グレール・ダンスを踊ろう

三澤洋史 

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グレール・ダンスを踊ろう
 新国立劇場では、高校生の為の鑑賞教室「蝶々夫人」の本番が今週から始まる。それと平行して子供オペラ「パルジファルとふしぎな聖杯」の稽古が進んでいる。以前から「今日この頃」でも述べていたけれど、今回のコンセプトとして、会場の子供達とグレール・ダンス(聖杯の踊り)を踊ろうというのがある。そこで公演に先駆けて、新国立劇場のホームページで、そのグレール・ダンスの動画をアップした。

 難しくはないけれど、ちょっと複雑な要素も織り込まれていて、楽しいながら、どことなくミステリアスでおしゃれな振り付けを伊藤範子さんがつけてくれました。流れている音楽は、僕が自分の家のパソコンで作ったものです。本当はステレオで作って、チューブラ・ベルの音が横に流れていったり、楽器配置をふさわしい定位に配置したりと、もの凄く凝って作ったのだけれど、いろいろな都合でモノラルになってしまいました。残念!

 でも、ワーグナー最後の作品である「パルジファル」の中でも、最も神性で神秘的なこの場面を、こうした形で子供達に紹介できるという事に僕は胸を躍らせている。先日、ヴェネツィアに行った時に、ワーグナーの没した場所を訪れたが、僕は心の中でワーグナーに向かってこう語った。
「ごめんなさい、あなたのパルジファルをこんな風にしてしまって。あなたは、この作品に神聖舞台祭典劇と名付け、バイロイト劇場から外に出すのも禁止していたのに、こんなにおちゃらけてぶっ飛んだ作品にしてしまいました。でも、それはあなたへの深い愛と尊敬から出た行為なのです。未来の大人達に、この深遠なる作品への扉を開いてあげたいのです。特に神殿の音楽の素晴らしさは、子供達にも自然に理解出来るものであると信じています」

さあ、みなさん!この動画を見ながら一緒にグレール・ダンスを踊ろう!

懺悔の日々
「今日この頃の記事から想像していたほど太ってないですね」
とみんな言ってくれる。なんてやさしい人達なのだろう。
「とても健康そうですね」
とか、
「前よりずっといいですよ。前はいくらなんでもガリガリでしたもの」
と言ってくれる人も多い。
ということは、やっぱしみんな太ったと思っているんじゃないの!

 事実ちょっと太って帰ってきた。帰国して一週間は体重計に乗る決心がつかなかった。それから恐る恐る体重計に乗った。
「ゲッ!やっぱし!」
え?どのくらい太ったかって?言いません!言いたくありません!
 まあ、当たり前だよね。イタリアでは毎晩ワインを飲んでいたのだからね。特に帰国直前は、もう飲み納めだと思って、お気に入りのワインをかわりばんこに飲んでいたし、ゴルゴンゾーラや生ハムやピッツァや様々なパスタに首まで漬かっていた。おしっこをしたらオリーブ・オイルが出るんじゃないのと思うほど、全ての料理にオリーブ・オイルがふんだんに使われていた。いくら善玉コレストレールといっても、摂れば摂るほどいいというわけではない。
 一応甲斐なき抵抗をして、ミラノ中一生懸命歩いたり、プールに行ったりしたけれど、最前線のカロリーとの攻防戦は熾烈を極め、次第に敵に追い詰められていって、負けてしまったわけですなあ。って、ゆーか、最初からイタリアが相手では無理だったのだ。

 日本に着いて安心した。妻の作る食事を取っている限り、少なくともイタリアよりはヘルシーな生活に戻れるだろうと思った。ところが問題はそう簡単ではなかった。成田空港に着いて飛行機から出た途端、もう一度飛行機の中に戻ろうかと本気で思ったほど、日本の空気の湿気はきつかった。その湿気に完全にやられた。
 さらに時差ぼけも手伝って、最初の一週間は体中が無気力化してしまった。ヨーロッパから日本に戻ってきた場合は、向こうが寝る時間に日本では朝になるため、午前中は体が非活動的になる。それで早朝のお散歩もさぼりがちになってしまった。食生活よりもまずは運動不足で痩せるどころではなかった。
 やっと、最近になって生活のリズムが戻ってきて、早朝散歩も規則的に行うようになった。そうしたら、ちょこっとだけスリムになってきたようだ。とはいえ、まだまだ元に戻すのには長い道のりがある。まあ、あんなおいしい思いをいっぱいしたのだから、今年の夏はしっかり反省して、懺悔の生活を送ります。

 日本に帰ってきてから、すぐに痩せなかったもうひとつの原因として、僕、思うんだけど、日本食って結構ご飯の量とか食べるだろう。イタリアだってご飯をおいしく炊けていたけれど、やっぱり日本のご飯はおいしい!なので、つい食べてしまう。それにうどんも大敵だ。パスタみたいにオリーブ・オイルとか使っていない分だけ、つるんとどんどん食べられてしまう。結果として炭水化物の摂取量が多いのだ。
 また、日本でお酒を飲む時には、先に肴をつまみながら飲んで、最後にご飯やうどんとかで終わるじゃないの。あれが僕の場合いけないなあ。ヨーロッパ式に、食事と同時にワインなどを摂った方が、炭水化物を摂り過ぎないで済むような気がする。
 面白いのは、イタリアから帰ってきてすぐは、慣性の法則でワインを毎晩飲んでいたが、何日か経ってくると、なんとなくこの高温多湿な日本の風土にワインが合わないように思われてきた。気が付いてみると、ビールや焼酎のソーダ割りなんか飲んでいる。それにイタリアではワインが安かったから、ワインにイタリア料理という食事の方がむしろ庶民的だったけれど、日本で毎晩ワインを飲んでいると、高くつくので、何となく贅沢三昧の生活している居心地の悪さを感じる。
 やはり住んでいる土地に近いものを食べたり飲んだりするのが、人間にとって自然だし経済的なのだ。ということで、日本にいたら日本食がうめえ!なんと適応能力に優れているのだ、僕は!世界中、どこに住んでも生きていけると思う。嫌いなものほとんどないし。 それにしても、日本の夏には、アサヒ・スーパードライと枝豆が一番ですなあ・・・・そんなこと言ってないで、早く体重を戻さないとリバウンド街道まっしぐらですぞ!

杏奈
 この懺悔の日々に、もうひとつの大敵が現れた。次女の杏奈が、またおいしいチーズなどを携えてパリから帰国したのだ。杏奈が着いた金曜日は、夜の練習から帰ると刺身や日本食が食卓に並び、勝沼ワインがテーブルの真ん中を占めていた。
 日曜日には子供オペラの練習が休みだったので群馬の新町歌劇団の練習に出て夕方帰ってきたが、その晩は杏奈の持ってきたチーズだのパテだのを食べることになっていた。赤ワインを開けて、僕の大好物の臭いカマンベールなどをパンにつけて食べると、もうほっぺが落ちそう!ええい!もうどうにでもなれえ!と言いたい気分になる。

だめだ、コリャ!

論理的に考えようよ
 朝日新聞7月7日の朝刊トップ記事から。

九州電力玄海原子力発電所の運転再開問題を県民に説明するために国が開催した6月下旬のテレビ番組で、九州電力幹部が再開賛成の意見を電子メールで送るよう、自社や子会社の社員らに働きかけていたことが6日分かった。九電の真部利応(まなべ としお)社長は同日、会見して謝罪した。
その後の見出しでは、
「夏の運転再開 絶望的」
とある。
 でも、ちょっと待て!これは変だ!何故マスコミが、こうした結論めいたことを書いてしまうのだ?

「テレビ番組で九電関連会社の社員がサクラのようにして再開賛成メールを送った」
というのと、
「玄海原発を再開するかどうか」
というのは、本来全然違う問題だろう。
 サクラメールは良いことだとは思わないが、もともとテレビ番組なんだから、公的選挙を不正に行ったとかいうのとは、社会的罪の重さは全然違う。サクラメールがあったから運転再開を止めるというのは、明らかに論理の飛躍である。
 僕が本当に恐れていることは、こうした稚拙な論理飛躍がまかり通ることで、本当の議論が出来ないまま、社会全体がある方向に向かってしまうことなのだ。これはマスコミが先導する巧妙なファシズムになり得る。そしてこれを問題視しない日本人は、世界の常識からはずれている。恐らくドイツあたりで、朝日新聞のような大手の報道機関から同じ論調で記事が出れば、少なからぬ人達が即座にその非論理性に反応するだろう。

 そもそも九州電力は、何故サクラメールを送らせたのだろうか?それはつまり、統計をとらせたら、自分から原発の再開にイエスと答えるであろう人が極端に少ないであろうことを知っていたからだ。テレビを見ていた人達の内のかなりは、原発に不安を抱いてはいるものの、かといって即座に全ての原発を廃止して今の生活の便利さを犠牲にすることにも躊躇している。そういう人達は、わざわざ自分からイエスメールを送ったりはしない。
 一方、反原発を唱えるようなタイプの人は、自分からメールでもファックスでも送ってノーという意思表示をするであろう。要するにこの問題に関しての反応は、ほぼ沈黙かノーだけなので、最初から反原発派が優位を占めることが分かっているわけだ。

 でも再開推進派も情けないねえ。もっと正々堂々と議論をして、国民に納得してもらうように努力すべきだ。サクラメールなんてみみっちい方法をとるから、再開推進派イコール悪人、反原発イコール善人のような妙な図式が出来上がってしまった。でも、国民も“雰囲気”で再開推進派を敵視しないで欲しい。きちんと頭で考えて論理的に判断し、推進派の意見にも耳を傾けて欲しい。マスコミが、僕たちの感情につけ込んで、危険な先導をしようとしても、それにまんまと乗ったりしないで欲しい。

 言っておくが、僕は玄海原発を再開した方がいいと思ってこの記事を書いているのではない。むしろ個人的意見としては原発には反対だ。でもこういうなし崩し的方法で再開の断念に持って行かれるのは嫌なのだ。試合をしようと心の準備をしていたら、相手が女性問題かなんかで出場停止になって不戦勝となった、というようなのは勝った気がしないではないか。
 玄海原発問題のうしろには、日本中の原発を今後どうするかという問題が控えている。その問題に、我々はいつか結論を出さなければならない。これは単なる感情論だけで決定してはならない。経済、産業などあらゆる面から日本という国の将来を見据えて、覚悟するべき“痛み”を覚悟しつつ“我々の手”で決めて、決めたことに“我々が責任を持つ”べきなのだ。

 先週ドイツの決断を話題にしたのは、この決断が原発との向き合い方のひとつのひな形となり得るからである。そしてドイツが、これを決定することによって世界に先駆けて国としての姿勢を示した事を、僕が最大限に評価しているからだ。さすがドイツ!曖昧なままでいることに耐えられない国民!
 ドイツの決断はこうだ。原発はすぐ廃止ではない。2022年までに他の発電や送電などの設備を整え、節電などの法整備をして、しだいに原子力発電に依存しない国にもっていこうとしているのである。ある意味推進派と反原発の折衷案である。でも、これが一番国民に無理を強いることなく、最終的に理想的な国作りをする方法ではないだろうか。僕の個人的意見とは違うけれど、日本人が参考に出来る決断ではある。
 ただ、その間に、もし稼働中の原発に何か起きたら・・・・それはドイツ国民が覚悟しないといけない事だが、その点に関しては起きないんじゃないのと楽観している気がするね。

 菅総理は簡単にストレステストをしますなんて言ってしまったけれど、これには何ヶ月もかかるだろうから、その間どうするんだという問題が起こる。もし菅総理の言葉を本当に実現するのだったら、現在稼働中の原発も順次止めて徹底検査という感じになって、事実上脱原発になる。一度止めたものを再稼働しようとしたら住民の反対などが起きるだろうから、再稼働しづらいだろう。恐らくこのままでいくと、原発は廃止に近い状態に追い込まれるでしょうね。
 僕はそれでもいいが、みなさん、本当にそれでいいですか?僕は、個人的には菅さんの再生可能エネルギー構想にも賛成なのだが、みなさん、この先の節電に本当に耐えられますか?経済の冷え込みにも耐えられますか?反原発を唱える人には、その覚悟が必要なのです。



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