ミラノ我が街

三澤洋史 

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最初の日にストライキ!
 先週の「今日この頃」で、今週はお休みしますと書いたのだが、やっぱり書くことにする。それは、短い間にあまりにもいろいろな事が起こってカルチャー・ショックを受けることが続いたので、今週書かないでいると、恐らく来週には沢山たまり過ぎて皆さんが読むのに疲れてしまうと思うからだ。って、ゆーか、要するに自分が書きたいのですな。

 まず、何が起きても驚かない覚悟をしてきたつもりだったが、さすがに、よりによって劇場に初めて足を踏み入れる日に市内交通のストライキに直面してしまった時には絶句したね。しかも、その絶句の仕方が普通と違う。何?よく分からないって?まあ、落ち着いて聞いて下さいね。順序立てて話すから。

 新国立劇場は、ミラノ在住の女性であるFさんを調査員として雇っている。それは五十嵐喜芳芸術監督の時代からと聞いているが、彼女を通してイタリア・オペラにおける歌手や指揮者などの旬の情報を得たり、イタリア関係の様々な交渉などを行うためだ。
 そのFさんは、僕が文化庁在外研修の申請をするにあたっても、僕とスカラ座合唱指揮者ブルーノ・カゾーニ氏との間を取り持ってくれたり、新国立劇場が出してくれた正式な書類を劇場総裁の秘書に届けてくれたりと、様々な面からサポートしてくれた。新国立劇場の仕事かというと、厳密にはそうでもないのに、嫌な顔一つしないでとても親切にしてくれたのだ。
 ただ、彼女は丁度この4月前半に、長いイタリア生活に終止符を打って日本へ正式帰国する。だから、実際に僕を助けてくれるのは僕がここに来てから数日間だけなのだ。

 さて、日本を立つ直前、彼女が送ってくれたメールを見て驚いた。それは僕が着いてからの最初の3日間のスケジュールが書いてあった。

4月1日金曜日  
11:00-13:30  Quartettの合唱音楽練習(現代音楽の新作オペラ) 
14:00-16:00  トゥーランドットピアノ付き舞台稽古 
20:00-  魔笛本番
4月2日土曜日  
10:30-13:00  トゥーランドットピアノ付き舞台稽古 
14:00-16:00 トゥーランドットピアノ付き舞台稽古(2幕通し)
4月3日日曜日  
20:00-  魔笛本番(千秋楽) 

 特に驚いたのは、僕が最初に劇場に出勤する日の練習スケジュールだ。ええ?本番がある日に、公演の前にこんなに練習するの?新国立劇場ではまず考えられない。Fさんがカゾーニ氏と相談してくれて、僕は午後のトゥーランドットの舞台稽古から実際の研修に入ることになった。ありがたい!これで僕は、スーパー・マーケットなどに行って、これからしばらくこのアパルトメントで暮らすために必要ないろいろなものを揃えられる。
 午後の練習開始前に、Fさんは僕を事務局トップの人をはじめとして劇場内のいろんな人に紹介してくれることになっていた。そこで僕は、Fさんとさらにその前に落ち合って、お昼を一緒にゆったりと食べながら、いろいろ前情報を聞いておこうと思っていた。

 ところがその当日、僕がトラム(市電)の停留場で待っていると、Fさんから電話が入った。
「済みません、あの・・・・今日ですね、実はストライキなんですって。それで私は待ち合わせの時間に間に合わないと思います。三澤さんの方はどうですか?」
「そういえば、さっきから待っているけれど、トラム来ませんね。それではちょっと遠いけれど歩こうかな」
 出た!ストライキ。僕はかつてバイロイト音楽祭で働いていた時代に、長女の志保のいるパリに寄ってから、練習初日の前日にバイロイト入りしょうとしたことがあった。ところがその日に空港ストライキに巻き込まれて、どうあがいてもニュルンベルグ空港まで飛ぶことが出来ず、結局練習初日の朝に飛んで、10時からの練習に遅刻してしまったのだ。恐ろしいラテン諸国のストライキ!
「あのう・・・・」
「はい?」
「イタリアの場合、ストライキといってもフランスと違って全てが止まるわけではないんです」
「はあ?」
「この国は徹底的に個人主義の国なので、ストに賛同する人は運転しないんですが、賛同しない人は運転するので、もしかしたら来るかも知れないんですよ」

 なんだそりゃ。そういえば、他の乗客も気長に待っている。全く来ないことが分かっていれば、こうして待つこともしないものな。でも、来るかも知れないけど、来ないかも知れないんでしょう。あ、そうだ!この近くに在来線の駅もある。そこへ行ってみよう!もしかしたら動いているかも知れない。
 そこで僕は急いで在来線の駅に行く・・・・・ダメだ・・・・・さっきのトラムの停留場の方がまだましだ。仕方なしに再びトラムの停留場に戻る。こういうのが時間のロスなんだよな。さっきのお客達がまだあくびしながら待っている。まあ、なんてのんびりした国なんでしょう。おほほほほほほ!
 もうこんなものあてに出来るか!僕は決心して歩き始めた。街の中心まで40分かな、1時間かかるかな?ところがしばらく歩いていたら・・・・・あらららら、後ろからトラムが来たぞう!ヤベえ・・・・見ると丁度停車場があった。そこで僕は飛び乗ったぜ!
「ラッキー!僕はなんてツイているんだ!」
という思いをしてしまったのが良かったのか悪かったのか、世の中分かりませんぜー!

 結果的なことをいいますと、その日の「魔笛」の公演を観て、夜の11時半過ぎに劇場を出た僕は、またしてもたまたま来るかも知れないトラムを、ドゥオモの駅で待ったのですなあ・・・・一度ラッキーな思いをしてしまったから、何の根拠もないのにすっかりオプティミストになってしまったんです。
 ところが案の定、待てど暮らせどトラムは来なかったのですなあ・・・・そして・・・・仕方なく歩き始めたのですなあ。

 するとしばらく歩いていたら・・・・後ろからトラムがやって来たのですなあ。ここまでは昼間と同じで良かったのだ。ところが・・・・・そこには停車場が・・・なかったのですなあ・・・・そして・・・トラムは無情にも僕を追い抜いて・・・・行ってしまったのですなあ・・・・そして、その後トラムの路線に沿って歩いていた僕をトラムは二度と追い抜いては行かなかったのですなあ。つまり、あれが最終だったのね。そして・・・徒歩の道は思いの外遠く、僕はたっぷり1時間以上かかって、時差ぼけのまっただ中を疲労困憊し切ってアパルトメントに辿り着いた時は、すでに1時過ぎていたのですなあ。

 ウフフ、幸運の女神どころか、トホホの神が昼間から僕に取り憑いていたってわけ。畜生!フランスのように最初から絶対来ないことが分かっていれば、公演後もそもそもドゥオモになんて戻らずに、さっさと家の方角を向いて歩き始めたのに。そしたら、もっとずっと早く着いたのに!
 そういえば、最近こんな思いをしたなあ。あっ、そうだ!計画停電だ!やるのかやらねーのかはっきりしないというのは、なんとも迷惑なもんですなあ。イタリアだから何が起こっても驚かないと覚悟を決めていたのに、こんな風にぬか喜びさせられたりドーンと落とされたりされると、もう放心状態になるね。

あこがれのスカラ座へ
 さて、話は昼間に戻ります。僕はFさんとゆったり昼食をとってから劇場入りしようと思っていたけれど、ドゥオモ駅に着いた時には、もう時間が全然なくなっていた。仕方ないのでFさんと一緒に近くのバールに入って、パニーニを立ち食いした。まあ、それもイタリアらしくて良いと言えば良い。でも最初の日の昼食くらい落ち着いて食べたかったよ。それに劇場の前情報なんて何も聞く暇がなかった。コーヒーを飲むどころか、僕たちはパニーニを水で喉に流し込んで急いで劇場に向かった。

 それからいよいよあこがれのミラノのスカラ座に乗り込んでいった。Fさんはスカラ座では顔パスだから、スルリと楽屋口から入り・・・・って、ゆーか、天下のスカラ座にしてはチェックがユルくねーか?まあいいや・・・・いろんな人をいっぺんに紹介されたので、誰が誰だか全然分かんねーや。ただでさえガイジンばっかで顔の見分けがつかないんだからね。みんな判を押したように日本の地震や原発の話になる。
 2年ぶりに合唱指揮者のカゾーニ氏と会った。
「あれっ?イタリア語しゃべってるね」
「あれから勉強しました」
「よく来たね」

 案内されて客席に入る。おおっ!これがスカラ座の内部か?昔ながらの馬蹄形の美しい内装。桟敷席がとても高い。特に天井桟敷からマトモに舞台後方なんて観れないんじゃないか。座席に座ってみる。
 目の前に字幕用のスクリーンがある。前の座席の背もたれの後ろ、つまり飛行機の個人用スクリーンを小さくして細長くしたものと思えばよい。これは便利だね。スイッチがあるので、読みたくない人は切っておけばいいんだ。

 さて、舞台稽古が始まった・・・・はずなんだけど、なかなか始まらない。まだ舞台上ではノコギリをギーコギーコ引いている人がいる。「トゥーランドット」第2幕のナゾナゾの場面だ。舞台両側に二階建ての家が並んでいて、真ん中は開いているけれど、両側にまたがる橋が架かっていて、人が歩けるようになっている。合唱団員達がゾロゾロと現れて来て、その両側の家に乗ったり、正面後方に立ったり、舞台前面に左右に分かれて立ったりしている。
 いよいよ音楽をつけての練習・・・・と思ったら、いきなりハッピバースデイの音楽に乗って合唱団員を中心にみんなが歌い出した。なんとカゾーニ氏のお誕生日が今日なのだそうだ。しかも今年でちょうど70歳だそうである。彼は、この劇場の中でとても愛され、尊敬されている。

 それからやっと本当の練習が始まった。僕が「スペース・トゥーランドット」で「時空を超えて」にアレンジした、ピンポンパンの場面からナゾナゾの場面へと至る転換音楽だ。でも、すぐ止まる。どうやら舞台道具の具合があまり良くないらしい。というより、見ていて舞台道具の操作が危ない。それなのに合唱団員達のおしゃべりは止まないし、演出家が話をしていても、どこかでトンカチやチェーン・ノコギリの音がしていたり、なんだかとても雑然としている。いやあ、さすがイタリア。稽古場の雰囲気がこんなに違うか。
 演出家が合唱団に向かって演技のサジェスチョンを言い始める。おとなしく聞いているのは最初の3秒くらいだけ。それから後ろの方からおしゃべりが始まっていく。いつも誰かが「しーっ!」と注意している。もし注意しないでいたら、恐らくパーティーの御歓談状態になってしまうだろう。だって、普通の声で高笑いとかしているもの。

 いつも誰かが極端にナーバスになっていたり、身振り手振りを最大限にして怒りまくっていたりしている。それでいながら音楽的なことになると・・・・たとえば合わせるのが難しい個所では、日本では僕だけでなく合唱団員も皆、こんな時こそナーバスになって事に当たるが、ここでは誰も神経質にならずに合唱はごく当たり前のようにまんまとズレズレとなる。そしてそれを気にしている人は特にいない。かつてのバイロイト祝祭劇場合唱指揮者のノルベルト・バラッチ氏だったら、今頃顔を真っ赤にして怒っているだろうに、カゾーニ氏は相変わらず穏やかな表情をしている。
 合唱団は声をヌキヌキにして歌っている。たまに本気出す人がいると、その声だけ飛び出して聞こえる。まあ、みんなさすがに良い声だ。でも、もうちょっと合唱らしいまとまりのある声が聞きたいなあ。こういうのをごく当然という感じで聴いていると、
「もしかして僕って、細かすぎるのかなあ?タイミングにしても音色の統一感にしても・・・・」
と変な反省をしそうになる。
 カゾーニ氏に聞いたら、この「トゥーランドット」の合唱は、なんと百人だそうだ。う、うらやましい!新国立劇場では、百人を超える大合唱は、「アイーダ」と「マイスタージンガー」くらい。「フィデリオ」の初演時は百人だったが、次からは九十人に減らされてしまったからね。まあ、来シーズンには「ローエングリン」がまた来るけれど。

ミラノのアペリティーヴォはいいぜ!
 昼の練習が終わった。僕はFさんに付き合ってもらって、イタリア滞在中に使うプリペイド式の携帯電話を買いにVODAFONのお店に行ったり、RICORDIのお店に楽譜を買いに行ったりした。それから、夜の「魔笛」の本番まで時間があったので、何か食べときましょうということになった。考えてみると、パニーニを押し込んだだけなので、お腹がすいている。
 Fさんが僕を連れて行ってくれたのは、今ミラノで大流行のアペリティーヴォAperitivoをやっているお店。これがね、なかなかいいんだ。10ユーロ(約千二百円)で、ワンドリンク付きでバイキング方式のツマミ食べ放題なのだ!しかもそのツマミたるや、なかなか充実していて、パスタやパンや温野菜や生ハムなど、もうこれは立派な食事といっていいですな。Fさんの話だと、貧乏学生はここで腹一杯食べるそうだ。
 僕は、夜の「魔笛」があるのにもかかわらず、トスカーナの赤ワインをグラスで注文した。グラスといっても日本のグラス・ワインと違ってたっぷり入っている。ところが、ツマミをおかわりして取っている内にワインがなくなってしまった。そこで、追加注文しようとしたら・・・・そこのところは良く出来ていて、追加ドリンク8ユーロと看板が出ている。そうか・・・・そういう魂胆か・・・・ドリンクを2杯飲むと、合計で18ユーロ(二千円ちょっと)か。そうすると普通の店と変わらなくなるなあ。まあ、いいや、今度は別のワインをたのもう。おおっ、これはまたコクがあっておいしい。いいね。この店。今度、次女の杏奈が復活祭バカンスに入って、4月20日くらいにパリから10日間ほど遊びに来るので、連れてきてあげよう。

イタリアンな魔笛
 ということで、ほろ酔い加減で劇場に戻った。「魔笛」は、今日すなわち4月1日に公演したら、次の3日はもう千秋楽だ。僕は、今日は舞台袖でカゾーニさんの仕事を見て、千秋楽では、客席に入れてもらう約束をしていた。何カ所か舞台裏の合唱がある。
 舞台裏で行われている事は、どこの劇場も似たようなものだ。でも、微妙にやり方が違うのでとても興味深い。僕は、あらためて思ったのだが、何も知らない若者が研修して一から全てを覚えるのもいいが、こうして僕のようにある程度キャリアを積んでから、こうして他の一流劇場の仕事を見ると、本当の意味でとても実りがある。

 合唱団が裏コーラスを歌うために集まってきた。相変わらず、舞台袖でもすぐおしゃべりを始める。そして定期的に誰かから「シーッ!」と注意される。困ってしまうのは、カゾーニ氏も平気で普通の声で僕に話しかけてくることだ。そして、一緒に誰かに「シーッ!」と注意される。

 タミーノが、
「この深い闇はいつ明けるのか?」
という問いに、裏コーラスが、
「間もなくだ。さもなければ決してない」
と答えるシーンでは、合唱の音色があまりにもドイツ系の音色と違うのでびっくりした。それに、ほとんどSotto Voceにしないで、テノールなどはあっけらかんと普通の声で歌っている。
 そういえば、「トゥーランドット」の時にはとりたてて気にならなかったのは、イタリア・オペラだったからだ。そこで僕は気が付いたのだが、新国立劇場合唱団の音色というのは、基本がドイツ系の合唱団よりもイタリア人の音色に似ている。そこで、ドイツ・オペラやる時には、僕は団員達にことさらに暗めの音色を要求し、口をタテに開けさせて奥で響きを作っているのだ。
 ソロ歌手達も、オケもみんなとても高いクォリティで演奏しているのに、何か違和感があるなと思ったのは、このイタリアンな音色のせいだ。それでもね、あえて言うけれど、スカラ座の「魔笛」は他の所では決して聴けないサウンドと魅力がある。まあ、イタリアンな「魔笛」も、これはこれでいいかも。

 第1幕が終わって休憩時間になったので、僕は指揮者のローランド・ベアーの部屋をノックする。中から現れた彼は僕を見るなり、
「なんでお前がここにいるんだい?」
とビックリしている。僕はそのわけを説明した。
 実は、彼とはバイロイトでずっと一緒だった。彼はアシスタント・コンダクターで、僕は合唱音楽スタッフの一員だったから、全く一緒のセクションではなかったが、ほとんどいつも一緒に動いているので毎日会っていたし、結構親しかった。今回「魔笛」のマエストロとして彼の名前が載っていたので、会うのを楽しみにしていたのだ。
「お前、偉くなったなあ!しかもこの魔笛の演奏、かなり良いじゃないか」
「ドイツ音楽らしくするためになかなか苦労したよ」
「そうだろうな。でもクォリティはさすがに高いと思ったよ」
「それはそうだ」
彼とは、また千秋楽に会うことを約束して、僕は楽屋を後にした。ちょっと古楽っぽい要素も取り入れた現代的な「魔笛」の演奏。僕も今度指揮するとしたら彼のようにやるかも知れない。

 第2幕の六重唱の最後に、
「ふとどきな女達め、地獄へ堕ちろ!」
という男声の裏コーラスがある。その前から二人男声合唱団員がずっと話し込んでいた。歌う個所が近づいてくる。話をやめない。みんなが歌い始める。二人は、ハッと気が付いて急いで歌おうとしたが・・・・その時にはもうその瞬間的な裏コーラスは終わってしまっていた。二人は互いに顔を見合わせ、肩をすくめ、ベロを出しながら楽屋に戻っていった。それを誰も咎める風はなかった。ほう、これがイタリアですな。

 終幕の合唱が近づいてきた。カゾーニ氏が僕を呼んでいる。舞台セットの裏側の、今にも客席から見えそうな所に彼はいて、僕にここで見ろというジェスチャーをしている。いやあ、そう言ってくれるのは嬉しいんですが、多分、終わったらすぐにカーテンコールが始まるだろうから、あんなところに僕なんかいたら絶対に舞台監督に追い出されると思うんだけど・・・・・ところがカゾーニ氏が必死で僕を呼ぶので、僕はそこに行って合唱を間近で聴いた。確かに合唱団の声の素材は第一級だ。
 カゾーニ氏はどうだといわんばかりに誇らしい顔をしながら・・・・行ってしまった。あらら困ったな、どうしようかなと思っていたら、案の定舞台監督助手がやって来て、
「あのう・・・すみませんが・・・」
と言ってきたので、
「はいはい分かってますよ。こんな時こんな所にいつまでいるほど私はKYではないですからね」
という感じでそそくさと舞台袖に戻った。
「なんだあいつは、初日から厚かましいな!」
と思われていたら嫌だな。僕のせいじゃないんだけどな。でも、一方でこんな具合にカゾーニ氏が僕のことを初日からとても気を遣ってくれているのは嬉しい。好意を肌でひしひしと感じる。

4月2日土曜日

バイラーティ氏との食事
 この週末はFさんがミラノを離れるので、僕は今日からひとりで全てをやらなければならない。といっても外人達の中にいることは慣れているので自分にとってはとりたてて恐れのようなものはない。歳をとって人間が図々しくなているというのもあるしね。唯一の問題はイタリア語だけ。まあ、それもなんとかなるでしょう。

 合唱団の事務局のファルナンド・バイラーティ氏は、初日からとても僕に好意的で親切だった。この劇場には日本人びいきの人が少なくない。バイラーティ氏は片言の日本語をしゃべる。文章を作れるほどではないのだが、それでも結構通じるのだ。勿論僕との通常の会話はみんなイタリア語だけれど。
 午前中の練習が終わった時、彼が客席にいる僕に近づいてきて、
「どうですか、一緒にお昼を食べませんか?」
と誘ってくれた。勿論断る理由はなにもないし、この人と仲良くなって何も困ることはないので、喜んで同行させていただく。

 彼の車で乗せていてもらったのは、地元の人達が喜んでいくというピッツェリア。
「ここのペンネ・アラビアートがおいしんだ」
というバイターティ氏のお薦めにしたがって、「プリモ・ピアットとして」ペンネを注文する。もうそれでいいんだよねと思いたいところだが、イタリアという所は、プリモ・ピアットすなわち「第一の皿」であるパスタを飛ばすことはあっても、パスタだけで済ますというのは出来ないんだ。かならずセコンド以降の皿を注文しなければならない。
「僕はトマトサラダと豚肉のステーキを注文するけれど、どうしますか?」
いやいや、ペンネの後に肉はねえ・・・・・。僕が躊躇しているとバイラーティ氏は、
「ピッツァもうまいんだよ」
「それではマルゲリータを頼みます」
そしてペンネが来た・・・・・ヤバイ!これだけでも日本のイタリアン・レストランで出す1,5人前くらいある。こ・・・これがイタリアの単なるプリモ・ピアットかよう!バイラーティ氏はどんどん食べている。
「た・・・食べきれないかも知れません・・・・」
「食べなさい、食べなさい。おいしいだろう!」
まあ、おいしんだけどさあ・・・・。バイラーティ氏は、あっという間に食べてしまった。僕も頑張って食べる。
 それからピッツァが来た・・・・・・ヤバイ・・・・・ヤバイッシモ!YABAISSIMO !
んなもの、食べきれるわけないじゃないの!バイラーティ氏は、あっという間にトマトをたいらげ、草履のような豚肉ステーキをペロッと食べた。僕は・・・・残念ながらピザを半分近く残してしまった。チーズの香りが独特で、日本では絶対に食べれないような極上のマルゲリータを・・・・・。
 途中から、バイラーティさんの親友で、オケのステージマネージャーをやっているというイタリア人が来て、やはりペンネと豚肉ステーキを食べたが、彼はバイラーティ氏に薦められたペンネが辛すぎると文句を言って最後の方を残していた。バイラーティ氏は僕に向かって、
「こんなのが辛すぎるなんて、こいつはねお子ちゃまなんだよ」
と言った。僕もまあ、そう思うな。だって僕的には、これにタバスコをたっぷりかけてもまだ良いくらいだもの。でもね、イタリアにはタバスコをかける習慣はないからね。

 食事の最初に、
「飲み物どうする?」
と聞かれた時に、
「お水でいいですよ」
と答えた。バイラーティ氏は、
「なんで?お酒飲まないの?」
と訊く。
「いえいえ、夜には飲みますよ。でも、まだこれから練習があるから」
「なあに、今日はあと2時間しかないじゃないか。どうってことないよ」
と言って勝手に赤ワインを注文してしまった。そして僕にどんどん注いでくれている。彼もどんどん飲んでいる。あれえ?車で来たんだよね。

 食事が終わると、バイラーティ氏はまた僕を車に乗せて、猛スピードでミラノの街を疾走し、劇場に戻ってきた。彼がワインをしこたま飲んでいるのを知っている僕は、助手席で生きた心地がしなかった。うーん、この国ではまだ「うむを言わせず罰金何十万」という状態にはなっていないようだな。

ミラノ我が街
 「トゥーランドット」の舞台稽古が続く。昨晩11時半に「魔笛」が終わったのに、今日は朝の10時半からだよ。案外勤勉だね、イタリア人なのに。

 午前中の第1幕の練習では、やはり舞台道具の具合が悪くて、動かしたらすぐに壊れてしまう。一度、ガタンと大きな音がして家が揺れたら、みんな大騒ぎして、一人の団員が大声で、
「もうやってられない!いい加減にしろ!」
と怒鳴っていた。そんな時にはとにかくすかさず、
「休憩!」
となる。それで休憩ばかりしてまともな練習が出来なかった。すごく沢山舞台稽古の時間を取ってあるなと思っていたが、こんなやり方しているのでは、いくら時間があっても足りないな。

 午後の練習は、第2幕を無理矢理通して(本当に無理矢理・・・)4時前に終わったので、今日は初めてひとりで街を散策した。週末なのでドゥオモの界隈はもの凄い人だ。スフォルツァ城とその裏の公園をぶらぶら歩く。昨晩は迷わないように地図を見ながら必死で家まで帰って行ったが、今日は、なあに少しくらい迷ったってどうということはないぞ、と思っているからとても気が楽だ。
 スフォルツァ城の公園を過ぎたところにパリの凱旋門のパクリのような凱旋門が立っていて、そこからコルソ・センプローネ通りという広い街路樹のある通りが延びている。街角にカフェのアウト・ドアのテーブルが並んでいたり、ここはなんとなくパリっぽいなあ。でも、パリをちょっと野暮ったく庶民的にした感じにかえって親しみを覚える。

 トラムの1番というのが走っている。僕のアパルトメントの方に行く路線だ。ちょっと乗ってみようかな。でももの凄く混んでいて、乗ったはいいが、とてもカルネ(10回分の回数券)を刻印する器械にまで辿り着けない。その内他の人が降りたのでまた降りてしまった。チョビッとただ乗り。

 いろんなものを見ながら散策していると、突然胸に幸福感が溢れてきた。
「そうだ、僕はこの街で暮らすんだ。この街が、僕の街となるんだ!」
そう思うと嬉しくてたまらなくなってきた。
 ミラノは、ローマやナポリほど怪しくも危なくもないし、ドイツの街ほど冷たくお高くとまっているわけでもない。歴史は古く、いろいろな名所に溢れているが、かといって歴史にあぐらをかいている感じではなく、商業の街だから現代的で活気に溢れている。
 しかも一番大事なことは、このミラノ人の気質は、僕の気質にちょうどよくマッチしている。おおらかで陽気だが、案外きちんとしているところとか、その適当さと厳密さの割合がまさに僕の性格そのままと言えるほどだ。僕は、もしかしたら前世ミラノ人だったのではと本気で思った。

この街が僕の街となる!ミラノは僕のもうひとつのふるさととなるかも知れない。


あこがれのスカラ座(写真:三澤洋史)




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