スカラ座の運営について

三澤洋史 

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スカラ座の運営について
 もう5月も終わる。時の経つのはなんと速いのだろう。東北関東大震災、津波、原子力発電所の事故、計画停電、余震などの日本を、後ろ髪を引かれる思いで離れたのが昨日のようだ。

 ここに来た当時は、帰国などずっと先の事でイメージすら出来なかったが、新国立劇場からも、帰国後すぐに始まる子どもオペラ「パルジファルとふしぎな聖杯」の稽古スケジュールの確認メールなどが来ると、だんだん帰国が近づいてくるのを肌で感じる。
 あと残すところ3週間足らず。ミラノでの生活はとても快適だが、この夢のような生活がいつまでも続くわけはないとも思う。やはり、本来の自分の日常に戻って働かなければならないし、働きたいなと少しずつ思い始めている。

 80日間に渡る文化庁在外研修が終わって帰国したら研修報告書を書かなければならない。でも僕の場合はさほど難しくはない。こうして毎週「今日この頃」にいろんなことを書いているので、それをまとめるだけでも書類は作成出来る。本当は、それも面倒くさいので、文化庁の職員の方々に「今日この頃」を読んでもらえばそれで事足りるような気もする。その方が、その時その時のリアルタイムな息吹が伝わってくるのではないか・・・・と、これは冗談です。書類は別にきちんと書きます。
 ただ、そのためにもいくつかの事を整理しておきたい。今日はスカラ座の練習や本番のシステムなどについて話そうと思う。

 スカラ座は長い間改修工事をしていた。それによって事務所や練習場の間取りや配置もかなり変わったが、変更はもっと根本的なところから行われているようだ。現在、劇場は24時間体制で動けるようになっている。たとえば夜の11時過ぎにオペラの公演が終わってから、舞台スタッフ達のシフトに0時から6時というのがあって、夜通しかけて、公演の舞台の撤収が行われ、次の日の練習用の舞台が設置される。
 照明家とそのスタッフ達は、次の演目の初演に備えて朝早くから照明合わせなどが出来るし、午前中から午後にかけて舞台稽古も出来るわけだ。そして、驚くべき事に、その舞台稽古は16時まで出来るようになっている。そして20時からまた別の演目を公演をすることが可能なのだ。ということはつまり、舞台スタッフは、16時から20時までの4時間の間に、練習用の舞台を撤収し、その日の公演の演目の舞台を飾らなければならないわけだ。
 それを可能にするために、基本的に全ての公演の舞台美術はある意味簡素化されている。異なる二つの演目は、4時間の間に撤収、設置されるべきであり、そもそもそれを可能にする舞台でないといけない。その点だけ見ると残念な気がする。つまり大がかりな舞台は望めないわけだ。でも、この方針で貫くことは、もの凄く大きな経費削減を導き出す事が出来るのだ。どんなに演出家が反対しても、
「当劇場は、この条件でお願いします」
と突っぱねることが出来るのだ。
 舞台の単調さを避けるためには、いろいろな方法がとられているが、そのひとつにプロジェクターの使用というのがある。これは、現在の芸術監督であるフランス人のステファーヌ・リスナー氏の意向だと何人かの関係者から聞いている。舞台後方にスクリーンを置いて、プロジェクターを使って、上演中に様々なものを映写するのだ。
 「魔笛」「トゥーランドット」「クァルテット」と、僕がここに来てから上演された全ての演目でプロジェクターが使用されていた。ただ、今度初演となる「ロメオとジュリエット」では使われていないようだ。別に義務づけられているわけではない。
 「魔笛」などのメルヘンチックな作品は良いのだが、気をつけないと、プロジェクターを使う事によって舞台が安っぽくなってしまう危険性がある。何もない方が想像力が湧く場合もあるので、僕は常に大賛成というわけでもない。

 古くからいる合唱団員やオケマン達は、改修工事が終わってから、昔よりずっと忙しくなったと言っている。公演がある日の午後に、次の演目のオケ付き舞台稽古などが入ることが珍しくなくなったからだ。昔のことは知らないので、改修後から演目数や上演数がどのくらい増えたのか具体的には分からないが、少なくとも以前よりもはるかに「能率的に」練習や公演の運営が行われるようになったことは事実なのだろう。

 スカラ座は、オペラに関しては、基本的に月曜日が休みだ。これが日曜日に振り替わることもあるが、要するに、合唱団は週に一度は必ず休日がある。ところが、オーケストラは、その休日にスカラ座フィルハーモニーの演奏会をすることが多い。このスカラ座フィルハーモニーFilarmonica della Scalaを運営しているのはスカラ座とは別団体なので、この演奏会に参加することはスカラ座管弦楽団としては義務ではない。
 とはいえ、団員の話では、実際にはなかなか断りにくいということと、月給の他に臨時収入としてふところに入るという二つの理由で、ほとんどの団員が参加するという。ということは、一ヶ月休日が全くないという事態も起こり得るという。ただ、先ほども言ったように、あくまで別団体なので、労働組合が攻撃する余地はないらしい。

 芸術家としての立場からこうしたことを見ると、決して望ましい状態ではないと思う。誰かがどこか陰から糸を操って、巧妙にみんなを働かせているように感じられる。舞台スタッフを24時間交代制にするのにはコストがかかるが、それを犠牲にしてでも、舞台を簡素化したり公演数を増やすことで、経費削減し、あるいは収入を上げ、全体としての経済効果を上げようとしている意図は明らかだ。そろばんのはじき方は天才的だ。
 これがもし企業だったら、不当とも言える大きな利益をあげることが可能だ。団員達の「昔より忙しくなった」という印象は事実であるだろうし、労働条件は実質的にはきっと悪くなっているのだろう。

 ただ僕はこうも考える。今は世界中が不景気だ。イタリアも同様で、芸術全般に対しての助成金は間違いなく削られている。このスカラ座でも数年前からストライキなどが頻繁に行われていたと聞く。そうした状況を鑑みるに、もしかしたら上記の様々な処置は、たとえば職員の給料を下げるとか合唱団の人数を削って解雇するといった直接的なダメージを与えずに劇場を運営する最良の方法なのかなとも思えるのだ。
 僕はこうも考える。劇場全体が、財政の困窮と経費削減問題を先取りして、改修工事から始まって計画的に長期に渡ってこうした処置を施しているとすると、むしろこれは驚嘆に値するのではないか。日本人には絶対に出来ないであろう。でも、何故出来ないのだろうかと考えて、僕は、はたと思考が止まってしまった。

 恐らく日本では、こんなウルトラC(表現が古くてすみません)は、しようという発想すら生まれない。こんな風に先取りして思考出来ないのだ。日本人の発想はもっと刹那的、あるいは対症療法的だ。そして結論は短絡的だ。たとえば経費削減されることが決まってからあわてて動き出す。そして考えることといったら、支出を抑える事だ。その時点でさらに資本を投入して、将来の節約のために新たな投資をしようと考える人は、おそらくいないだろう。
 支出を抑えるための思考も単純だ。つまり、舞台美術にかける費用をただ削るとか、合唱団の人数を減らすとか、公演数を減らすとか、目に見える部分からバッサリ切っていくのだ。これは公演のクォリティに直接影響してくる最も悪いやり方であるが、芸術以外の分野にアピールするには最も分かり易い方法だ。
「ほら、削ってますよ」
って言えるわけだ。

 仮に誰かが(Xとしておこう)情熱と長期的展望を持ってスカラ座みたいなウルトラCをやろうとすると、Xは必ず周囲から孤立し、その方法がうまくいかなかった時のリスクを負わされる。その下で働く人達は、彼の決断によって誰かが出してくるクレームを恐れる。
 全く日本社会のクレームに対するトラウマは信じがたい。だからクレームに対する処理にかけては世界一素晴らしいと思う。それだけでは足りない。彼等はさらに、クレームを出させたことの責任を追及する。その責任追及は巡り巡ってXのところまで行く。Xは疲労し、だんだん長期的展望などどうでもよくなってくる。そしてXは挫折する。あるいは失脚するかも知れない。だから、スカラ座のようなことは絶対に出来ない。日本とはそういう国である。

 イタリアは逆に、先週の自動販売機の話でもそうだけれど、クレームを無視するのが上手な国だから、大胆なことが出来るのかも知れない。勘違いしないで欲しいのだが、僕はなにもスカラ座のやり方が良いと言っているわけではない。でも、世界を見渡してみると、どこも理想的な芸術のあり方を追求しようなどと言っていられない状態にあることは事実ではないか。
 特に日本は、震災後にもっと芸術に対して厳しい状況に追い込まれている。そんな時に、指をくわえて芸術が自滅していくのを見ているわけにはいかないんだ。頭を使って、ウルトラCでもなんでもしなければいけない。

 さて、話をスカラ座に戻します。合唱団員達はみんな口を揃えて、
「改修工事の後、良くなったところなどひとつもない」
と言う。僕は彼等の前では特に反論はしないが、そうとも言い切れないと思っている。合唱団員の視点から見えない部分があるのだ。
 彼等の言い分の中に、
「事務所ばかり増えた」
というのがある。これは団員達には理解出来ないだろうけれど、僕は、事務局をきちんとするのは最も大切なことだと思っている。特に合唱指揮者のカゾーニ氏にも、合唱事務局のバイラーティ氏にもひとつずつ部屋が与えられているのは、僕にはうらやましい限りだ。事務局がきちんとしているからこそ、先ほどのハードなスケジュールの運営が可能になっているのは事実なのだ。実際、スカラ座の事務局は、ここがイタリアだとは思えないくらい(失礼!)スムースに運営されている。

 でもひとつだけ、ちょっと信じがたい欠点がある。それは練習室がないこと。ピアノのあるいわゆる練習室というのは、なんとこの劇場の中でひとつもないのだ。ピアノが入っているのは7階のオケ練習場、4階の合唱練習場、それとマエストロの部屋とゲスト演奏家の控え室くらい。休憩時間が長い時に、合唱団員が声出しや練習をしたいと思っても出来ない。これはソロの歌手達も同じ。僕も、このミラノ滞在の間に作曲の構想を練ったり、アレンジをしようと思っていたけれど、とても一人でピアノを独占するなんて無理だ。
 合唱団員には楽屋があって、ひとつずつ鏡の付いたデスクとロッカーが与えられているが、ピアノは置いてないし、第一みんな一緒なので落ち着かない。

 僕は、長い休憩時間にはよくメンザ(食堂)で、オペラの歌詞を確認したり、イタリア語の宿題などする。新国立劇場などでは、デスクを持たない人達にとっては絶好の場所だが、ここではそうでもない。何故なら、イタリア人はみんなとても大きな声でしゃべるので、何も集中して出来ない。イタリアのメンザのうるささはちょっと筆舌に尽くしがたい。どこでもうるさいんだよ。イタリア人って。
 要するに、この国では、なにかを落ち着いてする環境を確保するのは本当に難しいのだ。改修する時に、真っ先に練習室を確保しようという発想も、どうやら彼等にはなかったようだ。本当に、国が変わると、人々の発想というのはこうも違うのだ。

イタリア語リベンジ物語
 自分のホームページだからといって、あまり自画自賛ばかりしていると読者に愛想尽かされることは分かっているけれど、今日だけはちょっと自慢させて下さい。火曜日に試験があるという話は先週したよね。その結果が出た。レベル2.2、つまり中級の上のレベルの試験で、100点満点で98点だった。
 特に90点満点の文法を中心とした筆記試験は90点の満点だった。中級なので、まだ接続法は現在形だけだし、条件法の使い方も限定されているけれど、それでも全問正解するのは簡単ではないのだよ。
 問題のミスした2点は、聞き取りテスト10点中の2点だった。これは、はっきり言って難しい。イタリア人が街角でしゃべっているくらいのスピードの会話テープを聞いて理解し、問題に答えなければならないんだ。集中して聞いてはいたんだけれど、とても全部は追えなかった。8点取れただけでも自分としては上出来かな。

 さて、こう書くと喜びばかり強調されてしまうけれど、実はこの成績の裏には隠されたストーリーがある。ちょっと悲しいリベンジ物語。

 4月の復活祭前の21日の木曜日。杏奈が帰った次の日に僕はこの学校に来た。レベル分けテストをしたが、まだ慣れないのでテストの成績よりは低いクラスにして下さいとお願いした。それと、劇場の練習が午後から始まることが多いので、午前中のクラスに行きたいとも言っていた。
 ところが、
「午前中のクラスは、あなたの程度よりずっと低いところにいるので、午後のクラスを薦めます」
と言われた。それで仕方なく午後のクラスに行き始めてみた。本来は月曜日から授業に参加するのだが、25日の月曜日が復活祭の休日なので、前倒しして22日金曜日から授業に出た。そのクラスのレベルが僕には高すぎてあせった話はすでに4月25日に更新された「今日この頃」に書いている。

 その次の授業すなわち26日火曜日、行ってみたら、いきなり今日は試験をするという。僕は何も聞いていなかったので、それだけで舞い上がってしまった。試験用紙が配られて試験が開始されたが、それはレベル分けのテストとは比べものにならないほど難しい問題だった。見ただけで目が回って、最初の問題を解くだけで20分くらいかかってしまった。 他の問題も、イタリア語に慣れていないので、その問題自体が何を要求しているのかも分からずに全くパニックに陥ってしまった。聞き取りの問題に至っては、何を話しているのか全く理解出来なかった。僕は、ほとんど試験を投げ出してしまった。もう泣きたい気分だった。

 試験の結果は2日後に発表される。会話の教師ロレンツォが一人ずつ生徒を呼び、どこが悪かったかを告げる。でも僕の答案はとても答案の体を成していなかったので、ロレンツォは答案を見ながら話すのをやめて、僕と差し向かいで話をした。彼は、僕がもっと頑張りますと言うと期待していたようだが、僕はこう切り出した。
「このクラスにいることはとうてい無理です。もっと簡単なクラスに行きたいです。午前中のクラスに変えて下さい」
彼は驚いて、
「でも、午前中のクラスは君には簡単すぎると思うよ」
「いいんです。それに午後のクラスはスカラ座のスケジュールともぶつかってしまうので、これ以上来続けることははっきり言って難しいんです」
「では、一日だけ試しに行っておいで。もし簡単すぎてつまらなくなったら戻って来ればいいよ」
実はその時、僕はとても挫折感を味わって意気消沈していた。

 ところが次の日、新しいクラスに行ったら、まるで生まれ変わった気がした。会話クラスの教師アンドレアはとても陽気で、決して生徒をパニックに追い込むことなく、気長に説明してくれるし、文法教師ヴァレンティーナは、やさしくひたむきで可愛くって、おじさんとしては眺めているだけでも楽しい。僕はただちにこのクラスが気に入って、もうここしかないと決めた!
 これで一気に学校に行くのが楽しみになってきただけでなく、イタリア語への情熱も戻ってきた。クラスメートもみんな明るく和気藹々で、僕の挫折感も徐々に癒されていった。

 さて、いよいよ試験の時を迎えた。問題を見てすぐには分からなかったのだが、どこかでやった気がする。ヴァレンティーナが試験に備えて、類似問題を沢山出してくれたので、そのせいだろうと思っていたのだが、途中でハッと気が付いた。
「この問題は一度やったことがある。そうだ、あの時の問題と同じだ!」
 考えてみれば、同じ学校で一度レベルダウンしたのだから、次の試験で同じ問題が出てもおかしくない。
「なあんだ、同じ問題では、良く出来て当たり前じゃないか!」
と思う人がいるかもしれない。
 でもね、一度目は本当にパニックに陥って何も出来なかったのだから、問題をすでに熟知していたとは言えない。恐らく、全然違う問題が出ても同じような結果だったに違いない。それよりも、わずかこれだけの間にこんなに確実に答えられるようになったのは、二人の教師が、僕を本当に親切に根気よく導いてくれたから、全てのことがきちんと頭の中で整理されたのだ。
 また、慣れてくると、問題にはいくつかのパターンがあるのが分かってくる。類似問題を普段の授業でやっていると、すぐに出題の意図を理解出来る。こうしたことが積み重なって、今回は落ち着いて取り組めたわけだ。

 二日後の授業でアンドレアが、
「HIROの答案は・・・・パーフェクトです!」
と言った時、他の生徒達から、
「ワオーッ!」
という声が上がった。黙っていようかとも思ったが、
「実は・・・・・」
とリベンジの話を始めたら、クラスメート達は「狡いなあ」というどころか、とても温かい眼で僕を見てくれた。休憩時間にはオーストラリア人のサム(サムエル)が、
「ヒロ、お前の話には本当に感動したよ。まさにリベンジじゃないか」
と言ってきてくれた。
 休憩後、文法の授業が始まった時、ヴァレンティーナは僕の答案を見て、
「ワッ、HIROやるじゃん!」
と言った。それ以後、なんとなく彼女の僕を見る視線が熱っぽいような気がする(たぶん僕の気のせいだろうけれど・・・・)。

 その次の日、午後の授業の教師ロレンツォに会ったので、同じ答案だった話をしたら、もうアンドレアから聞いて知っていた。
「よく勉強したね。もう僕のクラスに戻ってきてもいいじゃないか。その気はないの?」
と言ってくれたが、
「スカラ座の練習が午後からあるからね。残念だけど・・・」
と答えておいた。
 って、ゆーか、本当の事を言うと、はっきりいってロレンツォの授業より、アンドレアの授業の方が楽しいし分かり易い。それにヴァレンティーナの毎日変わる服装を見るのが楽しみなので、たとえスカラ座の練習のことがなかったとしても、僕は今のクラスに居続けただろう。

 こんな風に、ミラノに来てから一番頑張ったことは、なんといってもイタリア語の勉強だ。イタリア語って、本当に優れた言語だと思うし、やればやるほど奥が深い。しかも試験で良い点取ったので、ますます調子に乗ってきた。大好き!イタリア語!  


カゾーニ氏とジェラール
 「ロメオとジュリエット」の演出家が、合唱団員達がドラマをわかっていないと嘆いていた話はすでにした。ある時、ジェラールが僕にそっとこぼした。
「もう、フランス語の指導はやめるんだ」
「なんで?」
「カゾーニ氏におこられた」
「ええ?」
「ジェラール、お前はどうしてみんなに物語を教えなかった!ってカゾーニ氏は僕に言うんだ」
「そ、そんなあ・・・・・。君は言語指導なんだぜ。物語を教えなかった責任を追及されることないじゃないか」
「とにかく、もうやめるんだ」
「・・・・・・。」

 それから何日か経って、立ち稽古の間にカゾーニ氏の音楽稽古があった。ジェラールはもうみんなの前に立って指導することはやめて、みんなの中に混じって歌っている。彼も合唱団の一員として歌わなければならないのだからね。
 ところが、団員達がどんどんカゾーニ氏に質問してくる。
「ここの発音はどうでしたっけ?」
カゾーニ氏は、自分で試みるがなかなか思うようにいかないので、ジェラールの方を向いて、
「ジェラール、立ってみんなに説明してくれ!」
と言う。そうして何度かジェラールが立ち上がって説明すると、みんなはクリアーになって納得する。
 カゾーニ氏がジェラールに気を遣って、
「やっぱり合唱団の中にジェラールのような人がいると便利だね」
と言ったが、その瞬間ジェラールは立ち上がってこう言った。
「もう今後は二度とやりません。今回は僕の最後の言語指導の仕事です」
みんなはびっくりして、
「おいおい、ジェラール、何を言うんだ?そんなこと言わずにやってくれよ!」
と口々にジェラールに向かって叫ぶ。それからお互いに、
「何だ、何があったんだ?」
「あのね・・・・ゴニョゴニョ・・・・・」
カゾーニ氏は、ざわめきを制して何事もなかったかのように、
「静かに!それでは132ページから・・・・・」
と練習を再開した。

 僕はこのことを書くことによって、二人のことを傷つけたり責めたりするつもりはない。そうではなくて、ひとつの典型的なヨーロッパ人のやり取りをみなさんに呈示して、こんなにも日本人と違うことを見せたかったのだ。
 演出家に、合唱団員がストーリーを理解していない苦情を突きつけられたカゾーニ氏が、その鬱憤を言語指導のジェラールにそのままぶつけたのは、いかにもイタリア人らしいといえるし、カゾーニ氏に言われて憤慨したジェラールが、ああしてみんなの前で「もうやらない!」と言い切るなどということは、日本では起こりにくいことだ。
 逆に、カゾーニ氏の立場に立ってみると、こんな風に合唱団員達が、相手が合唱指揮者だなどと遠慮することなく自分の思いをぶつけてくるのだから、なかなかストレスのたまる仕事だなと思う。でも、僕だったら、その前にジェラールに文句を言うことはしないけどね。

 その練習後、バタバタしていてジェラールに会えなかったので、僕は彼にSMSのメールを打つ。
「君の気持ちはとても良くわかる。君がカゾーニ氏から責められるいわれはなかった。でも、君がそのことでもう二度と言語指導をしないというなら、それはとても残念だ。だって、君の指導は本当に素晴らしいのだから」
すぐにジェラールから返事が来た。
「君の言葉にとても力づけられ慰められた。ありがとうHIRO」

 次の日、「ロメオとジュリエット」の舞台稽古で、珍しくカゾーニ氏が客席に座っている僕の方にまっすぐ歩いて来た。
「まったく、辛い仕事だね、合唱指揮者ってのは。こんな歳になってまで、いろんな事に気を配らなければならないんだから。それ、その音程が悪いだの、それ、リズムが甘いだの・・・・」
「そうですね・・・・・日本だって同じですよ」
「お互い、辛抱が必要だね。辛抱が・・・・」
 僕から遠ざかっていくカゾーニ氏の背中は、いつになく丸まっていた。カゾーニ氏は、僕が最近いつもジェラールといるのを知っている。僕が何をジェラールから聞いて、本当のところどう思っているのか知りたかったのか、それとも、ただなんとなく僕に自分の立場の辛さをこぼしたかったのか、真意のほどは分からない。
 僕は両方の間に入って八方美人かなとも思うが、僕もこれ以上何も言えないし出来ない。まさかカゾーニ氏に向かって、
「あなたはジェラールにあやまるべきだ」
とも言えないし、反対にジェラールに向かって、
「カゾーニ氏がかわいそうだから、お前は言語指導をやれ」
と命令するわけにもいかない。

 こんな時、どうしたらいいんだ?でも、もしかしたら、こんなやりとりがあっても、次にフランスものをやる時に、何事もなかったかのようにジェラールはまた言語指導を頼まれ、引き受けるかも知れない。やっぱり、ヨーロッパ人というのは言い合うことに慣れているから、自分で自分の振り上げた手の収めどころを知っているのかも知れない。心配はいらないのかも知れない。
とにかく、今はそっとしておいた方がいいのだ。

佳境に入ってきた「ロメオとジュリエット」
 グノーの「ロメオとジュリエット」は良いオペラだな。何故もっと上演しないのだ?5月27日金曜日は、午後と夜の2コマ使って、オーケストラ付き舞台稽古をした。そこでオケの音で初めてオペラ全曲を通しで観た。
 すでに物語はみんな知っていると思うけれど、親が用意した相手と結婚させられることになって絶望的になったジュリエットが、仮死状態になる薬を飲んで・・・・という後半のストーリー展開は、なかなか複雑で、舞台で上演するのは簡単ではないと思う。
 でもグノーの案外あっさりとした音楽の運び方が、冗長になるのを避けながら終幕の悲劇に向かって一気にドラマを盛り上げていくことを可能にしている。終幕では、これこそまったくありきたりの悲劇だなと思いつつ、案外感動してジーンときてしまったよ。
 ジュリエットのアリア「わたしは夢に生きたい」は、僕の大好きなアリアだ。ソプラノの人達がよくオーディションで歌うので、新国立劇場の試聴会でも何度も聴くことになるのだが、何度聞いてもいい。

 さて、フランス人の指揮者Yannick Nezet-Seguinヤニク・ネゼセガンは、短期間で上手にオケを仕上げていると思う。ただ・・・・スカラ座管弦楽団は上手なんだけど、もうひとつピシッと合わないのは、イタリアだから仕方ないのか。なにか集中力を欠いているなあ。彼はきちんと振っているので、棒が悪いわけではないのだが・・・・ちょっと空回り状態。
 指揮者って難しい。オケとの相性もあるだろうし、お互い時間がかかる場合もある。自分で音が出せないから楽とよく言われるが、逆に出来上がったもので判断されてしまうから辛い。
 フランス音楽だからオケがピンとこないのかな。木管楽器などは結構フレンチ・メソードの感じで吹いているのに、即座にフランス音楽になるかといったら、そうでもない。やはりイタリアのオケはイタリアンなのね。フランスのオケよりはしっかり音を出すから、フランスものをやると重く感じる。お互いラテン民族同士なのに随分感じが違うのだ。もしかしたらベルリン・フィルやウィーン・フィルの演奏するフランス音楽の方が良かったりして・・・・。
 指揮者ネゼセガンが偉いのは、舞台上の合唱団達に向かって、
「みなさんが静かにしない内は、私は演奏しませんよ!」
ときちんと言えることだ。って、ゆーか、恥ずかしいね。ゲストの指揮者にこういうことを言わせるかね。幼稚園じゃないんだから。
 彼は毎日1回は言う。それでも次の日には忘れておしゃべりをする団員達。ああ、ため息が出ちゃう。イタリアの合唱団。

 6月3日金曜日がゲネプロで、公演は6月6日月曜日から始まるから、今は追い込みの時期だ。新国立劇場の公演と違って、みなさん来てねと気軽に言えないのが残念!




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