今日この頃
東京バロック・スコラーズ演奏会が終わって、イタリアに向けて出発する前に自分が指揮する本番は全て終了した。あとは、尾髙忠明さんの指揮する東フィル100周年記念演奏会「グレの歌」の合唱指揮と「マノン・レスコー」の合唱指揮があるのみ。「マノン・レスコー」公演の最終日は3月30日水曜日。僕は次の日の3月31日木曜日に出発する。
それで暇になったとお思いでしょうが、残念ながらそうはいかない。一番ヤバいのは、夏の新国立劇場の子供オペラ「パルジファルと不思議な聖杯」のオーケストレーションが、イタリア出発までに間に合うかどうかの瀬戸際なのだ。通常だと6月いっぱいくらいに仕上げてスコアとパート譜を提出すれば充分なのだが、イタリアから帰ってくるのが6月18日で、その時にどういう体調や精神状態になっているか分からないので、行く前に提出することにしたのだ。
あの舞台神聖祭典劇「パルジファル」のめくるめく大管弦楽を、わずか15人の小アンサンブルに編曲する作業は、そう簡単には進まない。管楽器の人数が決定的に足りないし、弦楽器だってdivisiで何部かに分かれて書いてある。だからあっちこっちから人手を借り合う。
「ねえ、クラリネットさん、ちょっとこのビオラの声部手伝ってね」
「本当は休みなんだけど、このホルン・アンサンブルの低音をトロンボーンで助けてね。休みなくなるけど・・・・」
という具合に助っ人を頼まないといけない。
それで気がついてみたら、ホルンやトロンボーンなどの金管楽器は、空いている時に木管楽器のお手伝いをしているので、全く休む時がなくなっている。これでは彼等はくたびれてしまう。困ったなあ。
「それでは、チェロにトロンボーンの声部を弾いてもらって、休みのコントラバスをイチオクターブ上げて弾かせるか」
まあ中小企業だから、休日なし残業手当なしの過重労働となってしまう。
前回の「ジークフリートの冒険」も、管楽器奏者達から、
「これって吹奏楽よりもキツイよね」
と言われ続けていました。はい。でも、そんな時には、
「でもウィーン国立歌劇場管弦楽団のメンバーは文句言わずに弾いていましたよ」
と涼しい顔をして逃げていた。本当は彼等も文句言っていたに違いない。
ちなみに編成は、
Flute Oboe Clarinet Fagott Horn Trumpet Tronbone
violino-1 violino-2 viola Cello Contra-bass
Harp Timpani Percussion
の15名。
さて、「マノン・レスコー」の練習はいよいよ佳境に入ってきている。マノン役のスヴェトラ・ヴァッシレヴァは、練習の時はずっと声を抜いて歌っていたので、本当の声が分からなかったが、オケ合わせの時に始めて最初から最後まで本気で歌った。いやあ、凄い声だ。ハイCの輝かしいこと!全ての音域で安定した発声で見事に聞かせる。他の歌手達もみんな優秀。これは楽しみになってきたぞ!来週、本番直前にまた経過報告するね。
スキー場で迎えたお誕生日
今年の誕生日はスキー場で迎えることにした。なかなかいいアイデアだとは思うんだが、天候がその爽快感をやや邪魔してくれた。ガーラ湯沢の天候は雪。気温は朝の時点でマイナス7度。お世辞にもスキー日和とは言えない。
雪は僕が滑っている間ずっと降っていた。お昼近くに一度だけ止んで視界が開け、太陽が顔を出したが、その直後には雲が頭上で激しく動き、
「・・・というわけで、ただ今の太陽は冗談でした」
と言わんばかりに再び雪が舞い始め、たちまち凍てついた北国の山岳風景に戻ってしまった。それどころか、時折吹きすさぶ強い風に粉雪が煽られて視界が極端に悪くなり、自分が今どこを滑っているのか分からない瞬間さえあった。
南ゲレンデのリフトの降り場でお兄さんが用もないのに話しかけてきた。
「昨晩から今朝までに80センチも積もったんですよ。今日は絶好の新雪日和ですよう!」確かに、すでに圧雪された上に新雪が積もったところは、雪がクッションのようになって実に心地よい。滑っているとスキー板が新雪に埋もれて不思議な走行感がある。
でも、朝の内は心地よいなんて呑気なことを言ってられるんだけど、みんながどんどん滑ると、ゲレンデが削れてみるみる不整地っぽくなってくる。午後になると、特に斜度が高いところでは自然にコブのようになってくる。昨年は、これにハマッてよくコケた。ああ、なつかしいなあ。今はどうやったら転ぶことが出来るんだか、誰かに教わりたいくらいだよ・・・なんちゃってね。
でも、油断して重心を高くしていたり、板をズラしてスピード・コントロールした後、かかとに重心を乗せっぱなしにしていると、雪のデコボコに足を取られてバランスを崩しかける。ナメてはいけない。
コブは所詮「なんちゃってコブ」ではあるが、真上から乗ってしまうとジャンプのように体が浮く。おっとっとっと・・・・この時に重心を後ろにおいたまま着地してしまうと悲惨な結果になってしまうんだ。よいしょっ!空中で前に重心移動。
あれれ・・・・なんちゃってコブは案外面白い。遊んでみよう。なんちゃってモーグルごっこだい!コブの頭を屈伸抜重で急激に回り込んでみる。それから次のコブのためにやや状態を起こしてから足全体で衝撃を捉える。うーん、こんな風かな?どんな風かな?案外腹筋を使うな。合ってるような気もするし、間違っているような気もする。まあ、これ以上はひとりでやるのは無理だな。来年また白馬に行って、若林美穂さんと角皆優人君にコブの攻略法を徹底的に習うんだ。もう約束してあるんだ。
下山コース
さて、ガーラ湯沢では、今年大きな楽しみが増えた。都心から新幹線で乗り換えなしに一時間ちょっとで来れて、駅にゲレンデが直結しているというのがウリのこのスキー場だが、本当は直結していない。実はゲレンデは駅からかなり高いところにあって、そこまでゴンドラに5分くらい乗って行かなければならない。特に帰りは、電車の時間ギリギリまで滑っていたいのに、早めに切り上げてゴンドラに乗らなければいけないのがうっとうしかった。
ところが・・・ところがである。今年からなんと下山のためのコースが開通した。つまり、帰りはゴンドラに乗らずに、ゲレンデからこの下山コースを滑ってくれば、駅のあるスキー・センターのカワバンガまで直接降りてこられるのだ。これは画期的だ。しかも2.5キロの超ロング・コースなのだ。これでギリギリまで滑っていられることになった。まさに夢のような話しだ!
でもねえ、夢のような話しには必ず落とし穴があるんだな。下山コースはとっても楽しいのだけれど、実は万人にとって楽しいわけではない。特に初心者にとっては・・・・。
まず、ここは間違いなく中級以上のコースなのだ。この下山コースは、峠の道のように山肌をSの字に切り開いて作ってある。だから基本的に狭いし、Sの字のカーブのところは、谷側に向かって真っ直ぐに切り立っているから、どうしても斜度が高くなる。特にここは、極端にヘアピン・カーブの所があり、かなり急斜面のところも少なくない。
ところがね、「初心者お断り」という風には歌っていないのだ。それどころか、どんどん宣伝しているので、それに乗せられて初心者がノコノコ下山コースに行く。その結果どうなるかというと・・・・恐ろしいんですよう!
だって、考えても御覧よ。一度滑り始めてしまったら2.5キロのロング・コースを降り切るまで、リフトも休憩所も何もないんだぜ。しかも狭くて急斜面で視界の悪いヘアピン・カーブ。曲がった途端目に飛び込んでくるのは、あっちこっちで転んでいる初心者達の姿。これを踏みつぶして蹴散らしてしまいそうで、ドキッとする瞬間が少なくない。
それにしてもスノー・ボードの連中って、どうしてああマナーが悪いんだろう。みんながみんなそうではないのだろうけれど、ただでさえ狭いヘアピン・カーブをふさぐようにみんなでつるんで雪の上に座ってボーッと休んでいる。危ねんだよう!第一、自分の身だって危ないだろう。コントロールを失った初心者が突っ込んでくる可能性だって大きいのに、一番危険な箇所をもっと危険にしていることに気付かないのかなあ?
ということで、下山コースは初心者は決して行かない方がいいです。それより、この下山コースを滑るなら、みんなが下山する時間以外に滑ることをお薦めする。僕の場合、コース・オープン直後の12時過ぎに滑ってカワバンガで食事した。まだ誰もいない。ヤッホーッ!2.5キロをノンストップ、スピード出し放題だぜ!あまりに楽しかったので、食事後ゴンドラで上がって再び滑る。いちいちスキー板をはずしてゴンドラに乗るのが面倒くさい以外は、ここはもしかしたらガーラ湯沢で一番楽しいコースかも知れない。それから下山する時の合計3回も下山コースを滑った。
恋人との別れ?
最後に下山コースを滑った時は、ちょっと悲しかった。何故かというと、恐らくこの冬、僕がスキーをするのは今日が最後だろうと思う。これ以後も仕事が休みの日はなくはないのだが、空いている時間は全て「パルジファルと不思議な聖杯」に献げられなければならないのである。グスン!
今日はお誕生日だから晩はのんびりするが、明日からは心を入れ替えて、夜の食事の時もお酒を飲まないで寝るまでの時間もアレンジの作業をしなければ間に合わないくらい切羽詰まっているのだ。
ということで、
「山よ、雪よ、さようなら」
と心の中で挨拶したら、胸がしめつけられるように悲しくて涙が出そうになった。こんなにもスキーが大好きになってしまった自分に心底驚いている。まるで恋人と別れるようだ。
振り返ってみると、今日も9時過ぎから滑り始め、お昼食べるまでに一度だけ自動販売機で缶コーヒーを飲んだだけで、ずっと滑っているかリフトに乗っているだけ。昼食後も3時40分くらいに下山コースを降りるまでずっとノン・ストップだった。休憩なんてもったいなくて出来ない。って、ゆーか、リフトに乗っている時間だって惜しいくらいだからね。もう、こうなると病気ですな。こんな情熱が自分に残っていたんだ。
例によって新幹線に乗ると、心配性の妻にメールする。
「今日も無事でした」
彼女には、今日が今シーズン最後のスキーであることを告げていたから、今頃彼女は、
「ああ、これで無事イタリアに行けるわね」
と思っているだろうな。この胸の辛さはなかなか分かってもらえないだろうな。
お誕生パーティ
府中本町に着くと、妻は愛犬タンタンを連れて車で迎えに来てくれた。それから家でささやかなお誕生パーティー。ある合唱団の団員が僕のお誕生日のために送ってくれたスプマンテspumante(イタリアのスパークリング・ワイン)で乾杯し、それから次女の杏奈がブルゴーニュから送ってくれた赤ワインを空ける。メインはビーフ・シチュー。ルーなんか使わない手作りだからね。それから長女の志保が買ってきてくれたお誕生ケーキでデザート。
外に食べに行くことも考えたが、やはり家でゆっくり食べるのがいいね。3人で飲んだとはいえ、辛口でおいしいスプマンテと極上の赤ワインを飲み干したのでかなり酔っ払い、その晩はスキーの疲れもあって10時過ぎにはベッドに入り、朝まで夢も見ずにぐっすり寝た。
こうして僕の56回目のお誕生日は無事終わったのでした。
語学の話しあれこれ
先日の「バッハとコラール」演奏会プログラムのモテット第3番「イエスよ、私の喜び」の中に、mir gefällst du nicht「お前は私の気に入らない」という歌詞がある。この文章の主語はdu「お前」だからgefallenという動詞の活用はgefällstとなる。礒山雅(いそやま ただし)先生訳の日本語でも、主語がお前になっているし、gefallenは「気に入る」ということだからいいのだ。
でも、なんかしっくりこないと思いませんか?何故なら、気に入っている本人は「お前」ではなくて「私」なんだからね。だから、日本語では、
「私はお前が気に入らない」
と言うことも出来るんだ。
イタリア語の先生と雑談していて、
「彼は君のことがとても好きなんだね」
と話そうとしたら、こんがらがってしまってうまく話せなかった。
「えーと、えーと・・・・この場合、主語は彼でなくて君で、彼luiの間接補語は・・・・loではなくて・・・ええと・・・・ええと・・・」
と言っている間に、先生が待ちきれなくて教えてくれた。彼女は、僕がどうして混乱しているのか分からない。
この場合も、ドイツ語のgefallenに相当するpiacereという動詞を使う。
主語を君にして、
「君は彼の気に入る」
というようにgli piaci molto.と言わなければならない。
イタリア人はこのpiacereという動詞が大好きだ。英語のlikeに相当する事柄は全てpiacereで片付ける。
「私はクラシック音楽が好きです」
は、
Mi piace la musica classica.「クラシック音楽は僕の気に入っている」
と言う。
結構I love you !の代わりにも使われている。
Io ti amo.「僕は君を愛している」
もアリだけれど、「愛してる」とあらたまって言うより、特に若者の間ではpiacereの方が気楽に使えるようだ。
Mi piaci.
と言う。でもさあ、
「君は僕の気に入っている」
なんて、なんか上から目線で、愛の告白するには生意気な感じがしない?やっぱり、
「君のことが好きだ」
というのが謙虚でいいよね。
語源探索
さて、イタリア語を勉強していると、ラテン語の俗語として枝分かれしてきた言語だけあって、英語など欧米で広く使われている言語の語源が分かって面白い。例えばimportantという英語の語源であるimportanteは、importareという動詞の現在分詞だ。このimportareは、in「中に」とportable「携帯用の」という英語の元になっているportare「運ぶ」が合わさって出来た言葉で、「中に持ち込む、運び入れる」という意味だ。それを聞いてピンときた人があるだろう。そうだ、import「輸入する」という英語と同じ語源だ。それで、この「運び込む」が、「結果を引き起こす」という意味に転じ、さらに「重要である」に転義したと小学館の伊和中辞典には出ている。
interest「興味」という英語の語源は、イタリア語を勉強しないと絶対に分からなかったかも知れないなあ。イタリア語ではinteresseだが、これはinter「中間、共有」とessereが合わさったもの。essereというイタリア語は、英語で言えば be動詞の不定詞。すなわち「である」という風にも使われるが、「存在する、在る」の意味。すなわち「中間にあること」や「介在すること」が原義であると伊和中辞典に書いてある。
それで、この辞書でinteresseを引くと、最初に載っているのは「興味」ではなく、「利子、利息」や「利益」なのだ。それが「事業などの関与」や「利害関係」に転じ、さらに「興味」や「関心」となっていったらしい。
こんな風に、言語というものは世界を広げてくれる。現在、新国立劇場での休憩時間などは全てイタリア語の勉強にあてられている。「マノン・レスコー」のキャスト、スタッフ達ともイタリア語で話せるので、習ったことが即役に立つ。ミラノに行ったら、今度は毎日イタリア語が話せるんだ。僕って、語学大好き人間なんだよな。