イタリアと日本のギャップを越えて

三澤洋史 

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日常の有り難さ
 まるで当たり前のように日常の中に溶け込んで、忙しい日々を送っている。ミラノにいた時だって、語学学校に行ったりスカラ座合唱団の練習を見たりで暇ではなかったが、やはり忙しさの種類が違う。仕事で、しかも自分が練習をつけるということになると、まず心構えからして違うんだな。
 でも、よく考えて見ると、この忙しい日常というものは、実は3.11の大震災以前の状態なのだ。震災後、新国立劇場やその他の仕事がみんなキャンセルになって、イタリア行きの前は失業状態になって毎日家にいたのです。だから“日常”というのは、ある意味とても贅沢な言葉であって、すごく恵まれていながらその有り難さを感じない時に使う言葉なのだなあとあらためて感じる。
 今週は、高校生の為の鑑賞教室「蝶々夫人」の合唱音楽稽古をし、「パルジファルとふしぎな聖杯」の音楽稽古をして、東京バロック・スコラーズの練習に2度ほど行き、金曜日からは、いよいよ「パルジファル」の立ち稽古が始まった。  


パルジファルとふしぎな聖杯
 「パルジファル」は、僕がいない間に美術家の鈴木俊朗さんが素晴らしい舞台を考えてくれた。練習場の真ん中に置いてある模型を見て、みんな、
「素敵!」
「かわいい!」
という声を上げる。
 舞台中央にピラミッドの形をした台があり、そこに聖杯が安置されている。舞台後方にはストーン・ヘンジのようなオブジェがある。これは演出家の三浦安浩さんのアイデア。聖杯とは直接関係ないかも知れないけれど、こういう象徴的なものを舞台に置くというのはいいね。
 僕は、イギリスのストーン・ヘンジは訪れたことはないのだけれど、フランスのカルナックというところに大規模な石像群があって、そこに行ったことはある。そういう場所に身を置いていると、なにか太古の世界というか、いにしえの霊たちと現在に生きる自分とのつながりを強く感じて、過去や未来をも自分が所有し、同時に自分自身が過去や未来の中に含まれ、溶け込んでいるようにも感じるのだ。カラフルでポップなディズニーのような世界だけでなく、こうした要素を織り込んだ今回の舞台には、逆にとても新しさを感じる。

 助演達が演じる二頭の一角獣は僕の案。というより、村上春樹の小説を読んでいて、僕の舞台にも一角獣を登場させようと思いついただけなんだけど、それを三浦さんがいろいろ使って舞台を彩ってくれる。
 またプロローグとエピローグには、良い魔法使いのヨイマホと良いこびとのヨイコビが登場する。この名前は次女の杏奈がつけた。僕が、
「良い魔法使いの名前を何にしようかな?」
と家でつぶやいていたら、杏奈が横ですかさず、
「ヨイマホでいいじゃない」
「あっ、そうか!」
ところがヨイコビではちょっと迷った。ヨイチビにしようかと思ったのだ。ヨイコビ、ヨイチビ、どっちにしようかな・・・・・まあ、法則的には良い魔法使いがヨイマホなんだから良いこびとはヨイコビだよな・・・・ということでヨイコビ。今でも、ヨイチビでもよかったのではないかと3パーセントくらいは思っている。

ね、これだけ聞いても楽しそうでしょう。

 毎回そうだけど、子供オペラの稽古場って本当に楽しいんだ。いろんなアイデアが出て、その都度考えて採用したり、長い間悩んだ末に却下したり、まさにクリエイティヴなんだ。普通のオペラもこうだったらいいのに・・・・おいおい、そんなこと言っていいのか?
 こうした新作というものは、やはり“イマ”の感覚だから楽しいのだと思う。ヴェルディやワーグナーがどんなに素晴らしくても、やはり“イマ”ではないんだなあ。いや、彼等が作品を発表した時は、まさにそれが“イマ”だったのだ。
「新しい歌を主に歌え」
と聖書でも言っているでしょう。
 クラシック音楽は、“イマ”産み出すものを失って、過去の作品のみを繰り返し上演し、クオリティのみ追求されるから、技術偏重になってクリエイティヴになりづらいとも言える。何かの曲に取り組もうと思った時には、すでに素晴らしいDVDやCDが手本として沢山あって、それを超えることだけを求められるシビアな世界だけに生きていると、音楽の楽しみの部分を純粋に味わうことが難しいではないか。
 そういう意味では、現代の作曲家に頑張ってもらって、同時代の感覚に訴え、かつ後世に残っていく作品を数多く創ってもらいたいと強く思うのだ。何も無いところから、何でもアリという自由な雰囲気の中で、何かを創造する喜びを、もっともっと沢山の人たちに味わってもらいたい。そういう意味では、「子供オペラ」という枠を超えて、こういう作品は聴衆にとってもとても楽しいはずなのだ。

グレイル・ダンス
 今回の「パルジファル」で一番のウリは、グレイル・ダンス(聖杯踊り)というものだ。勿論僕の発案。日本でも念仏踊りというものがあるように、舞踏が宗教と結びついて霊的な作用を施すこともあるのではと考えた。そこで、聖杯の騎士達が自らの霊性を高めるためにも、パルジファルが悪者クリングゾールと戦って勝つ霊力をつけるためにも、このグレイル・ダンスを踊ることが必要なのだ。
 振付家の伊藤範子さんは、僕や三浦さんの過剰なる要求に悩みながらも、僕の台本からアイデアをふくらませ、グレイル・ダンスを創作してくれている。これをビデオに撮り、インターネットで配信する予定。さらに本番では、開演30分前から、一角獣の二人がロビーでグレイル・ダンスを実演しながら子供達に踊り方を教え、劇の途中やカーテン・コールでは会場中の皆さんで一緒にグレイル・ダンスを踊ろうという趣向だ。ですから、聴衆のみなさんはレオタードやタイツを着用の上お越し下さい(嘘です!普段着でお越しください)。
 ということで立ち稽古がいよいよ開始した。よく考えて見ると、僕は音楽はもちろんのこと、台本もすべて一人で手がけているので、他のアシスタントに任せてシフトしてお休みというわけにはいかない。セリフひとつひとつ、場面ひとつひとつ、歌のひとつひとつ、どこをとってもコダワリがあり、口を出さずにはいられない。その内演出の三浦さんにうるさがられてくるかも知れない。
 でも、彼は僕の本を本当に深く読み込んでくれていて、しかも「アーサー王伝説」や「ケルト文化」の本などを読みあさり、周到に準備してきてくれている。本当に頭が下がるほど真摯に作品と向かい合ってくれているので、僕としては安心して任せられる。その他、衣裳の半田悦子さんや舞台監督の大澤裕さんなど、優秀なスタッフに囲まれてこの作品が世に出るわけだ。僕は、つくづく幸せ者だと思う。

イタリアと日本のギャップを越えて
 まだ一週間しか経っていないのに、あのミラノでの日々がまるで遠い日の夢のように感じられる。街の景観も人々の雰囲気も、何もかもがあまりにも違うので、そのギャップを心の中で埋められないのだ。あれだけ頑張ったイタリア語も、さしあたって勉強しなくていいという心の空白感もある。今日語学学校で勉強したことが即会話で活かせる環境にいたのが、日本では全く意味をなさないのだもの、当然だ。
 勿論、来シーズンが始まれば、オープニングがヴェルディの「トロヴァトーレ」だから、いろいろ学んできたことが活用できるし、外国人歌手やスタッフ達ともイタリア語で会話できる。でも、まだ時間があるしね。

 自分は一体何を学んできたのか?心の中で静かに整理しながら考えている。面白いのは、イタリアにいた時に感じていたことと全然違うことを、日本に帰ってきてから感じているという点だ。たとえば、スカラ座で沢山のソリスト達の声を堪能し、発声のことについての見解は、かなり新しい情報で上書きされたが、帰国後、あらためて日本人歌手の声を聞いて、それを日本人相手にそのまま生かす事は難しいと感じた。
 日本人の骨格や身体の特徴。声帯やその周りの筋肉は、やはりイタリア人やヨーロッパ人とはすこし違う。日本人の声は優しく柔らかい。意地悪く言えば、強い声には向かない。その声をもってヴェルディを歌うというのは簡単ではないのだ。リリックな声を無理矢理ドラマチックにしようと思ったって、声をつぶすだけだものね。こう感じたことは、逆の意味での軽いカルチャー・ショックだった。

 文化庁に研修報告書を提出しなくてはならない。実はイタリアにいた時にすでに書き始めていたのだが、提出期限は帰国後二ヶ月以内なので、少し様子を見てから落ち着いて全く新しく書き始めようと思っている。
「イタリアでは・・・・こうでした」
という事を列挙することに何の意味も感じないからだ。僕のように、この世界ですでに長年働いている年配者は、初めて外国に行ったわけでもないし、単にこれを学んできましたでは不充分なのだ。
同様に、
「スカラ座は・・・・このように運営をしています」
というのも、そのままではあまり有用とは思えない。公演数も規模も違う中で、日本でもこうするべきですと言ってみたって仕方がないわけだからね。
 今の僕は、今後自分がイタリアで学んできたことをどのように日本で還元でき得るのかという観点に立って、もう一度考えをまとめる必要がある。生意気なようだけれど、日本で唯一の常設のオペラ劇場の合唱指揮者の見識なり意見は、周囲の人たちや後に続く人たちに対して少なからず影響力があるだろうから、慎重に発言や行動をしなければならない。

 ただ間違いなく言えることは、僕はイタリアに行くべきであったということ。行って良かったということ。そして、これからが僕の本当の勝負所だということ。56歳といえば、もう定年を考える歳だというのに、僕の人生は今始まったばかりだぜ!



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