ヤンソンスのマーラー

三澤洋史 

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FM解説によってギリギリ生活突入
 のんびり村上春樹の小説なんか読んでいる時期がいきなり終わりを告げてしまった。これから年末まで・・・・いやいくつかの仕事が後回しになるから、年を越しても順々に繰り越していって、恐らくイタリアに向けて出発するまでと言ってもいいだろうな・・・・余裕のないギリギリ生活が続くことが予想される。理由は、毎年の年末恒例であるNHK FMバイロイト音楽祭の全演目放送の解説を引き受けてしまったことによる。

 放送局というところは、どうしてこういつもギリギリに仕事を頼んでくるのだろう。新国立劇場のオペラの演目なんか、外人キャストのスケジュールを確保する必要から、3年前からだいたい決まっているというのに、NHKったら、今年の12月末の放送なのに今頃発注だよ!しかも、収録は12月前半に終えてしまいたいだって!まあ、もしかしたら他の人に発注をかけたものの、みんな断られて、
「しょうがないから気が進まないけれど三澤のところにでも頼むか」
ということで僕の所に舞い込んで来た可能性もあるな。
 でも、そんなこと言ってみても始まらない。とにかく僕の所に来たんだから、ありがたく思わないといけない。仕事というものはそういうものである。ここの店でお菓子を買おうと思って行ったら、定休日だったので仕方なく別の店に行ってみたら案外おいしかったので、最初の店はやめて次の店に行くようになったということはいくらでもあるのだ。結果のみが全て。三澤さんに頼んでよかったということになればいいのだ。

 それにしても、この年末は忙しいのだよ(まあ、毎年なんだけど)。
「えー!ちょっと即答は出来ません。何故なら通常の新国立劇場の業務に加えて、今進行中の編曲の仕事があり、本番もいくつか抱えているので、それらを整理出来るのか考える時間を下さい!」
その時はお断りしようかと思っていた。でも担当者はこう付け加えた。
「ホームページを見ましたら、今年の夏、バイロイトに行かれてゲネプロを御覧になったということですよね」
 なあるほど、それで依頼してきたわけか。Cafe MDRは自分で勝手にやっているものだろう。「今日この頃」で毎週これだけの分量の原稿を書いたところで、原稿料が入ってくるどころか運営にむしろお金がかかるから、経済効果は望むべくもないと思っていた。でも続けていると、巡り巡ってこういう風に仕事が来たりするのだ。役に立つこともあるのだね。やっててよかった。
 それですっかり気をよくした僕は、その日の即答は避けたものの、次の日にもうメールで、
「お受けします!」
と返事を書いてしまった。なんて現金でしょう!

 さあて、そうは言っても、気をよくしても忙しいことには変わりはない。東京バロック・スコラーズの「クリスマス・オラトリオ」や、コール・アカデミー定期演奏会、浜松バッハ研究会演奏会、それに新国立劇場では「トリスタンとイゾルデ」の練習や読売日本交響楽団の第九演奏会やらなんやら、うわあーーーー!その間を縫って、解説のための原稿を作らなくてはならない。できるかなあ・・・・。
 もう!もっと早く分かっていたら、夏にバイロイトに行ってゲネプロを見た時に、もっと丁寧に演奏や歌手達の印象を書き留めておけばよかった。あの時は半分遊び気分で行ったので、「今日この頃」の原稿もかなり大雑把だったし、第一、あまり時間が経ってないのに、もうかなり忘れているのだ。
 それでも・・・・ちょっと感慨深いものがある。今年の夏は7年目にして初めて再びバイロイトの地を踏み、そして同じく7年目に年末のバイロイトの放送に出演する。自分がワグネリアンであることを自覚するためにも、世間に訴えるためにも、無理してでもこの仕事はきちんとやり遂げなくてはならない。

 返事のメールを書いたら、次の日に宅急便で資料がどっさり届いた。依頼は遅いくせに決まったらやることは早いね。全演目分のCDだ。これを聴くだけでも大変じゃないの。いいかい、普通に考えて、「ニーベルングの指環」4部作と「ローエングリン」と「マイスタージンガー」と「パルジファル」の合計7演目を全曲聴くだけでも大変でしょう。しかもそれからしかるべく原稿を作ってしゃべらなくてはいけないんだ。
 まず聴くだけだって、一体この多忙なるスケジュールの間を縫ってどうやって時間を捻出するのだ。確かにゲネプロは聴いているよ。だから予想出来るところは飛ばしてもいいかも知れない・・・・うーん・・・・・でもね・・・ゲネプロと本番とはまた違うんだ・・・・・結局ほぼ全曲を聴いてからコメントを考える必要があるな。誠意をもって仕事をするならばね・・・・やっぱし・・・・。
 実際に放送中にコメントをする時間は決して多くはない。だが、ひとことを言うために費やされる時間は膨大なのだ。分かるう?全国のワグネリアンの前で発言するわけだ。適当なこと言って誤魔化すわけにはいかないんだ。ラジオだから演出のことにはあまり触れなくていいが、演奏に関して言うと、逆に言いたいことがどんどん出てくるような気がする。作品についてだって語りたいことは山ほどあるさ。

 そういうわけで、これから収録までの「今日この頃」は、なんとかお休みしないよう努力しますが、原稿作りでギリギリ切羽詰まった場合、内容的に短くなることも予想されます。でもみなさん是非応援して下さいね。ちなみに放送は、

12月24日(金)ラインの黄金
12月25日(土)ワルキューレ
12月26日(日)ジークフリート
12月27日(月)神々の黄昏
12月28日(火)ローエングリン
12月29日(水)ニュルンベルグのマイスタージンガー
12月30日(木)パルジファル
となる予定。放送時間は夜だけれど、詳細はまだ未定だということです。

 この放送を、
「ああ、大変だったけど、なんとかやり遂げたな!」
と、穏やかに聴くことが果たして出来るのでしょうか・・・・・・・・。

ヤンソンスのマーラー
 マリス・ヤンソンス氏は独特の眼光と表情を持っている。顔をしかめるとくしゃくしゃっとなって恐ろしい表情となる。戻ると普通の顔。こんな顔の描写がどこかにあったな。あっ、そうだ村上春樹の1Q84の青豆の顔だ!

ところが何かがあって顔をしかめると、青豆のクールな顔立ちは、劇的なまでに一変した。顔の筋肉が思い思いの方向に力強くひきつり、造作の左右のいびつさが極端なまでに強調され、あちこちに深いしわが寄り、目が素早く奥にひっこみ、鼻と口が暴力的に歪み、顎がよじれ、唇がまくれあがって白い大きな歯がむき出しになった。そしてまるでとめていた紐が切れて仮面がはがれ落ちたみたいに、彼女はあっという間にまったくの別人になった。それを目にした相手は、そのすさまじい変容ぶりに肝を潰した。
この文章を読んだ時は、なかなかイメージがつかめなくて、本当にこんな人いるんかいなと思ったけれど、まさにヤンソンス氏は青豆的なのだ。

「合唱指揮者の三澤といいます。Nice to meet you!」
という僕の挨拶をさえぎるように、
「合唱団は何語で話すのがいいんだい?英語、ドイツ語?」
と言う。挨拶を中断するなんて、一般的な常識から言うと失礼な人間ということだが、こういうタイプは指揮者には珍しくないので、特に腹は立たない。
「英語ならば大部分の団員にはダイレクトに伝わります。ドイツ語の場合は、私が・・・・」
「どっちみち通訳がいるんだ。彼女は英語でもドイツ語でもどちらでも通訳出来る」
と言って通訳の女性を紹介してくれた。おい!通訳がいるんじゃどちらでも同じじゃないか。でも、自分の言葉をダイレクトに理解出来る人が一人でも多くいて、さらにきちんと伝わるようにと判断したのだろう。結局、英語で話してさらに通訳を入れることになった。彼はドイツ語の方が得意みたいに見えたけれど・・・・とにかく慎重な人なんだな。
と考えている間もなく、再び唐突に訊く。
「第1楽章から合唱を入れること出来る?」
「女声合唱の方は大丈夫です。でも、少年合唱は・・・・担当者に訊いて下さい」
 そのつっけんどんなものの言い方、なんとかなんねえかな。マーラの第3交響曲は第1楽章だけで30分以上ある。それから第2楽章が10分、第3楽章が15分・・・・全部で第6楽章まであって100分もかかる大曲だ。それでも、もし僕が指揮者だったとしても、集中力を欠かないために第1楽章から入れたいと思うだろう。 
 うーん、少年合唱はどうかなあ・・・・。寝てしまうかもしれないし、おしっこしたくなってしまうかも知れない。案の定、少年合唱の先生は駄目とは言わないけれど嬉しそうな顔はしなかった。せめて第1楽章の後から入れることが出来ればという感じだ。僕もその気持ちは充分に分かる。少年合唱だけスルリと第1楽章後というのもアリかもと考えていたら、ヤンソンス氏は、
「本番の会場に行ってから決定する。すみやかに入場できるかどうか・・・・会場次第だ。でもそこで決定したら、その決定に従って欲しい!」
と言った。ゴリ押しするのではなく柔軟さも見せる。

 こんな風に、第一印象のヤンソンス氏は、ちょっととっつきにくい人だった。最初はピアノによるマエストロ稽古。ピアノは僕のアシスタントである冨平恭平(とみひら きょうへい)君が弾いた。
「ピアノは私のアシスタントの、とみひらきょ・・・・」
ヤンソンス氏は唐突に練習を始める。まるで僕の言葉を最初から聞いていないかのように・・・・・。もう!人の話を最後まで聞いて欲しいよ。
 若い冨平君は、ヤンソンス氏の指揮でピアノを弾くと思っただけで舞い上がってかなり緊張していたが、上手にマエストロにつけて弾くことが出来た。彼は芸大指揮科を出たれっきとした指揮者だから、通常のピアニストより指揮を見ることが出来るが、ヤンソンス氏の場合、初めての人には決して分かり易い棒ではない。

 たかが5分くらいのマーラー作曲交響曲第3番第5楽章なのに、マエストロはたっぷり50分くらいかけて練習した。指示はかなり細かい。でも、
「うん、いいんじゃない。はい、おしまい!」
というおざなりのものではなく、きちんと作品にも僕たちにも向かい合って、自分の音楽に出来るだけ近づけようとする真摯な態度に僕は心を打たれた。
 合唱は新国立合唱団。少年合唱はTokyo FM少年合唱団。手前味噌だけれど、現在我が国で聴ける最高のコンビネーションが、マリス・ヤンソンス指揮、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団とコラボレーションする。みんなヤンソンス氏の意図を理解して、良い感じに仕上がってきたよ。
 休憩をはさんでいよいよオケとの合わせとなった。チューニングから音色が違う。これだけで超一流のオケであることが分かる。アムステルダムだから北欧の厳しい気質のオケなのかなと思っていたら、僕たちやアルトソロの歌手が紹介された時に歓声を上げたり、マエストロの言ったことに誰かが反応して何かを言い、それにみんなが笑ったりと、かなり明るく和気藹々と練習が進んでゆく。ヤンソンス氏ともうまくいっているのだろう。
 もう練習もきっちり積んでいるし、本番も何度もやっているだろうに、ヤンソンス氏は、第5楽章だけでなく、他の楽章も練習時間ギリギリまできちんと練習をつけている。この人、決して器用な人ではないが、音楽に対してとても誠実なんだ。こういう人だから楽員もついていくし、感動的なマーラーが奏でられるのだろう。僕は練習の間にヤンソンス氏のことをとても好きになった。

11月21日の日曜日
 今日は新国立劇場では14:00から「アンドレア・シェニエ」の公演。一方、川崎ミューザでは16:00からマーラーのゲネプロ、そして18:00から公演。僕は一度新国立劇場に入り、「アンドレア・シェニエ」の第1幕だけ見届けてから川崎に向かう。今日は「アンドレア・シェニエ」のカーテンコールには出られない。

 昨日即答を避けたものの、今日行ってみたら、もう全く当然のごとく第1楽章入りとなっている。疑問をはさむ余地もない。ヤンソンス氏に悪意があるわけではない。でも本当は昨日の時点で、第1楽章入りは彼の中ですでに決定していたのだろう。まあ、こういうことも予想した通り。ある意味、指揮者には必要な処置なのかも知れないな。角が立たず、しかも自分の意見を通すための・・・・。

 そして本番。僕は客席で聴いていたが、まさに身震いするような名演であった。僕は久し振りにコンサートで泣いた。特に第4楽章のアルト・ソロから第5楽章の合唱の「朝の音楽」にアタッカーで入り、さらに終楽章の深い賛歌に入り込んでいくところの流れが良くて、終楽章のメロディーが始まったところで胸に込み上げるものがあった。
 ヤンソンス氏の音楽作りは誠実そのもの。それをオケもよく汲み取って丁寧に音楽を奏でる。僕は元来、マーラーの全ての交響曲の中でもこの第3番が一番好きだが、今日またその想いを強くした。しかしながら、この交響曲についている、「パン(牧神)の目覚めと夏の到来」とか、「動物達が私に語ること」とかの表題にこだわるべきではないということを今回初めて感じた。
 たとえば第1楽章は別に夏にこだわる必要は全くない。あの、ブラームスの第1交響曲終楽章のパクリのメロディーが終わった後の音楽などは、「悲劇的」と名乗ってもいい感じだし、第3楽章は、何も動物が語らなくても「パック(妖精)達の戯れ」でもいいし、あるいはその時々によって「惑星の冒険」と名付けてもいい。ポストホルンのくだりなどは、「アルプスの朝」でも逆に「アルプスの夕暮れ」でもどちらでもいい。あるいは「魂のふるさと」でもいい。聴衆の自由なファンタジーを表題で限定してしまわない方がいいのだ。
 それよりも、もっと大切なこととして、この交響曲にはマーラーの人生観の全てが詰まっているという事実が挙げられる。演奏を聴きながら僕は思っていた。人生は生きるに値するものであり、全ての労苦はいつか報われるものであり、我々が人生でつかんだ様々なものは決して無駄にはならない。神はれっきとして天にいまし、全てのこの世の有様を慈愛の眼でもって見守っている。草原の花々も、森の動物達も、みんなみんな生きることを是認し、そして・・・・いや・・・しかるに・・・・人類は・・・・深き罪の深淵と苦悩の中に沈んでいる。だが、人類は、それでも・・・・愛されている・・・・深く深く・・・・無限に愛されている。全ての罪は赦されている。我々の内、ひとりも見捨てられる者はいないのだ・・・・。

 僕は、自分が合唱指揮者としてこの演奏会に関わっているということを忘れて、マーラーの世界観と、それに共鳴し再創造するヤンソンス氏の音楽に惹かれていき、心動かされてゆき、そして陶酔し熱狂した。ああ、音楽をやっていてよかったなと、またあらためて思った。

 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団は、また一段とうまくなったなあ。今は、ベルリン・フィルがなんとなくグズグズしているので、下手するとこのオケあたりに世界一の座を受け渡すことになるんじゃないか。ただ、たとえば弦楽器などは、音程など揃っているという点では抜群なのだけれど、ちょっと大人しい感じもする。
 木管楽器は面白い。フルートは僕の大好きな音色と吹き方。端正という言葉がぴったりの清潔なプレイ。オーボエの音色は独特だ。ちょっとウィーン・フィルに似てチャルメラっぽい。クラリネットは、音色だけ聴く限りドイツっぽい。トロンボーンがソロを取っている時に軽くビブラートがついているのがウケた。アンサンブル能力は抜群!

 オケの団員の一人が僕の所にわざわざ来て、こう言ってくれた。
「今回の合唱は、これまで自分たちが行ったどの合唱団よりも素晴らしい。ニューヨークよりも素晴らしい。ドイツ語も明瞭で驚いた。それをひとこと言いたかったんだ!」
 とっても嬉しかったよ。僕たちは誉められるためだけに音楽をやっているわけではないけれど、それでも誉められれば嬉しいさ!
 ひとつ誇りなのは、新国立劇場合唱団とTokyo FM少年合唱団の響きがしっかりとコンセルトヘボウ管弦楽団の響きに溶けあっていたこと。どんなに上手に演奏しても、とってつけたように違和感があったら仕方ないからね。この交響曲では全ての要素が一体となっていなければならないんだ。

初期の村上作品
 村上春樹氏が紀行文である「遠い太鼓」の中で、「ダンス・ダンス・ダンス」のことを、初期の「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」の延長線上にあるみたいに書いてあったので、その三つの中で唯一読んでいなかった「1973年のピンボール」(講談社文庫)を読んでみた。でも村上氏本人の言っていることとは違って、僕は「1973年のピンボール」は、「ダンス・ダンス・ダンス」とは随分違うなと思った。

 はっきりいって処女作品「風の歌を聴け」と「1973年のピンボール」は、いかにも若い作品という感じがする。村上春樹がこの二つの作品を持って文壇に登場した頃は、恐らく読者の中には、同じ村上である村上龍と区別つかない人や、この二人をひとくくりにしようと思った人がいたのではないかと思う。
 経済的に不自由なく、若い男性の大部分が狂おしく渇望している“女”を、いともたやすく手に入れ、それでいてとりたててのめり込む風でもない草食系シティボーイという主人公設定。ストーリーの中に流れる都会的憂愁やそこはかとない不確定性。それが、デビュー当時の村上氏のウリであったのだろう。彼のこの頃の作品には、まだ後の作品群に見られるようなスピリチュアな要素が花開いておらず、その辺が村上龍とまだ一緒くたに出来てしまう理由だ。

 文章は抜群にうまい。いや、うますぎる。悪く言えば作為的な文章。それが逆に若さを感じさせる。まるでコンクールに出場する若いオペラ歌手が、自分の長所を全てさらけだそうとするようだ。最近の村上氏の文章が、難しい言葉を何も使わず、誰でも書けそうで決して誰にも書けない文章を書くのとまさに正反対である。
 それと、文章表現や登場する音楽や様々なアイテムのバタ臭い部分が、まだ絵に描いたようなバタ臭さに留まっている。谷崎潤一郎などの文学が演歌だとしたら、村上春樹文学はアメリカン・ポップスやジャズの雰囲気を持って文壇に登場したわけだが、その外国っぽさが、まだ本物にはなっていないのだ。これは良い悪いの問題ではないのだけれどね。
 たとえば外国語に翻訳された村上文学を外国人が読んだ場合、初期文学においては、彼等はそのバタ臭い部分をまさか自分たちの文化にカブれて書いた文章だと気が付かず、むしろ単に“現代の若者の日本文化”と勘違いされる恐れがある。
 それは、昔ソーセージと言えばそれしかなかった魚肉ソーセージを食べたドイツ人が、これをソーセージだと認識しないように・・・・あるいは、日本のカレー・ライスを食べたインド人が、
「これはおいしい料理ですね。ところで一体なんていう料理ですか?」
とたずねるような、かつての我々日本人のハイカラ感覚と、欧米人のリアリティとの距離を僕は初期の村上文学に感じるのだ。

 ところが、後期になるに従って、村上文学におけるソーセージは粗挽きになり、カレーはインド料理屋のそれになっていって、それを味わった外国人が、
「ああ、これは自分たちの文化をイミテイトしているんだな」
と自覚してくれるようになる。その変化のきっかけは、どうも村上氏の長いギリシャ、イタリア旅行と、さらにアメリカ滞在にあるような気がする。これらの経験を通して、村上氏のバタ臭さは本物のバタ臭さになり、村上氏の外国カブれは、だんだんカブれを超えて本物のインターナショナルな感性に変貌していったような気がする。長い間ドイツに住んでいた日本人歌手の歌が、どこがどうということではなくなんとなくドイツっぽくなるように。

 だから僕は「ダンス・ダンス・ダンス」以降の村上作品には、それまでの作品と全然違う風を感じるわけだ。それとスピリチュアルな部分が格段に広がり、まさに本当の意味でのコスモポリタンな村上ワールドが花開くわけなのだ。
 初期の作品群が悪いともつまらないとも思わない。でも、村上氏ほどその過程において見事な変貌を遂げていった作家は少ない。多くの作家は、デビュー作のレベルからの上昇線がもっとなだらかだ。たいていはデビュー作の衝撃の余波でメシを食っているとも言えるし、それどころかデビュー作が一番良いと評価されている作家だって少なくないではないか。

 彼の主要作品のほとんどを読破してしまった今、あらためて思う。村上春樹氏ほど興味深い人間は少ない。単なる一人の作家としてではなく、僕は人間として彼を尊敬するし、これからもずっと注目していこうと思う。その内、時間がある時に(あるのかなそんな時)、いつかまとめて村上春樹論を書いてみたいと思っている今日この頃です。



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