ミラノよさらば!

三澤洋史 

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あわただしい日々
 最終週に入った。いよいよイタリア滞在の日々も最終段階に入ってあわただしい。プリンタをイタリア人の知り合いに返したり、身の回りを整理して、捨てたり人にあげたりするものと、日本へ持って帰るものを選り分けるだけでも時間がかかる。語学学校に行かなくなったので、暇で仕方ないかなと想像していたがとんでもない!80日間だけの滞在だったといっても、その痕跡を消し去るのは容易ではない。そこに生活するということは根を張るということなのだ。

 楽譜や本をいろいろ買ったので、日本に送ろうと思ったら、娘達が、
「パパ、パリではよくヤマト便を利用しているよ。家まで取りに来てくれて、しかも郵便局から送るより安いんだ」
というので、インターネットで探したらヤマト運輸のミラノ支店があった。
 彼女たちの言う通り、2箱以上送ると10ユーロ安くなるとか、いろいろ特典がついてなんだかんだで思ったよりずっと安く送れた。みなさんが外国にいて何か送りたいと思ったらヤマト便はお薦めですよ。電話は日本語専用というのがあるしね。ただし箱は自分で用意すること。もしヤマト運輸の事務所が近かったら、直接箱を買いに行ってもいい。僕の場合は、ミラノ支店が郊外にあって僕の家からは正反対だったので、箱は郵便局で買った。

ナポリ・ピッツァ食べ納め
 6月15日水曜日。スカラ座とアカデミア(音楽大学)が提携して行うロッシーニ作曲「アルジェのイタリア人」公演のためにアントネッロ・アッレマンディがアンサルド練習場で練習しているという情報を得た僕は、アッレマンディに挨拶しにわざわざアンサルドまで行った。 彼とは、新国立劇場の「トゥーランドット」公演で一緒だったし、その後、二期会主催の「椿姫」公演では長女の志保がピアニストとして参加していて、親子二代でお世話になっているのだ。ところが練習場に行くと彼がいない。他の副指揮者がいたので訊いてみたら、彼が指揮者としてこの練習に参加するのは6月18日からだという。残念!僕が帰った後だ。

 まあ、アッレマンディがいなくても、アンサルド練習場まで足を運んだのは無駄ではない。何故なら、アンサルドはポルタ・ジェノヴァ駅の近くにあるので、以前アンドレアと一緒に行ったピッツェリアが近い。今日はお昼をそこで食べようと決めていたのだ。ナポリ・ピッツァの食べ収めというわけだ。今日は、ビールは飲まないでマルゲリータとガス入りお水だけ。後で説明するけれど、今夜は飲み会があるから。
 うーん、うまい!本当にただのトマトだけのトマト・ソースとただのモッツァレッラだけなんだけど、どこからこのうまさが来るのか?ひとつはこの生地がいいんだよな。酵母の香りがプーンとする。外側の盛り上がった部分の香ばしさと柔らかさ、モチモチ感がたまらない!ああ、もうこの味を堪能出来ないのか!


デイヴィット
 僕の家から直線距離で結んで百メートルもないところにバスの合唱メンバーが住んでいる。名前をデイヴィットというが、イギリス人ではなくれっきとしたイタリア人だ。よくスーパーで会ったり、街角で会ったりしていた。彼は、晴れた日には自転車でスカラ座まで行くので、よく歩いている僕を追い抜いて行く。
 彼は、近所のよしみで僕を食事に招待したいと言っていたが、なかなか機会がなかった。そうこうしている内にいよいよ最後の週になってしまった。そこで合唱の本番も練習もない水曜日に決行ということになった。

 夕方6時半。僕は、先日バイロイト大学元教授のディーター・クラインが持ってきてくれたフランケン・ワインと、このままではゴミ箱に捨ててしまう他はない余った食料品を持ってデイヴィットの家を訪ねた。デイヴィットはそのフランケン・ワインを即開けて、ポテトチップと一緒にアペリティーフとして飲む。デイヴィットの他に二人ほど合唱団のメンバーも来た。みんなでフランケンの白ワインらしいジューシーな香りを味わった。
 それから料理が始まった。あとでお楽しみワインがあるというので、まずは軽めの赤ワインを一本開ける。レストランではないので、デイヴィットの料理は素朴そのもの。primo piatto(第一の皿)は、ミニ・トマトの入ったナポリタンのスパゲッティ。3人の合唱団員はイタリア人だから、みんなおしゃべり。話はつきず、料理は全然急ぐ必要はない。さて、たちまちその軽めのワインが終わってしまった。
 すると、secondo piatto(第二の皿)としてデイヴィットが取り出したのは、大きな塊の牛肉。これに塩胡椒を振ってフライパンで焼く。それから切り分けて、ルッコラを敷き詰めたお皿の上に乗せて、ルッコラと一緒に食べる。あとはパンだけ。
 これだけの料理なのだが、何が良かったかというと、まず肉そのものが柔らかくて味わいがありとてもおいしい。それから、何と言っても例のとっておきのお楽しみ赤ワインが、この肉と相性バッチシだったのだ。もうそれだけで何も要らない!
 こういうところが、こっちの人の違うところなんだ。たったの15ユーロだったというが、丹念に探し求めた末に見いだした掘り出し物だという。ワインだけだったら、もっと香りが上品でフルーティーなものとか、さらに濃厚なものとかいろいろあるだろう。でも、ただ高いワインを味わうだけがグルメではない。こうした料理とワインのコンビネーションで味わうのだ。つまりマリアージュ(フランス語で結婚の意味)だ。

 話は、みんなが酔っ払うにつれて、だんだん合唱団の他のメンバーの噂話に移ってゆく。どこでも同じだね。たとえば大きな声を出したがるバリトンがいて、カゾーニ氏が注意すると一度は小さくするのだが、次の時にまた声を張り上げて一人だけ目立ってしまうメンバーとか、イギリス人のメンバーの発音が悪くて聞いてられないとか・・・・まあ、赤裸々な合唱団の日常が覗けてとても興味深かったよ。
 スカラ座は2013年の夏にまたNBSの招聘で来日する予定だ。 ヴァレンティーノというバリトンのメンバーは、僕に、今日のワインを2013年におみやげとして日本に持ってきてくれると約束した。
「誓うか?」
と聞いたら、笑いながら、
「誓う!」
と言う。本当かなあ?
 彼は、ソリストとしてイタリア各地で活躍していて、レナータ・スコットなど有名な歌手達と共演していた過去を持っている。発声にすごく熱心で、(酔っ払っていることも手伝って)僕にベルカントの発声について蕩々と語ってくれた。でも、とても為になった。もしかしたら、合唱団の練習をぼんやり見ているより、ずっと勉強になったかも知れない。
「ヴェルディの発声は、鼻から深あーーーく吸って、声帯をピシッと締めてまっすぐに出すのだ。その時にメロディーを歌うと思ってはいけない。言葉を歌うのだ。言葉が第一なのだ。そしてそれが美しい発声への最も近道なのだ」
 どうです、みなさん!なかなか良い事を言うでしょう。この言葉を本当に理解し、体感し、実際に具現化出来さえすれば、ベルカントの神髄を究めることが出来るかも知れない。まあ、彼はその後かなりメロメロになっていたので、最後の方は同じ事の繰り返しになってしまったけれどね。4人で3本のワインを開けたわけだから・・・・というか、イタリア人も全員がそんなに強いというわけでもないんだな。

アッティラ最終段階
 6月16日木曜日。いよいよ今日がスカラ座における見学の最後の日だ。今日は14時から16時まで「アッティラ」のオケ付き舞台稽古。第2幕、第3幕が中心だ。その後、例によって舞台転換のために4時間ほど休憩があって、「ロメオとジュリエット」の本番。
 14時の稽古に間に合うように劇場の近くを歩いていたら、ガブリエッラというアルト団員に会った。彼女は、僕にスカラ座フィルハーモニーの演奏会の情報を教えてくれたり、何かあるにつけ、とても親切にしてもらった。
「ヒロ、一緒にコーヒー飲もう!」
と、あまり時間がないのに僕を無理矢理カフェに誘う。
「今日はあたしに奢らせてよね!」
「そんな・・・・」
「今日、最後よね。淋しいね。あたしは2013年の時に丁度定年になるので、日本に行けるかどうかわからないんだ。またイタリアに来ておくれよ」
その言葉を聞いていたら、心がとても温かくなった。ガブリエッラってそういう人なのだ。僕の姉と同じくらいの歳だけれど、息子が一人いてやさしいお母さんという感じ。
「ありがとう、ガブリエッラ!本当に親切にしてくれてありがとう!また絶対に会おうね」
僕たちは、頬を寄せ合って挨拶してから「アッティラ」の練習に行った。

 「アッティラ」のオケ付き舞台稽古は、もの凄くいい感じに仕上がってきている。ルイゾッティのヴェルディは、先週も書いたけど本当にヴェルディの本道を行っている。「アッティラ」は、ヴェルディのかなり初期のオペラだから、伴奏型はまさにヴェルディらしさの極地。つまりズンチャカチャッチャッだが、これは恥ずかしがって控えめにやってはいけないのだと分かった。もう、どうだと言わんばかりに、ひとつひとつの音を決して抜かないでバリバリにやるのだ。聞いていてもちょっと恥ずかしいが、知らず知らずのうちにやみつきになる。
 ヴェルディは随所でユニゾンを使う。合唱もソリストも全員でひとつのメロディーを大ユニゾンで歌う個所もかなり恥ずかしいけれど、これも堂々とやるべし。劇場中にユニゾンが響き渡るその快感!やはりスカラ座に来たからにはヴェルディを聴かなければ!これこそスカラ座なのだ!

 さて「アッティラ」舞台稽古終了後、合唱マネージャーのバイラーティ氏のところに行ったら、合唱指揮者のカゾーニ氏が来て、自分はこれからアルチンボルド劇場での演奏会に行くので、今夜の「ロメオとジュリエット」はアシスタントに任せて来ないからねと言う。僕は本番の時にあらためて挨拶しようと思っていたのであせった。
「あのう、明日日本へ帰るので、今日が劇場に来る最後の日なのです」
と言ったら、カゾーニ氏はびっくりした。
「あっ、そうか今日だったんだね」
「合唱団の全員に僕の口からお礼を言いたかったのですが、ここのところ舞台稽古と本番ばかりなので、みんなが一緒に集まる時がなかったので言えませんでした」
「ああ、そうだったね。私からみんなに言っておくよ」
「よろしくお願いします!」
「それじゃ、元気でね。今度は東京で会おう」
カゾーニ氏の温かい人柄に触れるのも今日が最後。いろんなことを学ばせてもらって本当に感謝している。

ジェラール
 舞台転換のための休憩が4時間もあるが、僕は、最後の日のこの休憩をジェラールと一緒に過ごそうと決めていた。ミラノで最初に友達になったジェラールは、今や僕にとってはかけがえのない存在だ。彼と過ごした時間は、イタリア語を話す絶好の機会だったわけだから、もうそれだけでお世話になっているし、おまけに二度も車でブレーシアやデゼンツァーノなどを案内してくれたんだもの。彼がいなかったら、ミラノでの生活はどんなに孤独だったことだろう。
 面白いのは、フランス人の彼は、普段は誰よりも味にうるさいのに、僕とカフェに行く時だけはなるべく誰も入っていないカフェを探す。イタリア人達の行動は正直だから、カフェに誰もいないということは、つまり「まずい」カフェということだ。不思議なんだけど時々あるんだ。コーヒーなんて機械で作っているんだから、どこだって同じように見えるだろう。ところが違うんだ。豆のせいなのか、何のせいなのか分からないけれど、人がいないカフェは、まるで努力してコーヒーをまずく作っているようなのだ。
「今日のために探しておいた、人のいないカフェを。まずいだろうけど、いいよね。」
とジェラールが言うので、僕たちはピッコロ・テアトロのあるランツァ付近まで足を伸ばし、まずそうなカフェを見つけてそこに入った。案の定まずかったが、とても静かで落ち着いて話すことが出来た。

 僕は・・・・聞かないでおこうと思ったのだが、どうしても聞いておきたいことがあった。
「あのさあ・・・・言いたくなかったら、言わないでいいからね。あのう・・・どうして奥さんと別れたのさ?」
 ジェラールは、驚いた様子も難色を示す様子もなく、淡々と語り始めた。でもね、ほとんどは、どうして別れたかではなく、どうして一緒になったのかという話に終始した。
「ヒロ、colpo di fulmineという言葉が分かるかい?僕の場合、まさにそれだったんだよな。僕はね、ミラノのアカデミアを卒業して、フランスに帰るところだったんだ。パリじゃない。僕の生まれ故郷のロレーヌ地方だ。ところが、彼女に会った途端にフランスに帰る気持ちが失せたんだ。何もかも一瞬のうちに決まった。彼女と初めて会った時の服装や髪型まで目に焼き付いているんだ。
その頃、アカデミアに、今よりずっと若いカゾーニ氏が教えに来ていて、合唱の授業をしていた。彼は、同時に学生を使って地方都市を回る声楽家のグループを作っていたんだ。僕はそのグループに加わって歌っていた。ちょうど彼女と会った頃、カゾーニ氏が僕に、スカラ座合唱団のオーディションを受けないかと薦めてくれたんだ。それで受かって・・・・気が付いたらスカラ座の合唱団で歌ってブレーシアに住んでいるじゃないか。そうこうしている内にクレールが生まれて・・・・まるで運命のように、僕はイタリアに住みついたのさ」
colpo di fulmineを直訳すると「カミナリに打たれること」。転じて「一目惚れ」という意味になっている。ガッツーンという感じでいいよね。僕はこのイタリア語が大好きだ。つまりジェラールの運命は彼女に会った途端にガッツーンと変わっちゃったんだね。

 これらの物語を語るジェラールの目は生き生きと輝いている。僕は別になれそめを聞いているのではないんだけどな。結局、別れた原因はよく分からなかった。でも、僕にとってはどうでもよくなっていた。明らかなことは、ジェラールは今でも元奥さんのことを深く愛しているということだ。間違いない!
「彼女と別れて、なおもブレーシアに住んでいると、時々孤独を感じる時があるんだ。フランスから遠く離れて、ひとりぽっちで何やってんだろうってね」
何かそういう話を聞くと、胸がキューンとなるなあ。

 そんな話をする内に時間は瞬く間に過ぎ去って、7時近くになったので、二人でメンザに行った。僕は、実は今夜は家に帰ってから“ひとり打ち上げ”をするので、今はごく軽い食事にした。 二人で話しているとデイヴィットがやって来た。僕の横の席を指さして、
「ここ、いいかな?」
と気楽に尋ねる。
「駄目、ふさがっているよ」
とジェラールが答える。デイヴィットはびっくりして、今度はジェラールの横の席を指さし、
「じゃあ、ここは?」
と訊くが、ジェラールはまたしても、
「ここもふさがっている!」
と答える。その言い方が冗談とも思えなかったので、デイヴィットは狼狽して別のテーブルに移ろうとした。僕はあわてて、
「デイヴィット、勿論いいよ。隣においでよ。ジェラール、冗談はよせよ!」
と言った。ジェラールの気持ちはとても嬉しかったが、今やデイヴィットも僕の大切な友達。二人ともミラノの日々を飾ってくれて、しかも今日は最後の日なのだ。
 確かにデイヴィットが入ると話題が変わった。彼は僕たちよりもずっと若いし、結婚もしていないし子供もいない。ジェラールと一緒に居る時のあの魔法めいた親密度は、一瞬で開放的な雰囲気に変化した。本当の事をいうと、ジェラールとの話を全う出来ずに尻切れトンボになった事が、後でいっそう淋しさが増すことになった。ジェラールは、なんか特別なんだ。

 彼等は食事をし終わると、メイク及び衣装の準備のために楽屋に入っていった。開演まで30分くらいあったので、僕は少しの間だけ外に出た。ガレリアを抜けてドゥオモ広場に出た。この道を何度通っただろう。この景色を何度見たのだろう。夕暮れになりかけた空に威圧的に挑戦するような巨大なドゥオモを見ている内に、なんだか内に込み上げるものがあり、涙が出そうになった。
「ミラノ、我が街!」
と、心の中で叫んでいた。

Ci vediamo ! また会おうね!
 「ロメオとジュリエット」の公演が始まった。大勢の合唱のメンバーが僕の所に来て挨拶してくれた。ドイツでは、親密な挨拶の時、女性とは頬をくっつけ合うが、男性とは肩を抱き合うだけが普通だ。でもイタリアでは、男性同士でも頬を付け合ってキスをする真似をする。しかしどうも、男性同士はいけませんなあ。
「パパお髭がチクチクするよ!」
って感じで、髭はやしている人が多いのでジャリジャリして気持ち悪い。
こんなにも沢山の人が僕に親愛の情を示してくれる。そしてみんな口を揃えて、
「2013年に日本で必ず会おうね」
と言ってくれる。なんて暖かい人達。なんて幸せな僕!

 僕は今日の帰りの道を以前から決めていた。今日は歩いて帰るのだ。しかも、初めてスカラ座に足を踏み入れた日、「魔笛」を見終わってから、ストライキのためトラムに乗れずにトボトボと歩いて帰ったその道のりと同じ道を帰ってみたいのだ。しかし劇場から一歩外に出てみたら、なんと雨が降っている。ゲッ、雨かよう。せっかくノスタルジーに浸ろうと思っていたのに・・・・・でも・・・・もしかしたら、だからこそ今晩にふさわしいのかも知れない。よっしゃ、傘さして雨の中歩いて帰るぞ。
 ピッコロ・テアトロの横を通り、アレーナを左に見て、それから・・・・・雨は止まなかった。ちょっと片眼をつぶりながら天使が意地悪している感じ。でもあの時と違って、道もよく知っているし、心に余裕があるからね。あの頃よりもずっと早く着いた気がしたが、やっぱり時計を見るとたっぷり一時間以上かかっていた。

ひとり打ち上げ
 アパルタメントに着くと、僕はリュックサックを肩から降ろし、冷蔵庫からゴルゴンゾーラとサラミを出し、パンを準備する。それからシチリア産ハーフボトルの赤ワインのコルクを抜くが、すぐには飲まないで少し置いておく。その間にビール缶を開けて、ひとり乾杯。ゴルゴンゾーラをパンにつけて食べた後、赤ワインを口に含む。うふふふふ、うまいなあ!たったひとりだけの打ち上げ。あっという間の80日間だったけれど、お疲れ様でした!イタリア語、よく頑張ったね!

 今回の滞在の間に、僕が心がけたことがひとつある。それは心を開いて人と付き合うこと。合唱指揮者のような人の上に立つ立場にいるとね、人となかなかフランクには付き合えないのだ。だって、昨日まで仲良くしていた人を明日はオーディションとかで落とすかも知れないじゃないか。また、誰かとだけ特別に仲良くすると、他の合唱メンバーは良い気持ちはしないだろう。だから、みんなと均等に距離を置くようにしている。
 でもミラノではそんな心配は無用なのだ。ここでは僕はただの見学者。何の立場でもないし、何の権限もないのだから、誰とでも気兼ねなく仲良くなれるのだ。こんな素晴らしいことってある?ただ唯一の問題は、イタリア語がしゃべれないとコミュニケーションが取れないこと。
 自信がないからって躊躇していると、いつまでたっても誰とも仲良くなれない。だから僕は、恥ずかしくても自信がなくても、エイヤーッて感じで人の中に飛び込んでいったのだ。この恥も外聞も捨てた事が、今回沢山の人と仲良くなれた原因だと思う。イタリアとかに来なければ絶対に経験出来なかった事だ。これだけでもすごーく若返った気分!

 自分が人生で築き上げてきた部分。作り上げてきた立場。それが自分を守り、自分の周りを生き易い環境へと変えている・・・・・と人は信じている。ところが視点を変えてみると、それが自分を縛り、自分の視野を狭め、自分の可能性を奪っていることもあるのだ。だからこうして時々、自分の立場を離れて、肩書きもなにもない自分を“生きてみる”ことによって、別の出遭いを経験し、別の可能性を模索することは素晴らしいことだ。
 運命は変えられないと人は信じているけれど、人には自由意志というものがある。この自由意志を駆使すれば、運命は変えられるのである。ちょうど転校生が、別の学校へ移ったことを機会に、別の自分を演じてみようと決心し、それが別の友達関係を生み出し、新しい人生を切り開いていくように。

 ミラノ滞在が、今後僕の人生に何をもたらし、どんな意味を投げかけてくるのか、今はまだ分からない。けれど、きっと僕の周りでは、新しい運命の歯車が回り始めている。自分は少しだけ方向転換をしている。その意味では、これが始まりなのだ。

ミラノよさらば!
 6月17日金曜日。5時半に目が覚めた。シャワーを浴びて散歩に出る。語学学校がない時によく散歩に行っていた近くの丘に行く。いつもは丘の周りを一周するのだが、今日は一気に頂上まで登ってミラノの街を一望する。商業の街ミラノ。ちっともロマンチックではないけれど、活気に溢れ、秩序が保たれ、人々が幸福に生きる街。

僕はこの街を愛する。この街は僕の街になった!

 散歩の帰り道、いつものパン屋に寄る。僕がこのパン屋に来ると、買うものは決まっている。タルタルーガ(亀)という亀の甲羅のような模様が入ったパンと、フランス風と彼等が呼んでいる(別に全然フランス・パンでもないんだけど)パンをひとつずつなのだ。おばさんはもう分かっていて、僕の顔を見ると、
「亀とフランス風をひとつずつね」
と言う。今日も言った。
「ところが今日は違うんだな。亀をふたつとフランス風をひとつ。何故かというと、亀は珍しいから東京に持って帰る。娘に食べさせるんだ」
「え?今日帰っちゃうの?」
「そう、残念ながら今日が最後」
「もう来ないのかい?」
「しばらくは来ないんだ。ここはこの界隈で一番おいしいパン屋だったから、最後の日にここに来ようと決めていたんだ」
「元気でね、ありがとうよ!」
おばさんは僕に握手を求めてきた。

 さて、おおかたは片付いていたのだが、最後のものまで整理するのには思ったより時間がかかった。スーパーマーケットのエッセルンガは9時に開く。僕はどうしてもここのゴルゴンゾーラとモッツァレッラが買いたかったので、片付けを一時中断して9時前に家を出る。エッセルンガに入るとあれもこれも買いたい。でも、もう僕のスーツ・ケースは一杯になっているので、仕方なくスペースを空けておいた分だけ買う。
 それからまた家に戻ってきて片付けを続行。パスタの残りとか、醤油の残りとか捨てるのはなんだか気が咎める。でも、開けてしまったものはあげても喜んでもらえないから捨てるしかないんだ。
 杏奈が4月に買ったバジルの鉢植えは、今日まで元気に育っていたし、トマトやモッツァレッラを食べる時にいつも食卓を彩ってくれた。僕はね、このバジル君に毎日、
「おはよう!」
とか、
「おやすみ!」
とか声をかけていた。だからこのバジル君だけはどうしても捨てるわけにはいかなかった。
 
 約束の10時に鍵の引き渡しに来たのが、幸運にも年配の女性だったので、
「これ、ゴミ箱に入れられなかったので、もし出来たら、もらっていただけませんか?」
と頼んだら、快く引き受けてくれた。ああよかった!実はこのことが一番気がかりだったのだ。

 こうしてバジル君も無事やさしそうなおばさんに引き取られ、僕は安心してアパルタメントを出た。ここからボヴィーザ駅まで歩いて行けば、空港直行のマルペンサ・エクスプレスに直接乗れる。途中カステッリ広場を通った。ここはトラム1番線の始発駅。いつものようにトラムが止まっている。何気ない日常の何気ない風景。でも、急に胸に込み上げるものがあって思わず写真を撮った。みなさんには何でもないだろうが、この写真を見るだけで、日本にいる今でも胸がキュンとなるんだ。


日本!
 成田に朝着いて、まず感じたことは空気が湿気っていることだった。体にまとわりつくような湿気は心底気持ち悪い。迎えに来てくれた妻の車で家に向かう。今日は新国立劇場では、2時から本公演の「蝶々夫人」の千秋楽のはず。元気だったら行こうかと思っていたが、やはりもう明日から仕事だから、無理するのはやめて首都高速から新国立劇場を右に見て素通りした。
 
 家に着くと、愛犬タンタンが大声で吠えながら飛びついてきた。もの凄い喜びようで、小便をちびりながら顔を舐めまくり体をすり寄せまくる。僕もこのお腹の生暖かい感触を何度ミラノで思い出したことか。ミラノはダックス・フントがとても多かったので、タンタンに会いたい思いをつのらせていたのだ。
 お昼はアジの開きと納豆。久し振りに日本食を味わう。今回は不思議と日本食に全く飢えず、イタリア食だけの毎日だったが、こうやって日本食を食べると、やっぱりうまいッス。午後にタンタンを股ぐらに置いてちょっとお昼寝。それからパスポートの入国印と航空券の半券をスキャナーで撮って、文化庁宛のメールに添付して送った。その他、いろいろこまごました事をパソコンでしている内に夕食の時間になった。
 夕食は、昼間とは逆に完全イタリアン。免税店で買ってきた赤ワインを開け、エッセルンガのゴルゴンゾーラや生ハム、それにパン屋のおばさんのところの亀、グリッシーニという棒状の硬いパンなどが食卓に並ぶ。
「うわあ、パパ本当にうまいね!」
と志保は大喜び。こんな食事をこれから毎日でもしたいのに、もう出来ない。日本では高くてもったいなくて・・・・・。

活動開始!
 6月19日日曜日。朝から群馬に向けて出発する。今日は午後から新町歌劇団で練習。おいしい赤ワインのお陰でぐっすりと眠れたので、案外時差ボケはないが、それでも午前中は電車の中でボーッとしていた。お昼頃新町駅に着く。一度お袋の所に行ってお昼を食べてから練習に行く。
 お袋は、
「とにかく無事で良かったね」
と言う。昔は分からなかったが、自分が親になってみると、親というものは基本的には子供が無事で生きてさえいてくれればいいのだ。頑張ってみんなに認められるとかいうのはその次の希望であって、元気がなによりなのだ。
 それから新町歌劇団の練習に行った。久し振りに練習をつけた。ずっとただ人のやる練習を見ているだけだったので、元気がたまっていた。さあ、これから日本での活動開始だ!明日からは、「パルジファルとふしぎな聖杯」の練習が始まる。




Cafe MDR HOME

© HIROFUMI MISAWA