ヴェネツィアという魔法

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

ヴェネツィアという魔法
 ヴェネツィアはまさに夢の国だ。この街そのものが、アドリア海にポッカリ浮かんでいるひとつの島。街中にあまねく運河が張り巡らされ、運河に架かるアーチ型の橋を渡ると、その下を優雅にゴンドラが通り過ぎる。

ヴェネツィア1

 車は一台も走っていない。タクシーも船。ゴミ収集車も船。救急車も船。ヴァポレットと呼ばれる乗り合い船が、運河や島を縦横に行き来している。各船着き場から吐き出されるようにおびただしい群衆が降り立ち、そして別の群衆が飲み込まれてゆく。それが3分おきくらいにやって来る。
 道は迷路のように曲がりくねり、「サン・マルコ広場こちら」という矢印を見ないと容易に迷子になってしまう。でも、迷子になっても別に構わないという気持ちになる。どこをどう行っても、いつか大運河か海岸かのどちらかに着くのだから。

 人がすれ違うのがやっとなくらいの暗い細道が多い。そのひんやりとした高い壁を見上げると、まるでカッターでくり抜かれたように、鮮やかな青空が垣間見え、その下に洗濯物が綱に架かってぶら下がっている。
 と思うと、突然大きな広場に出る。鳩がのんびり餌をついばみ、犬がそれを見つめている。その犬は、広場のピッツェリアで飼われているが、つながれていないので、広場全体を自分の所有地のように思って一日あっちに行ったりこっちに来たりぶらぶらしている。ピッツァを食べるお客のそばに行って撫でられたりしているが、かといって食べ物を無心するほど甘やかされてはいない。
 ベンチに座った老人が新聞を広げている。読んでいるのか読んでいないのかよく分からない。多分、半分眠りながら時が過ぎるのを待っているのだろう。

 観光客目当てが見え見えの街でありながら、ちょっと横町に入るとこのような生活の風景が漂っている。どの街角をどのアングルで撮っても絵になるのに、それすらも不必要に思われるほど、ここでは全てが当たり前のように過ぎてゆく。この自然さこそこの街の本当の魅力だ。

 とはいえ、サン・マルコ広場の界隈は、お上りさんで溢れていて、一年中お祭りのようだ。枝の主日ミラノのドゥオモ広場や、パリのモンマルトルの丘と一緒だ。これはこれでいい。僕たちが着いた時、ちょうど枝の主日のミサが終わって信者達が聖堂から出てきた。
 そうだ、今日から聖週間が始まるのだ。聖木曜日、聖金曜日と過ぎて行き、次の日曜日は復活祭なのだ。枝の主日とは、キリストがエルサレムに入城したことの記念日だ。キリストはロバに乗り、一同は自らの上着を脱いで通りに敷き、それぞれが棕櫚の葉を手に持って、
「ダビデの子にホザンナ!」
と救い主を讃えたのだ。
 それを偲んで、今日でも信者は手に棕櫚(しゅろ)の葉を持っているが、その棕櫚の葉の大きいのにびっくりした。イタリアで枝の主日を過ごしたのは初めてだから分からないけれど、どこもみんなこんな大きな葉をもらうのだろうか?
 僕たちもお上りさんになって鐘楼に登ってみた。20分くらい並んで一人8ユーロでエレベーターに乗る。朱色の屋根で埋め尽くされたヴェネツィア全土と、周りに広がる海と島々の眺望に圧倒される。かつてのヴェネツィア共和国の繁栄がそのまま蘇るようだ。

 夕闇があたりを包み始めると、街は一変する。桟橋に絶え間なく打ちつけるひそかな波の音。かすかな潮の香り(海辺なのにあまり強くない)。街灯のうるんだ淡い光。遠くのレストランから響いてくる人々のさざめき。まるで妖精がそのステッキで金の粉をふりかけたように、全て目に映るもの耳に響くものが魔法めいてくる。すると僕たちは、大気の中に麻薬でも流し込まれたようにロマンチックな気分になる。

ヴェネツィアの杏奈1

杏奈もすっかり雰囲気に酔って、ここで買った仮面をかぶってうっとりとしている。あれっ?この娘って、こんな可愛かったっけ?

 僕が前にここを訪れたのはベルリン留学中。1982年の3月だから、もう29年前か。今の杏奈の年齢より若い妻と一緒だった。僕もまだ若く、希望に燃えてはいたが、音楽家として食えるかどうかも分からず、先行き不安に充ち満ちていた。でも今、僕の横にいるのは、その頃にはまだ影も形もなかった杏奈。あの頃の僕の歳とほぼ同じ。ここの風景は昔と何も変わっていない。時だけが経ったのだ。
 あと29年経ったら、もう僕はこの世にはいないかも知れない。そして杏奈が誰かを連れて再びここを訪れる。今の僕と同じくらいの年齢になって、横にいるのは彼女の連れ合い?あるいは子供?その時も、全く同じ風景が彼女を迎える。そして、僕が今思っているようなことを、彼女はその時初めて感じるのだ。
 我々は、変わらないものを見ることによって、かえって絶え間なく移りゆく人生を感じるのだ。美しいヴェネツィアだからこそ、指の先からさらさらとこぼれ落ちてゆく砂のような生命のはかなさを想う。

ヴェネツィアとは、そんなところだ。

ヴェネツィアの杏奈2


魚三昧
 さて、ヴェネツィアに来たからには、ここでしか食べれないものを食べるぞ。やっぱり海辺だから魚でしょう。お昼は、「地球の歩き方ミラノ・ヴェネツィアと湖水地方」に載っていたAl Conte Pescaorという店に入ってみた。ヴェネツィア風前菜盛り合わせが素晴らしかった。

海の幸前菜


 イタリアでは、パスタはスープと同じ第一の皿なので、これだけで済ませることは難しいが、胃袋が小さい日本人の場合、パスタ一つとメイン料理一つずつ注文すれば、お皿を二つ持ってきてもらって分けることは出来る。たとえば、僕たちはカニとルッコラのタリアテッレと、メインの舌平目の炭火焼きを一つずつ頼んだ。こうすれば、食べきれなくて困ることはないし、嫌な顔をされることもない。
 夜は、いきあたりばったりの店で、これまた魚三昧。前菜はビーフのカルパッチョ。第一の皿はムール貝のスープ。これは具が沢山で汁が少なくて濃厚。スープと言っても、そのままで飲むというよりパンにつけて食べる感じ。メインは二人とも魚料理。僕はスズキ、杏奈は鯛。日本人的には、お魚料理はスッキリとお腹に納まる。


ワーグナーの愛した街
 ヴェネツィアに来ても朝のお散歩は欠かさない。というか、今やこれのみが肥満と高血糖から自分を守る唯一の砦なのだ。今日はどうしてもある場所に行ってみたかった。それは・・・ワーグナーが没した場所だ。
 彼は晩年イタリアを愛した。パルジファルの花の乙女達の場面は、ソレントの南側にあるアマルフィの近くでインスピレーションを受けたと言われているし、亡くなる前はヴェネツィアに居を構えていたのだ。
 彼が亡くなる日の朝、妻のコジマと軽い喧嘩をしている。花の乙女のひとりに可愛い娘がいて、ワーグナーが彼女を密かにヴェネツィアに呼ぼうとしていたのがバレたらしい。まったく死ぬ朝まで懲りないエロジジイだね。あっ、失礼。
ワーグナーの没した場所ここが彼が最期を迎えた場所。今はカジノになっているヴェンドラミン・カレルジ宮。バイロイトのような緑に囲まれた場所こそ終(つい)の棲家だと、ワグネリアンなら思いたいところだが、この街で亡くなったというのも分かる気がする。
 心臓発作を起こしたワーグナーは、コジマの腕の中で息を引き取った。コジマは、長い間ワーグナーを抱きかかえたまま決してそこを動こうとしなかったらしい。それだけ愛していたのだとみんなは言うが、僕にはコジマが浮気癖のあるワーグナーに対して、
「やっとあなたはあたしだけのものになったのよ」
と最後の勝利宣言をしているような気がして仕方がない。まあ、それも愛する故にだ。

島巡り
 ヴェネツィア旧市街の雑踏もいいが、周辺の島はまた格別な雰囲気を醸し出している。それぞれが違うキャラクターを持っているようだ。リド島は、はてしなく続く砂浜を持つリゾート地。旧市街と違ってバスも自家用車も走っていて広々としている。僕たちは、車タイプの二人乗り自転車を借りて島を半周した。同じ道路を車がビュンビュン追い抜いていくし、信号も車やバスと一緒なので、免許を持っていない僕たちはなんとなく恐かったが、海岸べりのそよ風が実に心地よかった。
 ヴェネツィアン・グラスの工房で有名なムラーノ島の街中に入ると、あまりにのどかな空気にとてもリラックスしてしまう。サンティ・マリア・エ・ドナート教会の聖堂に足を踏み入れた瞬間、えもいわれぬ美しいハーモニーが響き渡っていた。見ると6人組のグループが聖堂の真ん中で円を描いて立ち、歌っている。それぞれがリュックサックを背中に背負ったまま、ラフなジーンズの姿で小アンサンブルをしている。互いに体を動かし合ってコンタクトをとりながら、細かいニュアンスも合わせ合っている。う、うまい!この人達、プロなんだろうか?僕たちは聖堂の後ろの方の椅子に座って聞き惚れていた。
 ひとしきり歌うと彼等は満足そうな顔を浮かべて帰っていった。誰に聞かせるわけでもなく、自分たちの楽しみだけのために歌っていた彼等。帰り際に目があったので、僕は微笑みながら音の出ない拍手をした。呼び止めて、どういう人達なのか訊こうと思ったが、そんな野暮なことはやめておいた。
 でも、僕は思った。こういうことがコーラスの原点なんだな、と。自分の声が他人と混ざってハーモニーへと変容してゆく歓び。何も求めず無心に歌っていた高崎高校合唱部の時代。自分も参加して円を描いて歌っていた、かつての東京バロック・スコーリアの時代。あの頃つかんでいた素朴な歓びを今の自分は忘れてはいないだろうか?


ゲルギエフの悲愴交響曲
 4月18日月曜日。ヴェネツィアから帰ってきて疲れていたけれど、どうしてもスカラ座フィルハーモニーの演奏会が聴きたくて、家に帰らずにそのまま杏奈と劇場へ向かう。GALLERIAの立ち見席をゲットする為に5時に並んでノートに自分の名前を書く。そして番号札をもらって6時にチケットを購入するのだ。わずか5ユーロ(600円くらい)。その代わり、演奏会の間、ずっと立って観るのだからね。

 プログラムは、前半がドヴォルザークのチェロ協奏曲。チェロのマリオ・ブルネッロMario Brunelloが、ニュアンスに富み、陰影のあるフレージングで素晴らしい演奏を繰り広げてくれた。ドヴォルザークの音楽は田舎っぽいところがあるけれど、こういう風に演奏されると、なんとも言えない郷愁を覚えるなあ。

 さて、メインはチャイコフスキー作曲第6交響曲「悲愴」。結論から言うとかなりの名演だった。僕は元々チャイコフスキーが大好きだ。特にベルリンに留学して、あのドイツの零下20度くらいまで下がる冬の寒さと暗さを経験してから、ますます自分に近くなった気がした。ベルリン芸術大学指揮科の卒業試験も、第5交響曲で受けて一等賞を取った。
 でも、「悲愴」という曲には、それほど思い入れがあるわけではなかった。名曲であるとは思っていたが、なにかいたずらに悲劇性を煽るわざとらしさを感じて、全身でのめり込むことに躊躇していたのだ。
 ところが今日はこの曲を聴きながら、初めてチャイコフスキーの心が分かった気がした。第5番よりも、もっと深い赤裸々な告白がここにある。それに、この曲の作曲技法は、本当に研ぎ澄まされた円熟の極みと言っていい。チャイコフスキーのテーマやモチーフの展開の仕方は、ベートーヴェンやブラームスなどドイツ系の作曲家の主題労作とは全くアプローチが違うが、別の意味で構造的であり立体的だ。それでいながら、ストーリーが発展していくようなドラマ性がある。
 特に第1楽章展開部は独創的だ!展開部の終わりの方で、弦楽器が怒濤のようなメロディーを奏でるところがあるが、それを聴いていながら、
「いいなあ、熱いなあ。涙!血!たぎる情熱!」
と胸に込み上げるものがあった。
 また、第2楽章の優雅さが好きだ。5拍子という変わった拍子。踊れそうで踊れないワルツ。中間部のティンパニーの連打に乗って、焦燥感に満ちた音楽が響き渡る。

 と、ここまで書いておいて今更言うのもなんだけれど、僕はやっぱりゲルギエフの棒というのが苦手だ。ドヴォルザークのチェロ協奏曲の出だしもそうだったけれど、オーケストラは、彼が出しているテンポと全く無関係なテンポで平然と進行する。同じように、悲愴の第2楽章からほとんどアタッカーで(切れ目なしに)第3楽章に入った途端、僕は自分の目を疑った。彼の出すテンポが全く分からなかった。もし僕がオーケストラの楽員だったら、絶対に出られなかっただろう。
 でもオケは何事もなかったかのように演奏を始める。とはいえ、テンポはそれぞれが出たとこ勝負の見切り発車。基本は二つ振りだが、細かい音符を合わせるのが難しいので、用心深い指揮者は四つ振りで振り始めるこの難曲を、見ていると一つ振りのように見える振り方をしている。というか、先端がブルブル震えているので、それもさだかではない。
 当然、冒頭は惨めなくらいバラバラで、みんなのテンポ感が合ってくるまで何小節もかかった。それはまだ許せるとしても、ピアノでデリケートに始めて欲しいのに、まるでアメヤ横町の雑踏のようにガサツなダイナミック。
 それでもね、良いところはある。この曲の虚勢を張ったようなキャラクターが、整然としてないからこそ浮き彫りにされたのだ。決して「この曲で明るく解決してこの交響曲は終わり」という風にはならなかったので、終わった瞬間でも誰も勘違いして拍手しなかった。まあ、でもこれは善意の解釈であって、第3楽章の仕上がりとしては、アマ・オケも含めて僕がこれまで聴いた全てのこの曲の演奏の中で最悪であった。
 ところが終楽章だけは無条件に拍手を送りたい。彼も炎に包まれたように燃えていたし、オケも熱演だった。スカラ座フィルハーモニーの弦楽器は熱に浮かされたようにうねり、劇場を床から揺るがして響き渡っていた。このオケの弦楽器は最高だ。
 テンポは相変わらず分からないけれど、この曲ではもうそんなことはどうでもいい。チャイコフスキーは、第2楽章の優美と憂愁との交差や、第3楽章の意志と意欲とそれの空回りを、全てこの第4楽章の救いようのない絶望の表現の伏線として配置していたのが良く理解出来た。僕も深い感動に包まれた。

 さて、ゲルギエフという指揮者であるが、結果として出来上がった音楽が良ければ、その指揮者は良い指揮者なのだという論法からすると、ゲルギエフは良い指揮者なのだろう。でも、僕は彼から、少なくともかつてカラヤンやフルトヴェングラーやクライバーから感じたような、棒からビンビン感じるインスピレーションとか、あるいは惚れ惚れするようなテクニックとかを全く感じない。彼の指揮する姿を見ても何も得るところがない。エネルギーや熱気は感じるけれど、そんなもの若い指揮者だったらみんな持っている。
 楽器奏者にたとえてみれば分かるだろう。ウィルヘルム・ケンプがいくらテクニックないと言われたって、自分の演奏する曲を弾くための最低限のテクニックは持っているだろう。それどころか、ケンプの指から紡ぎ出すひとつひとつの音が集合し、まぎれもない彼の音色やフレージングや解釈だと聴衆に認識させることを可能にするのは、やはり彼のテクニックなのだ。なにも指が速く動くのだけがテクニックではない。
 ところがゲルギエフはねえ・・・・テンポひとつ決められなくて何を主張出来るのだろう?テンポだけでなくバランスも悪い。第1楽章最後の葬送行進曲の部分で、トロンボーンをどうしてあんなに大きくノー天気に吹かせるのだ?それまでのプロセスが台無しじゃないか。それだって、本当にゲルギエフがそうしたいからそうなったのか、たまたまそうなったのか分からない。そこだけでなくバランスに関しては、はっきり言ってシロウトのレベルだと思う。
 今晩の演奏会の成功だって、どこまでゲルギエフの功績なのかよく分からない。僕の推測とすれば、スカラ座フィルハーモニーの力に依るところがかなり大きいような気がするんだけれど・・・・。

 うーん、誰か教えて欲しい。音楽は、実はもっともっと奥の深いもので、僕が気が付かないゲルギエフの本当の良さというものがあるのかも知れない。もしかしたら、僕はまだ音楽家としての認識力が不足していて、とても大切なことに気が付いていないのかも知れない。

だといいんだけど・・・・。

新作「クァルテット」
 ルカ・フランチェスコーニ作曲の「クァルテット」はスカラ座の新作オペラだ。4月26日に初日の幕が開くというのに、先週あたり合唱団員はまだ楽譜と首っ引きなので、大丈夫かなあと思っていたら、実は合唱団は舞台に登場しないそうだ。オーケストラ練習場で、バンダのオケと一緒に演奏したものをマイクでひろって、劇場のスピーカーから流すというので、本番も譜面を見ていいわけだ。なあんだ、心配して損した。

 作曲家の意図によると、劇場のあちらこちらに仕込んだスピーカーによって、客席中にオケや合唱の音がグルグル回るという。実際に劇場内で聴いてみると、確かに音はグルグル回っている。オーケストラ練習室にいるバンダのオケも、なんとひとつの立派なオーケストラとしての編成を持っている。それと合唱がミックスして会場に中継されているのだ。
 平土間Plateaで聴いていると、なかなかきちんと鳴っている。ここの音響技師は結構優秀と見た。ただクリアさを出すためにスピーカーの音量を大きめにしているので、一度うるさいなあと聴衆に感じられてしまうと、拒否反応を引き起こしてしまうかも知れない。

 音楽面を受け持っているのは、ピエール・ブーレーズが1977年に創設したというIRCAM(Institut de Recherche et Coordination Acoustique/Musique)フランス国立音響音楽研究所(と訳されている)の演奏部門であるEnsemble InterContemporain(なんて訳すか分からない。要するに現代音楽アンサンブル)で、指揮者のスサンナ・メルッキ(女性!)は、初代のピエール・ブーレーズから引き継いだ現音楽監督。もの凄く才能があって、てきぱきと全てをさばいていく。棒も明快そのもの。
 彼女をはじめとした音楽スタッフ達は、基本的にフランスから来ている。そのため、劇場内ではフランス語と英語が飛び交っている。みんなスリムでタイトでスマートでクール。「トゥーランドット」の時と随分違う印象!ここに来てから一ヶ月も経っていない僕でさえ、スカラ座としてはかなりの違和感を覚える。
 登場人物は男と女の二人だけ。現代作品にありがちな男女の「危険な関係」を扱った題材。舞台の真ん中に釣られて中空にぽっかり浮かんだ部屋や、プロジェクターの効果などと相まって、全体的にはなかなか面白いものになってきそうだ。

 ただ、合唱の練習を見ていても舞台稽古を見ていても思ったが、はっきり言って、このような作品はイタリア人には不向きだ。どうして、わざわざスカラ座でやるのだろう?総裁のリスナー氏がフランス人だからなな。どう考えてもこういうものは、フランスを抜かして考えれば、あとは僕たち日本人が上手に出来るに決まっている。まあ、こんな作品でスカラ座に勝ったとか言ってみても始まらないのだけれど、僕は思ったんだ。「軍人たち」をあのレベルで上演出来た新国立劇場で、もし可能ならばこの作品をやってみたいなあ・・・・と。

4月21日木曜日
 昨晩、杏奈がパリに帰っていった。僕がミラノに来てまだ10日しか経っていない時に来て10日間もいたのだから、淋しくないといえば嘘になる。杏奈をミラノ中央駅のバス停まで送っていった後、杏奈と一緒にいた街角に戻ると悲しくなってたまらないような気がしたので、地下鉄に乗るのをやめて、全く初めての道を歩いて、それから別のトラムに乗って家まで帰った。
 家に着いたら、最初にここに来た時には感じもしなかったが、部屋がやけに広くて閑散としている。ひとりぽっちが身にしみる。ヴェネツィアでの杏奈の可愛い仕草とか、起き抜けのすっぴんのやけに子供っぽい顔とかがやたら思い出される。胸の中にぽっかり穴が空いたよう。
 タンスの中を見て驚いた。下着やシャツがきれいにたたまれている。ああ、全部洗濯していってくれたんだ。ありがとう、杏奈!絶対いい奥さんになれるよ。僕が保証する!

「娘さんと仲が良いですね」
とよく言われる。確かに、通常だとこんな五十半ばのおじさんと二十代の女の子となんて共通の話題なんて何もない。でも杏奈も音楽をやっていたし、以前僕がバイロイトで働いていた時も一人で遊びに来た。
 長女の志保の時もそうだったけど、外国で一緒に過ごす時を持つ事は、父娘の交流を深めるのには最良の機会かも知れない。それに、僕が二人の娘を目の中に入れても痛くないほど可愛がっているのを彼女たちも分かっている。ところで、この表現って面白いね。一体どうやって目の中に入れるのだ。でも多分、杏奈や志保を目の中に入れても、僕は本当に痛くないと思う。
 
 さて、悲しんでばかりもいられない。僕のイタリア滞在は、これまでが序奏あるいはプロローグだった。これからアレグロ主部に入る。何故なら、今日語学学校の受付をしてきたのだ。いろいろインターネットで調べていたけれど、スカラ座からあまり離れない方がいいので、一番交通の便がよいカドルナ駅に隣接したAccademia di Italianoという学校の門を叩いた。
 レベル・チェックのテストをする。最初は簡単だが後ろに行くに従って難しくなってくる。これは別に卒業試験でも資格取得の試験でもないので、ここで見栄を張って良い成績を収めても仕方がない。僕は、かつてパリのソルボンヌ大学の夏期講習でフランス語を勉強した時、やはりレベル・チェック・テストで頑張りすぎたために、いきなり中級コースに入れられて、初日から条件法と接続法の嵐を浴びて死ぬ思いをしたのだ・・・・と、分かっているのだが、どうも目の前に試験問題が出されると、いつもの習性で知っているものを知らないフリをするわけにはいかない。条件法や接続法も、ゆっくり考えれば出来てしまう。
 答案用紙を持って行くと、担当のお兄さんが軽いノリでその場でスラスラと採点し、
「ブラヴォー!」
と言った。
「すみません。僕、こうやって時間かけて書いたり読んだりするのはある程度出来るのですが、会話が出来ないので、これだけで判断しないで、レベルの低いクラスに入れて下さい」
「それではこうしましょう。あなたの選んだスタンダード・コースでは、月曜から金曜まで週5回、会話のクラスと文法のクラスがそれぞれ1時間半ずつあるので、会話のクラスを少し低いクラスにしてみましょう。でも、簡単すぎてつまらなく感じられたら、途中でクラスを変わってもいいですからね」
まあ、それだったらいいかな。
「本当は来週からなのですが、来週の月曜日が復活祭休暇で休みなので1日足りなくなります。もしあなたさえよかったら明日の金曜日から出席出来ますがどうしますか?」
「では、明日からお願いします。ところでテキストの本はどうしますか?」
「来週から変わるかも知れないので、とりあえず先生がコピーしたものを明日は使って、様子を見て下さい」
ということで、思いがけなく明日から授業だ。
 どんなクラスなんだろう?難しすぎなければいいけどな。テキストもないので準備のしようもない。まあ、いろいろ心配しても仕方がないので、明日はのんびり行くか。

4月22日金曜日
 ヤバい!ヤバいのだ!「まあ、様子見に」なんて呑気なこと考えて行ったクラスが、めっちゃレベル高いやんけ!パリの時もヤバかったけれど、その上を行く。クラスには僕の他に若い女の子が3人だけ。その娘達がまた良く出来るのだ。だから言わんこっちゃない。もっとレベル・チェック・テストで間違えまくっておけばよかったのに・・・・と悔やんでみても仕方がない。
 ただね、遊びに来ているわけでもないので、このくらいの厳しさはあってもいいのだよね。テキストがないので、先生が僕の分だけコピーして渡してくれる。恐らく他の生徒達は本を持っているので、初めての所だって少しくらい目を通しているだろうに、僕の場合はまるで初めてだ。それなのに先生が、
「ヒロ、これをやってみて」
なんて言うんだ。それに4人しかいないから、すぐ順番が回ってきてしまうのだ。
 二人ずつ組んでテキストの絵を見ながら物語を作り出し、二人で文章を作って先生の前で発表する。それを先生が容赦なく直していく。全てにおいてテンポがもの凄く速い。考える間もないし、ましてや知らない単語があったとしても辞書を引く間なんてない。基本的文法は全てマスターしているという前提に立っている。これは大変なところに来てしまったぞ!
 一時間半の会話の授業が終わってホッとしたのもつかの間、文法の授業になったら、先生は昨日僕の答案を採点した軽いノリのお兄さんだった。ノリは軽いがめっちゃ厳しい。でも、思ったな。この学校の先生は二人とも凄く優秀じゃないか。生徒をつかの間も甘やかさないし、それでいて生徒達のレベルを見ながら先に行き過ぎず、上手に誘導している。指揮者の指導のあり方と共通しているので、もの凄く得るところがあるなあ。

 授業が終わったらクタクタになった。放心状態。目眩がする。おっと、まだスカラ座では「クァルテット」の練習が終わっていないだろうな。行かなくちゃ。僕は劇場めざして歩き始めた。そしたらすぐに合唱団のアルト団員とすれ違う。
「あれっ、もう終わったの?」
「今日はもう終了よ。チャオ!」
なんだ、どうしようかな。でも、このまま家に帰るのもなあ・・・・と思っている内に劇場に着いてしまった。合唱事務局のナンドさん(バイラーティ氏)のところにでもいって少しダベるか。
 ところがね、驚くなかれ、ナンドさんとしゃべったら、いつもよりずっとスムースにイタリア語が出てくるじゃないの。驚くべき語学学校の力よ。やっぱり、僕のイタリア生活は、今日からソナタ形式のアレグロ主部に入ったのだ!

十字架の道行き
 家の近くに教会がある。今日は聖金曜日。いくら怠惰なカトリック信者でも、どうせ暇なんだから聖金曜日くらい教会に行かなくちゃ、と思って行ってみた。そしたら、聖金曜日の礼拝は15:00からと書いてある。ゲッ!もう終わってしまったじゃないの。午後3時なんて来れる人いるの?なるほど、キリストが十字架上で亡くなった時刻か。
 その下に21:00から「キリストの十字架の道行き」と書いてある。ここには出られそう。なになに?プレアルピ広場から始まって~どこどこを通って・・・・と書いてある。ようし、ここに参加しよう!

 ところが、9時にまた教会に来てみたが誰もいない。そうか、最初からプレアルピ広場なのだ。いけねえ、遅刻だ!急いでプレアルピ広場に向かう。歩くにつれて、最初はかすかだったが、マイクに乗せた祈りの言葉や歌がだんだん大きくなってくる。広場に着いた。駆け足だったので息がすこし上がっている。見ると円陣を組んで人々が沢山集まっている。手に手に風よけの付いたロウソクを持っている。
 それからすぐに行列が始まった。司祭が先頭に立って十字架を持ち、その後ろを人々が歌いながらゾロゾロと行進する。行列は大通りを越えて向こう側に向かう。沢山の車やトラムが走っている通りだが、お巡りさんが出ていて交通整理をして、行列が終わるまで車やトラムを完全に止めている。
 凄いな。国がカトリックであるということはこういうことなのだ。
「お前達の交通の便利さよりも、十字架の道行きの方が大事なんだ。ほらほら、そこどけ、道行きが通るぞ!」
という感じなのだ。しかもミラノだけで沢山の教会があるのだから、今頃交通は大混乱か。でも、日頃から混乱しているからあまりみんな気にしないかもな。先日もトラムに乗っていたら、その日マラソン大会があって、その一群が通り過ぎるまで15分くらいその場でじっと待たされたもの。

 さて道行きの一行は、あらかじめ用意されていた場所でそれぞれ止まって、十字架を中心に人々が再び円陣を組む。祈りと歌が捧げられる。その後で子供がヨハネ・パウロ二世の言葉を語る。それは世界で子供が飢えていたり悲惨な目にあっていたりすることに言及している。聖金曜日のこの機会に想いを馳せようという意図なのだろう。
 十字架の道行きを行っている間、僕の胸の中は悲しみで一杯になっていた。イエスの無念さや、母親マリアの深い悲しみが伝わってくるようだった。その時、先日杏奈と行ったスフォルツァ城博物館にある「ロンダニーニのピエタ」が突然脳裏に蘇ってきた。

 キリストの亡骸を抱きかかえる「ピエタ」といえば、バチカン市国のサン・ピエトロ寺院にある彫刻があまりにも有名だ。ミケランジェロ弱冠25歳の時の大傑作だが、実はミラノにもミケランジェロ作の「ピエタ」があるのだ。それが「ロンダニーニのピエタ」なのだが、こちらはミケランジェロ最晩年の未完の作品。ここに表現されているのは、バチカンの輝くばかりに美しいマリアとは似ても似つかぬ苦悩に打ちひしがれたマリアの姿。
 イエスを抱えるというよりは、むしろイエスにおんぶされているようにも見える。未完成であるから、顔などきちんと描かれていないが、何故かその全身から慟哭が感じられるのだ。 
 どんなに信仰が厚くても、息子が死んで悲しまない母親なんているものか。しかも、息子は真実のために伝道活動に身を捧げ尽くしたのに、誰にも理解されず、弟子にも見捨てられ、不当な憎悪に囲まれた末に、自分の見ている前で苦しんで死んだのだ。これが無念でなくて何と言おう。

 行列は1時間くらいかかってその界隈を一周して、教会が終着点となった。聖堂に入り、もういちどキリストの十字架に思いを馳せる。聖歌が歌われたが、それが、僕が高校生の頃初めて教会に足を踏み入れた頃によく歌われていた「主よ、御許に近づかん」という曲だったので涙が出そうになった。外に出たら、ミラノの街の空気がいつもより澄み切っているように感じられた。

聖金曜日の夜は、僕にとっては「浄められた夜」となった。

4月23日土曜日
 今日は「クァルテット」のゲネプロ。その前に12時から合唱の練習がある。練習場所のオーケストラ練習場に行ってみたら、オーケストラが全然別の曲を練習している。合唱団員達が練習場の前で中に入れなくてウロウロしている。少し経ったら別のメンバーが来て、今日の練習はここではなく急遽合唱練習室に変更になったと告げた。
 そこで合唱練習室に行くと。合唱団員達が騒いでいる。椅子と譜面台が足りないのだ。椅子はその辺にたたまれているのだが、誰も自分で用意しようとしない。譜面台は、どうやらオーケストラ練習のためにオケのステージ・マネージャーが合唱練習室から拝借していったらしい。
 練習時間になったが始まる様子もない。そうこうしている内にオケのステマネが来た。先日ナンドさんと一緒にレストランで食べた彼だ。カゾーニ氏は彼を見るなり大声でどなり始めた。
「何やってんだ!練習場も変えさせられて、しかも椅子も譜面台もないなんてふざけんじゃないぞ!」
もの凄い剣幕である。
 カゾーニ氏は、見かけはやさしいおじいちゃんという感じだが、怒るとコワい。一方、ステマネの彼はカゾーニ氏の一向に止まない罵倒を背中に浴びながら黙々と椅子を並べ、持ってきた譜面台を後列の合唱団員の前に並べていく。なかなかストレスのたまる仕事だなと、僕はむしろ彼に同情する。
 カゾーニ氏はみんながいる前でわざと僕に向かって、
「東京では、こんな事は決して起きないだろう?ええ?」
と訊く。まだ声が怒っている。僕に向けないで下さいよ。
「まあ、起きません」
と言ったら、みんなが口々に、
「そうだ、そうだ、日本ではいつも全てが順調に進むからな」
と言って感心している。

 でも新国立劇場では、もしそうなったら、みんな何も言わずに自分たちで椅子を並べるだろうし、譜面台がなくても練習は始めるだろう。それに・・・・練習後、他の立ち稽古などが入っている時は、自分たちで協力して椅子と譜面台を撤収作業することは言わないでおこう。合唱練習室を合唱専門で使えて撤収作業をしなくていい分だけ、こちらの方が恵まれているのだ。
 そんなこんなで練習が始まった時は予定より20分も過ぎていた。1時間しかない練習時間なのに。それで案の定「クァルテット」のダメ出し稽古は最後までいかなかった。特に、一番練習しなければいけない個所が出来ないままタイムアウトになってしまった。まだ音もリズムもきちんと取れていない個所があるのに・・・・。

 ところがね、ゲネプロになったら、合唱も含めて全体の仕上がりがとても良いものになった。信じられない!なんだこの土壇場の馬鹿力は?「トゥーランドット」の時もそうだったけれど、スカラ座では、仕上がってくるのがとても遅いのだが、本番近くになってグググッともの凄い上昇線を描いて出来上がってくる。そして、気が付いてみると信じられないくらいハイレベルなものになっている。まるで魔法のようだ。
 「トゥーランドット」のゲネプロは、完全シャット・アウトだったけれど、今日は初日かと思うくらい人が沢山入っている。現代音楽だからどういう反応を示すのだろうと心配したが、終わった時のみんなの反応はとても良かった。
 舞台に登場するのは、助演をのぞいてはソプラノのクリスティーヌ・オポレKristine Opolaisとバリトンのゲオルグ・ニグルGeorg Niglの二人だけ。特にクリスティーヌ・オポレのコロラトゥラも含んだ正確な歌唱と体を張った演技が光った。指揮者のスサンナ・メルッキの指揮は明瞭なだけではない。彼女には作品への共感と熱い情熱がある。後半とても緊張感のある名演を繰り広げてくれたので結構感動した。さすがIRCAM!
「クァルテット」の初日の幕は復活祭休み明けの26日火曜日に開く。こちらも大成功の予感。

4月24日日曜日
 今日は復活祭。早朝の散歩をしながら近くの教会にミサの時間の確認に行ったら、8時、10時、11時半、午後6時半とある。今7時半。10時のミサに出ようかとも思ったが、30分ほどあたりを散歩してそのまま8時のミサに出席する。おおかたの信者達は10時のファミリー・ミサに出るのだろう。8時のミサは人が少ない。オルガンを使わないので聖歌は無伴奏で歌われるが、これも残響の多い教会では悪くない。
 復活祭なんだから華々しくドゥオモでミサを受けたらという声もみなさんから聞こえてきそうだが、残念ながら僕はそういう人間ではないのです。あまり大きな教会はつまらないのだ。こういう人々の生活に密着した街角の教会がいいのだ。音楽でも僕はそう。バッハを演奏しても、生活から遊離したくないと思っている。生活と密着してこその信仰だし音楽なのだから。

(マグダラの)マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。
天使たちが、
「婦人よ、なぜ泣いているのか」
と言うと、マリアは言った。
「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」
こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。
(ヨハネによる福音書第20章11~14節)
 いいなあ。聖金曜日ではなにもかも悲しかったのに、今はなにもかもが晴れやかで喜びに溢れている。聖歌もいたるところでハレルヤと歌われる。いつも立川教会で歌っている「神の国と神の義をまず求めなさい」という歌が歌われたのがなつかしかった。

 いつもは家で朝食を取るのに、お散歩の途中だったので、ミサが終わった後、広場にあるバールでカプチーノとクロワッサンの食事を取る。今日は復活祭だからついでにオレンジ・ジュースもつけちゃった。



Cafe MDR HOME

© HIROFUMI MISAWA