「パルジファルとふしぎな聖杯」本番間近

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

菊池彦典氏の「蝶々夫人」
 今週は、毎日13時から高校生の為の鑑賞教室「蝶々夫人」の公演で合唱指揮者として働き、終わると稽古場に降りていって「パルジファルとふしぎな聖杯」の練習に加わる。「蝶々夫人」の指揮者菊池彦典(きくち よしのり)氏は、かつてミラノのスカラ座やヴェローナのアレーナでも「蝶々夫人」を指揮したことのあるベテランで、イタリア・オペラにふさわしいメンタリティを持っている。
 もう71歳になっていると聞くが、いやはや、参りました。超元気でエネルギッシュな指揮ぶりに驚く。それに歌手達の呼吸を掴むことに秀でているし、ツボは全て心得ているプロ中のプロ。第1幕の二重唱をあのようにニュアンスに富んで演奏できる日本人はなかなかいない。
 栗山民也演出の「蝶々夫人」プロダクションは、この鑑賞教室で10公演目を迎える。ひとつの演目で10公演というのは、日本の場合少ないので、初日の7月11日月曜日の公演後、舞台袖で劇場主催の乾杯が行われた。実は、このプロダクションで一番沢山指揮をしている指揮者というのはなんと僕なのです。鑑賞教室2年、尼崎公演3年の5公演。10公演の半分。上演回数は、6回の鑑賞教室が2回で12回と、尼崎が2回ずつ3回で6回。合計18回も指揮している。
 乾杯の時に菊池氏とお話しをした。この鑑賞教室を6日間毎日ぶっ続けで指揮する大変さは、やった人でないと分からない。
「この6日間連続は、僕もやりましたけれど大変ですから、どうぞ体調管理にお気を付けて最後まで乗りきってください」
と言ったら、
「いやあ、今日1回やっただけでもこんなにしんどいのに、大丈夫かなあ」
とおっしゃっていたけれど、なんのなんの、涼しい顔で7月16日の千秋楽まで振り終えられました。  


失敗の許されない新作
 さて、「パルジファルとふしぎな聖杯」の練習だが、僕の場合は台本も音楽構成も全て自分で手がけているので、稽古場の流れから目が離せない。新作の場合は、本番が始まるまで不確定要素が沢山あり、その部分は想像あるいは推測するしか方法がないのだが、それを見越して稽古を進めていく事が必要だ。今稽古場でドラマとして成立していても、遠目から見た時にどうかということはまた別だったりする。だから面白いのだが、その推測がはずれてしまって、劇場に入ってからあたふたするのでは、もう間に合わない。
 初演ものは、そこで出されたものが全てで、それがまずかったらもう再演にはつながらないという厳しさがある。名作をやるのとは違って、うまくいかなかったから次は別の方法で、というのは許されないのである。次のチャンスはもうないと思って事にかからなくてはならない。だから僕にとっては、稽古の一瞬一瞬の流れから目が離せないのである。

録音
 神聖舞台祭典劇「パルジファル」では、清き愚か者の予言のモチーフがある。これが劇中何度も出てくるが、女声アンサンブルの4人が舞台裏で歌い、拡声されて天の声として客席に響き渡る。
「清き愚か者 現れる 彼にゆだねよ」
 このモチーフはとても重要だ。そしてこのモチーフのハーモニーをゆるぎなく築ける人材として、今回の前川依子さん、黒澤明子さん、鈴木涼子さん、佐々木昌子さんという人選をした。そして彼女たちは期待に違わぬ素晴らしいアンサンブルを聴かせてくれる。
 とはいえ、もし彼女たちの内、一人でも声の調子が万全でない場合は、このピュアなハーモニーに支障が出てしまう。その場合は、ほぼアカペラに近いこのアンサンブルがきれいに響かなくなり、この作品全体に影響が及んでしまう。

 そこで保険のために、このモチーフを録音しておくことにした。基本的には彼女たちに生で歌ってもらうのだが、誰かが音声障害になった時には、ただちに録音とスイッチする。まあ、多分そういう事態は起きないとは思いますが・・・・・。
 また、作品中一カ所だけ最初から録音を流すことを決定している箇所がある。それは清き愚か者のモチーフではなく、一般的に信仰のモチーフと呼ばれていて、天上の合唱として本来の作品では第1幕の聖餐式の最中に響き渡るものである。ここは多重録音して人数を増やした。これらのPAがうまくいけば、ドラマ全体に素晴らしい効果をもたらすのですがね。さあ、どうなるか?

 稽古場での通し稽古の時に、僕は音響ミキサーにお願いして、録音した天上の合唱をタイミングに合わせて出してもらい、さらに愚か者のモチーフを陰で歌う彼女たちの声を、マイクでひろって稽古場のスピーカーから流してもらった。劇中の効果音もかなり早い時点から出してもらうようにお願いしていた。稽古場という狭い空間でやっても意味ないのではと思う人もいるかも知れないが、仕上がりのイメージを出来る限り早めにキャストや他のスタッフ達に伝えておくことは、とても必要なことなのである。

 オペラをやっていていつも感じることだが、長い間のピアノ伴奏による稽古場での練習から、本番近くになっていきなり環境が豹変する。オケに合わせて歌わなければならないし、いきなり大きな空間で歌い演じなければならなくなる。まぶしい照明で足もとが見えず、つまづいてしまうなどという事まで起きてくる。子供オペラということになると、子供達の反応というものも少なからず考慮に入れなければならない。
 キャスト達は、そうでなくても本番が近づいてきて気分が高揚しているのに、いろいろが変わってオーバーヒートを起こしてしまうことが少なくない。その時にギャップが少なければ少ないほど動揺が少なくてスムースにいく。

人と作り上げる楽しさ
 「パルジファルとふしぎな聖杯」は、これまでの「ジークフリートの冒険」とも「スペース・トゥーランドット」とも性格の違う、オリジナリティのある作品に仕上がりつつある。ユニコーン(一角獣)がミステリアスな空間を作り上げているし、おかしの家の場面もとても楽しい。
 台本を書き、音楽を構成した過程においては、全く僕一人の感性を頼りに作ったので。その時点で僕の脳裏にイメージが出来上がっていたが、それが三浦安浩さんの演出や舞台美術家、衣裳家などの感性を通り過ぎる内に、僕自身のイメージとは違ったものになっていく。僕も遠慮する性格ではないので、納得がいかないところにはどんどん口を出すが、練習を積み重ねていく内に、
「なるほどな」
と思う発見も多くて、自分でも気づかなかったドラマがそこに見えてくる。キャスト達も、僕の台本からさまざまなものを読み取ってくれる。
「なるほど、そう読むか」
と、台本の裏側を突かれることもある。だから他人と力を合わせて何かを作っていくことは、一人だけで作る何倍も楽しいのだ。自分自身が自分の作品から何かを発見するという事は、自分をそれによって成長させるということなのだから。

 必然性があれば、僕は台本を変えることにも同意する。
「そんなことをしてプライドはないのか?」
と言われれば、はっきり、
「ない!」
と答える。僕自身のプライドよりも、良いものが出来る可能性の方に僕は賭ける。
 要するに、こうした新作は何も手本がないので、出来上がったものがドラマとして成立していて、説得力を持てばいいのだ。それぞれのキャストにとってそれが真実であるならば、午前組と午後組とでセリフが多少変わったっていいではないか。でもね、正直な話、みんなほとんど僕の台本を尊重してくれて、その通りにやってくれているよ。しかも、とてもドラマを膨らませてくれているので感謝している。

 さて、本番がだんだん近づいてきて僕自身も緊張している。最もシビアなことは、相手が子供だということだ。子供は誰よりも厳しい批評家だ。ドラマの嘘を見破る力は大人の比ではない。指揮をしていても背中で感じるのだが、少しでもドラマにすきま風が入って緊張感が薄れると、ただちに子供達はザワザワとし始める。逆に、どんな静かなシーンでも、ドラマが張り詰めていれば、彼等は息も殺して物語に入り込んでいく。彼等にとって物語とは、まさに“現実”そのものなのである。だから、少しのすきま風の入る余地もないように、音楽もドラマもシビアに詰めていきましょう。

スコアがとうとう音になった!
 譜面に書いたものが実際に音になる瞬間は、何度経験してもエキサイティングなものである。今は、パソコンの譜面作成ソフトならみんなプレイバック機能がついているので、スコアを書いた瞬間に音にしてみることは出来なくはないが、所詮機械音なので、バランスその他の要素も含めて、人間が演奏するのとは大違いだ。
 前にも書いたが、オーケストレーションだけは想像力と経験を必要とする。こういうつもりで書いたのに、どうしてこんな音になってしまうの、という失望感を何度も味わった後でないと百発百中のイメージでスコアを書くことなど出来ない。でも、今回は、かなり百発百中に近かったぜ!

 7月16日土曜日、鑑賞教室「蝶々夫人」最終公演の後、5時半から「パルジファルとふしぎな聖杯」のオーケストラ練習。とうとうスコアが音になった!この時をどれだけ楽しみにして、地震直後の寒い仕事部屋でストーブも焚かずにスコアを書いていたか。イタリアにいても日本に帰ってきても指折り数えていたか。
 「ジークフリートの冒険」だって、巨大な管弦楽である「ニーベルングの指環」を十数人の小編成アンサンブルのは大変だっが、「パルジファル」はそれにセンシティブな要素が加わってくるので、凄く注意を払ってオーケストレーションした。ホルン4本でハーモニーを組むなんていうのが多く見られるが、トランペット、ホルン、トロンボーン各1本づつなので金管全部合わせても3人しかいない。そこで木管楽器から人材を借りてくるわけだが、その際、金管と木管の間のバランスが難しい。

 でもね、いつもそうであるが、ここだけの話、最初に音を出した瞬間というのは、軽い失望がある。何故なら、みんな自分のパート譜だけで演奏するから、早い話、そのまんまの音が出るのだ。でも、僕が即座に、
「この楽器とこの楽器がこうなっているので、バランスを計って下さい」
とか、
「この楽器を聴きながらタイミングを合わせて下さい」
とお願いすると、さすがに東フィルのメンバーだね。みるみる直ってきて、あっという間に僕が想像して書いた通りの音になってきた。
 彼等自身も、演奏しながら他の人達の音を聴いて、自分がどこにどのように合わせればいいか、自分は伴奏を弾いているのか、あるいはソリストとしてイニシアチブを取らなければいけないのか、どんどん掴んでいく。やっぱり、プロの音楽家っていうのは凄いな!

寝かせる!
 16日土曜日は、途中30分休憩をはさんで5時半から9時までの練習時間だったので、実質3時間足らずしかオケ練の時間が取れなかった。それに、ダイナミックの修正をしたりいろいろ丁寧に練習をしていたら、最初の2時間で半分くらいまでしか進まなかった。あと1時間で残りの半分をどのように練習しようかという問題に突き当たる。
 翌日の17日日曜日は歌手の入ったオケ合わせだが、最初の1時間だけはオケ練のためにとってある。方法は2つある。同じペースで4分の3くらいまで練習し、残りを明日のオケ練にまわす。あるいは、後半はピッチを上げてラフに終わりまで行ってしまい、その直し稽古を明日の1時間で行う方法。
 ここで、若い指揮者は最初の方法をとるだろうが、僕は迷わず後者をとる。何故か?その理由は、本当は企業秘密だが、みなさんにだけ内緒で教えよう。

 オケというものは不思議なもので、一晩寝ると何故か音が変わるのだ。音が互いに混じり合ってサウンドがまろやかになる。お酒ではないが本当なのだ。だから、初日で無理矢理にでも最後まで一度演奏させてしまう方が、よりよいサウンドで明日の練習を始めるためには必要なのである。こうしたことに気付くためには、やはり長年の経験が必要なのですね。

このサウンドを聴いて下さい!
 さて、思った通り17日の日曜日の直し稽古は、より洗練された音色で始めることが出来た。この日には、オケ練の後、2組のキャストで2回通しをするし、すでに昨晩一度曲は通してあるので、部分的なピックアップの練習だけで済む。それから、休憩をはさんで、キャスト達を交えてのオケ合わせ。

 想像はしていたけれど、キャストが入ったら、またひとつサウンドのクォリティが上がった。オケと歌手達の声が完全に溶けあって練習場に響き渡る。大管弦楽でない分だけ逆に歌とオケとの一体感が生まれている。新国立劇場合唱団のピックアップ・メンバーによる合唱部分の響きも最高!
 済みません!またまた三澤洋史名物の手前味噌発言です!このサウンドは、どこに出しても恥ずかしくないと思う。これを一人でも多くの人達に聴かせたい!神聖舞台祝典劇「パルジファル」の大管弦楽と大合唱を知る人にも、是非一度お聴きになることをお薦めする。うるさいワグネリアンもきっと驚き、感動するに違いない。そして勿論、そんなことは何も知らない子供達は、胸をわくわくさせて音楽に聴き入ると思う。そんな全く違う2種類の人達を双方納得させる「子供オペラ」なんて、世界中にどこにもない。

 僕は、はっきり言います。「ジークフリートの冒険」が、ウィーン国立歌劇場やチューリヒ歌劇場などで上演されているように、あるいは、それ以上のインパクトをもって、この作品もきっと世界に進出していくと思います。この作品には、それだけの内容があります。

 みなさん!そんな作品が誕生する瞬間を一緒に見届けようではありませんか!いよいよ今週の金曜日7月22日に「パルジファルとふしぎな聖杯」は初日の幕を開けます。土日はもう満席と聞きますが、子供オペラの場合、当日戻りがありますので、たいてい当日そのまま行って買えます。それから金曜日にはまだ多少残券があると聞きます。今からでも遅くはありません。みんな、来てねー!



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