研修報告をホームページにアップしました!

 

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

ゲリラ豪雨と低迷する日本
 まったく、最近の日本は呪われているのではなかろうか。なんだこの天気は!先週は新国立劇場の練習が夜からだったので、午前中から近くの西府プールに行こうと思っていたが、寒くてなかなかモチベーションが上がらない。ようやく午後になってからちょっと気温が上がってきたので自転車を転がして行く。でも泳いでいる内に空がみるみる真っ黒な雲に覆われる。
 すでに水の中にいるので、今更あわてることもないのだが、なんとなく不安じゃないですか。それでそそくさと水から上がり、着替えて家に向かうと、大粒の雨がポツポツと体に当たり始める。たちまちもの凄い集中豪雨となる。いわゆるバケツをぶちまけた状態というやつである。せっかく着た服がびしょ濡れになってしまう。
 こんなことだったら、そもそも家から水泳パンツをはき、水泳帽とゴーグルをつけてプールへいけばよかった。しかもそのすぐ後には、またしゃあしゃあと青空が広がったりしている。それがほとんど毎日だった。夕立とは全然違う。入道雲も出ないし、雷も鳴らないからね。
 夜のニュースを見たら、
「国立市がゲリラ豪雨に襲われました」
とキャスターが言っていた。おお!ちょっと有名になったな、国立市!

 政治の低迷ぶりは目を覆うばかりだし、原発に対する国の姿勢も国民の覚悟も決まらないまま、ずるずると時間ばかりが経って行く。突然、突発的に、
「福島第一原発近辺で、これまでで最高の放射能濃度を測定」
などという記事が新聞に出る。
 驚いたのは、今日なんか(8月8日月曜日朝日新聞朝刊)、
「震災10日後に福島第一原発3号機が再び炉心溶融していた」
なんて報道している。ふーん、科学者っていうのは長い期間かけて丁寧に研究するんですね。って、ゆーか、こんなことすら何ヶ月も経ってからしか分からないようで、どうして安心して原発なんか動かせようか。
 みなさん、こんな風にして一番大事な情報というのは、一番大事な時に一番大事な国民に隠されるのです。菅総理大臣に対して辞めろコールが続いているけれど、一番菅さんを辞めさせたがっているのは、菅さんの「脱原発」宣言を止めさせたい“国”なのです。では国とは何か?どうも日本の場合、国と国民とは違うようです。それは、国民の手の届かないいわゆる“お上”というもののようです。そして国民も、お上のすることならば仕方がないとあきらめているようです。

 モンスター・ペアレンツが、自分の子供の通う学校の給食にクレームをつけて、絶対に関東地方の牛乳などを使わせないよう要求しているという。それはそれで気持ちは分かるが、問題はそんな近視眼的で自己中心的な行動にみんなが留まっている点だ。
 もうそろそろみんなでその先の議論をしようよ。行動の動機はエゴイスティックでもいいが、そこから次の世代へと意識をつないでいかなくては、いつまでたっても同じことが繰り返し起きてくるのだ。僕たちは未来をどうしたいのだ?自分たちの子供に、どのような世界を準備してあげたいのだ?

 神が僕たちを呪っているわけではないと思う。でも、僕たちの想念が神の恵みの光を遮っているような気はする。春になれば花が咲き、季節が正しくめぐってくるのは、決して当たり前でも偶然でもないのだ。だから一度神の恵みのバランスがくずれたならば、自然の中でどんな悲惨なことが起きようとも、これも何の不思議もないのだ。つまりは、宇宙のあり方は、神の胸先三寸で何でもアリなのだからね。
 うっかりな事を言って皆さんを混乱させたくはないのだが、このままいくと、残念ながら次の天変地異は避けられないかも知れない。ゲリラ豪雨はその警告かも知れない。

 恐れることはない。どっちみち僕たちの人生は有限であり、僕たちはいつかは死ぬのだ。でも、
「この地上において僕たちはどう振る舞ったか?何をして何をしなかったか?」
ということについては、一人一人がこの人生が終わった時に問われるのだ。それを問われることは、本当は死ぬことよりももっと恐いことなのだ。

研修報告をホームページにアップしました!
 やっと文化庁に研修報告を送った。帰国してから2ヶ月の間に送ることが義務づけられているので、急がなくてもいいのだが、あれもこれも書きたくて、このままいくといつになってもまとまらないので、思い切ってテーマを絞って集中的に書き上げた。
 報告書は第1章と第2章とに分かれている。第1章では、イタリア語の発音からイタリア語的表現へと至る道について記述するが、ベルカントの本質が言語と結びつくというくだりが自分としては最重要かなと思う。ポルタメントに関しては、これまで誰もあえて言及していなかったので、かなり独創的かも知れない。第2章はスカラ座合唱団の響きから、オーセンティックなものに我々日本人がどう立ち向かっていくかという、日本人のこれからのあり方について述べてみた。
 これらのことを書き上げたら、これを文化庁の中だけにとどめておくのがもったいなくなってきたので、ダメもとで文化庁に、
「この研修報告を自分のホームページでアップしてもいいですか」
と厚かましくも訊いてみた。
 僕とすると絶対にNOという返事が返ってくるかと思っていたので、その場合に備えて、
「文章表現を変えて同じような内容を書くのは許されますか?」
とか、
「部分的に同じ文章を使うことは許されますか?」
とか、
「要するにどこまで許されますか?あるいは、文化庁としてこの研修報告書の機密性はどのくらいあるのでしょうか?」
といった、なんとも図々しくもセコい訪ね方をして様子をうかがってみた。

 ところが文化庁からはあっさりと、
「この研修報告は、文化庁としてもそもそも広く公表することを前提にお願いしているものなので、どうぞご自由に発表して下さい」
という返事が来た。おお!太っ腹!
 ということなので、表紙だの前書きだの、一部を省略及び変更しているが、この「今日この頃」と同じタイミングで予稿集の方にアップしてみた。イタリア・オペラやイタリア語に特に興味のない人にも、一読を勧める。合唱や歌に興味のある人にはかなり面白い内容になっているはずだ。普通の人が読んでも比較文化論的に興味深い記事だと思う。  


この一週間
8月1日月曜日

 「古事記」の練習が始まった。うわあ、大変だ!まず、おびただしいドイツ語の量。日本人の作曲家で「古事記」という日本古来の物語なのに、何でドイツ語なんだと思うが、出来上がった音楽がドイツ語にマッチするようにつけられているので、やはりドイツ語でやるしかないんですなあ。
 それから、音がぶつかりまくりの難しい音程。同じ構成の和音を平行移動しているだけなので、作曲学的にはそう難しくはない。でも、歌うという事になると話は別なのだ。歌手の喉には、楽器と違ってフレットもバルブもスライドもキーもなく、音程を全てアナログにとっていかなければならないので、長7度の平行移動なんて、気が付いてみるとオクターブになってしまったりする。

 分かってくると楽しい音楽なんですけどね。カッコ良い場面も多いし、日本人の感性と西洋音楽の手法が黛敏郎(まゆずみ としろう)氏の独創的な感性によって融合した完成度の高い音楽だと思う。でもね、音楽稽古は全部で10回しかないのだ。その内、8月中の練習は、8月1日月曜日から4日木曜日まで4回と8日月曜日の1回、合計5回やったら中断し、次は10月半ばからさらに5回やって立ち稽古に突入する。オペラなので当然暗譜させなければならない。うーん、頑張らねば!

8月5日金曜日
 「古事記」は、昨日までで4回の稽古を終えた。譜面を見ながら歌ったら、少しは音楽らしくなってきたが、これを暗譜させなければならないと思うと気が遠くなる。

 さてその話は置いといて、「パルジファルとふしぎな聖杯」兵庫公演のために兵庫県立芸術文化センターに来た。素晴らしいホールだ。客席全体が木で作られていて、二階席以上の格子状の柵がなんとなくアメリカ西部風というかビックリ・ドンキー風というか、不思議な雰囲気を醸し出している。
 サウンド・チェックをした時に、とても良い音響なので驚いた。ほとんど生音のみでいけそうだ。本当は、子供オペラといえどもオペラには違いないので、完全に生音でいきたいところなんだが、金管楽器にわずか5人の弦楽器奏者が太刀打ちするのはどう考えても無理なのだ。さらにオケがバックに鳴っている時のセリフなど、歌手の方でもPAの力を借りなければならないところがある。でも、今回は最小限でいけそうなので嬉しかった。

 練習終了後は、西宮ではなくて宿泊地である宝塚まで電車で行き、そこで夕食を食べようと思ったが、宝塚に着いたらもの凄い人だかりだ。実は花火大会があって、今終了したばかりだった。
「ゲッ!こ・・・これは・・・食べ物屋がみんな一杯だったりして・・・・」
予想した通り、どこも一杯で、しかもまるで天が意地悪しているかのように雨が降り注ぐ。

 今日は、高松の時とは違い、歌手達もオケのメンバーもそれぞれバラバラになっている。僕と一緒の夕食の一行はパルジファル役の秋谷直之(あきたに なおゆき)さんと女声アンサンブルの黒澤明子さんと前川依子(まえかわ よりこ)さん、それに娘の志保だ。志保は、稽古ではピアノを弾いていたが、今回の兵庫公演では、照明のキュー出し要員として同行している。 僕たちはみんなで手分けして食べ物屋探しに奔走した。後から助演の人達が4人ほど合流した。どこも一杯だったが、不思議と一軒だけお好み焼き屋が空いていた。ところが、このお好み焼き屋がなかなか曲者だった。

第1。店が古く、おばあさん二人だけで営業している。活気という字からはほど遠い。お客がみんな異様に静か。お好み焼き屋なのに霊気すら漂っている。
第2。ビールは瓶ビールのみ。中と大。昔ながらのキリン・ラガービール。ソフト・ドリンクはコーラのみ。しかも僕が小学校の頃初めて飲んだ時のあの瓶の形。それから日本酒と焼酎とだけ書いてある。焼酎は期待出来ないから、つまりビールを飲むしか方法はないように思える。
第3。サイド・メニューは何もなし。お好み焼きかモダン焼きだけ。とりあえずの酒のつまみに注文するもののお通しもない。ビールはすぐ来たので、なにも食べるものがないままただひたすらビールを飲む。
第4。テーブルは鉄板になっていて、お好み焼きは自分で焼く。それなのに出てくるまで約20分かかった。しかも一人分ずつゆっくりと出てくる。最後の人がお好み焼きを受け取った時には注文してから30分を回っていた。それから焼き始めるのだから、店に入ってからビール以外のものを口にするまで一時間近くかかった。
第5。待ってる間に鉄板がどんどん熱くなるので、サウナ状態。みんな額からダラダラ汗がたれてくる。秋谷君がたまりかねて戸を開けたら、手に真っ黒なほこりがついてきた。
第6。みんなで焼き始めたが、お好み焼きの量が少ない。黒澤さんがわめき出す。
「こんなん絶対足らへん!」
秋谷さんが答える。
「どうする?もうひとつずつ頼む?」
僕が答える。
「でもさあ、次のお好み焼き、一体いつ来るんだろう?」
第7。決心が付かないままお好み焼きが焼き上がった。秋谷さんが食べていると、中から輪ゴムが出てきた。うわあっ!

 僕たちはそそくさと(といってもすでに1時間以上もかかっていたが)店を出てきた。本当はもっと食べたかったのだが、時間が果てしなくかかりそうなのと、輪ゴムが出てきたことなどで、すっかり意気消沈してしまったのだ。残りは近くのローソンで買い物して、各々ホテルで食べましょうということになった。僕もおにぎりとか角ハイボールの缶を買ってホテルで食べる。うううう・・・・ショボい食事・・・高松とは大違い。
 僕がこの更新原稿を書いていると部屋をトントンする音がする。開けると志保がいた。彼女は助演達と同じテーブルにいたので、僕は彼女を置いて先に帰ってきてしまったのだ。彼女達は、気長に複数のお好み焼きを頼んで食べるだけ食べて帰ってきたそうだ。
 志保は部屋に入ってきて、僕の飲みかけの角ハイボール缶を見ると笑い転げていた。
「パパ、ラウンジに行って飲み直さない?」
「ダメダメ、明日の朝は早く起きてお散歩するんだから。ほんじゃ、おやすみ!」

8月6日土曜日
 6時半に起きて、あたりを散歩する。歩いて5分くらいのところに宝塚大劇場があった。すぐそばには宝塚音楽学校や寮などがかたまっていて、もう宝塚帝国って感じだ。凄いな!新国立劇場が出来るずっと前から、この国には専用のオペラ劇場があったんだぜ!しかも女性専用っていうのが何とも独創的ではないか。


 日本には歌舞伎という男性専用の伝統芸能がある。男性が女形を演じて女性の役をやってしまうのもかなり変わっているが、バッハの頃の教会音楽はある意味女人禁制で、ボーイ・ソプラノやカウンター・テノールなどが活躍していたので、まあ奇妙というわけでもない。ところが、宝塚のように女性だけで男性の役もやってしまうのは世界でも稀ではないか。しかも出演者は全員未婚の女性に限られているということだ。
 宝塚という街は温泉地だ。両側を山に囲まれ、真ん中に川が流れていて、独特の風情がある。朝のお散歩は、宝塚劇場のそばを見学してから、川を渡り、山の方にどんどん上がっていって、丘の上から街を見下ろしてみた。おお!なかなか風光明媚なところだ。
 帰りがけにまた宝塚大劇場の横を通ったら、まだ朝の7時半なのに、チケット売り場に女性客が数人座って並んでいた。うわあ、ここのファンは半端じゃないね。新国立劇場も、この劇場から学ぶことは多々あるのではないかという気がする。


 さて、阪急電鉄で西宮北口に行って、11時半から「パルジファルとふしぎな聖杯」兵庫公演。いやあ、凄い!兵庫のお客のノリの良いこと!音楽監督の佐渡裕(さど ゆたか)さんに馴らされているからか、それとも、そもそも関西のこのあたりのお客様の気質がそうさせるのか、反応の良さは新国立劇場をはるかにしのぐ。
 2回公演の両方とも、あの大きなホールが満員。ロビーでのダンスのレッスンの参加度も高く、子供達もよく踊っていた。こうなると、我々出演者達も「豚もおだてりゃ木に登る」ではないけれど、どこまでも調子に乗って、かなり良い質の公演になりました。

 一回目の公演が1時くらいに終わって、3時の公演までの休憩時間には、志保と二人で明石焼きを食べに行く。たこ焼きと明石焼きを混ぜて食べるが、どちらも甲乙つけがたいほどうまいですな。たこ焼きのコテコテのソース味もいいが、なんといっても明石焼きのダシ汁が素晴らしい!この薄味のダシにたっぷりつけて食べるやり方は、僕たち東京人にとってみると画期的であって、さぬきうどんのかけうどんとたこ焼きとを合体させたような感覚なのだ。こんなこと言っていたら、コンシェルジュをはじめとする関西人に張り倒されそうですわ。それにしても、考えてみると昨日から炭水化物ばかり食べているなあ。
 さて、今日で子供オペラは終了。毎回そうなのだが、子供オペラが終わると、夏が半分終わったような気になる。でも今年は地方公演があったので8月まで引っ張りました。

 今、この原稿は新幹線の中で書いています。行く先は東京ではなくて浜松バッハ研究会の合宿。湖西市という浜名湖畔でやっている。予定によると8時前に現地に着いて、2時間ばかりロ短調ミサ曲を練習する。それから懇親会がある。だから子供オペラの余韻に浸っているわけにはいかないんだ。いやあ、我ながらタフだねえ、この56歳は。

8月7日日曜日
 昨晩、合宿に行ったら、新しいメンバーが増えていた。合唱団というのは新メンバーが加わることで活気が生まれるものだ。“はなの舞い”で行われた懇親会も、静かながら盛り上がっていました。

 バッハのロ短調ミサ曲はいつやっても良い曲だねえ!前にもこのページで、
「毎日やってもいい!」
と言ったけど、本当にそうだ。浜松バッハ研究会の演奏会は来年の10月なので、まだまだ練習は始まったばかりだが、そういうことに関係なく、どの部分をやっても非の打ち所のない作曲技法の極みが見られ、さらに比類なき気高い精神が感じられ、
「ああ、生きててよかった!」
とひとりで感動に打ち震えてしまうのだ。ともすると、目の前で実際に歌っている浜松バッハ研究会の存在を忘れそうになる・・・・ということはいくらなんでもないが、またしばらくこの曲と付き合えるのだ。なんてしあわせなことだろう!

 東京に帰る新幹線の中で、妻からメールが入った。次女の杏奈がかつて通っていた代官山のメイク専門学校Be-STAFFが主催するコンクールで1位のグランプリを受賞したというニュースだった。なんでもそのコンクールは、ファッションショーのようなタッチで、メイクは勿論、ヘアー、ファッション、ネイルそして音楽にまでこだわり、トータルな美しさを競い合うというものらしい。らしい・・・と書いたのは、専門外の僕にはよく分からないのです。でも、Be-STAFFを卒業してから、わざわざ再びパリに渡り、1年かけてやってきたことがどうやら無駄ではないらしいことだけは感じられて、親としては嬉しかったね。
 写真中央が、杏奈がデザインしたモデルのファッション。右が杏奈、左側にいるのはBe-STAFF在学中から杏奈のことをとても可愛がってくれていたセシルさん。いちおう男性です。彼はロンドンに留学していたという。

 家に帰ると、妻がおいしい鮎を買ってきたので、先日買った勝沼ワインを空けて杏奈のために乾杯した。とはいえ、杏奈は打ち上げで留守。妻と志保と僕の3人で、杏奈にあやかって勝手にグルメ三昧しているだけですわ。
 ううう!鮎の塩焼きと丸藤ルバイヤートのコンビネーションは最高ですぜ!この晩に飲んだのは、ちょっと高めなルバイヤート甲州樽貯蔵だったが、はっきり言って何も樽の香りがしなくてもいいかなと思った。まあ、これは好みの問題かも知れない。
 ちなみにお薦めはルバイヤート甲州シュール・リーか、ルバイヤート山梨甲州シュール・リー。蕎麦さかいで出しているのは甲州の方だけれど、僕は個人的には勝沼以外のぶどうを使っている山梨甲州がフルーティーな香りがやや強くて一番好きです。

次の更新は22日です
 来週はお盆なので、「今日この頃」は一週間お休みさせて下さい。僕は11日木曜日には家族4人揃って親友のスキーヤー角皆優人(つのかい まさひと)君のいる白馬に遊びに行く。宿泊は冬にスキーに行った時に泊まったウルルにした。マスターが楽しみにしてくれている。そういえば、角皆君は僕がイタリアに行っている間に若林美穂(わかばやし みほ)さんと結婚したそうだ。
 それから8月20日土曜日と21日日曜日にはガトーフェスタ・ハラダでの「おかしなコンサート」がある。それらの話題を次回の22日月曜日の更新ではまとめてお送りします。

ではみなさん、お元気で!



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