東京バロック・スコラーズ演奏会無事終了!

三澤洋史 

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ホーム・グラウンド
 やはり自分のホーム・グラウンドで指揮するバッハはいい。合唱団を立ち上げて5年経った。アマチュアといえども、入団するためにオーディションをしてハイレベルな団員を構成し、より良い公演をめざすという点では、第一回目のロ短調ミサ曲公演から団員達は即座に答えてくれたが、僕がこの団を何のために立ち上げて、この団と共に僕が何をめざしたいのかという理念に関しては、彼等に本当に理解してもらえるまでには、ある程度の時間がかかった。
 そのめざしたいものが、昨日の演奏に一つの形となって見出されたように思う。それは何か?うーん、言葉で言ってしまうとつまらないものになってしまうのだが、バッハの音楽の中にある「愛」が表現できたということかな。あるいは、かつてバッハの音楽が響いていた「教会空間」と共通するものが、演奏会場の中に具現化されたということなのかな。

 一番嬉しかったのは、僕の妻が帰りの車の中でぽつりと言った言葉。
「モテットを聴いていた時、教会のミサの最中に時々感じるいいようのない至福感と同じものを感じたわ」

 これだ!これだったのだ。バッハの音楽の中にある、神様への絶対的な信仰心に支えられた究極的な至福感の表現。それは、技術だけでは決して到達できないものなのだ。これまでにも、いろんな団体でバッハを演奏する毎に、ある時には瞬間的に、ある時には全体的に僕に感じられていたものだが、僕は、東京バロック・スコラーズが自分のホーム・グラウンドであるからには、どこよりもその表現に秀でている団体であって欲しいという願いを持っていた。それがついに昨日の演奏会で、ある意味達成されたような気がする。
 昨年12月に上尾と大宮の教会で「クリスマス・オラトリオ」の抜粋の演奏会をやったが、そういうところにみんなを連れて行って、教会という空間での演奏を体験させたことも関係しているかも知れない。
 僕は、演奏中に演奏者が発する精神的な波動に誰よりも敏感だ。だから合唱団に対しても、彼等から出ている物理的なサウンド以上に、彼等が発する霊的なサウンドを磨きたいと思っていた。でも物理的なサウンドは説明することが出来るが、霊的なサウンドに関しては、なかなか分かってもらえない。
 今回僕を何よりも喜ばせているのは、合唱団から、これまでにないやさしく親和力のある波動が出始めたこと。それが会場の聴衆にも波及していったのだ。親和力あるいはシンパシーというポジティブな精神のもたらす創造のパワーは、実はもの凄く大きいのだ。

 それには、合唱団員達もさることながら、打ち上げで何人かの楽員達が語ってくれたように、プロ集団であるオーケストラのメンバー達の力も大きいものがある。先週も書いたようにチェロの西沢央子(にしざわ なかこ)さん、コントラバスの高山健児(たかやま けんじ)さん、それとオルガンの花井淑(はない とし)さんの通奏低音奏者達をはじめとして、コンサート・マスターの近藤薫(こんどう かおる)君、オーボエの小林裕(こばやし ゆう)さん、フルートの岩佐和弘(いわさ かずひろ)さん。それから決して忘れてはいけないのが、ファゴットの鈴木一志(すずき ひとし)さんの魂のこもった名プレー!
 これらの最高の常連プレイヤー達が、僕の指向する音楽を本当に良く理解してくれて、しかも本当にバッハを深く愛していて真摯な態度で演奏に臨んでくれる。彼等のいちずに音楽に向かう姿勢に、逆にアマチュアである合唱団の団員達も感化されてしまうほどだ。

 オリジナル楽器によるピリオド奏法全盛の現代にあっては、むしろモダン楽器による演奏をする方が難しい。今更カール・リヒターの時代に戻るわけにはいかないし、バロック的な弓遣いや奏法をしながらも、オール・マイティーなモダン楽器で、どの程度バロック的にやり、反対にどの程度現代楽器の特性を生かすかという、いわゆる「落とし処」を何処に決めるかというのが難しいのだ。
 そのためには、僕自身がまずソノリティ(サウンド)に対するイメージを明確に持たないといけないし、それを具体化させるための方法論を持たないといけない。でも、僕はこの団を立ち上げる前から、長い間浜松バッハ研究会や名古屋バッハ・アンサンブルなどでモダン楽器を使ってバッハをやる経験を積んできた。その中でいろいろ試行錯誤を繰り返していたことが役に立っているのだ。長生きはしてみるものだ。

 そうして自らの中で暖めてきたソノリティが、団を立ち上げて以来、今度はこのオーケストラの中で共通認識としてだんだん育ってきた。それと共に先ほど合唱団にも現れた親和力に関しては、むしろ合唱団よりも早く育っていたのだ。それが練習初日に感じた、
「ああ、やり易い!」
という感想の原因だ。
 つまり、何も言わずに音を出し始めても、彼等の演奏は、すでに僕が指向する音楽の範囲内にあるのだ。それでも曲によって、このモチーフはスタッカート気味にとか、逆にレガート気味にとか細かい選択肢があるわけだが、仮に僕が望んでいたのと反対に彼等が演奏し始めたとしても、それが全て「僕がもしかしたら選択したかも知れない」範囲に留まっているのが嬉しい。
 さらに僕が何かを言えば、
「ああ、こっちね」
と即座に反応してくれるには驚きだ。だって毎日一緒に演奏しているというわけではないのだよ。近くても半年に一度だけのオーケストラなのに。
 カラヤンがかつていろんな人に忠告していた「指揮者はとにかく自分の団体を持つべきだ」という意見は真実だった。一回こっきりのゲストでは決して表現しきれないこと、伝えきれないことが、何度も演奏会を重ねる内に自然に実現できるようになるのだ。

 アンコールの「主よ、人の望みの喜びよ」が鳴り響いている瞬間、僕の魂はまさに天上界をさまよっていた。あたたかくてやさしくてしあわせな雰囲気が演奏者と会場の聴衆との一体感をもたらしていた。バッハが微笑んでいた。その向こうに、キリストが両手を広げてみんなを迎え入れようと待っていた。

 僕は本当にしあわせ者だ。これだけの素晴らしい人たちに囲まれて、大好きなバッハが演奏できるのだもの。この公演に関わって下さった全ての皆さんに、この場を借りて感謝の意を表したい。みなさん、ありがとうございます!  


毎日が興奮!「マノン・レスコー」の稽古場
 新国立劇場では、「椿姫」の公演が終わり、「マノン・レスコー」の立ち稽古が進んでいる。今回は演出家のジルベール・デフロ氏の到着がやや遅れていた。パリのバスチーユ歌劇場でヴェルディ作曲「ルイザ・ミラー」の演出をしていたというのが理由だが、新国立劇場のために「ルイザ・ミラー」の初日を観ることなく演出助手に任せて精一杯早く来日したという。
 デフロ氏が来日するまでは、マルティーナ・フランクというドイツ人女性の演出助手がデフロの演出プランに従って演技をつけていた。彼女がとても手際よく演技をつけていったので、練習場には早くから活気が生まれていた。
 ドイツの劇場はレパートリー・システムによって運営されている。レパートリー・システムとは、劇場が沢山レパートリーを抱えていて、今日は「フィガロの結婚」、明日は「アイーダ」というように、毎晩違う演目が様々な指揮者や歌手達によって公演されるシステムである。
 そのようなシステムが、彼女のような事務処理能力に優れた人材を育てるのか、ドイツ人がそもそも能率的に出来ているからそうしたシステムが生まれたのか分からないが、ともかくドイツ人にはこうした有能な演出助手が多い。

 稽古場にはイタリア語の通訳がついている。今回は指揮者のリッカルド・フリッツァの到着も遅れるので、フリッツァと仲の良いジュゼッペ・フィンツィというイタリア人指揮者が稽古を仕切っている。歌手達もイタリア人系が多い。ミラノ行きの準備を進めている僕にとっては、イタリア語の実地練習のまたとない機会である。
 実は最初僕は演出助手のマルティーナがドイツ人であることを知らなくて、しばらくイタリア語で会話していたが、彼女が自分の演出ノートを見ながら小さい声で数を数える時にアイン・ツヴァイと聞こえたので、あれっと思った。そしたら、そばにいたエドモンド役の望月哲也(もちづき てつや)君が、
「彼女、ドイツ人ですよ」
と言うので、それからマルティーナとの会話はドイツ語になってしまった。マルティーナは、
「日本人の合唱団と仕事するのは初めてなので、うまくいくかちょっと不安だわ」
と言っていたけれど、
「大丈夫、大丈夫。みんなやる気に満ちているから、どんな厳しいことを言ってもついてくるよ」
と僕は答えた。でも、練習が始まると、逆にあまりにみんなの飲み込みが早いので、彼女は心底驚いていた。
「ここまでを一日で終わっちゃった!信じられない!」

 一方僕は、35歳のアシスタント・コンダクターであるジュゼッペ君のそばにぴったりくっついてひたすらイタリア語の実践講座。彼は、今はフリーだが、数年前までミラノ・スカラ座のコレペティトール(副指揮者兼ピアニスト)を務めていたということで、僕がミラノへ行くためにイタリア語を勉強中だと言って以来、喜んで相手をしてくれる。
 また僕がミラノ滞在中にスカラ座で始まるヴェルディ作曲「アッティラ」のプロダクションに彼は副指揮者として加わるというので、向こうでも会おうねという話しで盛り上がった。

 そんな具合に立ち稽古は和気藹々の内に進行していたが、そこへ演出家ジルベール・デフロ氏が到着した。いやあ、これは全くセンセーションだった。出遭った初日から度肝を抜かれた。なんというエネルギッシュな人物!なんという研ぎ澄まされたドラマへの感性!
 合唱団達は最初の2分間でそれを見破り、すぐにこの演出家のためなら何でもやってやろうという気持ちになった。さてそうなると、演出家にとっても反応の良い人達とのキャッチボールは楽しいと見えて、新しい様々なアイデアが飛び出す。

 実は、このプロダクションは、すでにベルリンなどで上演された演出プランであり、その公演のビデオが残っているが、それを事前に観ていた僕は、正直言って、とりたてて素晴らしいもののようには感じられなかった。ところが同じなのはただ舞台装置と言い切ってしまっていいくらい、芝居の中身はガラリと変わってしまった。
 デフロ氏は、立ち稽古の中で、
「こういう風に動いてね・・・・まてよ・・・こういうのもアリだな。ちょっとやってみよう・・・・そうそう・・・・おお!いいぞ!こっちの方が断然いい!では、こっちに決めよう!」
というようにどんどん変えていく。その度に、ドラマの流れに新しい光が当たり、演じている方も新しい発見がある。楽しいな。これだからオペラはやめられない!
 
 ベルギー生まれのデフロ氏は、まさにマルチ・リンガルで、通訳の手前イタリア語で立ち稽古は進めていくが、マルティーナとドイツ語で話した後は、そのままドイツ語になってしまったり、(おそらくフランス語が一番近いのだろう)イタリア語からいつの間にかフランス語に変わっていたり、合唱団に向かっては英語で話しかけたり自由自在なので、通訳が大変だ。彼の頭の中では、何語もみな同じ距離感を持って、特に意識しなくても自由に切り替わるようだ。
 
 ちょっと手前味噌。近づいてくるミラノ行きのためイタリア語がだいぶ進歩してきたので、今の僕は、彼が話す独、伊、仏、英語の四カ国語を全て理解出来るようになった。彼と話す時もその時々で四つの言語で話しかけてみる。するとそのまま答えてくれる。まあ、今はイタリア語に集中しているから、なまじ似ているフランス語がちょっと希薄になっているが、このように数カ国語にまたがって会話できる事は、日本人では案外少ないので、ちょっと誇らしい。

 合唱団との立ち稽古では始終上機嫌なデフロ氏だが、メインキャストとのやり取りは、また別の雰囲気を持っている。マノン役のスヴェトラ・ヴァッシレヴァは自分なりのマノン像を持っているため、時々演出家の指示通りに動かない。でもデフロ氏にとっては、マノンの動きも、彼のドラマトゥルギーや演出プランの大きな流れの中に組み込まれているため、彼女の思う通りにさせるわけにはいかない。
 そこで練習は中断され、ディスカッションとなる。このディスカッションが、僕たち日本人から見ると、まさに大げんかに見える。ヴァッシレヴァは遠慮なく言う。
「そんなの不自然で悪趣味だわ。やりたくない!」
おお、ここまで言うか。
 デフロ氏も彼女を説得しようとやっきになる。そんな時のデフロ氏の声量と剣幕が凄い。練習場に響き渡るほど怒鳴りまくる。ヴァッシレヴァも決して動じない。いやあ、偉いねえ、ヨーロッパ人というものは。日本人は、そんな場面に居合わせただけでもドキドキしてしまうのに、彼等はどんなに激しく言い争っても、決して決裂したままでは終わらない。それぞれが言いたいことを言っても、上げた手の降ろし方をきちんと心得ているし、双方の言い分の中から双方にとって最もふさわしい着地点、すなわち妥協点を探し出して一件落着することが出来る。
 みんなこういうことに慣れているのだ。それは、一種のコミュニケーションのテクニックなのだ。でも日本人には出来ないなあ。日本人の場合、心に不満を抱えていても、ぎりぎりまで我慢して相手と仲良くする。でも逆に、我慢の限界を超えて爆発してしまったらもう永久に決裂という感じになってしまう。どっちがより我慢強いのか分からないが、これが文化の違いというものか。

 オペラという総合芸術の場では、様々な人たちが様々な価値観を持って参加しているから、こうしたぶつかり合いは避けられない。それどころか、こうしたディスカッションが沢山行われたほうが良い公演となる可能性が高い。それは、それぞれが本気で関わっているという証でもあるのだから。みんなが仲良く何の問題も起きないで、ただ公演のレベルだけが低かったというのでは何にもならないのだからね。

 ディスカッションといえば、これから指揮者のリッカルド・フリッツァが来日する。フリッツァは、かつて僕と大喧嘩をした曰く付きの指揮者だ。彼もエネルギッシュで素晴らしい指揮者だが、性格が子供っぽくて虚栄心が強くワガママだ。合唱団も歌手達も全員、いつも自分だけを見ていないと嫌で、僕が客席後方の監督室で赤いペン・ライトで指揮するのを嫌っていたため、「アイーダ」の時に、僕と喧嘩になったのだ。
 だって、百人以上の大合唱団が全員フリッツァのみを見るなんて不可能なのだもの。で、案の定ズレズレになったのに、赤ペン見て合うよりも自分の方を見てズレた方がいいなんて、音楽家としてよりも自分の虚栄心を優先するような事を言うから僕が許さなかったわけだ。
 でも喧嘩した後、僕と彼はとても仲良しになった。指揮者はどんなワガママを言ってもいいが、「より良い音楽をするためという目的をはずれてはいけない」という僕の主張を彼は分かってくれたのだ。

 前回の「オテロ」の公演の時は、勉強を始めたばかりでまだカタコトの僕のイタリア語に、彼は辛抱強く付き合ってくれた。彼は一度仲良くなると、本当に良い奴なんだ。もうすぐ来る。楽しみだな。でも、もしまた理不尽な事を言い始めたら、仲良くなった今だって、いつでもディスカッションする用意はあるぜ。少しは上達したイタリア語で言い負かしてやるさ。



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