「クァルテット」初日

三澤洋史 

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イタリアでは
 ヤバイ!ESSELUNGA(スーパー・マーケット)のゴルゴンゾーラがおいし過ぎて、3日毎に買い換えている。パンとゴルゴンゾーラと生ハム、それに赤ワインがあると、もうそれだけで天国だ。贅沢しているのではない。イタリアではゴルゴンゾーラだって生ハムだってモッツァレッラだってトマトだってルッコラだってパスタだって、みんなもの凄く安いのだ。経済的に生活しようと思ったら、これらのものばかり食べていればいい。食費を一日千円以下に抑えるなど何の困難もない。
 むしろそれから逸脱した食生活をする方が贅沢なのだ。今イタリアのスーパーでは、醤油だってワサビだってテリヤキ・ソースだって売っているが、はっきり言って贅沢品である。僕は、ここに来てから、日本食には全く飢えていないので、醤油だけは買っているが、他のものは横目で見て素通りしている。毎日イタメシをエンジョイしているので、とても庶民的な生活をしているのだよ。

 スーパーに行って、日本だったら3千円くらいいくだろうなあと思う買い物をしたって、レジーに行って驚くのは千円くらいだったりする。今日はガッツリ肉を食うぞう!と思ってビステッカ(ビフテキ)を見ると、みんな大きすぎて困る。一番小さいのを見つけて150グラムくらいで300円くらいのを買ってきて食べる。日本にくらべると大味だが、まあまあイケる。豚肉はもっと安く、鶏肉はただみたいな値段だ。一番上等なのは子牛だが、これとてそんなに高くはない。

 野菜は、自分で好きなだけ取って袋に入れ、秤の所に持って行って乗せる。秤の上に番号と絵が描いてあって、該当する野菜のところを押すとグラムで計った値段のレシートが出るので、袋に貼ってレジーに持って行く。トマトなんか5個くらい取っても百円くらい。安いだろ。こういう野菜売り場のシステムは、ドイツでもフランスでも同じだ。日本でもやればいいのに。

 僕が今食べている米はリゾット用の米。ESSELUNGA商品で1キロ二百円くらいだろうか。アジア食料品店を探せば、もっと日本的なのがあるのだろうし、スーパーでも「スシ用」という怪しいものがやたら高く売っているが、僕的にはこれで充分。ESSELUNGA商品でもいくつか段階があって、もっと高いのもあるのだが、ここでは日本と常識が違うので、高いからといってうまいとは限らないのだ。リゾット用には良くても、日本食として炊くにはむしろ一番安い米の方が良いように僕には思える。

 パルミジャーノ(パルメザン・チーズ)は、最初粉になっているのを買っていたら、杏奈に馬鹿にされた。
「パパ、ここはイタリアなんだから塊で買わなくちゃ」
というので、塊で買ってきた。さすがに他のチーズよりは高いが、少しずつ削ってパスタのトマトソースの上にかけたり、あるいは肉を焼いた時に、ルッコラをその上に盛り、さらにパルミジャーノをスライスしてかけたりすると、もう粉のなんて食べられませんなあ。

 ワインは、五百円くらいのワインで充分。日本でやたら格つけにこだわって何千円ものワインをどうのこうの言っているのが馬鹿らしくなるくらい、テーブル・ワインのレベルが高い。勿論ハズレもあるが、注意深く探していけば、安くて素晴らしいマイ・フェイヴァリト・ワインが手に入る可能性が充分にある。大事なことは自分の舌ですね。
 実は今日もアッシジなどのあるウンブリア地方のワインが見事に当たって嬉しくて、この原稿を書いている今、かなり酔っ払ってます。ごめんなさい!

 パン屋の売るパンも重さで売っている。
「これひとつとこれひとつ下さい」
と言うと、秤に乗せてグラムで計り、端数は気分によって切り捨てたりそのまま要求したりする。僕は毎朝お散歩の帰りに、その時のコースによって家の近くのいくつかあるパン屋の中から適当に選んで入り、小さいパンをニ個ばかり買ってくるが、たいてい50円から60円くらいだ。でもパンははっきり言ってドイツやフランスの方がうまいなあ。日本よりは絶対うまいけどね。

 ヨーロッパではなんでもかんでも乾燥してしまうので、パンは次の日になるとカチカチになってとても食べられたものではない。恐らくドイツよりもミラノは乾燥している。だからパンはその日に買って、その日に全て食べないと意味ないのだ。しかも黒パンを食べる習慣はないらしいので、あまり長期にもつパンがない。洗濯物はすぐ乾くのでありがたいが、残ったご飯をきちんと蓋をしておかないと、翌日はもう食べられない。饐えるとかいう前に、もとの米に戻ったようになってしまうわけよ。こんな風に何でもかんでも乾いてしまう国と、何でもかんでも湿気てしまって柔らかくなってしまう日本のような国とでは、全ての価値観は違って当然だなあと思う。

 話は変わるが、イタリアでは、本当にものがよく壊れる。もう、面白いほどだ。杏奈と一緒に行ったヴェネツィア旅行の帰り道。ユーロスターのリクライニングを倒そうとしてレバーを引いたら、レバーがとれてしまった。杏奈が笑い転げて、僕はそのレバーを前の網棚に置いた。
 語学学校では、小さい机付きの椅子があるが、それを同じクラスの女の子が上げようとしたらポコッと取れた。休憩時間にトイレに行ったら便座が取れた。何日か後、授業中に先生が他のクラスの女性の先生に呼ばれて授業を中断した。しばらくして帰ってきた。
「窓がふたつ壊れたのでなおして欲しいと言ってきたんだ。行ってみるとひとつは絶対に開かなくてひとつは絶対に閉じない。両方とも手に負えないので修理をたのんだよ」
だって。
 スカラ座では、ある階のエレベーターで、上の階用のボタンが抜けて中に入り込んでしまった。ボタンの所には穴があいていて、その階から上に行くことは絶対に出来ない。その状態が一週間くらい続いた。その他、挙げ連ねればキリがない。だから短気な人はイタリアには住めない。
「あははははははは!」
と楽しむことの出来る人だけがイタリアに住めるのだ。どうですか?あなたは、イタリアに住めるタイプの人ですか?それとも絶対に我慢出来ない人ですか?

4月25日月曜日
 復活祭の朝は教会に行ったけれど、その後はずっとイタリア語の勉強に明け暮れた。先生が買わなくて良いと言ったテキストは、やっぱり買って、先日やった範囲の前の所を見たり、宿題が出ている個所やさらにテキストの終わりまで斜め読みした。

 日曜日に集中的に勉強して、月曜日には日帰りでジェノヴァでも遊びに行ってこようか、なんて思っていたのに、まるでパンドラの箱のように、まあ出てくるわ、知らないことが次々と山のよう。これまでいかにいい加減に勉強していたかを思い知らされた。月曜日の朝になったら、
「ジェノヴァはとても無理だ。お昼まで勉強してから午後にジェノヴァより近いコモ湖でも行ってこようかな」
という感じになった。でもお昼近くになってもやることは山ほどある。とても終わりそうにない。
 正午頃携帯電話がなった。出ると妻だった。
「あら、家にいるの?」
「イタリア語がやってもやっても終わらない」
「休日なんだからどこかに行ってきたら。そんな家に閉じこもっていないで」
「うん、そうだね。コモ湖にでも行こうと思っている」
よし、妻が背中を押してくれた。昼食を簡単に済ませてから、コモ湖行きの電車が出ているカドルナ駅に出掛けた。コモ湖に行くのだ!なにがなんでも行くぞう!

 ところがカドルナ駅に着いて時刻表を見たらコモ湖行きは13:59とある。今13:58。駄目だコリャ。次の電車は14:40。40分もある。出鼻をくじかれた。仕方ないのでブラブラと中心街に向かった。でもなあ、コモ湖に着いたらもう4時近くなるのか・・・かったるくなったな・・・・どうしようかな・・・・やめようかなあ・・・・・とぐずぐずしている内に、中心街にいるのに2時半を過ぎている。

 結局その日は、ドゥオモの近くでジェラートを食べて、スフォルツァ城の裏のセンピオーネ公園の芝生の上で、遠くから聞こえてくる黒人達が叩いている太鼓の音を聴きながら文法書を眺め、コルソ・センピオーネ大通りをお散歩しながら家に帰ってきて、またイタリア語を勉強して、食事をしながら白ワインを飲んで酔っ払ってそのまま寝てしまった。

こうやってわざわざ「今日この頃」に書くほどもない一日であった。

「クァルテット」初日
 4月26日火曜日は、語学学校に行ってから劇場に行く。今日は「クァルテット」の初日。その前に6時からカゾーニ氏が合唱練習室で危ない個所のダメ出し稽古をする。こういう現代音楽というものは、突っつけば突っつくほどいろんなアラが出てくるのだ。カゾーニ氏が先に行こうとすると、
「済みません、あのう、ここやっていただけませんか?よく分かってないので・・・」
おお、初めてだね。合唱団員からそういう言葉を聞いたのは。やっとみんなやる気になってきたな。でも、ちなみに本日初日なんですけど・・・・・。

 夜の8時。初日の幕が開いた・・・・らしい。というのは、僕も6階のオーケストラ練習場にいて、オケと合唱団達と共に、モニター・テレビを通して中継される舞台の様子を見ている。どうもこれだけ離れていると、本番の臨場感が全く感じない。
 それに舞台上のモニター音をこの練習場に流すと、それを再びマイクでひろってしまうので、中継する副指揮者やカゾーニ氏をはじめとする何人かのリーダー達だけがヘッドフォンをしている。それ以外の人達の耳には何も聞こえてこない。だから演奏者達はある意味手探り状態で演奏するのだが、ここで演奏されたものは確実にスピーカーを通して聴衆に届いているはずなので、みんな極度の緊張だけはしている。誰かが咳でもしようものなら、みんなしてそっちの方を向く。
 舞台上では白熱した演奏が展開されているに違いないのに、こちらではオケも合唱も誰も何も演奏しない瞬間が多い。その間は完全なる沈黙があたりを支配する。長く続くと眠くなってくる。と思うと、いきなり近くにいる大太鼓とスネア・ドラムがもの凄い音でドカン!と鳴って、心臓が飛び出るかと思ったりする。
 合唱の入りが近づいてくると、合唱アシスタントの人がキーボードでそっと音をあげる。合唱が歌い出すタイミングでは、バンダのオケが一緒の時もあるが、基本的には何も伴奏がない中で突然何の脈絡もなく、
LOVE IS STRONG AS DEATH
と歌い出したりするので、なんだか笑いたくなる。
 このように、あまりにそれぞれのセクションがジグゾー・パズルの一片のようになってしまっているので、公演に参加している一体感のようなものは得られない。僕は、これまで時々客席に行って観ていたので、このパズルの一片がどのあたりに納まるのかということは予測はつくのだけれど、それも頭の中で想像するだけ。なんて不思議な雰囲気!

 という感じで、よく分からないけれど終わった。下に降りていったら、割れるような拍手が聞こえる。よかった。現代曲だからって、聴衆はここイタリアでも大きな抵抗感を持ってブーイングしたりはしなかったのだな。

 でも、劇場から出てトラムの停留所で偶然一緒になった女声合唱団員と今日の出来を話していたら、全然関係ないおじさんが話しかけてきた。
「なんだいあれは?あんなもの音楽と言えるのかね?オペラっていったら『トゥーランドット』とか『椿姫』みたいなものを言うんだろう」
 女声団員は別の番号のトラムが来たので乗って行ってしまった。僕はどうやらそのおじさんと同じトラムだ。嫌だな、あんまり話したくないな、こんなところでヴェルディ、プッチーニ以外をオペラと認めない人と議論を始めても何も得るところないし、話すとどうしても僕としては、現代音楽の擁護者としての発言をすることになってしまう・・・・と思っていたら、今度はそのおじさんに、これまた全然知り合いでもなんでもない赤の他人の夫婦連れが話しかけてきた。
「ああいう音楽は一体どう捉えればいいんだろうね。演出がそれらしくついていたからまだ我慢出来たけれど、騒音以外の何物でもないね」
 おじさんは我が意を得たりとばかり夫婦連れに答え始め、彼等はトラムの中でひとしきりオペラ談義に花を咲かせ始めた。3人が意気投合していたので、僕はラッキーと思ってみんなに勝手に話させておいた。
 実を言うと、僕もそんなに現代音楽が大好きという方でもないが、無調音楽になってからすでに百年も経っているのだから、もうちょっと心を開いてもいいのではないかね、というのが本音である。この「クァルテット」は、なかなか良く出来ている。僕はちなみにかなりポジティヴに評価している。

 でも面白いね。こんな風に帰りのトラムの中で見知らぬ人同士が、今観たオペラについて話し合うなんてね。これがイタリアの聴衆の雰囲気なんだ。

4月27日水曜日
 今日は初めて劇場の外部にあるANSALDOアンサルドと呼ばれる練習場に行った。合唱団の新入団員オーディションを見に行ったのだ。アンサルドは、ミラノ郊外にあって、膨大な敷地の中に大きな建物が建っている。中に入ると、合唱練習場だけで大練習場と小練習場と二つある。ということは、つまり、スカラ座の中の練習場と合わせると、合唱専用の音楽稽古の練習場だけでも三つもあるということになる。う、うらやましい!
 合唱事務局のナンドさんは、僕をさらに立ち稽古用の練習場に案内してくれた。これはマジびっくりした。スカラ座の本舞台とその裏や両側の袖をほぼ実寸でとれているのだ。新国立劇場のAリハーサル室が大きいといったって、その比ではない。繰り返し言うけれど、裏や袖まで実寸でとれているんだからね。
 これだけではない。この他に舞台の大道具や小道具また衣装や靴などを作るための設備がここに全て揃っているそうだ。ダメだコリャ。とても日本なんて太刀打ち出来ない!

 新入団員オーディションは大合唱練習場で行われた。聴いている内にいろいろなことを思った。それは、やっぱりテクニックに関しては世界共通なのだということだ。傾向として、イタリア人の方が持ち声が大きい人が多い。だけど、それに惑わされてはいけない。やはり大切なことはテクニックなのだ。
 声区によって響きにムラが出来るのを、どうやって統一した音色に持って行くか、どうやってひとつのフレーズを歌いきるための安定した息の供給が出来るかという事が、他ならぬ声楽のテクニックである。日本人達の受験者と基本的にどう違うのだろうかと思って興味津々だったが、何の事はない。駄目な人は駄目、良い人は良いで、日本と全く同じだった。そして審査していたカゾーニ氏をはじめとした何人かの審査員達も、ほぼ僕と同じ判断をした。
 このことは思いがけなく僕に大きな収穫をもたらした。それは、自分のこれまでの判断が間違ってはいなかった事を確認する事が出来たのと、日本人の欠点が日本人だけのものではなくて、世界共通のものであるということをはっきり悟った事だ。
 もともと大きな声を持っていない人に限って、自分の能力を超えて無理して大きな声を出そうとするのも世界共通。もともと声が大きい人は、逆にそれに自信を持ってしまって、確実なテクニックを磨こうとしないのも世界共通。双方に欠けているのは、正しいフォームで、正しく息を送り、正しく共鳴させ、正しいフレージングで歌うこと。これらの要素がないと、そもそもレースが始まらないのだ。
 こう言ってしまうと、全く当たり前のことなのだけれど、この基本から始まり、この基本に戻ること。これ以外に何もない。

 日本人だから、何かイタリア人に先天的に敵わないものがあるかというと、ない。
イタリア人だから、何か他の国民より先天的に優れているものがあるかというと、ない。
あるのはテクニックの有無。

 勿論、その先は・・・・感性とかインスピレーションとかいわゆるプラス・アルファーの領域だよ。これはもとより国民性とか全く関係ない個別的なものだからね。世界の一番二番の歌手になるかどうかという次元になると分からないけれど、少なくとも一流歌手になるための要素としては、僕は国民性は関係ないと断言するね。みなさん、道は万人に開けているのです。頑張りましょう!

4月28日木曜日
 語学学校が午後のクラスというのはやっぱりスカラ座の練習と重なってしまって良くない。そこで明日から朝のクラスをのぞきに行く。よさそうだったらそちらに替えてもらおう。でも今日までは終わるのが3時45分なのだ。授業が終わってから4時から始まる練習に間に合わせようと、カドルナ駅前の学校からスカラ座まで全速力で走る。でもどうやっても4時には着かない。
 やっとの思いで劇場に着き、乗りたくないエレベーターに乗って4時5分にオーケストラ練習室に辿り着く。ハアハアハア!ごめんなさい!あれ?まだ始まってない。ここイタリアはいいね。まあだいたい4時ジャストに音が出ることはない。みんなまだなんとなくフラフラしている。

 見るとバンダのオーケストラが全員揃っていて、その前には本指揮者のスサンナ・メルッキがいるではないか。どうも今日は録音をするらしい。ええ?まさかこれを録ったら今夜からこのバンダと合唱はこのテープを使うというんじゃないだろうね。後で合唱団員に聞くと、そういうことではなくて、何かアクシデントが起こって、ここでの音をライブで会場に送れなくなった時の保険ということである。なるほど、ここイタリアではそのくらいのことは普通に起こりそうだものな。なかなか用意がいいじゃないか。
 「録音」というのはとても良いアイデアだと思った。というのは、すでに初日の幕が開いてしまっているので、ただの練習と言ったらみんながブーたれるに決まっているが、録音となると逆に本番以上に真剣になるからね。実際、とても実りのある時間だった。というのは、いつも中継して指揮している若いアシスタント指揮者も優秀なのだが、なんといってもスサンナ・メルッキ本人がこのバンダ隊を指揮して、録音しながら随所を直してくれたのだ。
 僕は合唱団から借りたピアノ・ヴォーカルスコアを持っているだけなので、はっきりしたことは分からなかったが、どう考えてもオケが間違えているんじゃないだろうかと思っていたところが何カ所かあった。そこをメルッキがビシビシ直していく。ああ、やっぱり違っていたのかと思う。合唱も、いつも合わないところや、音程がちょっとだけはずれている所やハマリ切らないところをメッタ斬りしてくれるので、いやあ爽快そのもの!いいぞ!もっとヤレッ!あっぱれあっぱれ!

 休憩時間になった時、あまりにメルッキの指揮振りと練習の進め方が素晴らしかったので、僕は自分が単なる見学者であることを思わず忘れて、彼女に挨拶に行った。
「こんにちは。ひとことだけ言わせて下さい。あなたの指揮と練習が本当に素晴らしいので、声をかけずにいられませんでした。申し遅れましたが、僕は新国立劇場合唱指揮者の三澤と言います」
 それからひとしきりいろいろ話したが、メルッキはとても気さくでチャーミングで、みるからに聡明である雰囲気が漂う女性だ。ちょっと遠目にはボーイッシュに見えるが、近くで見るとなかなかの美人。だけど、おかしい・・・・。英語で話していたのだが、どうも初めての感じがしない。むこうもなんだかリラックスして普通に打ち解けている。というか、彼女を前から知っていたような気がする。ええ?どうしてだろうと思っていたら、ハッと気が付いた。そうだ、彼女は、この「今日この頃」にも時々登場する美人ソプラノ歌手Fに雰囲気がそっくりなのだ。ひとつだけ違うのは、メルッキとはアホアホの会話をしなかったことだけ。あはははははは!
 本番が8時から始まるというのに、4時から6時半まで休憩を入れて2時間半の練習だって。メルッキも含めてみんなタフだねえ。この録音と称した練習をしたお陰で、このバンダ隊は本当に見違えるように素晴らしくなった。これで今晩からきちんと譜面通りの演奏が聴けるよ、みなさん!
あれっ?じゃあ、初日を観てしまった観客は?
なんだか、この間も似たような事書いたような気がするね。まあ、ここはイタリアですから。

語学学校
 一週間が終わって振り返るに、今週は、自分でいうのもなんだが、よくイタリア語の勉強をしたと思う。自分で自分を誉めてあげたい。いきなり難しいクラスに入れられて、先生も普通の速さでしゃべっているし、出される問題の意味もよく分からずに、パニックになりっぱなしの一週間だったが、お陰で短期間の間に随分いろんなことが分かってきた。パニックになることに慣れてきたとも言えるし、土壇場に追い込まれるとやたら燃える性格の故でもある。
 前に書いたように、午後のクラスを与えられて一週間なんとかやりくりしてきたのだが、どうしても午後だと一番良い時間を劇場の練習時間と共有してしまうので、今週最後の金曜日は朝のクラスを試してみた。それで気に入ったので来週からこの時間に通う。
 ただね、ここは同じテキストを使っているけれど、レベル的には少しだけ低いクラス。前の先生は、これでいいのかい?と僕に聞いたが、僕にはこのくらいが無理しなくてかえっていい。だからといって楽というわけではない。会話なんて、難しい事をしゃべればいいってものではない。一つの文章を冠詞なども含めて完璧にしゃべるのなんてどのレベルだって難しい。それより、最初のクラスで死にものぐるいでやったのが案外役に立っている。
 来週から冷や汗をかく回数が少し減りそうだ。でもね、語学学校の時間が劇場の練習と重ならなくなったっていうことは、重なっていた時より自由時間が少なくなるという事なのだ。朝のクラスは8:45から始まり12:00に終わる。それからスカラ座に行って、日によっては夜まで練習。つまり一日中ふさがることもあるわけだ。ということは予習復習する時間が減る。つまり楽観は出来ないのです。

 僕は、基本的に語学が好きな人間だ。ここに残ってずっとイタリア語の学校に通っていてもいいと思うのだが、そうもいかない。せめて、今は出来るだけ集中して勉強したい。日本に帰ってしまったらもう決してこんな風にイタリア語だけに集中して勉強する機会なんて与えられるはずもないのだから。
 語学は人を積極的にし、社交的にし、新しい関係と世界を切り開く。現に、僕は語学学校に行き始めてから、イタリア人と話すことが恐くなくなってきた。学校であれだけ冷や汗をかく毎日を送っていたのだもの当然だ。すると不思議なことに周りの人達も僕に近づいてくるようになってきた。
 最初にカゾーニ氏から新国立劇場の合唱指揮者と紹介されたのが良かったのか悪かったのか、なんとなくみんなが遠くからある距離を置いて僕を遠巻きに眺めているような時期が続いていた。イタリア人って社交的に見えるけれど、初めての人に対しては案外シャイなんだ。
 それを最初に破ってくれたのが、以前話したジェラールというフランス人だった。でも、僕が語学学校に行き始めたら、ジェラールだけでなく何人もの合唱団員達が気軽に僕に声をかけてくれるようになってきた。カゾーニ氏のアシスタントともいろいろ話をするようになった。こうなってくると面白くなってくるんだよな。

 昨日などは、あるソプラノ団員が練習後にトスカの「歌に生き愛に生き」を歌っていたので、僕は、
「伴奏してあげようか」
と言って、うろ覚えのまま暗譜で伴奏してあげた。とても良い声。日本だったら立派にプリマドンナとして通用する声。こういう人材が合唱団員としているんだもの。スカラ座合唱団がああいう音色になるわけだ。
 ハイBを美しく伸ばしたいだけ伸ばして歌い終わった後、彼女は、
「凄いじゃない。さすがマエストロね」
と言ってあらためて握手を求めてきた。こんな風に、一度垣根が取れてきさえすれば、オペラの合唱団員とはバイロイトでも日本でも付き合っているので、付き合い方は世界共通だ。でもね、それだって語学が出来て初めて成し得ることなんだ。

僕の行っているACCADEMIA DI ITALIANO MILANOは、僕が保証するけれど、かなり優秀な学校だと思う。先週も書いたけれど、まず先生達のレベルが高い。僕はクラスを替わったので、それぞれ会話と文法の合計4人の教師を知ったわけだが、全員とても知的レベルが高いし、教えるということに情熱を持っている
 先生達がそうだから、ここでは生徒達もやる気に満ちている。みんな結構真面目に宿題もやってくる。よく安い語学学校にありがちな、ビザを取るためだけに来ている生徒とかはいない。ということは、イタリアの語学学校の中では授業料は高い方だということだ。

 たとえば今日は、先生が僕達生徒に二人一組になるよう要求し、それぞれに小さい紙切れを渡した。そこにはみんな違うことが書いてある。たとえば僕と僕の横の真っ赤なスニーカーをはいたチャーミングなアメリカ人の女の子がもらったのはこんな内容。
「同級生同士が道ばたで会う。今日は試験の日。でも先生は感じ悪いし、試験の準備は二人とも思うように出来ていない。そんな話をしている時、二人の前を黒猫が横切った」
 こうしたシチュエーションに沿って二人で話し合い、十五分間の間に実際の会話を組み立てなければいけない。その後、それぞれのグループはみんなの前に立って、出来れば演技をしながら会話をするのだ。話はどんどん膨らめば膨らむほど良い。さらにその発表の時に、イタリア人がよくするジェスチャーを随所に入れながら行うのが義務づけられている。このジェスチャーというのが面白い。たとえば黒猫が横切ったような時にする魔除けのおまじないは、右手を握って人差し指と小指だけ立てて、斜め下を向けて、
「しっ、しっ!」
という感じで追い払う仕草をする。
 発表は、自分たちの時は緊張するが、逆に他のグループのを見るのは楽しい。結構笑える。って、ゆーか、自分たちも笑われている。なんだか、語学学校というよりも演劇部かなんかのクラブ活動みたい。そういうことが出来るのも生徒が数人だからだ。それに、そういうことを通してお互いすぐ仲良くなれるのがいい。

 文法の授業ではテキストの本は全く使わず、先生は沢山のコピーを次から次へとその場で渡す。僕たちはそれを短い間に読み、判断してその場で答えなければならない。これがなかなか大変だが、これを嫌というほどやられたお陰で、とっさの頭の回転は間違いなく速くなってきた。
 確かに、実際の会話で要求されるのはこうしたとっさの判断だからね。辞書なんか引いている間に相手の話題はもう別の事に行っているもの。動詞の活用なんか、考える前に口から言葉が出てくるようでないといけない。文法の授業と言われて想像する通常のイメージから全く逸脱しているが、この方法は画期的だ。これがこの学校の方針に違いない。こうした「生きた文法」こそ、最も必要で、そして最も日本の教育に欠けているものなのだろう。

こんな風に久し振りに学生に戻って冷や汗を流しながら有意義な毎日を送っている今日この頃であります。



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