長いすに座らせられていて、彼氏は長いすの中央にある支え棒を抱え込むようにしながら彼女が動かないように上半身を支えている。女の子がキレて男の子が止める?普通、逆じゃねえか?それにしても大声は出すし、足はバタバタしているし何とも迷惑な話だ。

痴漢?
 その内、彼女は僕の隣のおにいさんに向かって叫びながら物を投げ始めた。まず折りたたみ傘が飛んできた。それはおにいさんからはずれて僕の足下に落ちた。あぶないなあ全く、と僕は思った。次に化粧品が飛んできた。今度は僕の体に直接ぶつかってきた。そこで僕は、これは放っておくべきではないと思い、その化粧品を持って女の子の所に行った。
「みんなの迷惑になるじゃないか。やめなさい!」
すると上半身固定されている彼女は、両足でめちゃめちゃに僕を蹴り始めた。思わず僕は、
「や・・め・・な・・さいったら!」
と言いながら、彼女の両足を腕で抱え込んだ。彼女は全力でもがいていたが、ふと我に返って、
「あんた・・・・誰?関係ないじゃないの」
と言う。
「そうだよ。関係ない私にあなたの投げたものがぶつかったんだよ。だからこれ以上関係ない人を巻き込まないように注意しに来たんじゃないか」
彼女はまた足を全力でバタつかせる。僕も全力で阻止しようとする。きゃしゃな体なのにもの凄い力だ。
「放してよ!何やってんの!人の足さわって、あんた痴漢じゃない!」
おいおい、言うことがめちゃくちゃだよ。
 その内周りの人達が見かねて彼女に向かって叫びだした。
「おとなしくしなさいよ。迷惑なんだから!」
「そうだ!そうだ!」
さすがに彼女は自分に勝ち目がない事を悟ったのか、暴れることはやめて力を抜いた。そこで僕も、それから彼氏も彼女を放した。ふうっ!疲れた。

 電車が幡ヶ谷に着いた。誰かが彼氏に向かって叫んだ。
「とりあえず迷惑だからこの子を降ろしなさい」
彼氏は、
「降りよう」
と彼女をうながす。ところが彼女はきょとんとして彼氏に、
「どこまで行くんだっけ?」
と聞く。彼氏は、
「笹塚」
と答える。彼女がしゃあしゃあと言う。
「じゃあ、あと一駅ね」
なんじゃこのカップル?!

 電車が動き出した。彼女は今度は携帯電話を取りだして、大きな声で電話をかけ始めた。
「もしもし警察ですか・・・・痴漢に遭いました・・・・はい・・・・電車の中で・・・・下半身をさわられました・・・・・はい、そうです・・・・すぐ来て下さい。もうすぐ笹塚に着きます」
 最初本当かと思った。ええ?僕は痴漢呼ばわりされて警察に行くのか?まあ、仕方がないか。この状況だもんな。ああ、でもサッカーが・・・・。って、ゆーか、サッカーどころじゃないぞ。痴漢と言われて警察に行こうとしているんだからな。でも、周りの人達も見ていたし、大事に至ることはないだろう・・・・まてよ・・・・こういうのは騒いだもの勝ちということもあるしな・・・・痴漢は冤罪も多いと聞く。冤罪であれ濡れ衣であれ、痴漢容疑で警察に行ったというだけで噂のタネにされる可能性も否定できない。だって容疑が晴れるまで時間がかかるかも知れないし、その間に週刊誌が騒ぎ、みんなにヘンタイと思われ、
「ちょっと困るんだよね。こういう騒ぎを起こされるとね」
と言い渡されて新国立劇場をクビになり・・・・・おお、どうしよう・・・・。
 でも彼女の携帯電話での会話はすぐに嘘だと分かった。僕がじっと彼女の目をみつめていたら、しゃべるのをやめ、携帯電話のフタを閉めて彼女は神妙になってしまった。

 電車が笹塚に着いた。彼女は、彼氏には見向きもしないでひとりで涼しい顔をして立ち上がり、最後に僕の方を向いて、
「痴漢!バーカ!」
と言い残してホームに降りて行った。彼氏はその彼女の後を追いかけながら、僕の方を上目遣いで見て、
「本当に済みませんでした」
とお詫びし、急いで降りていった。世の中には不思議な事が多いけれど、あの彼氏、なんであんな子と付き合ってるんだろう?

 それだけならまだよかった。その直後同じドアから僕の前を、
「お疲れ様!」
と挨拶してひとりの東京交響楽団の女性団員が降りていった。
「ゲッ、やべえ!今の一部始終見られてしもうた!」
そういえば「鹿鳴館」の稽古終了直後だもの。あっちこっちに関係者がいた可能性があるんだ。
「あらら、三澤さんじゃないの!」
と思って見ていたんだろうな。おおっ、めっちゃ恥ずかしい!穴があったら入りたい。
 まあ、それでも一部始終見られたならばまだ良い。もっと悪いのは、「痴漢!」という叫び声を聞いてなんだと思って見たら僕がいたという中途半端な誤解をされたら困る。だからね、僕自身の名誉のためにも、物事が曲がって伝わらないように、あえてこうして真実を全て書くのだ。もしかしたら今頃世界中に僕の噂が広がっているかも知れないんだからね。
「三澤さんね、痴漢したみたいだよ」
なんて噂になってたらえらいこっちゃ。
 ドアが閉まって、ふうっ!とためいきをつきながらさっきの女の子がいた場所が空いたので座ると、周りで叫んでくれた人達が、
「大変でしたねえ」
と話しかけてくれた。なんだか短い間に、助け船を出してくれた周りの人達とある種の連帯感のようなものが生まれた感じだ。

 おっとっとっと・・・・サッカーだ、サッカー!電車の中で、携帯電話のワンセグをつけてみた。おお!通じる!当たり前か。なになに?まだ0対0だな。でもワンセグでサッカーは駄目だね。フィールド全体が携帯の幅しかないので。選手の姿はまるで蚤のよう。しかも電車が走りながらだと、電波がうまく入らず時々画面が止まってしまう。なんとなくは分かるけれど、これでは試合の流れをつかむまではいかない。

それでも頑張った日本チーム
 府中から自転車を飛ばして家に着いたのは予想通り前半戦終了した休み時間。よかった。警察につかまっていたらオランダ戦どころではないものな。長女の志保はもうワインを飲んでほろ酔い状態。さっきの事件の顛末を話すと、志保も妻も大ウケだ。気が付くと僕の腕にも足にも擦り傷がある。 
 あの子よっぽど激しく暴れていたんだな。恐らくこの志保くらいの歳だろう。酔っ払っている風には見えなかったのにあんな精神状態ということは、よほど幼児期に深いトラウマを受けたのか・・・・なんて、いらぬ心配をしてしまう。僕があえて止めに入ったのも、きっと父親目線になっていて、志保のような彼女をこのまま放置していたらいけないという義務感がどこかにあったんだろうな。志保はその事を理解していて、
「でも知らん顔しないでパパみたいに言ってくれる人がいるっていいよね」
と言ってくれた。

 さて、後半戦が始まった。昨晩禁酒したので、今晩はブルゴーニュ・ワインを飲みながらの観戦。妻は張り切ってステーキにタリアテッリ、それにラタトゥユ・ソースを作っている。そんなゴージャスな状態で観戦したのに・・・・ああ、無情!後半戦始まってすぐにあっけなく点を取られてしまった。って、ゆーか、オランダ強過ぎ!実力の差はいかんともし難い。その割には日本チームは良く守った。一点だけで終わったのはあっぱれというべきか。それにしてもなんだか変な晩だったニャア。

ゲゲゲの女房~貸本屋と小学校時代
 若い世代の人達には想像も出来ないことだろうけれど、僕が生まれた昭和30年には、どこの家庭もテレビはおろか冷蔵庫も洗濯機もなかった。水道もなくて井戸だったし、台所は土間になっていて、お袋はかまどに薪をくべてお釜でご飯を炊いていた。
 最初に家に来た電化製品はおそらく洗濯機だったかも知れない。脱水機の代わりにあったのは二つのローラーの間に洗濯物をはさんで手で回して、まるでのしイカのようにぺちゃんこにしながら水を絞り出すもの。それから順番は覚えていないが、電気釜や冷蔵庫やテレビなどが家の中に現れた。それは子供の僕にとってはひとつひとつが夢のような出来事だった。

紙芝居~映画館
 夕方になると紙芝居屋が来た。僕は小銭をもらって走って行って、みずあめなどを舐めながら夢中で紙芝居を観た。でも紙芝居屋はいつの間にか来なくなった。お袋に聞くと、もう儲からないのでやめたということだった。それに取って代わったのはテレビだった。テレビは、紙芝居屋をはじめとして全てのそれまでの文化を一変してしまったようだ。
 映画館もそうだった。僕の故郷の新町には二つ映画館があったが、テレビが普及してから衰退の一途を辿っていって、やがてはポルノ映画専門となり、そしてつぶれた。でも、僕が小さい頃はまださかんに上映していた。戦争映画が多くて、後に怪獣映画に変わっていく。これも時代の流れだ。
 映画館に行くと、他の店にはないものがあった。ひとつはサイダーだ。でも炭酸は嫌いだったので、指で栓をして振って泡を出してただの砂糖水にしてから飲んだ。今考えるともったいない飲み方だ。もうひとつはイタリア・パンと呼ばれる細長いパン。6本くらい入っていて、ちょっと甘い。特においしいわけではないのだが、映画館の中でしか売っていないので珍しかった。

プラモデル
 僕はプラモデルを作るのが大好きだった。お袋は、時々高崎に買い物に行く時に僕を連れて行く。でも僕は洋品店が嫌いだった。僕は、元来自分の着るものにはあまり興味がなくて、裸でなければいいというくらいにしか思っていない。だから現在でも妻が買ってくる洋服を黙って着ている。
 そんな僕を騙すのに、お袋は買い物の前にプラモデルを買って僕に与えた。
「ここで待っているんだよ」
と言って、お袋は自分の買い物に出掛けていく。僕は店の隅であぐらをかきながら、プラモデルを広げて作り始める。お袋が僕を置き去りにしてどこかへ行ってしまうなんて露ほども考えないし、夢中で作っているので時間はいくらでもつぶれる。しばらくするとお袋が戻ってきて、僕は出来上がったプラモデルを空中にかざして遊びながら家に帰ってきた。
 このプラモデルも軍艦や戦闘機や戦車といった戦争もの。軍艦には大砲や機銃やマストや艦橋など沢山のものが甲板の上にあるが、それらが整然とならんでいて一種の機能美を持っている。特に戦艦大和の煙突とマストの形は美しくて、僕は出来上がったものを飽かずに眺めていたっけ。
 今も僕は機能美をもっているものが好きだ。たとえばパソコンのマザー・ボードなどもよく眺める。個々の機能はよく分かっていないのだけれどね。まあ、機能美の中でも最も自分にとって必要なものといったら、オーケストラ・スコアだな。これこそ機能美の極地。優れた作品のスコアは、眺めるだけでも美しい。そのたたずまいが整然としているのだ。そしてその美しいスコアからまた美しい音が出てきた時の喜びったら・・・・戦艦大和の機能美に感嘆する小学校時代の僕と現在の僕とは、こうして連続性をもってつながっているのだ。

貸本屋
 家の近くにはナカジマという貸本屋があった。僕はそこに足繁く通った。貸本漫画は僕の小学校時代の代名詞のようだ。あの頃は、音楽は好きだったけれど、自分が将来音楽家になるなんて夢にも思わなかった。それより漫画家になりたかった。自分でストーリーを組み立てて、よく漫画を書いていた。
 「吸血鬼ドラキュラの息子」というようなタイトルの漫画をパクって、「吸血鬼ドラキュラの孫」という作品を書いてみたこともあったっけ。もしかしたら群馬の家の物置の奥を探したら、今でも出てくるのかも知れない。どんなんだろうな、小学生の僕が書いた「吸血鬼ドラキュラの孫」って・・・・・。

 その貸本漫画の中に水木しげるの漫画もあった。一番好きというわけでもなかったが、「墓場鬼太郎」などは好んで読んだ。水木しげるの漫画は他の漫画家の作風とは全く違ってユニークだった。とにかく絵が不気味なのだ。でもストーリー展開は、なんだかほのぼのしているところもあって楽しかった。物語の最初や途中にはさみ込んでシチュエーションを呈示する風景画のデッサンが驚くほどリアルで優れていた。あたりまえだけれど、
「うわあ、漫画家って絵が上手なんだな」
と妙に感心したのを覚えている。

 やがて小学校も高学年になっていくと、読む漫画も変わってきた。僕は白土三平の漫画が大好きで、「サスケ」「カムイ伝」「カムイ外伝」と何度もナカジマから借りて読んだが、なんといっても好きなのは「忍者武芸帳」という長編だった。この漫画は今でも漫画という常識を越えた高度な芸術だと思っている。
 ある時ナカジマに行くと、おばさんが、
「もう店を閉めるんだよ。漫画をうんと安く売ってあげるから、何でも好きなものを買っておくれ」
と言うではないか。そこで僕はお袋に頼んでお金をもらって「忍者武芸帳」全巻をはじめとしていくつかの漫画を買った。こうして貸本屋との生活は突然終わりを告げた。
 今でも群馬の家に行くと、駅から歩いて自宅に行く途中で、
「ここにナカジマがあったんだよな」
となんだか胸が締め付けられるような甘酸っぱい感傷が僕を支配する。あの頃の僕はそんなにも貸本漫画と共に生きていたのだ。

ゲゲゲの女房
 こうした当時の生活の風景を、現在NHKで毎朝放映されている連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」で見る事が出来る。儲からなくなって廃業した紙芝居屋が出てきたり、貸本屋の生活が描かれていたり、その貸本漫画を水木しげるが赤貧の生活を送りながら書いていたり、その中でプラモデルで連合艦隊を作ったり、まさに僕の幼少時代の匂いがただよっていて、見ていてなつかしくて仕方がない。鬼太郎茶屋1
 「ゲゲゲの女房」は近年の朝ドラの中では良く出来ている方だと思うが、あまりに貧乏が果てしなく続くので、見ているとだんだんめげてくるというのが唯一の欠点。早く鬼太郎が売れて有名になって欲しい。

 そういえば、今週ではないのだが、先日ちょっと思い立って自転車で深大寺まで行ってみた。同じ東京でしかも決して遠くないのだが初めて行った。門前に蕎麦屋やぬれおかきの店などが並んでいてなかなか風情があるが、ちょっと人工的な感じがしないでもない。何故なら「深大寺蕎麦」を名乗っているけれど、どう考えてもこの辺で蕎麦がとれるとは思えないので、調べてみたら全然違うところのそば粉を使用している。とすると、深大寺蕎麦って一体何だ?

 深大寺だけでなく、調布市全体が今は「ゲゲゲの女房」に便乗して街を活性化しようと「水木しげるの住んでいる街」を強調している。まあ、別にいけないことではないからね。深大寺の門前にも「鬼太郎茶屋」と呼ばれるお店がある。で、僕も便乗した。漫画「河童の三平」と「悪魔くん」をそれぞれ全巻買ってきた。もしかしたら小学校時代にナカジマから借りて読んだ以来かも知れない。特に「悪魔くん」はあらためて傑作だと思った。ファウスト博士やメフィストフェレスが登場する壮大な発想に、冒頭から度肝を抜かれ、感動した。それに絵も素晴らしい。

鬼太郎茶屋2

 今、「ゲゲゲの女房」では、丁度その「悪魔くん」が売れないで貧乏が続いているところだが、こんな傑作を書いている漫画家があんな生活をしていたなんて、子供の頃には想像も出来なかったなあ。まあ、知らなくてよかった。漫画家はあこがれの的だったからな。
 子供には、人をあこがれたり尊敬したりする感情が不可欠なのだ。これがなくて変に大人を馬鹿にするような子供は逆に可哀想なのだ。だからね、大人は決して子供の夢を壊してはいけない。
 まあ、貧乏でもいい。その中であれだけひたむきに漫画を書き続けた水木しげる氏を、僕はあらためて尊敬するし、そして自分の少年時代への思い出を飾ってくれた感謝を込めて、ありがとうと言いたい。



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© HIROFUMI MISAWA