愛の死~この究極的なカタルシス

三澤洋史 

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「トリスタンとイゾルデ」第3幕
 前奏曲が始まると同時に舞台上には真っ赤な月が浮かび上がる。舞台前面には、荒れ果てた岩場の風景。そこにクルヴェナールとトリスタンがいる。この前奏曲に漂う寂寥感は、ワーグナーのあらゆる音楽の中でも特別だ。
 イングリッシュ・ホルンの無伴奏のメロディーが舞台裏から聞こえてくる。考えて見ると、第1幕冒頭のテノールの船乗りの歌も無伴奏。ワーグナーはこの作品で機能和声法の究極的な姿を見せたが、同時に和声のない無伴奏の単旋律が持つ名状しがたい効果をも追求している。これこそまさに天才の証し!
 このイングリッシュ・ホルンのメロディーが持つもの悲しい雰囲気は、第3幕前半を支配している。それはトリスタンの幼い日の記憶や、愛する者と離れている孤独感・・・・それは人間が根本的に持っている本質的な孤独感なのだが・・・・の表現となって、僕たちの心を奥底から揺さぶる。

 トリスタンの長い独白を聴いていながらいろいろなことを思う。彼はイゾルデと二人で毒薬を飲んで死ぬと思った。ところが、それは毒薬ではなく愛の媚薬だったので、死ぬことが出来ずにその苦しみが延々と続いているのだと嘆いている。そうすると、あの時死んでいた方が良かったというのか?
「あこがれて・・・そして・・・死ぬのだ。いや、違う!あこがれるのだ!死につつもあこがれるのだ!」
 いつも思うんだな。「タンホイザー」もそうなんだけど、愛慾というものがワーグナーにとってはとても辛い重荷なんだ。ヴェーヌスにあまりにも強く惹きつけられてしまう故に、理性ではエリーザベトに惹かれていても、自分の意志までがゆがめられて誤った道を歩んでしまう。そこにワーグナーは人生の不条理を感じるわけだ。
「分かっちゃいるけどやめられない!」
というわけだ。
 ワーグナーの人生を見てもそんな気がするな。でも、それでいながら、たとえば彼が、彼の人生において、美しい人妻マチルデ・ヴェーゼンドンクと遭わない方が良かったのかと問われれば、そうだとも言えないだろう。
 だからトリスタンも、あの時死んでいればこんなに苦しむことはないと言いながら、死んでいた方がいいとは思っていないのだ。でも今はただイゾルデに逢うことだけが、この苦悩を逃れる唯一の方法であり、それ以外には何も考えられなくなっている。まるで麻薬中毒のような隷属的な状態。愛欲に溺れなければ、振り子が静止した状態のようだが、イゾルデと恋に堕ちることによって、振り子は両側に大きく振れる。爆発的な歓喜から救いようのない絶望まで、あらゆる感情を最大限の振幅で舐め尽くさなければならないのだ。それも生きている証(あかし)ということか・・・。

 ラッパが鳴る。イゾルデがやって来る!待ち望んだ喜びの時。しかしながら、ここでトリスタンは不可解な行動をとる。彼は自らの包帯を引きちぎり、体から血を噴き出させ、自らを死に導くのだ。せっかくイゾルデが彼のもとに帰ってきたというのに・・・何故?
 それは、人間の中に潜在的に潜んでいる破滅願望なのかも知れないな。ほら、みんなも思わないかい?今の生活には満足しているけど、そんな自分をめちゃめちゃに壊してしまうほどの女性に巡り会いたいとか、そんな女性にめちゃめちゃに振り回されてしまうほど、のめり込んで破滅的な行動をしてしまいたいとか・・・・。いや、僕は別に思ってませんよ。あくまで一般論として言っているだけですけどね。
 つまりマノン・レスコーのようなファム・ファタールfemme fatale(宿命的な女)というやつです。そういえばね、今週から「マノン・レスコー」の合唱練習が始まるんだ。「トリスタンとイゾルデ」と「マノン・レスコー」は、物語の運びは違うけれど、ある意味似ているのだ。
 そんな時の人間は、まるで集団で次から次へと水の中に入っていって命を失う動物のように、破滅に向かって一方的な行進を始めてしまう。そうなると誰も止められない。また、それをしない人間でも、その願望を水面下に持っている。人間って、そんな恐ろしい存在なんだ。

愛の死~この究極的なカタルシス
 こうして「トリスタンとイゾルデ」の第3幕は、登場人物が皆、死と破滅と衰退に向かって決して後戻りしない道を一方的に進んでいく。そして、その最後にあの「イゾルデの愛の死Liebestod」が来る。
 今回のデイヴィッド・マクヴィカーの演出は、水とその上に浮かび上がる月、あるいは火と・・・・自然のものをうまく使って、暗示的で幻想的な舞台を作り出している。その中でも特筆すべきはラスト・シーンだ。

 イゾルデはいまわの際のトリスタンのところに駆けつける。彼女がはおっている黒いマントと思われたものは、実は長い深紅のドレスの裾(すそ)の裏地で、それを彼女が地面に投げ出して赤い面を出し、前に進むことによって、彼女の後ろに深紅の長い裾が広がる。「愛の死」を歌い終わり、後奏になると彼女はその裾を引きずりながら静かに舞台後方に歩いて行く。
 一方、赤い月は、第1幕前奏曲の冒頭で登った下手側に静かに沈んで行く。照明が絞られていき、あたりは暗闇となるが、イゾルデのドレスと次第に沈んで行く月だけが赤く浮かび上がる。それもゆっくりと絞られて行く。月が沈む。音楽がやむ。まだ数秒赤いドレスがかすかに残る。そして完全なる闇・・・・・。

 「イゾルデの愛の死」を聴きながらいつも思う。これほどの深い苦悩と絶望のさなかに響き渡るこの音楽の中には、しかしながら、どの楽劇にもない究極のカタルシスがある。僕には、それはキリスト教とは全くかけ離れた・・・そうだな・・・一番近い言葉を使えば・・・ニルヴァーナ(涅槃)の音楽に聞こえる。解脱と言ってもいい。ベートーヴェンは「苦悩を通しての歓喜」と歌ったが、ワーグナーが表現したのは「苦悩を通しての解脱」か。解脱は、歓喜よりもずっと深くて悠大だ。

大野和士
 大野和士さんの音楽作りは素晴らしいな。彼は文句なしに第一級のオペラ指揮者に成長した。このことを、僕は昔からよく知っている友人として誰よりも喜んでいるよ。ヨーロッパの劇場における長い経験が彼のオペラへの知識を揺るぎないものにしたのだ。
 オペラでは、通常のコンサートでは考えられないような様々な事が起きるが、その全ての局面において、僕が見ている限り、彼は常に適切な処置を施すことが出来る。加えて、彼の指揮のテクニックにもますます磨きがかかっている。
 以前「今日この頃」でも触れた通り、棒の先がブルブルと震えたり、前にも書いたようにわざと分からないように振っているが、必要な時には必要に応じて実にクリアーに指示を出す。そのタイミングが絶妙だ。うーん、恐れ入りやした。

僕の年末年始
 12月29日の東京バロック・スコラーズの練習後、忘年会に出てそのまま群馬に帰るはずだったが、忘年会で話が盛り上がって遅くなってしまったし、ピアノ伴奏をしている長女の志保も忘年会にいたので、一緒に国立の家に戻ってきてしまった。
 そこで30日に妻と志保の3人で帰郷。いつもは妻の運転で僕が助手に座るのだが、免許取り立ての志保が高速道路デビューするというので、妻が指導教官となって助手席に座り、僕は後部座席に座る。今は圏央道が中央高速までつながっているので、家からすぐの国立インターから中央道に乗れば、圏央道を通って関越自動車道に出て藤岡インターまでほとんど高速道路のみで群馬宅まで行ってしまう。とても便利だ。
 ところが、やや寝不足気味のところにもってきて、新米の志保の運転もさることながら、隣で細かい指示を出す(叱責する)妻の声のお陰で、なんとなく緊張しっぱなしで、いつもの倍くらい疲れた。

日本的しきたりと僕
 群馬宅に帰ると、お袋が松市(まついち)で仕入れた飾り松と、神社でもらってきた御札(おふだ)がすでに用意されていた。まず僕の仕事は神棚を掃除すること。それから神棚の中にある小さな社(やしろ)の中に新しい御札を入れる。そして今度は飾り松だ。カナヅチと釘を持って神棚や玄関口、屋敷神様、台所などに飾り松を取り付ける。玄関には専用の台があるのでそこに松を釘で打ち付け、藁で作られたお飾りをかける。僕の親父は大工だったから、こうした行事を昔からとても厳格に守っていた。それを僕も踏襲しているというわけ。
 昔、カトリック教会で洗礼を受けた二十歳(はたち)の頃は、こうしたしきたりをナンセンスだと感じた時期があり、両親をかなり不安にさせた。でも、歳を取ってくると共に、これはこれで大切なことなんだなと思えるようになってきた。まあ、人間がいい加減になってきて、あまりこだわらなくなったとも言える。
 でもね、元来キリスト教の唯一の欠点は他の宗教に対する不寛容にあったと思うけれど、ヨハネス・パウロ二世以降は、カトリック教会でも他の宗教に対してかなり心を開いており、対話を繰り返している。一方、現代の日本は、信心を失っている故に様々な社会的問題が巷に溢れている。問題は何教を信じるかということよりも、信仰心自体が社会から失われてしまったことにある。
 いまさら僕は、日本国民全体をキリスト教に導こうとは思わないし、思ったって無理だと思う。それよりも、何も信じないよりは、こうした行事を行うことによって、人知を超えたものに心を向けるようになれば、人はもう少し自分を律するようになるであろうし、社会はもう少し健全になるのではないか。僕自身、神棚を掃除しているだけで、なんとなく厳粛な気持ちになるのだからね。

お袋の身の回り
 現在の群馬宅の様子を簡単に説明しておく。以前「今日この頃」でも書いたけれど、昨年の4月、僕のすぐ上の姉である郁ちゃんの夫である久雄さんが心筋梗塞で急死した。栃木県佐野市の実家ににある郁ちゃんの嫁入り先では、すでに三人の子供達は全員家を出ている。郁ちゃんは、義理のお母さんと二人きりになってしまったが、すぐ近くに住んでいる久雄さんの弟さんがお母さんの面倒を見るということで、昨年の夏から郁ちゃんは群馬の三澤宅に戻ってきたのだ。
 それは僕にとっても一安心なのだ。僕の親父が死んでからお袋は一人暮らしをしていたから、何かお袋の身に起こったら、長男の僕にはすぐにでも面倒を見に行かなければならない責任があった。でもまだ国立の家を引き払って群馬に落ち着くには忙し過ぎる。どうしようかなあと思っていたところに、郁ちゃんがお袋と暮らしてくれるようになったわけだ。

 しかし予想していないことも起こる。郁ちゃんの子供達は、それまで折ある毎にごく当たり前のように佐野の実家に里帰りしていたわけだけれど、里帰り先が群馬の僕の実家になった。30歳になる長男の敦夫君はまだ独身なので、学生時代の時の僕のようにしょっちゅう洗濯物を持って郁ちゃんのところに里帰りする。僕が時々新町歌劇団の練習で群馬に行くと、敦夫君がよく居る。
 最初は、
「おっと、そういうことになるのか・・・・」
と、ちょっととまどったし、お袋も僕のことを気遣ったりして、
「他人が居るようで落ち着かないかね?」
と訊いてきたりしたが、元来僕はそんなことを気にする性格ではないし、その状態にはすぐ慣れた。
 今はむしろ、長男の敦夫君にも、長女の貴子ちゃんと次女の知美ちゃんにも、遠慮しないで、いつでも自由に郁ちゃんのところに里帰り出来るようであって欲しいと思っている。

苗場にスキーに行きました!
 その親愛の情を形にしようなんて大げさなものでもないのだが、松飾りも無事に終えて、後は新年を迎えるだけになった31日の大晦日に、敦夫君の車で志保と僕の三人で苗場にスキーに行った。
 僕とするとNHKのバイロイト2010の放送が無事終わったご褒美でもある。って、ゆーか、苗場は車がないととても不便なスキー場なので、むしろうまく敦夫君をそそのかして車を出させたと言った方がいい。
 実は、群馬の実家から苗場までは、車さえあればかなり近い。サービスエリアに寄らなければ一時間半くらいで着く。関越自動車道の月夜野インターで降りて、山道をトコトコ行って湯宿温泉や猿ヶ京温泉を越えて三国トンネルを抜けるとすぐだ。公共の交通機関を使うと、新潟県側の越後湯沢からバスで逆に戻ってこなければならないが、群馬県と新潟県の県境にあるので、群馬県側から上がっていく方が圧倒的に近い。
 さて、苗場スキー場はゲレンデが大きくて雪質も良く、最近行ったスキー場の中ではベストだった。ただ、初級者にとってはやや難易度が高いかも知れない。僕たちは中級コースで滑っていたけれど、ここの中級コースも、場所によっては斜度が高かったりコブが結構あったりで、簡単とは言えない。

 敦夫君は、大学時代にはスキー・サークルに入っていたくらいだから、三人の中ではダントツにうまい。志保は、見かけによらず、案外安全運転型。僕は、というと、敦夫君曰く、
「暴走型だね。気をつけないと、そのうち怪我するんでねえの」
ということだそうだ。
 うーん、そういえば、彼等は全然転ばないんだけど、僕はよくコケる。言っておくけど、僕もね、コケないように滑ることは出来るんだよ。でも困ったことに、スキーをしてから自分が実はスピード狂であることに気がついた。コケるギリギリまでスピードが出ないと面白くないのだ。急な斜面ほど火がついてしまう。
 それで気がついてみると、自分が制御できないほどスピードが出ちゃって、うわあ、どうしよう!ということで、ダイナミックにコケる。敦夫君は心配するけれど、僕はコケ方もうまいんです。決して怪我はしないよ。それより、常に限界ギリギリでやってるから、一回一回自分が上達しているのが分かる。しょうがないなあ。何をやってもこういう極端な性格なんだ。
 そんなわけで、いつも僕が一番先に下に降りて、それからしばらくしてから敦夫君と志保がやってくる。敦夫君は穏やかな性格なので、決して無理はしないのだ。

 三人でゴンドラとリフトを乗り継いで山頂まで行ってみた。雪がちらついていた。よく見るとウェアーにかかる雪が結晶のままで、まさに雪印のマークのよう。高度が上がると本当に気温も違うんだね。ふもとのゲレンデよりかなり寒い。でも雪質は完全にパウダースノーでとても滑りやすい。
 志保も敦夫君もネック・ウォーマーにゴーグルと完全装備だが、僕は、これまで比較的暖かいところでばかり滑っていたので、ゴーグルも何もつけていない。なんか、うっとうしいのが嫌いなんだ。暴走型の滑走に無防備ないでたち。もう救いようがないね。
 滑っている時はいいんだけど、リフトに乗ってじっとしている時が寒い。これではいけない。今度、もっと寒いであろう白馬に行くから、後日ゴーグルとネック・ウォーマーを買いに行かなくては・・・・。
さすがの呑気な僕もそう決心させられた苗場山頂でした。


 山の天気って恐ろしい。突然吹雪いてきた。あっと思う間もなく、もう前も見えない状態になってしまった。ちょっと前まであんなに青空が広がっていたのに・・・・。他のスキーヤー達も急いでふもとのゲレンデに向かって降り始めた。ヤバイ!眼鏡に雪が吹き付けて何も見えない。こうなったら、いっそのこと裸眼の方がいい。
 僕は眼鏡をポケットにしまった。吹雪に裸眼で急斜面。おほほほほほ・・・・怖いわよう・・・・!吹雪はますます勢いを増し、本当に何も見えなくなってきたぞ!前を滑るスキーヤーの姿も見えない。そこに何の前触れもなく急にコブが現れるんだ。うわああああ・・・・死ぬかと思った。

大晦日の晩
 さて、苗場から帰ってきて、僕と妻と志保とお袋以外に、初めて郁ちゃんと敦夫君の居る大晦日を迎えた。郁ちゃんは佐野の実家とのしきたりの違いにあらためていろいろ驚いていた。昔はこの家に一緒に住んでいたのにね。
 毎年の惰性で見る紅白歌合戦は、今年は特に全然面白くなかったけれど、植村花奈の歌う「トイレの神様」ではウルウルときてしまった。まず植村花奈の声がいい。ああいうheadvoiceの豊かな暖かい声が僕は大好きだ。それから歌心がある。淡々と歌っているようでいながら、それぞれのフレーズに心がこもっている。そしてギターもうまい。一音上がりのカポタストをしてG-durで弾いているのでA-dur。僕でも弾ける程度の音符だ。時間があったら全部聴き取って譜面に出来る。でも、歌いながらだと、なかなかあんな風にきちんとは弾けないものだ。まあ、そんなことはどうでもいいのだけれど、つい職業上気になってしまうなあ。もっと素朴に楽しめればよいのに・・・・。
 歌って素晴らしいな。あれだけの限られた時間の中で、人生の真実を表現し、自分を見守ってくれる存在との絆や、人と人とのつながりの大切さをしみじみと感じさせてくれる。それに、現代の日本にまだ人を感動させる歌があるっていうのも嬉しいし、何より、この歳になってもまだ自分が何かに素直に感動出来るっていうのはもっと嬉しい。
 でもなあ・・・・他の歌手達が歌う曲の中には、ファンには悪いけど、この世にあってもなくてもどっちでもいいような内容のものが多すぎるな。何でもないような事を何でもないように歌って、どこが面白いんだろう?歌ってそんなもんじゃないだろう。「歌は世に連れ、世は歌に連れ」と言うが、今はそんな世の中か・・・・。

増殖するそば星人
 蕎麦さかいから注文したそば粉を使って、今年の元日もそばを打った。せっかく酒井師匠に弟子入りしたのに、そばを打つのは一年の内お正月だけ。でも、今年は食べてくれるお客が増えて張り合いがある。いつもの妻や志保やお袋に加えて、郁ちゃんと敦夫君も喜んで食べてくれたからだ。
 それだけではない、1月2日には、親父の生前から毎年のように甥や姪やその連れ合いなどが群馬宅に全員集合するのだが、その中で郁ちゃんの次女知美ちゃんの夫であるボチ君が、僕に弟子入りして、
「お義兄さん、一緒にそばを打たして下さい!」
とお願いしてきた。いやいや、僕自身がまだ新米なもんでちっともうまくはないのだが、
「え?弟子ですか?そうですか?こ、困ったなあ・・・・あははははは・・・では教えてしんぜよう。えっへん!」
 そこで残りのそば粉を使って、二人でそばを打った。僕が見本を見せてボチ君にやらせてみる。そうそう、その調子・・・・あれえ?そばを伸ばすのも切るのも僕よりずっとうまいやんけ。ボチ君はプロの鍼灸師(しんきゅうし)なので手先が器用なんだ。でも、仲間が増えるのは嬉しいね。

アナログこそ!
 最近よく思う。僕は水泳をしたり、自転車に乗ったり、スキーしたりするだろう。それにプラスしてそばを打ったりしていると、やっぱり最終的にはアナログこそ人生において最も楽しいのだと確信するのだよ。自分が自分の肉体と向かい合って、微妙な加減で微妙な変化が起こるのをリアルタイムで感じると、この歓びをデジタルで得ることは出来ないなあと思う。

 ボチ君は、そば打ちの合間に僕の背中をクッと触って、
「ちょっとこの辺が凝ってますねえ」
と言い、さりげなく押す。
「うっ、利く!」
さすがプロ。そういった職人的なマニュアル感覚こそ、最も価値のあることではないかと僕は思う。このような皮膚感覚を人間社会全体は取り戻す必要があるね。
 たとえば、メールは便利だけれど、やはり大事な時にはきちんと人と会って顔を見ながら話さなくては真のコミュニケーションは出来ないし、いろんなことは「肉体から離れ過ぎてはいけない」んだ。一時は自作パソコンにも凝って、かなりデジタルに興味を持った僕だけれど、最近はそれに限界を感じている。デジタルは、僕たち人間を最終地点にまで導いてはくれない。

 まあ、音楽なんてまさにアナログなマニュアル感覚の牙城だからね。今更何を言ってんだって感じだけどね。でも、僕にとっては、クロールをしている時に自分の手で水を掻いて体を前に進ませている具体的な感覚が、今の自分の全ての行動の原点になっている。

来週は白馬から・・・・
 さて、来週の「今日この頃」は、長野県の白馬村からのレポートをお届けする予定。
「あれ?仕事をほっぽりだして遊びに行ってるな!」
なんて思わないでね。僕は自分の肉体と向き合い、自己の身体意識を高めて、さらなる覚醒に向かって羽ばたくのだ。うししししし・・・・・。
 親友の角皆優人君が用意してくれたスキー板とブーツを手に入れて、優秀なモーグル選手のマンツーマンのレッスンを受けて、それから角皆君の家にも一晩泊まって、音楽談義に花を咲かせて帰ってくるのだ。これは僕にとって必要不可欠な充電なのだ。

では、お楽しみに!!!!



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