しっかりしろ、日本人!

 

三澤洋史 

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パルジファルとふしぎな聖杯
 新国立劇場の子供オペラ「パルジファルとふしぎな聖杯」のオーケストレーションが終わった。自分で言うのもなんだが、かなり良い仕上がりになったと思う。自作ミュージカルの「おにころ」以来、こうした小編成アンサンブルのためにオーケストレーションする機会に何度も恵まれたので、この編成に慣れてきたというのが一番大きな理由だ。

 オーケストレーションだけは、通常の楽器のように自分で音を鳴らしながら練習するわけにはいかないので、想像力を働かせてきっとこんな感じで鳴るのだろうと思って書くのだが、イメージしたのと実際に鳴る音との間には多かれ少なかれ誤差が生まれる。そんな時、実際に演奏する機会に恵まれれば恵まれるほど、イメージの修正が出来て、次に書く時にそれを生かすことが出来る。分かり易い言葉で言えば、機会が与えられる度に、限りなく当てずっぽうに近い状態から、百発百中の状態へ向かって進歩していくわけだ。

 ということで、今回は良い音がしますよ。木管楽器の分厚いアンサンブルの時には、金管楽器がミュートをつけて「なんちゃって木管」となって補うし、金管アンサンブルには、クラリネットやファゴットの低音系木管楽器の助っ人が欠かせない。そうして、あの大管弦楽をわずか15人でイミテイトするわけだ。悪口を言おうと思えば、所詮イミテーションを作るということだが、これをどう見るかだな。言っておくが、これはワーグナーのサウンドに対する深い理解と愛情がなければ決して成し得ないのだ。

 しかしなんだねえ。いつもは途中で中断して外の仕事に出掛けなければならないため、オーケストレーションに集中出来ないと嘆いている僕だが、いざ丸一日空いて好きなだけやっていいよという状態になると、仕事は進んで嬉しい一方で、腰は痛くなるし目はしょぼしょぼしてくるし、健康に良くないね。やっぱり僕は職業的作曲家にはなれないわ。適当に外出して練習をつけたり演奏会を振ったりする生活の方が絶対に健康的だ。

 さて、スコアが仕上がってそれで終わりではない。パート譜も一緒に提出する。パート譜の作成自体は、パソコンの譜面作成ソフトではボタンひとつで瞬間的に出来る。その昔、写譜屋さんで何十万円もかかって作ってもらった時代から見ると夢のようだ。
 ただ良いことばかりではない。やはり所詮機械の悲しさで、そのままでは使えない。休みのある小節をページの最後に持ってきて、譜めくりしやすいように配慮するなどのレイアウトを行わなければならない。これに案外時間がかかる。さらにプリント・アウトにたっぷり半日かかって、25日の金曜日の夕方、やっと千枚程度の分厚いA4の紙束を新国立劇場に持って行って納品した。

 この今年の新作子供オペラですけどね、絶対にヒットしますよ。あの難解なワーグナーの作品の中でも最もとっつきにくいとも言われている「パルジファル」が一体どうやって子供向けのオペラになるのだとお思いでしょう。
 勿論、そのままでは出来ないから、いろいろ仕掛けがあるんだけど、それでいてワーグナーの本道からは決してハズれていないからね。今回はストーリー構成から始まり、台本のセリフや歌詞からサウンドに至るまで全て僕がひとりで手掛けたから、作品の責任は全て僕にあります。

 作風はねえ、これまでの作品よりもずっとおしゃれで、神秘的で秘密めいている。内容をチラ見せしちゃおうかな!まず、場面はクリングゾールが聖なる槍を奪う戦闘シーンから始まる。冒頭から息をもつかせない緊張感に充ち満ちているぞう!
 聖なる槍を手に入れたクリングゾールは、そのパワーを使って兵器工場を作って世界征服をねらっている。このシーンだけは、「パルジファル」ではなく、楽劇「ニーベルングの指環」の「ラインの黄金」からニーベルハイムの音楽を使用している。実は「ジークフリートの冒険」では、ここの音楽だけはマッチする場面がなかったので使えなかったのだ。ここで使えて僕としてはとても嬉しい。

 それからパルジファルが槍を取り戻しにやってくるが、まずクリングゾールは部下達を使ってパルジファルを誘惑させる。ここでは当然第2幕の「花の乙女達」の音楽を使用する。一応子供向けに健全にお菓子の家を舞台に登場させ、
「おいで、おいで、さあ、一緒にお菓子を食べましょう!」
というテキストを書いたけれど、実は僕は演出の三浦安浩さんにある要望を出しておいた。それは・・・・子供に連れられて仕方なくやって来てしまったお父さん達の目を、
「お・・・・おお!」
と楽しませるようなコスチュームと動きを家来達の女性にさせてください・・・と。
 というわけで、この誘惑の場面はヤバいぜ!是非全国のお父さん、子供をダシにして出掛けて下さい。あははははは!

 一番の仕掛けは、聖杯のパワーを高めるための踊りであるグレイルダンス。これがドドソラという聖堂の鐘の音に乗って楽しく踊られる。カーテンコールでは、客席にいる子供達もその場で踊れるように指導するので、最後には会場中グレイルダンスの嵐となって大興奮の内に終了する予定である。
 広報や営業部も交えた劇場内のプレゼンテーションの時に、何人もの人が僕に、
「グレイルダンスというのは本当にあるのですか?」
と訪ねてきた。僕は、
「おお、効果満点!みんなまんまと騙されているぜ」
と内心ほくそ笑んだ後で、
「いえいえ、これは私の全くの創作でございます」
と答えた。この調子でいくと、子供達は間違いなくこのグレイルダンスにハマる。罪があるとすれば、将来子供達が本当の舞台神聖祭典劇「パルジファル」を観た時、グレイルダンスがないのでガッカリすることだ。

 「パルジファルとふしぎな聖杯」では、罪の女クンドリは登場しないで、代わりに白鳥の姿に変えられてしまっている王家の娘マグダレーナが登場する。なに?ピンときたって?そうです。マグダレーナという名前はマグダラのマリアのことです。この辺に「ダヴィンチ・コード」との関連性をさりげなく追求しているので、そうした話題に興味のある人は「むふふ」と思うだろうが、別にそんなことを気にしなくても一向に構わない。

 楽しみだなあ。早くオケで音を出してみたい。立ち稽古が始まったら、きっとめちゃめちゃ楽しいに違いない。イタリアに出発する前に、早くも帰国後を心待ちにしている自分がいる。

   

しっかりしろ、日本人!
 僕は日本人の先行きに大きな杞憂を覚える。先週も書いたが、たとえば原発のことでも、事実を隠蔽する方も悪いが、真実を知ろうとしない一般市民にも大きな責任がある。今、こうして原稿を書いている28日の朝でも、2号機のタービン建屋地下の水の放射能が、運転中の原子炉内の水の放射能の約10万倍になっていると報道している。国民は、こうして次々と小出しにされる新しい事実に一喜一憂しているわけだが、だからといって、
「本当のところどうなっているんだ?」
と、きちんと調べてみることを誰もしない。

 数日前、テレビでは、
「あたしたちは一体いつ戻れるのですか?」
と東電の職員に食ってかかっている原発周辺の住民の姿が映し出されていた。一方で、何も海外のメディアを外国語で無理して見なくても、BS海外ニュースを見れば、ごくごく当たり前に、
「付近の住民は、この先何十年もこのエリアに足を踏み入れることは出来ないでしょう」
と通訳付きで報道されている。

 繰り返し言うが、この原子力発電所の事故はもの凄く深刻なものであり、その内終息するどころか、まさに今始まったばかりのものなのだ。スリーマイル島以上、チェルノブイリ以下と先週書いたが、人口の密集度とこれから想定される人的被害を考えると、恐らくチェルノブイリをはるかに超える大災害となる可能性がある。
 ほうれん草などに含まれている放射能をみんな気にしているようだが、そんな可愛いものでは済まないだろう。ほうれん草どころか、
「こんなに何もかも汚染されてしまったら、自分たちは一体何を食べたらいいのだ?」
と言わなければならない事態がすぐそばまで迫ってきているのだ。
 なのに、どの放送を見ても、
「大丈夫です。人体には影響ありません」
という事ばかりが強調され、この先起こる可能性については、誰も言わない。
誰も言わないから誰も知らない。
どうして?
知るのが恐いから?

 妻が、教会のある女の子から「原発震災を防ぐ全国署名」という用紙を預かってきた。それで署名を集めようとしているが、その女の子は、ある人からこう言われて署名してもらえなかったそうだ。
「今だって計画停電でこんなに不便な思いをしているのに、この上に原発がなくなったら、もっと不便になってしまう」
また、
「こんなにみんな電気を使っているのだから、原発をなくすなんて無理なんじゃない?」
という人もいたという。彼女はとてもめげていたという。
 これらの発言した人たちは、日本人の中では特別変わった人というのではないと思う。というか、結構こう思っている人は少なくないのではないか?

 世界に目を向けてみると、ドイツやフランスでは何十万人単位の大規模な反原発のデモが行われている。その背景には今回の事件への正確な把握が大前提となっている。ところが、今回の震災を目の当たりに見ただけでなく、全国に五十以上の原発をかかえていて、いつ大地震や大津波が襲ってきても不思議がない当の日本国内では、そのような大規模な運動が起こるきざしもない。
 では、原発の存在を、このような災害にもかかわらず受け容れていて、いざという時のために覚悟が出来ているかというと、何も出来ていない。雰囲気とイメージだけで行動する彼等は、放射能値に何の問題がなくても、関東地方のほうれん草を決して買わなくなるという潔癖さを見せたり、乳幼児ではなくても密かにペットボトルの水を買い占めたり、どこまでも自己チューで刹那的行動しか出来ない。

 駄目だぞ!こんな国は!今の自分の便利さではなく、明日のより良い国を築く努力を真剣にしないと、それが巡り巡って明日の自分にも跳ね返ってくるのだから。

 妻が行っている署名集めの出所である「原発震災を防ぐ全国署名連絡会」のホームページを教えます。興味のある方はここにアクセスしてください。そして出来れば、ここから署名用紙のファイルをダウンロードして、署名を集めてもらえると嬉しいです。
http://www.geocities.jp/genpatusinsai/

 言っておきますが、僕は、この世から原子力発電所がなくなればいいと思っているわけではないからね。先週も書いたように、僕は科学の進歩を信じているから、人類が、この原子力というとてつもないエネルギーをきちんと使いこなせる安全なシステムを構築し、少なくとも今回の地震と同程度のものが起こってもビクともしないような原発が建つのならば、それはそれで大いに結構と思っている。
 また、反原発運動は、原発をただ止めるだけに役立つのではない。運動がある程度広がれば、政府や当事者達だって何とか考えるでしょう。たとえば、今、東北関東大震災と同じ程度の地震が起きたら、福島第一原発と同じような被害が出そうなところを、少なくともそのまま放っておくことは出来にくくなるだろう。
 たとえば、この署名運動で歌われているように、東海巨大地震が近づいていると言われている中で、想定震源域の真っ只中にある浜岡原発をすぐに止めるくらいのことは、国民の力で出来ないことはない。

 イタリアでは、原子力発電所はひとつもなくても問題なく世の中が動いている。火力発電が環境を破壊するとか地球温暖化を招くとかいうのだったら、他に水力発電や風力発電もある。ドイツでは、至る所に巨大な風力発電のための風車が建っている。日本でも、鳥取や島根の方に行くと風車が多数ある。その他にもソーラー発電を開発するとか、いろいろ方法はある。
 そもそも東京電力だって、原発は総電気量の数割を占めているのに過ぎないのだから、原発がないと電気が起こせないと信じている人がいたら間違いだからね。

 人間は考える事が出来る動物なんだ。考えて意志を持って決断をすることが出来る。神様は、だからこそ、人間がどういう決断をするのかを待っておられるのだ。

さて、いざイタリアへ
 こんな渦中に、ひとりでイタリアに旅立つのは、正直言って気が重い。いつもだと、今頃もう楽しみで夜も眠れないくらいになるんだけれど、淋しさと不安ばかりが僕の心を支配している。イタリアの住居も決まり、ミラノのスカラ座の受け入れ体制も決まっている。イタリアではないけれど、バイロイトで毎年今回の期間と同じくらい働いていた僕は、外国で暮らすことなど何でもない。自炊もとても楽しいはずなのだ。

なのにこの気の重さはなんだ。

 次の週の更新は、とりあえずお休みということにしておきます。まあ、インターネットが可能という家具付きアパートを借りているので、原稿を書きさえすれば、送ることは出来ると思いますが、なんといってもイタリアという国のこと、何が起こっても不思議はないし、数日はバタバタしていることが予想されるので、一週間はお休みしてゆったり紀行文の第一報を書きます。

では、みなさん、お元気で!



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