「ロメオとジュリエット」のマエストロ

三澤洋史 

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炉心溶融
 全く茶番劇もいい加減にして欲しいぜ!
「東北関東大震災の当日にもう炉心溶融が始まっていたことが判明!それに対し菅総理大臣が陳謝!」
いや、2ヶ月後に判明したことを怒っているのではないよ。だって、もう僕は最初から知っていたもの。って、ゆーか、日本以外ではみんなそう報道していたもの。僕の3月の「今日この頃」を読み返してね。(事務局注:3月21日3月28日
 恐らく、原子力が専門の科学者だけでなく、菅さんだって、東京電力の人達だって、民主党の人達だって自民党の人達だって全員知っていたに違いない。だって、考えてもごらんよ。炉心溶融がいつ始まったかも分からないようなおそまつな知識では、おっかなくて原子力発電所なんか作れるわけないだろうが。誰も原子炉の内部をのぞくことは出来ないので、全ては憶測でしかないよ。でも、科学の粋を集めて内部の様子が手に取るように把握出来る状態になって初めて、原子力なんか扱えるのだろうが。
 要するにただ隠していただけなんでしょう。それもすでに知っているよ。それが、何かの原因で隠し通すことが出来なくなったので、発表したのだろうね。菅さんもかわいそうだ。この国では、菅さんじゃなくったって、誰が総理大臣になっても、同じようにせざるを得ないんだろう。

このシステムを変えないと、また天災が起きた時に、同じような人災が必ず起こります。

イタリアでは・・・
 いろんなものが壊れる話はすでにしたけれど、たとえば自動販売機が壊れて商品がどんどん出てきて困ったとか、お釣りがどんどん出てきて困ったとかいうことは絶対にない。壊れる時には必ず消費者が困る方に壊れる。
 たとえば数日前、スカラ座7階のカフェ・マシーンでカフェ・マッキアートを飲もうとしてお金を入れた。入れてから初めて「この機械は機能していません」という表示が出た。「おっとっとっと」と思って返却ボタンを押す。予想していたけれど、当然お金は戻ってこない。アルトの合唱団員に、
Ho perso un euro.「1ユーロ損した」
と言ったら、
La macchina l'ha mangiato.「機械が食べちゃったのね」
と当然のように言われた。彼等はどこかに苦情を言うそぶりも見せない。運命だと思ってあきらめるしかないのだ。

 語学学校とアンサルド練習場のカフェ・マシーンは、お釣りをくれない機械だ。両方とも50チェンテージモ(centesimoは1ユーロの百分の一の単位)と安いが、2ユーロ玉でもなんでも受け付ける。ただし入れたら最後、絶対に戻ってこない。つまり2ユーロでコーヒーを飲まなければならない。怒るのも忘れて僕は考えた。
「一体どうしてこんな意地悪な機械を作るんだろう?」
しばらく考えて分かったことがある。それは、お釣りを出るようにすると、そのお釣りを用意するために係の人を頻繁に派遣しなければならないだろう。お釣りを用意しないでお金をどんどん入れるだけにすれば、しばらく放っておいてもいいのではないか。

 その仮説を証明するのが、ミラノ中央駅などにあるTRENITALIA(イタリア鉄道)の自動券売機だ。列車の切符売り場の窓口では、いつももの凄い人が並んでいるが、中央駅では自動券売機が沢山あるお陰で、窓口に並ばずに切符を速く買うことが出来る。
 ところがこの券売機が曲者なのだ。いざお金を払う瞬間になって、券売機のスクリーンに映し出される表示を見てあせることがよくある。何故かというと、その時によって受け付けてくれるお金の種類や額が違うのだ。たとえば7.20ユーロの切符を買うとすると、
「10ユーロ札、5ユーロ札、2ユーロ玉、1ユーロ玉、50チェンテージミ、20チェンテージミ、10チェンテージミしか受け付けません」
と表示されることがあるのだ。
20ユーロ札以上は受け付けてくれないのである。そうかと思うと太っ腹に、
「200ユーロ札、100ユーロ札、50ユーロ札もOK」
と出て、お釣りをジャラジャラくれることもある。実に気紛れだ。
 これは恐らく、券売機の中に残っているお釣り用のお金の種類と量によって機械がその都度判断するのだろう。沢山入っている時はよいが、少ない時は、機械がお客を犠牲にしても自らの身を守るのだ。

 ブレーシアで帰りの切符を買った時のことだ。例によって窓口には長い列が出来ている。小さい街なので、自動券売機は2台しかない。当然自動券売機にも列が出来ている。僕が並んでいた列とは違うところで切符を買っていた若者が、最後の瞬間に、
「ええ?なんでだ?」
と大きな声で嘆いている。僕は、イタリアに行ってから、かなりイタリア人化しておせっかいになっているので、
「その機械はクレジット・カードしか受け付けないのですよ」
とアドヴァイスをしてあげた。
「なんで最後の最後までそれを知らせてくれないのだ?」
と彼は怒っている。
 実は僕もミラノ中央駅で同じ思いをした。機械をよく見ると分かるのだが、現金を入れる穴がついていない。勿論、注意しなかった者が悪いのかも知れない。でも最後にお金を払う時になって初めて表示に、
「カードのみ受け付けます」
と出るのだ。

 一方、僕の列のすぐ前の若者は、11.60ユーロの切符を買うのに、10ユーロ札を入れた時はスムースにいったが、次に2ユーロ玉を入れたら、先の10ユーロ札と2ユーロ玉が戻ってきて、
「あなたのリクエストには答えられません。お金を入れ直して下さい」
と冷たく表示が出た。若者は何度かお金を入れ直した後、
「畜生!」
とわめいて窓口の方に走っていった。恐らく乗ろうと思っていた電車には間に合わなかったと思う。日本と違って、一本逃すと次の列車は一時間後に来ればまだ良い方だ。
 僕はね、なんとか彼を助けてあげたかったよ。たかが1ユーロ玉と60チェンテージミくらい彼にあげたってどうってことない。普段ならね。でも、僕たちもギリギリの小銭しか持っていなかった。電車の時間も迫っていた。どうにもしてあげられなかったのだ。本当に気の毒なことをした。
 それだったら、先に述べたお釣りの出ないカフェ・マシーンのやり方の方がまだましだと思わないかい?12ユーロ払って40チェンテージミ戻ってこなくても、乗りたい電車に間に合う方がまだいいではないか。
「40チェンテージミのお釣りは出ませんが、あなたがそれでいいならば切符は出します」
とすればいいんだ。
 それにしても、あんなに普段はいろんな事に声を荒立てているイタリア人達が、こういうことになるとどうして抗議しないで変に我慢しているのだ?よく分かんねんだよな。イタリア人。何考えてるんだ?

 イタリアで長距離列車に乗るとなんとなく恐い。日本の過剰なアナウンスにも閉口するけれど、何もないってのは不安なものだ。そして発車のベルも警笛もなく、いきなりスッという感じで列車が動き出すんだ。
 また、乗車する列車の番線が決まるのが発車する10分前くらいだったりする。だから電光掲示板をよく見ていないといけないし、番線が出てみたら、結構遠いところだったりするとあせる。
 もう前になってしまうけれど、一人でジェノヴァに行った帰り道のこと。指定通り17番線に行って列車を待っていたら、予想したよりもずっと早い時間にミラノ方面から列車がホームに滑り込んできた。
「え?これって、もしかしてその前の別の列車かなあ?」
他の乗客達もみんな同じようにいぶかっている。ホームの頭上には、通常次に出る列車の行き先が電光掲示板に表示されるが、その時は壊れているのだか何も出ていない。列車の車体にも何も書いていない。
 ジェノヴァの駅はいわゆる終着駅ではないので、反対側にも線路が延びている。ミラノ方面から来た列車はそのまま反対側のローマ方面に出発する可能性もある。僕だけでなく、ホームにいた乗客達全員が不安になってその列車に乗れないでいる。

 そこへいかにもイケイケという感じの駅員の制服を着たお姉さんが鼻歌交じりでやって来た。当然のように乗客達は、その駅員のお姉さんに、
「この列車はミラノ方面行きですか?」
と尋ねる。ところがお姉さんは平然と、
「さあ、わたしには分かりません」
と答える。
そうこうしている内にだんだん列車の時間も迫ってくるので、何人もの乗客達が代わる代わるお姉さんを捕まえて尋ねる。お姉さんは、だんだん不機嫌になってきて、ついにキレた!
「知らないわよ、なんであたしがそんなこと知ってなくちゃなんないのよ。全くふざけんじゃないわよお!」
おいおい、あんた駅員だろう。知らないんだったらそんな制服着てそんなところにノコノコ立ってるだけ邪魔だっつうの!
 出発する5分前にやっとホームの電光掲示板がついた。
「ミラノ中央駅行き」
みんな「ウワーッ」という感じで我先に乗り込んでいく。僕もあせって乗り込みながら、
「なんでこんな想いをしなければならないんだ」
とあきれた。

 もしかして5分前まで、ジェノヴァ駅の中の誰も、この列車が何処行きか知らなかったのかなあ?  


「ロメオとジュリエット」のマエストロ
 5月18日水曜日。「ロメオとジュリエット」のマエストロ稽古が10時からあるため、語学学校を休んで、朝から劇場に行く。この公演の指揮者はフランス人のYannick Nezet-Seguinヤニク・ネゼセガンだ。小柄でとても若く見える。
 練習が始まって5秒くらいで、僕はただちに、彼はとても音楽的な指揮者だと思った。5分経ったら、素晴らしい指揮者だと確信した。彼の全身から、どういうフレージングで、どういう音楽を構築したいかというビジョンがはっきり見える。指揮のテクニックもしっかりしている。それに、フランス人だけあって、言葉のニュアンスにもとてもうるさい。
 特に良い点は、威圧的でもなく、しつこくもないのに、上手に自分の思う方向にもっていけることだ。相手に決してストレスを与えない。思考は常にポジティブで、練習は楽しい。オペラには理想的な指揮者だ!
「僕が若い時、最初に取りかかったオペラは・・・・」
と彼が言い始めたら、合唱団員の一人が、
「今だって若いじゃない!20代でしょ」
と横やりを入れた。
「いえいえ、いろんなところで若く見られるんだけど、もう36歳です」
と彼が答えると、一同ざわめく。
 練習の合間に「ロメオとジュリエット」の音楽的ドラマがみるみる出来上がっていく。確かにこういう風に能率良く練習を進めていくのは、ただ才能だけでは不可能だ。ある程度の経験を積んでいる人なのだと思う。見ていてとても嬉しくなってしまった。

 休憩時間にジェラールと会ったので、
「君の指導が立派に役立っているじゃないか。フランス語にとても良いニュアンスがついてきたよね。フレージングもフランス風になってきたし」
と言ったら、彼は晴れやかな顔をするどころか、
「彼が直していたところは、僕が何度も注意していたところばかりだ。恥ずかしいよ。それに、みんな大きい声を出そうとし過ぎて、フランス音楽にしては重過ぎるんだ」
と悲観的になっている。
「まあ、そうかも知れないけれど、僕から見ると見違えるようになってきたよ。君の下地がなければ決して達成出来なかったじゃないか。あの若いマエストロ、とてもいいね」
「それはそうだね。ああいう風に料理してくれると、確かに僕の指導は無駄にはならないね」
どうもジェラールは、物事を悲観的に考える癖がある。まあ、きちんと物事に向かい合う彼の姿勢が僕は好きなんだけどね。
 彼等にとっては当たり前かも知れないけれど、フランス・オペラをやるという時に、こうして正真正銘のフランス人による言語指導を受けられたり、優秀なフランス人の指揮者が最後のニュアンスを仕上げてくれるなんていう環境は、全くうらやましい限りだ!日本はやはりヨーロッパから遠いなあ!

オペラにおける歌唱とドラマ
 今週は、「ロメオとジュリエット」の立ち稽古がスカラ座に移って、2幕以降が進行している。ソリスト達は、剣を使ったシーンをはじめとして、かなり動きがあって面白く仕上がっている。助演達の演技も秀逸。一方、合唱団は相変わらずただ立っているだけの“壁の花”。
 また、立ち稽古の間は、本気出して歌わなくてもいいというのが暗黙の了解となっていて、合唱団はオケ付き舞台稽古になるまで決してフル・ヴォイスでは歌わない。ではマルキーレン(声を抜いて歌うこと)しているだけで、表情などはしっかりついているかというと、そうでもないのが残念だ。しかも、アインザッツもズレズレでキリもズレズレ。きちんと覚えているかどうかも曖昧だ。
 新国立劇場のように赤いペンライトで誘導というのもないから、オケピットの下からマエストロが必死になって大振りしても甲斐なし。先日のマエストロ稽古の素晴らしいニュアンスは、霧の彼方へ・・・・・残念!

 僕はここに来てからよく思うのだが、立ち稽古だって本気出して歌う練習をしておかないと、歌とドラマの融合というのは望めない。このドラマだったら、こういう歌い方に変えなければという“ドラマトゥルギーから来る音楽的欲求”が必ずあるはずだから。
 新国立劇場に登場する外国人ソリスト達の中にも、立ち稽古の間、一度もフル・ヴォイスでは歌わない歌手がいるが、そのタイプの歌手は決まって、歌の中に演出家が意図した、あるいは作品が要求しているところのドラマを色濃く反映することが出来ない。歌は歌、演技は演技に留まり、この二つの間の断層がぬぐえない。良い声は、それだけでは3分で飽きる。それがどんなに良い声でも、僕には退屈だ。
 ただ僕には、そのやり方が間違っているとまで断言する自信はない。彼等が、「オペラとはそういうもの」と思っているとしたら、それはそうかも知れない。どんなに演技力があっても、声が一流でないと一流歌手にはなれないという歴然とした現実もある。
 でももし、オペラという芸術が、将来に渡って他の劇場芸術とせめぎ合いながら生き残っていく事を我々が望むとしたら、このままでは難しいと思うのだ。

 オペラとは、ドラマ化された歌唱と、音楽化された演技が互いに出遭い、核分裂を起こし溶融し合うダイナミックでクリエイティヴな場であると僕は信じている。だから僕は、日本に帰ってからも、新国立劇場合唱団に、立ち稽古でも、必要に応じて本気で歌ってもらうことをやめるつもりはない。音楽的にもドラマ的にも最高のレベルをめざして、単なる歌手の集団から、真のINTERPRETE(作者の真実を解釈し伝える者)の集団となるべく、最善を尽くしたいと思うのだ。

 ミラノでの体験は僕に、様々な角度から、自分が今後どう行動していったらいいかという指針を与えてくれる。ある時は目標とすべきビジョンとして、ある時は反面教師として・・・・。

妻とアンジェラ・メリチ
 妻は、日曜日にジェラールと一緒にブレーシアを回った後も、今週の間に二度も一人でアンジェラ・メリチゆかりの地を訪ねた。17日火曜日には、アンジェラが生まれたデゼンザノDesenzanoという街に行ってきた。
 アンジェラは、両親が亡くなってから、一度サロという街の叔父さんの家に引き取られたが、その後またデゼンザノに戻ってきて、40歳の時にブレーシアに引っ越して晩年を送るまで、この街に住んでいた。ある意味、ブレーシアよりもずっとゆかりが深い街だ。
 ブレーシアとヴェローナの間に位置していて、イタリア最大の湖であるガルダ湖のほとりにある。現在は湖畔のリゾート地となっているが、街自体はブレーシアよりずっと小さく、素朴なたたずまいをみせているそうである。

 金曜日には、再びブレーシアを訪れた。ところがブレーシアの街の全ての教会は、正午くらいから3時くらいまで閉まってしまうそうである。妻は、そのため予定していた教会巡りが思うように出来ずに苦労したらしい。今から考えると、ジェラールはそういうことも考慮しながら食事の時間を決め、僕たちを案内してくれていたんだな。それでも妻は、アンジェラの遺骸のあるアンジェラ・メリチ教会で長い時間一人で黙想出来たそうで、その点では満足して帰ってきた。

妻とデート
 さて、21日土曜日は、語学学校は週末でお休み。僕は「ロメオとジュリエット」の舞台稽古を午前中だけ観てから、楽屋口で妻と会い、劇場を離れた。妻と過ごすミラノ最後の日なので、まずブレラ地区のレストランでゆっくりと昼食をとる。
 いきあたりばったりで入った店だったが、なんと、これまで行ったミラノの全てのレストランの中でも一番おいしい部類に入る店だった。最後の日だというので、二人とも調子に乗って昼間からビールと赤ワインを飲みながら食事したら、すっかり酔っ払ってしまった。
 それから「カラヴァッジョの眼」というテーマの特別美術展があるのを前から知っていたので、二人で行ってみた。昔のミラノ市の城壁のあるティチネーゼ門のあたり。以前、杏奈と一緒にアンブロジアーナ絵画館に行った時に見たカラヴァッジョ作の「果物籠」という絵が本当に素晴らしく、もっとカラヴァッジョの絵画を見たかったのだ。
 ところがその美術展も、お目当てのカラヴァッジョの絵画はたったの一点だけ。他はすべて、カラヴァッジョが影響を受けたのではないかと思われる、彼より少し前の時代の絵画が並べられているだけ。
 確かにそれらの絵画には、カラヴァッジョの特徴である独特の明暗法がいち早く取り入れられたりしており興味深かった。でもカラヴァッジョの絵画を見た瞬間、彼の才能がいかに他の“凡庸な”絵画から抜きんでていたかという事実を確認するにとどまった。これで12ユーロとるか、と思ったら腹立たしくもあった。

 それからティチネーゼ通りの界隈をゆっくり散策し、オレンジを搾ったスプレムータをバールで飲んだりしながら家に帰ってきた。なんだか若い時に戻ってデートしているような素敵な気分だった。でも酔っ払っていたのと、食べ過ぎたのと、二人ともやや日射病にかかっていたのかも知れない。家に着いたらすぐ二人ともベッドに倒れ込み、なかなか起きれなかった。夕飯を作る気力も起きなかった。
「どうする?」
「なんか食べなくちゃね・・・・」
「・・・・・。」
ミラノ最後の晩は、怠惰なままゆっくりと更けていった。

再び独身生活
 5月22日日曜日。妻がパリに向かって旅立っていった。日曜日の朝は、二人で家の近くの教会のミサに出た。子ども達が初聖体を受けていて、とても微笑ましかった。僕の横に妻がいる。肩がくっついている。僕は、彼女の体温を感じている。とてもしあわせな瞬間だった。
 お昼は、彼女には何もさせないで、僕がパスタを作ってあげた。片付けも僕が全てした。それから二人で家を出た。彼女は、この後パリに住んでいる次女の杏奈の元で3泊だけしてから、日本へ帰る。

 今はこうしてひとりで原稿を書いている。また独身生活に戻った。そうねえ・・・・やっぱり淋しくないと言えば嘘になる。外国にいると、人が訪ねてくるのは嬉しいのだが、帰られるのが嫌ですねえ。
 でも、今日は嬉しい助け船が出た。妻をリナーテ空港の搭乗口で見送ってから、帰りのバスでイタリア語の文法書をぼんやり眺めていたら、電話が鳴った。出たら長女の志保だった。
「パパあ、何してんの?」
「今、ママを見送って、帰りのバスだよ」
「いつ家に着く?」
「一時間後・・・いや・・・急げばもっと前かな・・・・SKYPEするかい?」
「うん、じゃあ、パソコンつけて待ってるからね」
ということで、のんびり中心地から歩きながら帰るかと思っていたのを急遽変更して、地下鉄やバスを乗り継いで最短距離を通って家に着いた。
「お互い、去られてしまった者同士だね」
「でもね、こっちは今日ママばあちゃんが来てくれたんだよ。もう寝ちゃったけどね。志保は一人でお酒飲んでる」
「今日は何飲んでるの?」
「日本酒」
志保は二期会の仕事が入っているので、今回は珍しく一度も渡欧しないで日本の留守宅をタンタンと一緒に守っている。
「ねえ、トゥーランドットのここんとこって、普通どう振るの?」
などと、酔っ払っている割には真面目なことを聞いてくる。こんな時、スカイプは便利だ。「大体こうやる。ここは、合唱は切るけど、オケは一緒に切っちゃ駄目だよ。ここまで行っちゃってっからフェルマータ。次のアウフタクト気をつけてね。ちなみにスカラ座合唱団は、本番も含めてこのアウフタクトは一度も合わなかった!」
「あははははは!」
いつも日本にいる時は、僕はとても忙しいのでなかなか構ってあげられない。不思議だなあ。こんなに離れているのに、日本よりもずっとゆったり時間を使って丁寧に教えているなあ。

 志保とはなんだかんだで1時間以上も話していた。
「もうそっちは真夜中過ぎたんだろう。ママもパリに着く頃だ。そんじゃあ、そろそろ切ろうか。バイバイ!」
ということで、淋しさに浸るタイミングを失ってしまったのでラッキーだった。でも、杏奈が帰った時よりも妻が帰った時の方が淋しくないというのも、なんか具合が悪いような気もするなあ・・・・・。

 それから間もなく妻から電話が入った。DOCOMOの海外ローミング・サービス。
「パリに着きました」
「今まで志保とスカイプしていたんだ」
「あら、そう。ねえ、杏奈が迎えに来ていないのよ」
「杏奈ねえ、さっきスカイプつけた時、まだオンラインだった。それからすぐオフになったみたいだけど」
それからしばらくして、僕がミラノで買ったNOKIA製VODAFONの携帯に、杏奈からSMS(ショートメール)が入る。
Mamato aetayo ! (ママと会えたよ)
Nous somme dans le metro.(今地下鉄の中)
なんだか世界は狭い。今、三澤家は東京、ミラノ、パリと分散しているのに、互いの距離を感じない。

 さて、今週の火曜日に語学学校で試験がある。別にそれに受かるとか落ちるとかいうものではないのだが、先生達はなんだかあせっている。どうやらのんびり授業をし過ぎたようで、所定のところまで辿り着いていないようだ。僕たちは全然構わないのだけれどね。 金曜日の授業なんか、どんどん超特急で進むので、生徒達がびっくりして反応する。
「ちょ、ちょっと待ってよ。そんなの聞いてないよ、ヴァレンティーナ!」
「今学ぶのよ!分かった?」
「もしかして試験に出るんじゃあ?」
「そうよ。ちゃんと答えてよ!」
「そ、そんなあ・・・」
ということで、この原稿を書き上げた後、僕も火曜日の試験に備えて、少し集中して動詞の接続法、未来形、仮定法の活用、それから再帰動詞のおさらいをしようっと!
可愛いヴァレンティーナのクラスを追い出されたら嫌だから。

あれっ、妻がいなくなって同じ日の晩にもうそんなこと言ってる!



Cafe MDR HOME


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