自分たちの歌を持つ国民

三澤洋史 

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4月10日日曜日
 次女の杏奈がパリから遊びに来た。彼女の通っているメイクの学校が復活祭のバカンスに入ったのだ。今年の復活祭は4月24日なので、その近辺だけ休暇にすればいいものを、4月9日から26日まで18日間もバカンスだって。イタリアもお気楽かと思ったらフランスもなかなかのもんだ。お気楽な国からお気楽な国へようこそ!
 彼女は、RYANAIR(ライアンエアー)という、安いが評判の悪い飛行機会社を使って、パリ~ミラノ間往復を全てコミで150ユーロ(約17.000円くらい)で来た。まあ、評判が悪いと言っても、基本的には機内持ち込みの手荷物だけ可で、預ける荷物があるとその分お金がかかるとか、ドリンク・サービスがないとかいう程度だ。別によく墜落するとかいうわけではない。
 ひとつだけ難点があるとすると、ミラノ近辺の三つある空港の内、一番マイナーなベルガモ空港に降り立ったことだ。おっとっとっと、ガイドブックにも載っていない。でも、インターネットで事前に調べて、ミラノ中央駅からの空港バスに乗って迎えに行った。電光掲示板を見ると、この空港に発着する便は、ほとんどがRYANAIRばかり。

 さて、今日は「トゥーランドット」初日だが、その前にオーケストラ練習場でダメ出し稽古が18時からある。杏奈を連れて家に着き、僕が作ったトマトソースのスパゲティを二人で食べた後、午後のゆっくりした時間に僕たちは中心街に出た。それから杏奈を一人街中に残したまま、僕はダメ出し稽古に出る。
 合唱マネージャーのバイラーティさんのところに挨拶に行くと、彼は僕に鍵をくれた。
「これでヒロさんはいつでも好きな時にこの部屋に出入り出来るからね」
「ええ?ありがとうございます。確かに、ここに僕が荷物を置いていると、僕のことを気遣ってナンドさん(彼とはtuで呼び合っていて、フェルナンドの愛称ナンドと呼んでいる)が外出出来ないですものね。でも僕とすればロッカーをひとつ提供してくれればいいんですけどね」
「いや、この部屋のパソコンでもなんでも好きに使っていいからね。ほら、これが起動する時のパスワードだよ」
と言ってパスワードまで教えてくれた。なんて親切な人だろう!でも、家にパソコンがあるので、別に使わないんだけどね。

 そんな和やかな雰囲気とは対照的に、オーケストラ練習場の雰囲気は殺伐としていた。演出助手の女性が、ゲネプロの演出面でのダメ出しをし始める。今回のジョルジョ・バルベリオ・コルゼッティの演出は、イタリア人演出家にありがちな、ディテールが決まらなくて最後まで変更続きの舞台だった。それが合唱団員達をナーバスにしていたのだ。
 この日も、演出助手が通常のダメ出しをしている内はよかったのだが、彼女がゲネプロ後の再度の変更を合唱団に言い渡すと、合唱団員達が騒然とし始めた。
「もう、今更そんなこと言われたって、きちんと対処出来るかどうか自信がないよ」
「そんな根本的な大変更なんて無理!遅すぎる!」
「そうだ、そうだ!」
演出助手は、それでも伝えることだけは伝えて、顔面蒼白になって帰って行った。
 可哀想に、彼女のせいではないのに。って、ゆーか、一番やりたくない事をやって、一番いわれのない非難を浴びるのが、こうした中間管理職の辛さだね。僕も副指揮者時代によくそういう思いをしたよ。

 その後、カゾーニ氏が引き継いで、音楽的なダメ出しをする。カゾーニ氏の指導は、バイロイト時代のバラッチのようにはディテイルにこだわらないけれど、アドヴァイスのポイントは的確で、本人も良い声で歌うし、かなり素晴らしい合唱指導者であることは間違いない。特に、この本番直前の指導というのはとても効果的なので、ここで合唱指揮者の資質が問われるともいえる。
 カゾーニ氏の音楽的牽引力と人柄で、先ほどまで騒然としていた雰囲気は、本番前の良い意味での緊張感に変わってきた。これでもう大丈夫!

 僕は、今日の本番はパスすることにした。次の本番あたりを、きちんとチケットを買って杏奈と二人で見たいと思っているので、今晩はむしろ杏奈とどこかで夕食を食べることにしたのだ。携帯電話で彼女を呼び出し、二人でスフォルツァ城の裏の公園を散歩しながら、コルソ・センポーネ大通り沿いのレストランに入った。
 よく分からないまま、オードブル・セットを一人前とそれぞれピッツァを頼んだら、やはりイタリアのこと、まず凄い量のアーティーチョークやナスやズッキーニの天ぷらやら(本当に天ぷらそのまま)、いろんな種類の生ハムやら、モッツァレッラやらの超豪華オードブル・セットが来た。本当にこれ一人前?大丈夫かいな?ボラれているんじゃないだろうね。わずか14ユーロのはずなのに・・・・。でも後で勘定書を見たら、14ユーロポッキリだったので、逆にかなり良心的とはいえる。コルソ・センポーネ大通り沿いのレストランでピザ
 それから来ましたよ。ピッツァ!ひとつはマルゲリータで、もうひとつは生ハムとルッコラとモッツァレッラのピッツァというんだけど、モッツァレッラを内部に挟み込んだカルツォーネ仕立てのようになっている。
 やはりとても食べきれない。そこで厚かましくも、
「済みません、この生ハムもピッツァも食べきれないので、家に持って帰りたいんですが、包んでもらえますか?」
とボーイさんに聞いたら、快く引き受けてくれた。
 それを僕たちは、次の日のお昼にお弁当として持って行ってドゥオモの近くで食べた。そしたら、それだけでお腹いっぱいになってしまった。それを見ても、イタリア人のお腹に付き合うのは容易なことではない事が分かるだろう。

4月11日月曜日
 毎週月曜日は、合唱団は休日。でも劇場では夜にコンサートがある。今晩は、スカラ座・フィルハーモニーではなくて、指揮者アントニオ・パッパーノが率いるローマのサンタ・チェチーリア音楽院管弦楽団と合唱団によるブラームス作曲「ドイツ・レクィエム」演奏会だ。
 サンタ・チェチーリア音楽院合唱団は、僕がバイロイトでアシスタントをした合唱指揮者ノルベルト・バラッチ氏がかつて音楽監督をしていたことがあって、バイロイトの時代にバラッチ氏からも話を聞いていた。それに指揮者のパッパーノも、バイロイトで「ローエングリン」を振っていたからよく知っている。
 イタリアのオーケストラを生で聴く機会というのはこれまでになかったから、スカラ・フィルハーモニーとどう違うかというところから始まって興味は尽きない。特にラテン系のオケでブラームスだからね。一体どんな風に鳴るのだろう?

 曲が始まった。冒頭の低弦が充実している。おっ、かなり上手なオケだ。合唱が入ってくる。Selig sindの最初のハーモニーが清楚で美しい。おおっ!なかなかいいぞ!この合唱団は基本的にコンサートのための合唱団だから、声の作り方もオペラチックではなく、こうした音楽に向いている。
ただソプラノの音程と揺れがちょっと気になる。テノールは合唱団といえどもとても良い声なのだが、やはりスカラ座同様ソリスティックに歌い、バランス的にちょっと飛び出している。うーん、トータルで言ったら、東響コーラスの方がうまいかも。
 パッパーノの棒は、バイロイトでかつてドイツ人達が、
「マヨネーズを掻き回しているよう」
と表現したように、腕の関節をぐるぐる回して、ちょっと分かりにくい。特にブラームスの音楽の声部が重なり合ってくるような個所では、縦の線がズレると曲のテクスチャーが分からなくなる。
 昔、暗譜で振って曲の細部まで良く知っている僕とすると、うーん、やや欲求不満だなあ。あそこの内声も聴きたいし、あそこのアルトも、もうちょっとバランス的に出して欲しい。叙情的ではあるのだが、同じくらい構築性に富むこの曲を、イタリア的メロディックな感性だけで捉えようとしても、なかなかブラームスの世界に到達するのは難しい。
 ソリストの二人。ソプラノもバリトン・ソロも二人とも良い声なのだが、なんとも良い声を聴かせるだけで、しみじみ聴かせるとか感動的な歌唱を繰り広げるまでには至らない。それより、ドイツ語の発音やドイツ語的表現ということに関しては、ソロも合唱も・・・・まあ、イタリアの団体に期待する方が無理なんですね。日本でも、ドイツ語の発音自体はみんな一生懸命にやるけれど、ドイツ語的表現ということになると、なかなか内容の核心にまで迫ってという演奏は少ないからね。
 第6曲目の3拍子で嵐のような音楽の後、輝かしいフーガに突入するところで、合唱とオケがズレズレになった。うわあ、一番大切なところなのに・・・・。Peccato残念!

 曲が終わった。ブラボーの叫びに交じって、パッパーノに対する執拗なブーが何度も響き渡っていた。これは、パッパーノのドイツ音楽に対しての拒否反応?だとすると、聴いている人の期待度が高いということ?それとも、こちらではよくあることだけれど、単にアンチ・パッパーノの人達?その辺が不明だなあ。
 赤十字の慈善演奏会でも、こうして遠慮なくブーを言う社会というのが、なんとなく僕には新鮮だった。

4月12日火曜日
 今日は、「トゥーランドット」の公演を、このスカラ座の聴衆のひとりとして杏奈と一緒に観ようと思った。12時に開くドゥオモ駅のチケット売り場に行く。すでに前売り券は全て満席。でも、当日に戻ってくるチケットがあるという。チケットはあった!ただ、一番高い平土間席Plateaしかない。うーん。でも僕は決心した。一度だけこの席で観てみようと。

 練習をずっと平土間席で観ていた僕は、ここの感じはすでに知っている。また、お金がもったいなければ、一番てっぺんの7階GALLERIA席の当日券が買えないこともない。ダフ屋がそこそこの席をそこそこの値段で売ってもいる。
 でも僕は、スカラ座の平土間席の観客のまっただ中で観るという経験を一度はしてみるべきだと思った。劇場を知るとはそういうことだ。彼等がどんな反応をするのか?どんな雰囲気の中でオペラが進行していくのか?今回の研修で学ぶべき事の中に、こうした事も入っているだろう。杏奈は、思いがけなくスカラ座の「トゥーランドット」を前から9列目で観ることが出来ることに驚いていた。

 5時から練習がある。前にも書いたけれど、新国立劇場では、本番の日に別の演目の練習をするなど考えられないが、1回のプロダクションで最大6回くらいの公演数のシンコクと違って、スカラ座では、「トゥーランドット」だけでも13回の公演をこなしながら次のプリミエの準備を進めていくので、本番の日といえども練習を入れないと回っていかないのだ。 
 この日は「ロメオとジュリエット」と現代曲の「クワルテット」を練習したが、その前にカゾーニ氏が「トゥーランドット」初演のみんなをねぎらって、
「初演はみんな良くやってくれた。Bravi !」
とニコニコしながら言ったが、
「でも、ひとつだけ、終幕のコーラスをマエストロがいきなり八つ振りで振ったのでバラバラになったのだけが残念だったね」
と付け加えた。僕は立ち会わなかったので見ていなかったが、そうだったのか。
「それと、Diecimila anniの16分音符は、もうちょっと合わないかな」
「マエストロ!」
一人の男声団員が手を挙げた。彼はゲルギエフのブルブル震える手の動きを真似ながら、
「これの一体どこで歌い出したらいいか分からないんですが・・・・」
一同爆笑が起きて、団員達がやんややんやと騒ぎ出す。調子に乗ってふざけ出す人達もいて、こういうところはまるで小学校の教室のよう。
「まあまあまあ、そこんとこはみんなうまくやってね」
とカゾーニ氏がやんわりとかわす。カゾーニ氏のこうした親分肌の性格と包容力に団員が安心するのだろう。僕は見ていて、こうした合唱指揮者と団員との信頼関係っていいなと思った。

 さて、杏奈と一緒に平土間Plateaで「トゥーランドット」を観た。といっても舞台はすでによく知っている。セリを縦横に使ってダイナミックな舞台。それにプロジェクターが随所に使われていて効果的。僕は、特に助演のトゥーランドット親衛隊の槍を持った演技が好きだ。親衛隊は、スローモーションで動きながら、ナゾナゾに挑戦するカラフを威嚇する。
 練習の最中には度重なる変更でみんなをイライラさせたジョルジョ・バルベリオ・コルゼッティの演出は、出来上がってみると結構説得力に満ちて素晴らしい。これだから、蓋を開けてみるまでは分からないのだ。最初と最後にカラフが寝そべっていて、この物語全体がカラフの夢であったことを表現している。こうした「読み」も、あざとくなくていい。
 さすがに本番になると、オケも合唱もまた一段と迫力を増す。特にオケは、おそらくゲルギエフの趣味なのだろう、金管楽器群がバリバリに鳴っていて、まるでカウント・ベイシーなどのフルバンドのよう。そのせいか、木管楽器などはその陰に隠れてしまって、ちょっと存在感が薄い。
 例のズレたという終幕の合唱の個所が来た。うーん、その瞬間なんとも恐い。ゲルギエフが4つに振りたいのは分かるのだが、テンポがもうギリギリに遅いので崩壊寸前。でも今日はなんとか4つに踏みとどまった。って、ゆーか、このテンポでやりたいのであれば、無理しないで最初から8つで振ればいいのに。と、こんな具合に同業者というのは、いろんなところがはっきり見えてしまうので困るんだ。
 でも、ゲルギエフは本番になってもさらに進化を遂げていて、彼のやりたい音楽は、ゲネプロよりいっそうはっきり打ち出されている。やはり凄い指揮者であることは間違いない。この調子でいったら最後の公演あたりで彼の意図が充分達成されることだろう。でも、その前に見てしまった聴衆は・・・・・?
あははははは、それもオペラ鑑賞の運命みたいなものですな。

 公演が終わった。最初に舞台上で一同が並んでカーテン・コール。この時の聴衆の反応が結構あっさりしているので驚いた。ところが、それが一通り終わって緞帳前のひとりづつのカーテン・コールに突入すると、初めて聴衆の喝采に力がこもり始める。へえーっ、随分違うんだな。特にリュー役のマイヤ・コヴァレフスカにBravaの声と拍手が集中していた。僕も、彼女の全身からほとばしる献身的なリューの表現に胸を熱くしたひとりだ。

4月14日木曜日
 今日は特別な日。何故なら、この界隈で子供達を相手にヴェルディの「ナブッコ」を使って子供オペラを上演している団体の公演を見に行ったのだ。これもFさんからの紹介。イタリア第二の国歌とも言われる合唱曲Va', pensiero, sull'ale dorate(想いよ、黄金の翼に乗って飛んで行け)で有名な「ナブッコ」を選んだというところから、僕はどうしてもこの公演を観てみたいと思ってFさんに頼んだ。そしたら主催者から返事が来て、
「そんな新国立劇場の合唱指揮者なんかにいらしていただくのはもったいないような公演ですが、こちらとしたら大歓迎です」
ということだった。

 杏奈と二人で、電車でミラノから30分くらいのサロンノという小さな町に降り立った。子どもオペラにやってきた児童達開演が9時からなので朝早く朝食も食べずに家を出てきた。お腹がすいたので、駅のバールで朝食をとってから、地図に沿って歩き始める。
 さて劇場はどこかなと思っていると、向こうから児童達がゾロゾロとやってくる。みんな頭に自分たちで作った紙の冠をかぶっている。ははあ、彼等について行けばいいんだと思って一緒に歩き始めたら、みんなこっちを向いて騒いでいる。中には中国風のメロディーを歌い出す子供もいて、杏奈は、
「中国人に思われているね」
と笑っている。
 そうこうしている内に劇場に着いた。中から主催のOpera domani(明日のオペラ)の事務局のミケーレさんが近づいてきて、
「ようこそいらっしゃいました。Fさんから全て聞いております。これが資料です。どうぞ楽しんでいって下さい」
と丁寧に挨拶しながら、CDやらパンフレットやらいろいろついた資料を、僕と杏奈の二人に渡してくれた。
 案内されて中に入る。昔の映画館のような素朴なホール。子供達がみんなさっきの冠をかぶって劇場が一杯になっている。
劇場の客席の児童達
 オペラが始まった。新国立劇場子供オペラと同じくらいの小編成オケ。ただし金管楽器はトランペット一本にホルン二本という編成だ。指揮者はまず子供達の方を振り向いて、
「みんな準備してきたかな?では、ちょっと試してみましょう」
と言って指揮し始めた。おっ、いきなりVa', pensieroだ。子供達が結構しっかり歌っている。ははあ、これは子供達にあらかじめ準備させておいて、参加させる企画なんだな。そういえば、もらったパンフレットにかなりの量の楽譜が挟み込まれている。これは楽しみになってきたぞ。
 そしてオペラが始まった。民衆の個所はみんな子供達が歌う。結構難しい個所もユニゾンだが歌っているので驚く。特にVa', pensieroの個所に来ると、みんなうっとりとして歌っている。ソリスト達は若い人達が中心で、きっと音楽大学を卒業したばかりとかなのだろう。もの凄くハイレベルというわけではないが、オペラの楽しみを伝えるには充分な歌唱だ。
 観ている内に、これをそのまま新国立劇場に持ってくることも出来るかなとも思ったが、やはり、ここの子供達のように原語で味わえないというハンディは大きいし、日本では、Va', pensieroが自分たちの第二の国歌だと認識されているイタリアとは違う。「ナブッコ」というオペラも、日本では知名度もいまひとつだしな。うーん、新国立劇場では無理かな。

 オペラの内容が一通り終わって、歌手達が客席に降り始めると、景気の良い前奏が始まった。Fratelli d'italia(イタリアの兄弟達)すなわちイタリアの国歌だ。すると子供達が一斉に立ち上がって、イタリアの緑白赤のトリコローレのハンカチを振りながら大声で歌い始めた。まるでサッカーの観戦のように大興奮となる。す、凄い!
それからカーテン・コールとなるが、それぞれの歌手に盛大なブラボーを何も躊躇することなく投げかける子供達を見てあっけにとられる。なるほど、こういう文化の中からオペラという芸術も生まれてくるのか。もう土壌が全然違うな。ダメだ、レースにならんわ。
 帰り際、ミケーレさんにいろいろ感想を述べようと思ったが、子供達の対応に追われて忙しそうだったので、とても気に入ったことと、後で感想を書いてメールで送ることを告げて劇場を後にした。

自分たちの歌を持つ国民
 僕は、この子供オペラを観てとても深い感動を覚えた。それは、このイタリアに来てから今日までの間に随所で感じることと一致している。何があっても驚かないと決心してきた僕でさえ、毎日驚くほどアバウトで適当で無責任なこの国民にあきれることばかりだけれど、ひとつだけ彼等が素晴らしいものを持っていると気づき始めたのだ。それは、この国民は、みんなで歌える自分たちの歌を持っているということだ。

 僕が、東京バロック・スコラーズで「バッハとコラール」演奏会をやった時、一番訴えたかった事もそれなのだが、今の日本人にとって一番悲しい事は、イタリア人とは逆に、僕たち日本人が、自分たちの信じる道を持たず、自分たちの国を愛さず、自分たちのアイデンティティを自ら否定し、自分たちの歌を持っていないということなのだ。
 分かり易い事で説明しよう。僕たちは国歌「君が代」を愛しているか?自信を持って高らかに歌えるか?僕たちは「日の丸」を愛するか?日本人であることを誇りに思うか?「君が代」を歌うことや「日の丸」の国旗掲揚を拒否する人がいるのは知っている。それらにまつわる負の歴史があるからだ。
 それは分かる。でも、日頃そんな事を言っている人だって、オリンピックで日本人が一位になれば嬉しいんじゃないか。そして、その時だけ「君が代」の演奏に乗って日の丸の旗が高々と揚がると、何か誇らしい気持ちになるのではないか。選手はなにもあなたの知り合いでも何でもないのに、日本人だというだけで嬉しいんじゃないか。
 ところがその気持ちの根源を掘り下げてみることを誰もしない。オリンピックでバレバレになるように、本当はどの国民よりも愛国心に満ちているくせに、日本人はそれを何か恥ずかしいことのように隠している。大人がそんな風だから、子供達も自分の国に対して誇りが持てない。自分のアイデンティティを形作っているものを自分で否定することは、人間性のゆがみの第一歩だ。
 僕は本気で思っている。「君が代」や「日の丸」が負の歴史を持っていて嫌ならば、新しい国歌や国旗を考えればいいのに。イタリアの国歌のようにそのままでもサッカーの観戦に使えるような景気の良いヤツを作ればいいんだ。なんなら僕が作曲してやってもいい。「おにころ」の「愛をとりもどせ」のような曲ならすぐ出来るよ。国旗も、白地に真っ赤な円の代わりに、大きなハートとかね。国歌や国旗では、もう荘厳な感じはやめて、明るく軽やかにいこうぜ!

 僕が本当にうらやましいと思うのは、イタリアの子供達がみんないい顔をしていることだ。いや、子供だけではない。大人達もみんなとてもいい顔をしている。聞くところによると、イタリアの男の子の9割はマザコンだという。でも、それもよく分かる。街角でも、お母さんが本当に息子を可愛がっているのが分かる。そして、イタリア人はとてもファミリーを大切にしているし、それを態度で表現することをはばからない。
 自分を取り巻く環境を愛で満たすこと。子供が母を愛し、自分の地域を愛し、自分の国を愛することは、人間として基本的に必要なことなんだ。それを知っているイタリア人は、それだけで日本人よりも人間として優れていると僕は思う。そして、Va', pensieroやFratelli d'italiaといった、自分たちの歌を持っていて、誰にもはばかることなく大声で歌える彼等を、僕は本当にうらやましいと思うのだ。
 バッハの時代のドイツでも、バッハがコラールのメロディーを演奏するだけで、みんなその歌詞の意味を理解出来たのだ。それだけコラールが教会を通して民衆に浸透していたわけだね。

 画一的な価値観を押しつけられるのは嫌だというのは分からないでもない。でも、現代の日本人ほど、個別性という隠れ蓑の中で自らの想いと行動を規定する価値観を喪失し、その事で他人と何も共有出来るものを持たず、深い孤独に陥っている国民はないのではないかと、僕はこのイタリアの地でとても悲しく思うのだ。  


4月15日金曜日
 イタリアに来て初めて友達が出来た。「クァルテット」の練習が終わって外に出たら、「ロメオとジュリエット」の原語指導をしているフランス人と会った。彼はフランス語で僕に挨拶する。僕が帰ろうとすると、
「一緒にお茶でも飲まないかい?」
と彼が訊いてきた。
「ゲッ、こいつと一緒にお茶を飲むってことは、フランス語で話さなければならないってことか」
と思ったので何となく躊躇していたら、
「いいじゃないか。ちょっと行こうよ」
と強引に誘うので、断り切れなくてついて行った。
 二人で例の巨大なアーケードの入り口あたりのカフェに入った。僕は、今は一生懸命イタリア語に慣れようと頭をイタリア語モードにしているのに、彼はお構いなしにフランス語で話しかけてくる。
「僕のフランス語、下手だから・・・」
「いいよいいよ、全然構わないよ。ゆっくりしゃべっていい」
仕方ないから腹を決めてフランス語で話し始めた。初めはイタリア語とフランス語がごちゃごちゃになっていたが、話している内にだんだんフランス語を思い出してくる。
 彼の名前はジェラール・コロンボと言って、スカラ座合唱団のバリトン・メンバーだが、「ロメオとジュリエット」は、歌うメンバーからはずれて原語指導に回っている。僕よりは若いが、それなりの歳と見た。世代が近いこともあって、話してみたらとても僕と気が合うということが分かった。
 彼は、僕がどんなに言葉に詰まっても気長に待ってくれる。だから僕も安心していられる。本当にやさしい奴だ。話に夢中になっていたら、なんと2時間も経過していた。彼は、「トゥーランドット」には合唱のメンバーとして乗っているので、これから劇場に戻り、メンザで食事をしてから今晩の公演の準備をするという。僕は彼に、
「君は僕がミラノに来てからの初めてのお友達だよ。とても嬉しいよ」
と言った。彼も嬉しそうだった。僕は、彼と別れてから、スキップしたい気分で街を歩き、一番線のトラムに乗った。

杏奈のお陰で文化的生活
 今日は、杏奈は一人でフィレンツェに行っている。そうだ、久し振りに日本食を作って杏奈の帰りを待っていよう。そこでトリの照り焼きと肉じゃがを作ることにした。ところが準備をぐずぐずしている間に杏奈がもう帰ってきてしまったので、手伝わせて一緒に作って食べた。
 今日は二人ともお酒を抜く日。でも本当は、杏奈ったら、フィレンツェでお昼にワインをグラスに二杯も飲んできたそうだ。親の知らない間にどんどん若者は成長していくなあ。

そういえば、杏奈が来てから、家の中はきれいになったし、彼女は代官山のレストラン・エピでアルバイトしてからかなり料理の腕もあげたので、家でおいしいものが食べられるようになった。写真は杏奈特製のリゾット。

杏奈特製のリゾット


また、彼女はスーパーで鉢植えのバジルを買ってきて、水をくれて育てながら料理に頻繁に使っている。摘みたてのバジルは、モッツァレッラと一緒に食べたりすると、香りがあってとてもおいしい。



 さて、17日日曜日と18日月曜日は、合唱が休みなので、杏奈と二人でヴェネツィアに旅行してきます。では、みなさん、お元気で!



Cafe MDR HOME

© HIROFUMI MISAWA