大地震ともろい大都会

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

3月11日金曜日
「あっ、地震だ!」
初期微動と思われるガタガタした揺れ。ん?小さくはないが、直下型ではないな。

 僕は愛犬タンタンと一緒にベッドに寝ている。今日は珍しく一日オフ。午前中からずっと「パルジファルと不思議な聖杯」のオーケストレーションを行っていた。お昼を食べてから、悪者クリングゾールが手下達をけしかけながらモン・ディアーヴォロで武器を作らせているくだりのM5「モン・ディアーヴォロ」を仕上げたら、くたくたになり、目はショボショボになったので、タンタンを湯たんぽがわりにお昼寝していたのだ。ディスプレイを長い間凝視しているのって本当に疲れる。

 それにしても初期微動が長い。階下にいた長女の志保が、
「パパ!結構大きいよ!」
と言いながら急いで階段を登ってきた。彼女は体調が良くないので玉川上水のアパートからこの家に帰っている。午前中はウダウダと寝ていて、お昼食べた後、ピアノを練習し始めた。妻は外出中。
 なすすべもなく二人でしばらく静止。不思議だ。初期微動が異常に長い。
「遠い・・・・遠くて・・・・大きい!」
「いっけね、下のストーブつけっぱなしだ!」
「おい!これから大きい揺れが来るかもよ。火が第一だ。すぐ消さなきゃ!」
 僕の言葉にあわてた志保は足を踏み外してコケながら部屋を出る。僕はタンタンを抱っこしながらベッドから抜け出し、階段を降りる。考えて見ると、揺れている真っ最中に階段を降りるってどーよ?

 ストーブを消すやいなや、来た!本揺れだ!あれえ?何だこれは?ものすごく大きな横揺れ。まるで船に乗っているようだ。家が倒壊する心配さえなければ、かえって楽しいくらいの揺りかご状態だが、あっちこっちの壁や天上からミシッ、ミシッっと不吉な音が聞こえてくる。
「テーブルの下だ!急いで!」
僕たちはテーブルの下に入り込む。タンタンは僕の腕の中。こいつ、動物のくせに事態がよく分かっていない。普通、動物の方が敏感なんじゃねえのか?
 それにしても、テーブルの下って本当に安全なのかなあ?もし、家が倒壊したら、このテーブルもひとたまりもないような気がする。そう考えると、一体どこにいたら安全なのか分からなくなってきた。せめて鉄製のテーブルを買っておくべきだった。
「外に出た方がいいのかな?」
「パパ、馬鹿言うんじゃないよ!何が降ってくるか分からないよ!」
「そうだな・・・」

 長い・・・・もの凄く長い。それに、少しも小さくならないどころか、さっきよりもっと揺れがひどくなっているような気がする。これって、このままずっと揺れっぱなしとか、それどころかどこまでも大きくなっていくとか、要するになんでもアリなんだよな。家のミシッ、ミシッもだんだん大きくなってくる。こんな時って、なすすべがない。何も出来ない。その時初めて恐怖が襲ってきた。そのうち家が倒れて死ぬかも知れない・・・・。
 志保が叫びだした。
「なにこれ?一体なんなの?なんでこんなに長いの?」
「どこか遠くでとてつもなく大きな地震が起きているような気がする。これは大変なことになりそうだな」
 大地って、こんなに柔らかかったっけ?まるで水の上じゃないか。あまりに長いので、このまま地球上の陸地は液状化してしまって、僕たちはこれから先ずっとこのグラグラした状態で世界の上を生きていかなければならないのではと不安になった。でも、幸運なことに、そうはならなかった。しばらく経って、だんだん揺れがおさまってきた。ふうーっ!助かったかも知れない。
 気がついてみたら、テレビがついている。志保が地震直後にピアノを弾くのをやめてつけたのだろう。でもまだ放送局の方でも状況が飲み込めていないようだ。情報は断片的で、震度さえも出ていない。どうやら東北地方の太平洋沿岸で大地震が起きたようだ。
「まだ揺れているね」
「さっきからずっと船に乗っているようだね。もう揺れ始めてから15分以上経っているのに・・・・・」

 こんな時のテレビって、結構寝ぼけたこと言っている。
「新しい情報が入りました。64歳の女性が逃げようとして転倒し、軽い怪我を負った模様です。また58歳の男性が・・・・軽い怪我を負った模様です・・・・」
「なんだそりゃ。志保だってさっき立つ時にコケて、軽い怪我を負った模様です」

 ところが、そうした断片的な情報に混じって、本当に大事な情報があたかも「軽い怪我の人」と同じ価値しか持っていないように乱雑に入ってくる。津波警報が出た。なにい?10メートル以上だって?嘘だろう!それからテレビに映し出されていく光景は、まるで「ディープ・インパクト」などの世界の終末を扱った映画のようで、これがリアルタイムで起きているとはとても信じられないものばかりだった。
 濁流となった津波が、車や民家などを飲み込みながら容赦なく進んでいく。でも、その先にはまだ道路の上を自動車が走っているのだ。仙台空港の滑走路にも津波が押し寄せる。水はあらゆるものをなぎ倒して進んでゆく。船が街に乗り上げ建物にぶつかり、こっぱみじんに破壊する。車同士がぶつかりあい、重なり合って浮かびながら別の方向に流されてくる。ビルの屋上には人がいる。水がすぐ側まで迫っている。実に恐ろしい光景だ!

 実は、今日は夕方から妻と外出することになっていた。昨年バイロイト音楽祭のゲネプロを観に行った時に泊めてもらったヴィンター和子さんが、バイロイト大学元教授のディーター・クラインを連れて現在来日中だ。それで今日は、和子さんの家でドイツ料理を招待されていたのだ。
 でもね、テレビを観ていたら、首都圏の電車は全線ストップしているみたいで、とても行けそうもない。いけねえ、ディーターに知らせなくては。そこで一生懸命電話連絡をしようとするが、こんな時って全く電話はかからないのだ。何度かけても同じ。
 約束では、19時にディーターがお茶の水駅まで僕たちを迎えに出てくれることになっていたが、結局地震が起きてから全く連絡も取れずにいたまま19時を迎えてしまった。まさか、こんな事態でディーターがのんびり僕たちを御茶ノ水駅で待っているとは考えにくいが、それでも一言今日は行けない旨を話したかった。
 その頃テレビでは、「JRをはじめとする各線が終日全面運休」という考えてもみなかった結論を出した。僕は、今日がたまたま休日だったことを本当に幸運に思った。通常だったら間違いなく初台あたりにいる。大災害の時に、職場から歩いて帰らなければならないような事態になる可能性は聞いていた。でもそれって、直下型地震かなにかで、都市が壊滅状態になった時くらいしか当てはまらないと単純に思っていた。それが、こんな簡単に起きるのだ。初台から国立の家までの道のり・・・・自転車で約一時間半だが、徒歩ではおそらく四、五時間かかるのだろう。そして、その間は家族と安否の確認さえとれないのだ。
 ディーターから電話がきた。彼も昼間新宿にいて、徒歩でお茶の水まで帰ってきたという。それから電話を試みたが全然かからなかったという。彼はしきりにあやまっている。
「いやいや、ディーター、あやまらないでよ。こっちも電話していたから通じないことはよく分かっているよ。非常事態だから仕方ない。また仕切り直そう。でも、こっちのスケジュールもあるので、もし今回日本で会えなくても、4月にイタリアに来るんだろう。その時に会おうよ。とにかく今は落ち着いてね。また電話するよ」

 それにしても、この大都会がこんなにもろいとは思わなかった。震度7ではない。わずか震度5くらいで全ての列車が終日全面ストップか。テレビには駅周辺におびただしい人たちの群れが、なすすべもなく立ち尽くしている姿が映し出されていた。  


「マノン・レスコー」
3月12日土曜日

 新国立劇場の「マノン・レスコー」のゲネプロ(総練習)が中止になった。なにも中止にしなくともとも思ったが、劇場自体は安全でも、家族などが東北地方に住んでいて安否の確認が取れない人たちとか、いろんなケースを考えての判断だろうと思う。
 その判断の連絡が入ったのが昨晩だから、その職員達は帰れなくて劇場に泊まったのかな。そういう人たちの心労を考えても、ゲネプロ中止は妥当か。

 ただ、オケ付き舞台稽古から練習に加わった指揮者リッカルド・フリッツァなどは、少しでもオケやソリスト達と慣れてから本番に臨みたかっただろうから、かなりショックだろうな。その前に、もしかしたらあんな大きな地震など生まれて初めてで、ゲネプロをやる意欲も失ってしまった可能性さえある。もう、本国に帰りたいなんて主役達が言い出してしまったら困るな。こんな風にいろんなことを考える。
 
 リッカルド・フリッツァはまた一段と成長していた。僕は予言しておくが、こいつは将来同じリッカルドを名乗るムーティーなどと肩を並べる大巨匠になる可能性が濃厚だ。それまでオケ練、オケ合わせと丁寧に仕事をしてきたアシスタントのジュゼッペ・フィンツィも良かったが、フリッツァはオケ・ピットに入るやいなや、瞬時にして東京交響楽団を掌握し、彼にしかできないサウンドを生み出してゆく。その存在力!まさにオペラのマエストロとはかくあるべしという見本のようだ。東響も、まるで水を得た魚のように、新鮮でみずみずしい演奏を繰り広げている。
 そうなると、これまでなにかとワガママを言っていた歌手達も、まるで借りてきた猫のようにおとなしく従っている。力には力を。あれだけの大所帯を率いていくオペラ指揮者に必要なのは、こうしたオーソリティなのだ。
 前回の「オテロ」でも感じたことだが、最初に来日した頃のパワーだけで押し切っていく音楽作りに、ますます繊細さと叙情性と伸びやかなフレージングや歌心が加わって、まさにイタリア・オペラはこうやらなくっちゃという理想の姿が呈示されている。フリッツァのプッチーニは素晴らしいぞ!

 そういえば、僕が客席後方からモニター・テレビに合わせて指揮する赤いペンライトの件だが、練習初日にフリッツァに先制攻撃をかけておいた。
「la luce rossa(赤ペン)の件だけど・・・・」
「なんだっけ?」
「ほら、僕たちの間で有名な例のペンライトだよla famosa luce rossa fra noi」
「また振るつもりか?」
「言っておくけど、第1幕と第3幕は、君がなんと言ってもペンライトを使うからね。演出上絶対に指揮者も舞台の両脇にあるモニター・テレビも見えないメンバーが多数いるのだ。君から見えないメンバーは、彼等からも見えないのだ。文句があるなら演出家に言ってね」
「ふん、まあいいや、様子を見ようvediamo !」
これだけの会話を、なんとかイタリア語で行った。
「お前、イタリア語随分上達したなあ。ミラノに行ったら合唱指揮者のカゾーニによろしくな!」

 ところが今回ばかりは、フリッツァもオケを掌握したり、主役達とのテンポやニュアンスを合わせることに精一杯で、とても赤ペンのチェックにまで頭が回らないようだ。演出家もかなりキャラクターの強い人だから、赤ペンを見ないで済むように演技を変えさせようと争っても、フリッツァにとっては時間のロスばかりで得ることが少ないのは目に見えている。
 一方、オケやソロ歌手達がズレて練習を止めることはあっても、合唱団は僕の赤ペンに合わせて常に一糸乱れず歌っている。フリッツァにとっては、今や合唱団は何も心配しなくても任せていられる唯一の媒体だ。だからここを足がかりとして彼の音楽は構築されると判断したのだろう。赤ペンに関しては一切何も言わなくなった。そうら、ざまあみろ!赤ペンの威力を思い知ったか!

 彼は僕に会う度に、
「お前の合唱、本当に素晴らしいな!」
と言って肩を抱いてくれる。僕も正直に、
「お前、本当に良い指揮者になったな。音楽にラインがあるし、叙情的なところが素晴らしくなったよ!」
「おお、そう思ってくれるか?大事なことは色coloreなんだ!」

 新国立劇場「マノン・レスコー」公演は、ゲネプロなしのぶっつけ本番で15日火曜日から始まる。でも、この公演、キャストも指揮者も最高で、間違いなく劇場史に残る公演になると断言しておこう。

天災と人災
 さて、地震の情報が続々と入ってくるにつれて、被害の常軌を逸した様子が明らかになってきた。街が根こそぎ壊滅。犠牲者の数は把握しきれない。津波の想像を絶する恐ろしさを今回ほど思い知ったこともない。生き残った人たちも、これから一体どう生きていったらいいのか、本当に見ていて胸が痛む。

 一方、原子力発電所の事故については、昔妻が反対運動をしていた関係で関心があったが、
「絶対、大丈夫です!」
と言い切っていたのはどこのどいつだ?こんな風にまんまと被害にあうとは、なんて間抜けなんだろう。
「想定外」
って、今頃簡単に言わないで欲しい。反対運動の人たちが主張していたのは、まさにそうした想定外の事態が起こった時のことだったのだから。

 亡くなられた方々には心から哀悼の意を表します。そして被災者のみなさん、本当に頑張ってください。こんなことを書いても仕方ないような気はします。なに呑気な事言ってんだと怒られそうです。でも書かずにはいられません。

 ・・・・・と書いていたら、どうやら国立地域は原子力発電所が止まったせいで、明日の月曜日の9時から計画的停電になるそうだ。この原稿も、明日見直しをして送ろうと思っていたが、それでは間に合わないらしい。だから、見直しも満足に出来ていないが早々に送ります。
 東京23区は停電にしないそうなので、明日は朝から新国立劇場に出掛けていって、オーケストレーションをしなければならない。ノート・パソコンの小さい画面でやるんだ。ああ、早くアレンジをしないとイタリア行きに間に合わないよう!って、ゆーか、そもそもイタリアに行ってる場合か?????



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