遠い太鼓と、ああイタリア!

三澤洋史 

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秋の東八道路
 抜けるような11月の青空の下、東八道路の色づいた街路樹がびゅんびゅんと後方に飛び去ってゆく。ゆったりとした歩道にまばらに行き交う人達をかきわけて、黄色のマウンテンバイクは進む。頬や首筋には寒いくらいの風が吹き付けるが、ジャケットの中のTシャツは汗ばんでいる。なんという爽快感!じてんしゃな季節の、じてんしゃ日和の、じてんしゃなルートだい!

 いつもその周辺とは明らかに一線を画してちょっとだけ天気が悪いミステリアスな多摩霊園。夜なんか雲一つないのに、走っているとここだけ雨がちらつくんだよ。もしかしたら僕の頭の上だけ降ってたりなんかして・・・・。おお怖い!とにかくここを通る時には必ず霊気を感じるんだ。
 それを過ぎると野川公園。坂道を下って西武多摩川線のガードをくぐり、今度は上り坂。この傾斜は国立から初台までのルートの中で最もきつい。やっと登り終わって、どんどん進み、ケンタッキーを過ぎるとホームセンターのJマートが見えてくる。ここまで自宅から約30分。これが35分かかると、ちょっと今日は遅いなと思って反省する。でも実際には信号のせいとかあって、必ずしもサボっているわけでもないんだけど、とにかくひとつの目安ではあるのだ。
 自転車に乗る時には、かなり時間に余裕を持って家を出るので、35分どころか45分や50分かかったからといって別にどうということはない。それなら心配しなければいいのに、35分以上かかるとそれだけで「駄目だなあ」と何故か自分自身を責めてしまう。こういうところがA型なのかなあ。

 Jマートを過ぎると「ヤマダさんコジマさん徹底対抗」という看板を掲げた電器屋がある。同じような看板を掲げた店がもっと先にもう一軒ある。でも経営者も違う全然別の店だ。それがやっぱり「ヤマダさんコジマさん徹底対抗」なのだ。不思議なことに、徹底対抗するのはいつもヤマダさんとコジマさんばかりで、ヨドバシさんやビックさんはない。何故なんだろう。ヨドバシさんやビックさんはビッグ過ぎて対抗出来ないということなのだろうか?実に謎だ!誰か教えて!
 反対側のドンキ・ホーテをやり過ごすと、みたか温泉、新鷹の湯の横を通る。ここを通る度に条件反射的に一度入ってみたいなと必ず思う。早めに仕事が終わった時の帰りにでも入ってみればいいのだが、どうも自転車と温泉というのは合わないみたいで、帰りはたいてい躊躇なく通り過ぎてしまう。どうしてなんだろう?自転車はスポーツ、温泉はレジャーという性格が強いからか。自転車に合うのはむしろプールの方だ。

 東八道路は突然終了する。まるで作業中のパソコンの電源コードに誰かが足をひっかけていきなりシャットダウンしてしまうように、久我山近辺で何の前触れもなく強制終了するのだ。そしてここから中央高速高井戸インター付近の側道に合流するまでは、僕にとって(恐らくすべてのドライバーにとっても)最も走りづらい一画に突入する。特に國學院大学付属幼稚園近辺のS字カーブのあたりが最悪だ。突然歩道がなくなり道路は極端に狭くなる。自転車で走っていると車がすれすれのところまで迫ってくる。
 その後、歩道は復活するのだが片側だけ。相変わらず車道は狭く、とても車道の方には危なくて出られず、片側しかない歩道に上り下りの歩行者と自転車が行き来するので、ややこしいことこの上ない。
 ここを抜けるとホッとする。特に歩道が右側になってしまう帰り道では、東八道路に辿り着くなり、いつも、
「ああ、今日も事故に遭わずに無事通り過ぎた」
と安堵の胸をなで下ろす。

 やい、行政よ!ここの道路をなんとかしろ!家なんかみんななぎ倒して東八道路を環八とつなげろ!さもなければ、せめて中央高速の側道までの道幅を広げて両側に歩道を作りなさい!

 今この原稿を書いていてふと思った。こんな風景描写、読んでいて誰か面白いのかな?この文章にリアリティ感じているの自分だけやんけ。あとはこの通り沿いに住んでいる人とか、新鷹の湯の常連ですという人とかくらいだな。本当はこの後、環八越して環七越して初台に向かう描写を延々と行おうと思っていたが、思い直してやめた。
 ひとつだけ・・・・・・甲州街道の一本北側の水道道路沿いの笹塚あたりにChiantiキャンティのレストランがある。ここはトスカーナ・ワインのキャンティと何かの形で提携しているのかどうか知らないけれど、自転車で来るとよくここでお昼を食べる。この店の日替わり生パスタがおいしい。それと・・・・・ええと、言っていいのかな・・・・・その時、仕事前なのに僕は必ず赤のキャンティをグラスで一杯だけ飲む。これがたったの二百円だけれどそれなりに量があり、とってもおいしい。僕がよっぽどおいしそうに飲んでいるのだろう。店員が来てよく、
「もう一杯いかがですか?」
と訊いてくる。僕は、はいと言いたいところだが、仕事前なので心を鬼にして、ちょっと間を置いてから、
「・・・・いいえ」
と言う。いつも迷う。パスタやトマトソースととても合うので、ええい、飲んじゃえ!とも思うのだが、やはり仕事ですから・・・・。

 とにかくそんな具合で、自転車通勤が楽しい今日この頃です。あ、そうそう、最近は水泳も復活しているんだ。やっぱり泳ぐとね、体が冷えるのと、アレルギーが塩素に微妙に反応していて声が鼻声になるんだけれど、毎日でなければなんとか大丈夫なので、たまに気分転換にプールに行く。
 クロールはしばらく中断していた間に下手になっていたけれど、平泳ぎは逆に上手になっていた。カーリングを腕が会得してきたらしい。すでに前進しているので、腕を真横に開いても、全体としては対角線上に水をかいている。それから一気に腕を閉じながら手を前に押し出す。この腕を閉じる時にもカーリングが生きる。平泳ぎはなんといってもキックの力に依存しているけれど、腕のかきも馬鹿にはならないし、手を前に出す時の水の抵抗を最小限に抑えることもとても大切なことだ。
 水泳の最大の欠点は、泳いだ後お腹が減って我慢出来ないことだ。それでつい食べ過ぎてしまう。お酒も飲んでしまう。それで痩せるどころかむしろ太る。食べてもお酒を飲まなければいいのだが、でも・・・お酒だけは絶対にやめられない。何回か試みたが・・・・お酒のない人生なんて夢も希望もないのだ。困ったねえ・・・・・。
 だから、ちょっと飲み過ぎた晩の次の日は、また東八道路を爽快に走る。そしてキャンティのレストランに寄って、生パスタと一緒にキャンティをグラスで・・・・あれれれ?いけませんな。もっと根本的に悔い改めなければいけない。Kyrie eleison !

傑作!ダンス・ダンス・ダンス
 先週「今日この頃」を書いていた頃は、まだ「ダンス・ダンス・ダンス」を真ん中くらいまでしか読んでいなかったが、その時に感じていた印象は読み終わった後でも変わらなかった。この小説は村上春樹の全作品の中でもベストの内に入る傑作だと思う。

 読んでいてなんとなく、他の小説とトーンが違うなあと漠然と感じていた印象は、今読んでいる「遠い太鼓」(講談社文庫)という紀行文で謎が解けた。村上氏は1986年から89年までの3年間、日本を離れてギリシャ、イタリアに長い旅に出ていた。「ノルウェイの森」と「ダンス・ダンス・ダンス」の二作は、その間に書かれたものだという。だから異国の匂いがするなどと短絡的に言うつもりはないけれど、少なくともある種の閉ざされた環境の中で集中的に書かれたという感じは伝わってくる。
「ダンス・ダンス・ダンス」は「羊をめぐる冒険」の続編のように思われているが、この二つの作品は続けて書かれたものでも、シリーズとして作られたものでもないということが、読み進む内に分かってきた。羊あるいは羊男というものは、自分探しのためのアイテムのようなもので、「ダンス・ダンス・ダンス」は独立した世界を持つひとつの作品である。

 この小説の後半のたたみかけていくような展開は見事のひとことにつきる。そして極めつけは「キキの夢」の項。小説の全ての要素はここに向かって流れ込み、ここから出て結末を迎える。

あなたを呼んでいたのはあなた自身なのよ
あなたが涙を流せないもののために私たちが涙を流し、あなたが声を上げることのできないもののために私たちが声を上げて泣くのよ
これらの言葉が、それまでの流れを追って来た読者の胸にググッと迫ってくる。まさに天才の成せる業!

 でも結末は、いつもの村上作品のように、読者の予想に反したというか、むしろ予感はしていたけれど、
「まさかそうなって終わるんじゃないでしょうね」
という、やや拍子抜けの感ありの終わり方だ。ま、それも村上作品の特徴。終わった感じがしないのは、むしろ意図的なのだろう。そもそも彼の作品は、ベートーヴェンの交響曲の終わり方のように大団円を迎えた末に、
「もう、絶対絶対これで完結!終了!」
というものではないことは周知の事実。もしかしたら村上氏は、どの作品も決して完結しないで、全ての作品を環(クライス)のように続けようと思っているのかも知れない。自分探しという意味において・・・・。

 とはいえ、「ダンス・ダンス・ダンス」の結末の独創的なところは、死というものへの限りなき接近を読者に味合わせた後で、生への回帰を感じさせて終わるところにあるな。孤独で狂おしい夜が去って、最初の暁の光が差し込んでくるような安堵感。我々の生は、こんなにも死と破滅に脅かされているけれど、同時に朝の来ない夜はないのだと、この小説は訴えているように感じられる。

「遠い太鼓」のローマの項に、「ダンス・ダンス・ダンス」を書き始めた時の記述があった。ちょっと引用したい。
この小説は始めから終わりまでだいたいすんなりと気持ち良く書けたと思う。(中略)隅から隅まで僕自身のスタイルの文章だし、登場してくる人物も『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』と共通している。だから久し振りに自分の庭に戻ってきたみたいで、すごく楽しかった。というか、書くという行為をこれほど素直に楽しんだことは、僕としても稀である。
なるほど、まさにそんな雰囲気が漂っている。だから読む方も安心してスッと入っていけるわけだね。とにかく僕は、「ダンス・ダンス・ダンス」をとても高く評価する。困ったな。村上作品をどんどん読んできたら、人生の楽しみがだんだん残り少なくなってきてしまった。あと傑作でまだ読んでいないのって何だ?まあ、みんな読んじゃったらまた最初から何度も読み直せばいいのだけれどね。

遠い太鼓と、ああイタリア!
 その話題の紀行文「遠い太鼓」であるが、めちゃめちゃ面白い。面白いという意味では、これまで読んだどの村上春樹の文章よりも面白い。小説と違って文章がリラックスしていて自由だし、ユーモアに溢れている。ギリシャ、イタリアという国のハチャメチャぶりが赤裸々に表現されていて、電車の中で読んでいても、
「あはははははは!」
と声を出して笑ってしまいたい箇所満載だ。見栄っ張りでプライドの高い人なら決して書けないような数々の失敗談が、何のてらいもなくさらっと客観的に、時には自嘲的、自虐的に綴られている。それでいて村上氏のものごとを見る眼の鋭さに舌を巻く。
 たとえば、ギリシャの猫や犬の生態とか、普通の紀行文で誰がこんなこと書くかと思うようなことを、村上氏は実に細かく描写する。そこに、それぞれの土地柄の持ついいようのない香りのようなものが立ち上がってくるのを僕は感じる。そういう意味では、猫や犬もそれぞれの地域の立派な主役なのだ。

 村上氏は、あんな女たらしの主人公ばかり出てくる小説を書いているくせに案外愛妻家で(失礼!)、この長い外国旅行も奥さんと一緒に行った。その奥さんとのやりとりが興味深い。あんな天才作家でも、奥さんとの関係は僕と妻とのそれとそっくりなのだ。そしてそれを臆面もなく文章にしている。

女性は怒りたいことがあるから怒るのではなくて、怒りたいから怒っているのだ。そして怒りたいときにちゃんと怒らせておかないと、先にいってもっとひどいことになるのだ。
これは名言だ。とても参考になるので、額に入れて飾っておきたいくらいだ。この文章を読んでいたら、村上氏が奥さんを愛していて、とてもやさしい人なのだというのが感じられて、なんとなくジーンとなってしまった。

 僕は、来年自分が行こうとしているイタリアに村上氏がかつて住んでいたということに興味を持ち、この本を買った。この本は旅行ガイドのような良いことずくめの紹介文の正反対の本である。でも、ここに書いてあるような馬鹿馬鹿しいほど悲惨な事件の数々は本当に起こり得ることばかりで、教訓としてはとても大切なことが書いてある。
 もし皆さんの誰かがギリシャやイタリアに行くとしたなら、どのガイドブックより先に読むことをお薦めする。もしかしたら怖くていけなくなるかも知れないけれど・・・・。

 イタリアは、これまでに二度ほど行ったが、一度目は、なんでこんないい加減な国があるのだと腹が立った。でも二度目は、それを承知で行ったので結構エンジョイ出来た。ものごとは全てをプラス思考に変え、どんなネガティブなことでもエンジョイすることに転換するべきだと、イタリアから学んだのだよ。

 村上氏は、航空券のトラブルを、GNTOすなわちギリシャ政府観光局のスタッフが一生懸命解決しようとしてくれたことを褒めて、
「もしギリシャで困ったことがあったらとにかくGNTOに行くべきである」
と書くが、すぐその後で、
「もしイタリアで困った目にあったらあっさり諦めるのが利口である。イタリアで一度手元を離れた金は二百年経っても絶対に返ってこないし、たとえ五百年待ってもイタリアの役所は有効に機能しないから」
とまでまくしたてる。何もここまで言わなくてもと思うでしょう。でもイタリアの場合、これは事実である。

 僕たちの場合だっていろいろあった。ローマのテルミニ駅の一番信用がおけそうな両替所で、両替した札が一枚足りないような気がした。領収書もくれない。あきらめて行こうとしたが、
「まてよ、ひょっとして・・・」
と思い、
「あのう・・・・」
と窓口のおじさんに言おうとしたら、
「これですね。はい!」
と残りの一枚と領収書をすかさず渡す。要するにこのおじさん、ネコババしようとしていたわけだ。で、何か言ってきたら即出せるようにお金と領収書を用意しておくけれど、相手があきらめたらシメシメというわけだ。罪の意識なんてない。ただのゲーム感覚。

 ローマからナポリ行きの電車が二時間も遅れて、
「いつ出るんだ!」
と駅員に訊いても、
「さあ、神のみぞ知る」
と平気で答えるような国だからね。そこに神が出てくるかよ、と怒ってしまってはこっちの負けである。

 それでも実に魅力的な国。それがイタリアである。ああ、早く行きたいなあ!今、イタリア語の勉強も楽しくて仕方がない。キャンティもうまいし、完全にイタリアかぶれ。

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© HIROFUMI MISAWA