高松に行ってきました

三澤洋史 

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ドイツの決断
 7月1日金曜日の朝日新聞。
「独、2022年脱原発を可決、連邦議会、超党派で合意」
ドイツは、現在運転を一時停止している原発8基をそのまま閉鎖し、残る9基を22年までに順次閉鎖する一方、再生可能エネルギーの電力比率を20年までに少なくとも35%へ倍増する。省エネや節電を促し、送電網を増強するなどの政策も進める。

 福島第一原発の事故を受けて、世界中が動き出している。イタリアでは国民投票で9割以上の人たちが原発に反対した。僕がミラノにいる時、ドゥオモ近くでは、原発反対の運動が盛んに行われていたし、ヨーロッパ各地で大規模なデモが繰り広げられていた。みんながそれなりに意志を表明している中、僕はよくいろんな人から聞かれた。
「本場の日本でもデモや反対運動が盛んに行われているんでしょうね。あまり報道されていないけれど」
僕は、日本人としてとても恥ずかしかった。
「いえ、一部の人たちを除いては、ほとんどそのような運動は起きていません。この先、原発をどうしたらいいのかという事に対する国民の意思もはっきりしません」
とは、とても言えなかった。
 福島第一原発の事故は、今や人類全体が共有するグローバルな事件であり、日本の今後の決断や行動は世界の最も大きな関心事なのに、当の日本人にその自覚が希薄だったのが残念でたまらなかった。

東京電力のせいか?
 今回の事故で、東京電力があんなに責められているだろう。みんな東京電力のせいにしたがっている。勿論東京電力に全く責任がないとは言わないが、東電社員のボーナスをなくせだの給料を減らせだの要求したり、挙げ句の果てに、社員のプライバシーを暴いて更迭に追いやってみたりする事は、僕に言わせれば問題の本質を隠蔽するためのごまかしであり、鬱積した不満を吐き出すための“いじめ”に他ならない。
 その論法でいくと、もし原発の事故が関西で起きたら、関西電力だけ責めればいいのか?ということだ。九州で起きたら、九州電力だけに責任をなすりつけて問題を終わりにするのか?そうではないだろう。原子力発電の問題は、そんな営利目的の一企業の問題に留まってはいないのだ。

「原子力発電は、クリーンで経済的」
という言葉を、僕たちはよく聞いた。このキャッチフレーズは一体どこから来ていたのだろう?
 確かに、原子力発電は一見経済的に見える。微量のウランやプルトニウムを使用しながら、一度核分裂が始まってしまうと、膨大なエネルギーを出しながら勝手にどんどん核分裂連鎖が起きて、いくらでもエネルギーが得られるわけだから、そのことだけを見ると、まるでタダのように経済的だ。
 ところがこのソロバンには、そもそもの開発研究費から始まって、安全性確保のための様々な費用、冷却するのに何年もかかるような使用済み核燃料の処理、及びPRに費やす莫大な費用などが全て含まれているわけではない。さらに、問題や事故が起きた場合の対応や補償をも含んで計算すると、逆に、そのリスクの大きさは、一般の営利目的の企業ではとうてい扱いきれるレベルのものではない。
 考えてもみよう。今回の事故で東京電力は、まず原発自体の損傷に対応すべく膨大な経費を使い、さらに従業員や付近の住民などへの補償で、どうみても企業としては破綻している。通常の企業ならばとっくに倒産している。でも、東京電力は決して倒産しない。倒産することは許されない。
 まあ、普通に考えて分かりますよね。倒産したら、東京全体の電気が永久に止まるのだ。そんなわけで、倒産されては困るので、必死になってフォローしているある機関があるのだ。それは何処か?勿論、国である。事故の公共性だけを考えても、国家レベルの危機を導き出すものなのだから。つまり、今回の事故の本当の責任者とは、原子力を国策として推進してきた国以外のなにものでもない。

「なあんだ、国が敵だったのか。では国を批判しよう!」
と思いたいところだが、ちょっと待って欲しい!国とは何か?それは、その国に住む住人のものである。それが民主主義というものなのだ。だったら、原子力発電所の問題も、その国に住む住人、すなわち日本国民の問題だ。つまり、他ならぬ我々に跳ね返ってくるので、人ごとのように批判だけする事は許されないのだ。ここをごまかして、東電の社員をいじめたりして問題をうやむやにしてはいけないのだ。

 我々自身が電力と発電との関係をどう考えるか、どういうリスクを負って、どのようなエネルギーを手にするか、あるいは手放すか、考えねばならない。そして、もし日本が本当に民主主義の国だったとしたら、人任せではなく、そんな大事なことは“我々の手で”決めるべきなのだ。
 原発はあるべきだという意見があってもいいと思う。民主党が政権を取った時に、八ッ場ダムの建設を中止したりして、水力発電の可能性も自らせばめてしまった今、燃料を使い公害も出す火力発電をこれ以上増やすのも望ましくないだろうし、風力発電は大いに開発すべきだが、風がないと動かないので安定供給は難しい。あと太陽光発電などあるが、開発と普及までにはまだまだ時間がかかる。
 だから原発を断念するならば、はっきり言って今の節電のような不便な状態をかなり長い間に渡って覚悟しなければならない。その覚悟が国民にあるか?もしないならば、原発継続ないしは推進の意見を国民からも出すべきである。その代わり、国民はさっきとは別の覚悟をしなければならない。

 僕がひとつ、とても申し訳なく思っている事がある。それは、東京の電力を補うのに福島のような遠いところの原発が使われていた点だ。東京のために福島の人たちが家に帰れず、全てを失っているのに、東京の人達は、
「節電なんて嫌だな、不便だな」
と呑気に思っているというギャップが生まれている点だ。
 以前ビートたけしが言っていたように、東京の電力のために原発が必要だというのならば、東京湾に建てるべきであった。自分たちが必要だと思うならば、リスクも自分たちで負わなければフェアーではない。
 原発に賛成する人は、自分の家の隣に原発が建つことを受け容れる覚悟だけはして欲しい。どこか遠く、自分に被害が及ばないところだったら建てても良いという意見は、とうてい容認できるものではない。

 今こそ国民はみんなできちんと議論し、日本をどの方向に持っていくのか自分たちで決めるべきである。僕は、本当にみんなが真剣に考えて出した結果ならば従うつもりでいる。ここは自分の国であり、僕はその民衆のひとりなのだから。

 

ドイツ・レクィエムCDチャリティ販売
 妻は震災後、カトリック立川教会で被災者を応援する会を立ち上げ、僕がイタリアにいる間に、石巻の被災地まで車で救援物資を運びながら行ってきた。その時に、彼女が強く感じたことがあったという。それは被災地の人達の心の変化だ。
 恐らく当初は、命さえあればもう何もいらないという心境だっただろう。でも、時が経ってくると、人間として生きるために“何かを始めたい”という欲求が芽生えてくるものだ。妻は、特に女性達に注目していた。すると彼女達の想いが理解出来た。女性達は、何でもよかったが、何かをしたがっていた。何か人の役に立ちたいと思っていた。勿論、それでお金が稼げて、自分たちで自活できるようになれば言うことないが、最初はとてもそんなこと言える身分ではないと思っていた。

 それを聞いて僕は思った。人間って本当に社会的な生き物なんだな・・・と。ここが動物と決定的に違うところなのだ。被災地で三度の食事が配給されて食うに困らないのは、動物だったらこのままずっと続いてもいい状態だろうが、人間というのはそんな簡単ではないのだ。人間は、社会を形成し、その中で人の役に立つ事を行うことによって、はじめて生き甲斐や幸福感を感じる存在なのだから、このままでは閉塞感は永久になくならないのである。

 妻は、南浜町に住んでいて家が流されてしまったひとりの女性と接触した。彼女はヘルパーだったが、面倒見ていたお年寄りはみんな亡くなり、事業所の職員達も亡くなって職を完全に失ってしまった。
 彼女はヘルパーの仕事の合間に和紙でいろんな小物を作っていて、何か機会があるとその小物を商品として出していた。彼女は訴えていた。ヘルパーが出来ないならば、とりあえずこうした小物でも作れれば・・・・そして、それを人の手に渡るようにしてもらって喜んでもらえたら・・・と。
 妻は彼女から製品を見せてもらったが、これを教会のバザーに出したり、知り合いのお店に置いてもらうことは出来るなと考えた。

 ただひとつだけ問題がある。被災地には材料となる物は何もないから、彼女の思いを遂げるためには、こちらから材料を送らなければならないのだ。実際、被災地には、こうした気持ちを持っている人達は沢山いて、彼女は、道筋が出来たなら仲間を増やしてグループにすることはいくらでも出来ると言っているが、こちらサイドでは、現在のところ販売の可能性もまだ手探りだから、うっかり手を広げるわけにはいかない。まずは彼女ひとりの商品を扱うことから慎重に始めなければ。でも、とにかく第一歩は踏み出さないといけない。

 さて、やっと本題です。僕もたいしたことは出来ないのだが、手元に2005年に東京交響楽団と東響コーラスとで行った「ドイツ・レクィエム」のCDがまだ沢山ある。これをチャリティで販売して、とりあえず材料費として使ってもらおうと思うのだ。ブラームス作曲の「ドイツ・レクィエム」は、亡くなった者を弔う曲ではなく、残された者の心を慰める曲なので、内容的にもふさわしい。
 これまで定価2500円に送料を乗せて販売していたけれど、送料込みで2500円で売ることにしました。この利益分で材料を仕入れて石巻に送ります。すでに僕のCDを持っている人でも、また何枚でも買ってみんなにあげていただけませんか?この時だからこそ、一人でも多くの人に癒し系である「ドイツ・レクィエム」を聴いて欲しいという想いもあります。

高松に行ってきました!
 今年の新国立劇場のこどもオペラ「パルジファルとふしぎな聖杯」は、新国立劇場で公演した後、7月31日にサンポートホール高松、8月6日に兵庫県立芸術文化センターで公演をする。これまで、こどもオペラでは旅公演の話が出ては消えていたが、初めて実現するので嬉しくて仕方がない。
 これらの旅公演が当初から決まっていたので、演出家の三浦安浩(みうら やすひろ)さんをはじめとして舞台美術家の鈴木俊朗(すずき としろう)さん達は、どの劇場にも持って行けることを想定して舞台を設計した。これで日本全国どこででも公演が出来るのです。
 高松のサンポートホールはとても意欲的で、子供達へのPRも兼ねてワークショップを実施したいという意向を示していた。そこで僕たちは、7月3日日曜日に高松サンポートホールを訪れた。朝、羽田空港を発って現地入りをし、リハーサルをしてから14:00と16:00の2回にわたって約1時間のワークショップを行い、その日のうちにまた飛行機で帰ってくる。同行したのは僕の他にクリングゾール役の峰茂樹(みね しげき)さん、マグダレーナ役の國光ともこさん、演出家の三浦安浩(みうら やすひろ)さん、そしてピアニストとして娘の志保、それからマネージャーが2人。

会場はサンポートホールのリハーサル室。一度のワークショップの定員が50名ということで申し込みを受け付けていたが、大きなリハーサル室なのでたっぷりスペースがある。入った瞬間、誰ともなく、
「うっ、寒!」
と声を上げる。主催者が驚いて走ってくる。
「さ、寒すぎますか?温度を上げましょうか?」
「い、いや、そういうことではなくて、最近の東京は何処へ行っても節電モードだから、こういう温度設定に慣れていないんですよ。動き始めると暑くなってくるのでそのままでいいです」
峰さんが訊く。
「こちらでは節電とか言われていないですかね?」
「言ってないですね。四国では電気がむしろ余っているんですよ」
「う、うらやましい!」
「東京にあげられればいいんですがね。周波数が違いますからね」
あららら。そうか、そういう問題もあるのだ。そういえば、なんで同じ日本なのに西と東で電気の周波数が違うまま今日まで来てしまったかね。余っている四国の電気。足らない東京の電気。供給できない事情。うーん・・・・・しばし悩んでしまった。

 リハーサルが終わって本番までの間に、同じ建物内にあるうどん屋へみんなで行く。本当は街中にある老舗の店とか、郊外の田園風景の中にぽつんと建つ素朴なうどん屋に行きたいところだが、とてもそんな余裕はない。でも、やはり讃岐うどんの本場だけのことはある。
「うどんはどこもおいしいですよ。まずいと地元民のチェックが厳しいですからね。すぐつぶれます」
とタクシーの運転手が言う通り、一口食べるなり、一同から、
「うーん、このコシ!おいしーい!」
という言葉が出るくらい、本場の味は違う。
 ここの冷房も半袖では寒いくらい。
「東京では、今頃自然にジワーッと汗が出てきてしまうよね」
と誰かが言う。

 さて、時間になって子供達やお母さん達が集まってきた。若いお父さんもいる。クリングゾール役の峰さんは、出てきただけで存在感抜群で、子供達の心を掴んでしまう。それから王家の姫であるマグダレーナ役の國光さんがビロードのようななめらかな声でアリアを歌うと、子供達は夢心地のような表情をした。それからグレイル・ダンス(聖杯踊り)の講習に入って、子供達やお母さん達もみんな立ってダンスをする。
 今回は、振り付け師の伊藤範子(いとう のりこ)さんは同行していないので、ダンス指導はなんと僕が行った。國光さんや峰さんに見本として踊ってもらいながら、
「はい、ここで聖杯の形を作って、はい、ここでは騎士になったつもりでカッコ良く!」
などと適当なことを言いながら指導したら、あららら、子供達はなんと覚えるのが速いんだろう。あっという間に出来るようになっちゃった。僕たち、これを覚えるのに一体何日かかったんだ?

 ワークショップは、やっている我々もとても楽しくて、子供達から沢山エネルギーをもらった。1時間があっという間に過ぎてしまったが、さすがに2回やると終わってから疲れがどっと出ましたな。その後、またタクシーに乗って空港まで来て、その日のうちに帰るのだもの、いやあ、なかなかの強行軍ですわ。
 僕たちは、空港で買った巻き寿司を機内に持ち込み、席が近い僕と志保、峰さんと國光さんの4人で、機内でプチ打ち上げ。峰さんが強く奨めるので、僕たちはANA内で販売している川越名物小江戸ビールなるものを注文し、これで乾杯。
 そしたら、小江戸ビールを4ついっぺんに注文したことにスチュワーデスが驚いて、峰さんに話しかけてきた。
「ちょうど4つしかなくて、あたしたちドキドキしてしまいました」
そのまま峰さんは若くて美人なスチュワーデスと話し込み、すっかり仲良くなってしまった。降りる時も話し込んでいるので、そのまま口説いてしまうのでないかと思われたが、愛妻が空港まで迎えに来てくれているということで、おとなしく帰って行った。
 小江戸ビールは、サツマイモが入っていることでビールのカテゴリーには入れてもらえず、発泡酒に分類されているが、色といい味といい、ドイツのDunkles Bier琥珀色のビールに似ていて、なかなかの美味。全日空ANAが力を入れている商品らしい。ちなみに機内でツマミ付きで500円。

 志保と二人で家に帰ってきて、買ったばかりの「龍馬」という焼酎を飲んでそのままバタン・キュー!すっごく疲れていたので朝までぐっすりと寝ました。でも、次の日にはまたこうして元気になるのだから、まだ老化現象は進んではいないようです。



Cafe MDR HOME


© HIROFUMI MISAWA