三澤家の陽気な娘達

三澤洋史 

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杏奈再びパリに
 次女の杏奈が、代官山にあるメイクの学校BE-STAFF MAKE-UP UNIVERSALのトータル・クリエイター・コースを卒業した。2年前にクラリネットでマルメゾン市のコンセルヴァトワールを卒業しておきながら、いきなりメイクアップ・アーティストの道に進路変更したいと言い出した時、僕たち両親は驚きとまどった。彼女がどこまで本気でそれを言い出したのか分からなかったし、もしかしたらコンセルヴァトワールで一等賞を取るためのあまりにも過酷な練習の日々に耐えかねて、とにかく一度音楽から離れたいがためにそう言い出したのではないかとも思った。
 最初彼女は、そのままパリでメイク学校に通い始めると言っていたのだが、あわてた僕たちは、
「とにかく一度日本に帰って来い!」
と彼女を無理矢理帰国させた。親元に置いて勉強させながら様子を見ることにしたのだ。もしかしたら、やっぱりやってみたらメイクも端で見ているほど楽じゃないや、と投げ出す可能性だって、僕たちから見ればあったわけだからね。
 でも、この2年間ずっと見てきて、彼女のメイクへの情熱は決して一時的なものでも軽はずみなものでもなく、むしろこの分野は彼女にとても合っているのだと認識するに至った。また、日本でBE-STAFFに通い始めた杏奈は、学校のすぐ近くのフレンチ・レストランであるエピでアルバイトを始めて、接客やワインを初めとする食文化の奥深さを学び、アマチュアのオーケストラでクラリネットを吹いて、別の角度から音楽に接することによって、音楽の幅広い楽しみ方を知っていったようで、いろいろな意味でとても成長したと思う。
 杏奈は、すでにフランスにおけるワーキング・ホリデイのビザを申請し、取得しており、この後9月17日金曜日にパリに向かって再び旅立つ。かつては音楽で3年間留学していたパリに、今度はメイクの勉強で行くわけだ。いろいろ彼女の中で感慨深いものがあるのだろうな。

 BE-STAFFでは、担任の合志知子(ごうし ともこ)先生やロンドン帰りのセシルさんを初めとする素晴らしい先生達との出遭いがあり、それが杏奈のメイクへの情熱に益々拍車をかけたようだ。その先生達と話す機会が与えられた。パリ帰りの杏奈には、音楽という他の生徒にはない文化のバックグランドがあり、発想においてもアプローチにおいてもかなり変わっていたらしく、それが先生達の興味を惹きつけたようだった。
 杏奈は自分の再留学の先を迷っていた。最先端であるアメリカやロンドンという選択肢もあったが、彼女は再びパリに行くことに決めた。そのことについて僕は合志先生に尋ねてみた。
「いいのでしょうかね、現代の最先端であるアメリカとかではなくパリで?古くないのですかね?」
と訊くと、意外と、
「だからいいのです。アメリカは単なるビジネスだけれど、ヨーロッパには文化があるのです。古くてもいいのです」
という答えが返ってきた。なるほど、この人は物事を様々な角度から観ることの出来る優れたアーチストなのだと、その言葉を聞いて強く思った。

 9月12日の日曜日の夜は、もう杏奈がアルバイトを出来なくなるので、エピで最後の三澤家全員集合食事会をした。僕は名古屋のモーツァルト200合唱団の練習が終わると、午後8時の予約に間に合うよう、幅下幼稚園を後にして急いだ。エピではシェフを初めとして従業員達がみんな、杏奈が来なくなるのを淋しがっていた。
 シェフは、僕たちが清水の舞台から飛び降りるつもりで頼んだ極上のブルゴーニュ・ワインをどうやら杏奈価格で提供してくれたようだったし、ヨウコさんはチョコレートで素晴らしく描かれた絵と文章付きのデザートを出してくれた。杏奈はなんだか最初から泣いていたよ。

 BE-STAFFの先生達やエピの人達、みんなに愛されて充実した2年間を代官山近辺で送った杏奈は、また新たな地平を求めてはるかな旅に出る。みなさんも祝福してやって下さいね。

親子二代でワインを出す!
 先週は、新国立劇場では午後が「アンドレア・シェニエ」の合唱音楽練習。そして夜は「アラベッラ」の立ち稽古のはずだった。でも「アラベッラ」は、ソリストの立ち稽古でやることがいっぱいあるため、合唱団員から出したソリスト以外は、随分合唱立ち稽古がなくなった。
 一方、オペラ劇場では、二期会が借り切ってモーツァルト作曲「魔笛」の公演準備をしている。長女の志保は二期会公演でピアニストをしているが、「魔笛」は抜けていた。ところがある時連絡があって、ちょっとお手伝いして欲しいという。
「何やるの?」
と志保に訊いたら、
「なんだか分からないけれど、プロンプター・ボックスに入っていろいろやるんだって」
と言う。それを聞いた僕はピンときた!
「ええ?それって、もしかしてワイン出したりするんじゃないだろうね?」
「あっ、そうかも・・・・」

 二期会の「魔笛」といえば実相寺昭雄さん演出のヤツだろう。実相寺さんといえば、ウルトラマンの監督で有名な人で、その「魔笛」にはピグモンとか出てくるんだ。実はその演出を最初に上演したのは、東京藝術大学大学院オペラ科の公演で、それを後に二期会が取り上げてヒットさせ、その間に当人の実相寺さんが亡くなってしまったけれど、プロダクションだけは続いて現在に至っているものなのだ。
 で、初演の時にプロンプター・ボックスに入っていたのは、なんと僕だ。パパゲーノが、
「ワインが欲しいなあ」
と言うとプロンプター・ボックスから手だけ出してワインを出してやり、
「子供を沢山作りましょう!」
と言えば、人形を次々と出してあげ、最後に可愛いブースカを出したのだ。
 その時にブースカがあまりに可愛いので気に入って、実相寺さんに、
「ねえ、このブースカを頂戴よ!買ってもいいから」
と言ったが、
「残念ながらねえ、これはあまり数がなくて、こっちとしてもとても大事なのであげられないんだ」
と言われ、代わりにといろんなブースカ・グッズをもらった。家に持って帰ってまだ子供だった志保達にとても喜ばれた覚えがある。その仕事をだよ・・・・まさか志保自身がすると誰が想像しただろうか!

 「アラベッラ」の夜の練習がなくなったので、舞台稽古を見に行った。やってるやってる。おっと知らない間にいろいろバージョン・アップしているな。芸大の公演では学校なのでセリフはドイツ語だった。でも二期会はセリフだけは日本語。ワインを出す前に、
「めんたいこチーズ揚げ!」
なんてパパゲーノが叫んで、志保の腕がプロンプター・ボックスからニョキッと伸びる。タイミングはバッチシで一生懸命やっているが、まだ修行が足りない。手の先にもっと覇気が欲しいな。シャキーン!という感じで元気よく出して、腕の存在感をアピールしないといけない。
 パパゲーノがグロッケン・シュピールをプロンプター・ボックスの上に置く。すると志保はそこから伸びているソケットをすばやく電源コードに接続し、スイッチを操作して音楽に合わせて光をつけたり消したり。これもやった覚えがある。音楽に合ってよくやっているが、確かもっときめ細かく出来るはず・・・・・・。
 後で、
「なかなか良くやってるじゃないの」
と言いながらダメ出しをする。案外素直に聞く志保。これでかなり良くなったと思う。

 あなたがもし突然こんな仕事を与えられた時、父親がすでに知っていて、
「もっとシャキーンと!」
なんてダメ出しすることなんて普通あり得ねーだろ。でもね、三澤家ではこんなことを親子二代に渡ってしているのだ。
 僕も今こそ偉そうに合唱指揮者ですなんて顔しているけれど、若い時はなんでもやった。しかも結構喜んでやった。だからオペラの舞台や裏側で何が起こるのかということについてかなり良く知っているのだ。何かを差し出したりすることひとつをとっても、どうやったらより効果的に出来るのだろうと悩んだりする楽しみを知っている。うまくいった時には無上の歓びを感じるものなのだ。

 分かっておいて欲しいけど、こういう事をする人達が意外とオペラを支えていたりする。そのプロといえば舞台監督だ。たとえば主役のテノールがうっかり舞台上に何かを置きっぱなしにする。すると次の場面でそれがとても具合の悪いことに発展する恐れが出てくる。そんな時、舞台監督のCHIBITAさんや、舞台監督助手のT君などは、誰よりも早く気が付いて、即座に対処法を考える。たまたま舞台袖に戻ってきた合唱団員の一人に頼んで、さりげなくひろってきてもらったりする。気が効く合唱団員ならば、誰も言う前に自分で判断して持ってきてくれるだろう。ちなみに新国立劇場合唱団には、かなりこの種の気配り上手がいる。自分の持ち場だけではなく、舞台全体あるいはドラマの流れ全体が見渡せる人でないと出来ないことだ。こうして数々の舞台上の危機を乗り越えてきたのだ。
 危機ではないけれど、たとえば「ジークフリートの冒険」でジークフリートが自動車にぶつかって車を壊してしまうシーンでは、助手のSさんは、舞台袖から転がり出るタイヤを、どうやったら良い方向できれいに転がるのか何度も何度も練習していた。そういうのを見ると、なんだか胸に込み上げてくるものがある。

 さて、二期会の公演も無事終わったようだ。舞台上で華々しく喝采を浴びるスター達と違って、スタッフ達は脚光を浴びることもなく次の仕事に淡々とかかっていくが、彼等がいないとオペラは出来ない。

僕は、全ての裏方の人達に大きな拍手を送りたい・・・・ザ・スタッフの人達もクリエイションの人達も、その他全てのオペラに関わる皆さん、本当にご苦労様!

水泳のレッスン
 親友の角皆優人(つのかい まさひと)君が上京するというので、
「ねえ、水泳のレッスンしてよ」
と言ったら、千駄ヶ谷にある東京体育館のプールでレッスンしてもらえることになった。たしか東京体育館といったら、国立競技場の横にある、昔東京オリンピックで使っていたプールだよな。そこで角皆君のレッスンの前に一度下見に行ってみようと思って出掛けた。入り口からとてもきれいで、プールへのエントランスもカード式。ロッカーもきれい。すっかり魅了されてしまった。

 シャワーを浴びてプール・サイドに出る。うわあっ!50mプールってでかいね。観客席があるぜ。コース毎に低速、中速、高速と書いてある。高速のコースを見てびっくらコイた。まるでオリンピックを見ているように、みんなズンズンともの凄い速さで泳いでいる。
 ゲッ、と・・・とんでもねえところに来てしまった。まるでバイエルを終わってチェルニー30番に入ったばかりの新米ピアニストが、いきなりショパン・コンクール出場者達の練習場に紛れ込んでしまったような気分。
「あなたは何を弾かれるのですか?スケルツォの1番ですか?」
などと訊かれて、
「い・・・いえいえ、私はただの通りすがりの者です。あはははははは!ほな、さいなら」
という感じで、逃げ出したい気分になった。
 それでも気を取り直して低速のコースに入り、平泳ぎで泳ぎ始めた。
「どうだい、まんざらでもねえだろう」
と50mを泳ぎ終わって、向こう側の壁に手をつき立とうとした・・・・が・・・・ズボッ!・・・・・・プファッ!・・・・ゲッ、背が立たない!うわあっ!せーが立ちませんよう~、た、た~すけて~!と叫ぼうと思ったが、それではあまりに格好悪いので、我慢してまた泳ぎ始めた。
 ところがね。人間動揺するとね。泳げるものも泳げなくなっちまうんだな。平泳ぎだったら100mくらいゆっくり泳げば楽勝のはずなのに、中頃まで行ったところで、
「今この辺はきっと一番深いところなんだろうな。後ろからも誰か泳いでくるし、どうしよう!」
と思ったら心臓はバクバクするし、もうフォームもヘチマもなくなってしまった。スピードもどんどん落ちてくる。
「後ろから僕を追いかけて来る人は、僕のことをなんてヘタな泳ぎだろうと思っているに違いない。あるいは、ぐずぐずするなもっと速く泳げなんて思っているかな?どうしよう!」
そう思うと、どんどんあせってきた。
 気が付いてみたら、僕は泳ぐのをやめてコースを仕切るブイにつかまっていた。後から泳いできた人が涼しい顔をして追い抜いていく。
「どうぞ、お先に。狭い日本。そんなに急いでどこへ行く!」
そこで僕は初めて少し落ち着いて泳ぎ始めた。ふうーっ!

 ほうほうのていでスタート地点に辿り着いた僕は、その後尻尾を丸めて25mプールの方に行った。いいね25mプールは。どこにいてもきちんと背が立つし、チェルニー30番程度の方もいればバイエル程度の方もいらっしゃる。なんとのどかなことか。
「おほほほ、そんな泳ぎ方では沈んでしまいますよ」
なんて誰彼となくつかまえてウンチクのひとつもたれたくなる。
 そこでひとしきり落ち着いて泳ぐことが出来た。帰りに再び50mプールの横を通り過ぎた時は、まるで真夜中に街外れの古い墓場の横を通るように、なるべくショパン・コンクールの人達は見ないようにして脱衣場に急いだ。

 東京体育館のシャワー室には大きなお風呂もあって、ちょっとしたスパ気分。これでサウナがあったら最高なんだけどな。まあ、メインはプールであって健康ランドではない。プールのシャワー室は、一般的にはどこも石鹸禁止だが、ここは石鹸及びシャンプー可。僕もインターネットで調べて知っていたので携帯用シャンプーを持参。頭が針金のようにならなくて済んだ。
 驚いたのは、水着専用の脱水機がついているんだぜ。水着を入れてふたを閉めボタンを押すと、押している間だけ脱水機が回って脱水してくれる。びしょ濡れのまま無理矢理袋の中に押し込むなんてしなくても良い。おおっ!やるね、東京体育館!まあ、都会のど真ん中なので、ビジネスの合間に利用する客のニーズがあるのだろうな。かくいう僕も新国立劇場の「アンドレア・シェニエ」合唱音楽練習の前だったのだ。その日は、千駄ヶ谷駅前のユーハイムで優雅にランチを食べ、ドイツパンをお土産に買って新国立劇場に急いだ。

 さて、9月10日(金)の午前中は、いよいよその東京体育館において、角皆君とそして同行した水泳のインストラクター若林美穂(わかばやし みほ)さんによる二人がかりの贅沢レッスンが行われた。
「あのねえ、今日はクロールを徹底的に教わりたいんだけど」
「ふうん。それじゃあ三澤君、とりあえずちょっと泳いでみてよ。それからどうするか決めるから」
角皆君の目が笑っている。なんかヤな感じ。その言葉の響きを聞いただけで、長年の友情にヒビが入りそうな気さえしてきたぜ。
 まあ、今更彼の前で見栄を張ったところで仕方がない。高校の頃から僕の欠点も何もかも知り尽くしているんだから。ということで、とりあえず泳いでみた。ハアハアハア。足をついて見上げると、またあいつが笑っているぜ。今度は目だけでなくて全身で笑っている。
「うーん・・・・。三澤君、直すところがいっぱいあるよ。これはやり甲斐があるなあ。まずねえ、手の形がねえ・・・・」
ということで容赦ないレッスンが始まった。
 美穂さんが水の中にいて僕の手を持ったり足を持ったり・・・・・。角皆君はプール・サイドから冷ややかな視線を送りながら、美穂さんにいろいろ指示している。ふーん、本を読んで分かったつもりになっていても、やはり一人でやっていると知らず知らずのうちに癖がいろいろついてしまうんだね。
 指導陣だけは超一流だから、レッスンの成果はどんどん上がって、約50分のレッスン時間の間にかなりいろんなことが分かってきた。水から上がる時に角皆君は、
「三澤君の泳ぎを見ながらもっと笑いたかったんだけど、良くなってきちゃったから笑えなくなってきてつまらないわ」
だって。失礼しちゃうね、全く。

 でも、これでレッスン代は昼飯を奢っただけ。しかも角皆君は、
「僕は見ていただけだから美穂の分だけでいいよ」
なんて言うんだ。だから、持つべきものは友なんだ。友情万歳!こういうのを“友情の乱用”という。なんと恵まれたワ・タ・シ!



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© HIROFUMI MISAWA