この一週間

三澤洋史 

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CD
イタリアの郵便事情が悪いとは聞いていたが、ここまで悪いとは思わなかった。ミラノから帰国して約一週間後、僕はスカラ座合唱団のバス・メンバーであるジェラールと、語学学校に宛ててドイツ・レクィエムのCDを送った。語学学校へは10個を送って、アンドレアは勿論、ヴァレンティーナやクラスメートのアリスンなどに渡してもらうよう頼んであった。これらは航空便なので、通常は数日で着くはずであった。ところが、やっと先週になってジェラールとアンドレアから相次いで、
「CDが届いたよ!」
とメールが入った。ええっ?一体どんだけかかってるんだ?!

飛行機では1日でイタリアまで行ってしまうんだろう。それから一ヶ月、僕のCDはどこをどのようにさまよっていたのだろう?アンドレアは、僕のCDを渡しながらみんなに僕のメール・アドレスを教えてくれたとみえて、まずクラスメートの南アフリカ出身のアリスンからメールが届いた。
アリスンからのメールには参った。こいつ、僕を宿題代わりに使っているのではなかろうか。覚え立ての接続法や条件法をバシバシ使った、長くそしてもの凄く複雑な文章を(多分とても時間をかけて)書いてきた。読むのに一苦労だったが、その割にところどころ間違いがある。そして最後に、
「多分あちこち間違ってると思うから、気が付いたら添削してね」
だって。あのねえ、僕は先生ではないぞ。かく言う僕の返事も、もしかしたら間違っているかも知れない。僕も、ちょっとライバル意識が働いて難しい文章を書いたからね。

 アンドレアには、CDをヴァレンティーナに必ず渡してねと書いておいたので、ヴァレンティーナからもメールが来た。
「あたしのことを覚えておいてくれてとっても嬉しいわ」的な文章だった。僕は、
「君は、いつも授業のために周到に準備してくれ、生徒が理解してくれるために全力を尽くしてくれた。本当に優れた教師だったと評価しているよ。それに僕は、毎日変わる君の服装を見るのがとっても楽しみだったんだ」
と返事を書いた。そうしたら再び、
「ヒローーーッ!」
で始まる長いメールが来た。
「そんな風にあたしを評価してくれて本当にありがとう!あたしのやり方は他の教師達とは少し変わっているかも知れない。あたしってまだ若くて経験もないでしょ。でも、ただ教科書に沿って文法だけを生徒達に詰め込ませるやり方は好きではないの。だからいろんな遊びを授業に持ち込んだり、生徒達が興味を持ちそうな新聞や雑誌の記事を持ってきたりして、同じやるならなるべく楽しく勉強できるように努力しているの。準備に時間がかからないわけではないし、時々これでいいのかなあと思う時もあるのよ。でも、こうしてヒロのように評価してもらえると、自分のやってきたことが報われた感じがして、とても嬉しいわ。あたし一生懸命だけが取り柄だから。ねえ、またミラノへいらっしゃいよ!また会いましょうよ!あっ、そうそう、あたしのスカイプのアドレスは×××だからね」
 おっとっとっと、ヴァレンティーナったら、僕とスカイプするつもりかいな?いいねえ、こういうイタリアのノリ。考えて見ると、彼女は志保と同じ歳だし、今年の2月に初めて今の語学学校に来たばかりだというから、まだひとつひとつ一生懸命なんだな。その全力投球の姿勢に僕は打たれたわけだ。

 イタリア語でメールのやり取りをするのって、イタリア語を忘れないためにはとてもいい。ただねえ、辞書を脇に置きながら書いているので、時間がかかるんだよ。特にアンドレアやヴァレンティーナは語学学校の先生だからね。あんまり変な文章書けないじゃないか。今はまだいいけど、シーズン始まってもっと忙しくなってきたら、定期的に続けるのはちょっと無理かもな。

 でも不思議だ。こうして彼等とコンタクトを取っていると、あのミラノの日々は夢でもまぼろしでもなく存在していたのだなあとあらためて思う。今だから言うけど、何度も行って勝手知ったるドイツと違って、イタリアは、旅行者としては知っていたけれど、どちらかといったら苦手意識すらあったのだ。だからこそ、それを克服したかったし、ドイツに持っているのと同じくらいのシンパシーを持てるまでに自分を追い込んだわけだ。実は出発直前は不安で不安で、一体どんな生活が待っているのか見当もつかなかったのだよ。
 僕はこんな風に、苦手なものがあると、むしろそれを克服しようと、その真っ只中に飛び込むことをこれまでにもよくやってきた。自分自身をひとつの所に留まらせないで、変わった方がいいと判断したら、ものぐさを決め込もうとする自分の尻をパンパンと叩いて荒野に追いやるのだ。すると、荒野では、これまでにない出遭いが待っているのだな。それが次の自分の人生を切り開いていくのだ。

「イタリア、なんだか楽しそうでしたね」
と、「今日この頃」を読んでいる人達の中には、皮肉を込めて言ってくる人もいるけれど、これはね、楽しかったのは事実だけれど、外国にいて“楽しい”という状態になるまでには努力がいるのだ。もし僕がもう少しペシミスティックな人間だったら、恐らく大変さばかり書き連ねたと思う。文化庁から派遣されてわざわざ来たのだから、こんな名所旧跡を訪ねましたとか、こんなものを食べましたとかで済む話ではないのだ。日本にいたらぜったいに出来ない勉強をし、絶対に出来ない経験を持ち帰らねばというプレッシャーはかなりのものだったのだよ。
 だからこそ、アンドレアのような語学教師の本物のエキスパートや、ヴァレンティーナのような、全身でイタリア語を教え込むのだという情熱に燃えた熱血教師に出遭うと、お互いビビッと感じ合うものがあって、こうして仲良くなれるわけだ。
 逆に言うと、スカラ座内部も含めて、イタリア短期留学期間において、僕にとって魅力的な人物っていうのが、合唱団員のジェラールとアンドレアとヴァレンティーナくらいしかいなかったってことだ。もっとはっきり言うと、
「何やってんだ、スカラ座は!」
って感じなんだ。あっ!ついに本音を言ってしまいました。

この一週間
 先週は、「パルジファルとふしぎな聖杯」東京公演が終わって、ミラノから帰ってきてから久し振りに自由時間が出来た。考えてみると、帰国して次の日に新町歌劇団の練習に行き、その次の日に新国立劇場に出勤してから、1日も休みなく仕事していたのだ。時差ぼけになる暇もなく忙しくしていたのは、結果的に良かったのかも知れないが、たまには休まなければね。
とはいえ、いろんな用があって、完全に休みというわけにもいかない。この一週間を簡単に振り返ってみよう。


7月25日月曜日
 午前中プールに行き、午後は群馬に向かう。8月20日、21日の「おかしなコンサート」の下見。ラスクで有名なガトーフェスタ・ハラダのホワイエに、夕方から若手の団員達がぞくぞくと集まってくる。初谷敬史(はつがい たかし)君も来る。一番の問題は、ドクター・タンタンという曲を踊り付きでやるのに、どう場所を使おうかということ。
 僕は、ドクター・タンタン役の初谷君とその取り巻きを階段から走って降りてこさせ、観客の間を踊りながら通ってステージにまで来させようと思っている。ところが階段が遠い。いろいろ試行錯誤していると、まだ残っている従業員達が不思議そうな顔して通り過ぎて行く。そのミスマッチが良い。僕たちが練習しているその向こう側で、昼間はラスクを作っているそうだ。
 練習後、駅前の居酒屋で食事。その日は群馬宅には泊まらずに初谷君と二人で高崎線に乗り、深夜に帰宅。

7月26日火曜日
 午前中、次女の杏奈と二人で、近くの西府プールへ行く。今日は東京バロック・スコラーズの三澤賞の日。前回の演奏会でチケット販売トップ4の団員を我が家に招待。今晩はイタリアン。本当はもっと早くにやりたかったのだが、子供オペラのプロジェクトが始まってしまったので、ここまで来てしまった。だからイタリアから仕入れてきた食材の内、新鮮なものはみんな食べてしまったので、あまり画期的なものは期待出来なかった。
 とはいえ、サラミやジェノヴェーゼ・ソースやトリュフの瓶詰めなどは健在だったので、普通とはひと味違ったイタリアンを出すことは出来た。メインはタリアータtagliataと言って、塩胡椒した牛肉のかたまりをフライパンで時間かけて焼いて、ただ切っただけのもの。それにルッコラとミニトマトと薄切りにしたトリュフをまぶし、かたまりのパルメザン・チーズをすりおろしてかけて食べる。ミラノを去る直前に合唱団員のデイヴィッドが僕を招待してくれた時に出してくれた料理だ。イタリアンとも言えないほどシンプルだが、にんにくの香りやルッコラやトリュフとの組み合わせが、やはりイタリアらしさを醸し出す。
 その前のミラノ風リゾットやジェノヴァ風パスタなども好評で、なんとかイタリア帰りの面目を保つことは出来たかも知れない。

7月27日水曜日
 東京バロック・スコラーズの練習。練習前に入団オーディションをする。アルト1名、バス1名が合格。新しいメンバーとなる。今日はマタイ受難曲のコラールだけを練習する日。コラールを全曲練習するぞと思っていたら、その前に聞こえてくる発声練習でビブラートが気になって、練習開始にベルカントのウンチクを語ってしまい、気がついてみたらコラールがちっとも進まなかった。でもねえ、やはり歌は発声に始まり発声に終わる。これ基本。曲が前に進めばいいってもんじゃない。でも、話が長すぎるのもねえ・・・・。

7月28日木曜日
 今日は完全オフ。妻の車で勝沼に行く。いつも蕎麦さかいで出しているルバイヤートという銘柄を持つ丸藤ワイナリーを訪ねる。僕は勝沼の甲州というぶどうから作られる白ワインが大好きなのだ。丸藤では見学をさせてもらい、試飲をしてから、いくつか違うタイプのワインを買って帰ってきた。でも全部甲州の辛口のもの。これが和食にとても合う。香りがあって華やかさもあるが、個性を主張しすぎないので、料理とぶつからないのだ。
 リーズナブルな千円のルバイヤートは、少しだけ甲州とは別のぶどうが混ざっているという。これはちょっと味わいがあって値段の割においしい。一升瓶で買うと二千円だというので試しに買ってきたら、三澤家の4人で一晩で飲んでしまった。ヤベエな、この家族は。

7月29日金曜日
 今日は一日家にいる。天気が悪かったが、近くの西府プールに行ってちょこっと泳いで帰ってきた。それから黛敏郎(まゆずみ としろう)作曲のオペラ「古事記」の勉強に明け暮れる。これはドイツのリンツ州立劇場から委嘱された作品で1996年に初演された。黛氏は1997年に亡くなっているので、最晩年の作品だ。今回は東京文化会館50周年記念フェスティバルのメインの演目として11月20日(日)と23日(水、祝)に、大友直人氏の指揮、東京都交響楽団で上演される。合唱は、新国立劇場合唱団と日本オペラ協会合唱団の合同だ。その合唱指揮をするわけである。
 オスティナートが使われていたり、4度和声が使われていたりで、僕の作風にも似ているが、おおらかで楽しい曲に仕上がっている。合唱は現代曲の割にはもの凄く難しくはないが、やはり簡単でもない。曲の成立過程が分かっていながら、勉強する度に、
「でも、なんでドイツ語?」
と思ってしまう。物語は天の岩戸の踊りの話だとか、八岐大蛇(やまたのおろち)の話だとか楽しいので、日本語にして日本オペラのレパートリーに定着させて時々上演すればいいのに。月曜日から練習が始まる。

7月30日土曜日
「パルジファルとふしぎな聖杯」高松公演のために高松に飛ぶ。練習後の晩は、高松駅近くの居酒屋で、オーケストラのメンバーやソリストや合唱のみんなで食事。なんだか、まだ本番もやっていないのにこんなに盛り上がっていいのだろうかと思うほどの大宴会でした。高松名物だという骨付き鳥のスパイシーなうまさに感動。ちょっと硬めなのだが、実に味わいがある。肉は軟らかければ良いというものではないのだね。

7月31日日曜日
 午前中はホテルでこの原稿を書き始めたり、「古事記」の勉強。お昼に、駅前の「めりけん屋」といううどん屋でぶっかけうどんを食べる。小でも普通盛りくらいの量がある。ちくわ天とおいなりさんをつけて、うーん、うまい!

「パルジファルとふしぎな聖杯」高松公演は、内装が素敵な響きが良いホールで、とても演奏し易かった。客席の中にひとり熱狂的な聴衆がいて(声からすると中年男性)、最初、
「ブラヴォー!」
と叫んでいたが、その内、
「Wunderbar!(素晴らしいの意味のドイツ語)」
とか、
「Schön!(美しいの意味のドイツ語)」
とか叫びだしたのには笑った。凄いな高松って。

 これは子供オペラとしては初めての地方公演。また東京と雰囲気が違って楽しかった。子供達は、東京よりもちょっとシャイだったかも知れないが、立って一緒に踊ってくれたよ。



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