劇場人

三澤洋史 

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西洋人との付き合い方
 「イル・トロヴァトーレ」の立ち稽古が始まった。演出家のウルリッヒ・ペータースはドイツ人。指揮者のピエトロ・リッツォはイタリア人だが、エッセン歌劇場にいたこともあってドイツ語はペラペラ。それにアズチェーナ役のアンドレア・ウルブリッヒはブタペスト出身でドイツ語を話すし、美術家もドイツ人だ。そのため、ドイツ語の通訳が入っている。
これまでの僕だったら、
「おお!なんて楽な稽古場だろう!」
と喜んでいたのだが、せっかくイタリア・オペラをやるのにドイツ語ばっかりではつまらないではないか。そこで僕は、指揮者のピエトロやルーナ伯爵役のヴィットリオ・ヴィテッリなどのイタリア人をつかまえてはイタリア語で話そうと努めている。

 演出家のウルリッヒは、さすが演劇畑の人だけあって、全体の演出コンセプトも面白いし、合唱団にも細かい演技を要求するので、通り一遍のヴェルディでなくて新鮮だ。ただ、気をつけなくてはいけないのは、演技的なリアリティに気を取られるあまりに、合唱の歌う箇所を少ない人数で歌わせたがる傾向がある。そこで僕は目を光らせていなければならない。演劇的には整合性があっても、一方で1800人入る新国立劇場で聴衆の期待に応えるヴェルディの音楽を提供しなくてはならない。

 これは別のオペラでの話だけれど、以前野田秀樹さんの演出で「マクベス」をやった時、野田さんに質問されたことがあった。
「シェークスピアの原作によると、マクベスを惑わす魔女は3人だけなんだけど、ヴェルディは合唱coroと書いてあるだろう。まさか3人というわけにはいかないんだよね」
「いきませんね」
「何人まで少なくすることを許されるの?6人?9人?」
「合唱と書いてある限りは、合唱指揮者としてはなるべく多く使って欲しいです。今回数十人いますから数十人使って下さい」
「ええ?」
と、こんな具合である。
 ヴェルディは勿論ドラマのことをよく分かっていた人ではあるけれども、音楽的に指向しているものが室内楽的ではなく、むしろグランド・オペラである点が、演出家と音楽家とがいつもぶつかってしまう最大のポイントなのだ。

 さて、第2幕の後半はその意味でとても難しい。ルーナ伯爵は修道院にいるレオノーラを奪おうと家臣を連れて忍び寄ってくる。ここで演出家は、
「ルーナ伯爵の家臣はなるべく少ない人数でやりたい。20人以上ではやりたくない」
と言い出した。それに対して僕は反発する。
「音楽的にはなるべく沢山の男声合唱でやりたい。そうでないと、この長いコンチェルタートの部分が充分に響かない。一方、後から乱入してくるマンリーコの家臣は少なくてもいい。少ししか歌うところがないんだから」
「でもね、演劇的には、後から入ってくるマンリーコ兵の方がどう見ても優勢に見えなければならない。修道院に忍び込んでくるルーナ伯爵の家臣は、本当は10人くらいでもいいんだ」
「馬鹿言っちゃいけない!それではヴェルディの音楽が成り立たない」
しばらく口論が続く。
 僕はなるべくルーナ伯爵の家臣に沢山合唱団員が欲しい。ウルリッヒはマンリーコ兵が沢山欲しい。二人の間に接点はない。まだ30代の若い指揮者のピエトロ君は、口論から逃げてしまった。しかし・・・しかし西洋人は偉い。必ず妥協点を見出そうとしてくれる。ウルリッヒが言い始める。
「それではこうしよう。せめて同数までなら妥協できる。マンリーコ兵の衣裳は24点までしかないから、ルーナ伯爵の家臣も24人までなら認めよう」
「ありがとう!」
「その代わり、ルーナ伯爵の家臣から4人がマンリーコ兵へ衣裳の早替えをしなければならないけど、いいね」
「もとよりそのつもりだ。それでは精鋭の4人を選ばせてもらうよ。本当は男性全員の44人全員をルーナ伯爵の家臣として歌わせ、その内の24人を早替えしてマンリーコ兵とするのを理想として練習していたんだからね。まあ、そううまくいくとも思っていなかったけどさ」

 こんな具合に、西洋人とやり合うためにはテクニックが要る。まず、自分の理想とするところをダメモトで相手にぶつける。この点で最初から妥協してはいけない。理想は高く持たなければならない。そのことによって、自分と相手の意見がどれだけ離れているか互いに確認出来るからだ。それを確認した上で、互いにその意見が正当であることをそれぞれ主張しながら、同時に相手がどう言ってきたらどう妥協できるか、同時進行で探るのだ。ここが一番難しい。おそらく日本人が最も慣れていないポイントだと思う。
 日本人は、男が一度言い出したら、その意見を途中で曲げるなど男らしくないと思うだろう。だが西洋人は意見を曲げることをなんとも思っていない。弁証法というのがあるだろう。弁証法とは、互いに議論しながら発展していって真実に近づいていくことを言うが、発展するということは要するに意見が変わっていくということだからね。逆に言えば、二人の意見が変わらなければ、それは議論とは言えないんだ。
 ということで、ウルリッヒとの議論の途中を見ていた人達は、僕が演出家相手に“喧嘩”していたと映ったかも知れないけれど、僕たちはこの後、同じように仲良しだし、相手を尊重し合っているからね。これは二人で“議論というゲーム”をしていただけに過ぎないのだ。でもこのゲームはとても大事だ。それをすることによって、互いに相手がその事に対してどれだけ真剣に取り組んでいるのかを確認し合うことが出来るのだから。
 日本人の場合、こういう局面で波風立てるのを恐れて最初から妥協してしまうから、外国人にナメられるのだ。ナメられるだけならまだいい。彼等は日本人のことを、
「最初から妥協してしまうくらいなんだから、どうせ真剣に考えていないんだな」
と思って失望し、軽蔑すらするようになるのだ。この点は日本人と西洋人の間の大きなギャップであり、この溝はなかなか埋まりそうもない。

カンブルランのベルリオーズ
 9月9日金曜日。ベルリオーズ作曲劇的交響曲「ロメオとジュリエット」のマエストロ稽古。フランス人指揮者のシルヴァン・カンブルランの前で、僕の指導したフランス語合唱曲を披露するのだから、緊張していないと言えば嘘になる。
 でも、控え室で会って細かい打ち合わせをした時から、カンブルラン氏はとても気さくで、他人をリラックスさせる不思議な雰囲気を持っている事に気付いた。合唱団の並びや、僕がバランスなどを配慮して譜面と違うことを施して練習していたいくつかの箇所については、
「まあ、やってみてから様子を見よう」
という、とても柔軟な態度を見せてくれた。
 僕は彼とフランス語で話そうと思って、挨拶などはフランス語で行ったが、彼が他のフランス人ソリスト達とネイティヴ同士のもの凄い速さで会話するのを聞いてしまってから、なんとなく気後れしてしまって、気が付いたら英語で会話していた。

 さて、練習は12人のプチ・コーラスから始まった。このプチ・コーラスは、序曲の後すぐに歌い出し、前半ずっと歌いっぱなしで、物語をレシタティーヴォのように語っていくので、フランス語の正しい発音は勿論のこと、様々なニュアンスが要求される。アルト4人、テノール4人、バス4人という、ソプラノのない変則的な編成は、ベルリオーズの意図したもの。
 カンブルラン氏は、さすがフランス人だけあって、さまざまなニュアンスをつけて曲を表情豊かに味付けしていく。ところどころリエゾンの仕方を直されたり(リエゾンするしないは、法則で決まっているもの以外は、個人の趣味に任せられている)、ドイツ語のウムラウトに相当する母音の色を直されたが、しばらくしてからマエストロは僕の方を向いて、「君のフランス語指導は素晴らしいじゃないか!」
とニコッと笑いながら言ってくれた。僕は、嬉しいというよりもホッと胸をなで下ろした。 それから残り百人の大合唱が加わって、終曲から練習。速いところは極端に速くて、言葉が追いついていかないほどだが、何度か練習する内に慣れてきた。カンブルラン氏はとても耳が良く、音程に敏感で、ピアノの表現にいろいろこだわりがある。でも、合唱団の能力を引き出すためにも、練習は細かく厳しい方がよい。

 休憩時間にいろいろお話しした。彼はシュトゥットガルト放送管弦楽団の常任指揮者を長く務めていたり、来年からはシュトゥットガルト歌劇場の音楽監督になるなど、ドイツにも縁が深く、ドイツ語もしゃべるが、僕たちは結局英語で会話を続けた。オペラのレパートリーも多く、80曲ものレパートリーがあると語っていた。その中でも「ニーベルングの指環」全曲も何度も指揮しているし、メシアン作曲「アッシジの聖フランシスコ」などは何十回と指揮しているそうだ。想像していた以上のオペラ指揮者なのだ。
 そのせいもあって歌のことをよく知っている。どこが歌手にとって歌いずらいか、どこが合唱団にとってバランスが取りずらいか、即座にメスを入れていくので、合唱団はどんどん良くなってくる。練習が終わる頃には、僕とカンブルラン氏はすっかり意気投合して、お互いの信頼関係を築くことが出来た。凄いなあ。こういうのがヨーロッパの底力というものだな。

よみうりランドへ自転車で
 9月10日土曜日。今日は、よみうりランドにある読売日本交響楽団練習所でのオケ合わせ。僕は家から自転車で行った。多摩川を渡り、府中街道を川崎方面にどんどん行く。京王稲田堤(けいおういなだづつみ)の駅に着くと、バスを待っているオケの団員達や、最初のバスに乗り遅れてオケの団員用のバスに乗せてもらおうとしている合唱団員達、それにバイクで来ている何人かの合唱団員達がダベッていた。読響練習場に行く人達は、ここからバスで送迎してもらうのだ。
「おおっ、また自転車で来ましたね」
みんなが口々に言う。
 今日は快晴だが、朝から予想以上に気温が高く、思いの外汗をかいている。暑い!だが問題はこれからだ。ここから山のてっぺんの練習場までかなりきつい登り坂が続いている。ここに自転車を置いてバスに乗せてもらおうかな、などと弱気なことを考えてしまうが、みんなの手前そうはいかないし、それでは運動にならない。
 やっとの思いで坂を登り詰め、練習場に着いた。今日は、マエストロのはからいで、大コーラスは午前中で終わりだが、プチ・コーラスは午後まで練習がある。そのため、この練習場の食堂の昼食の食券を買った。なになに?ランチとうどんとカレーとあるようだな。では400円のランチにしよう。楽しみだな。早くお昼にならないかな。

 オケ合わせが始まった。初めての曲だし、オケの音も初めてなので、みんなタイミングをつかむのに苦労している。そのため、出ている声は70パーセントくらい。でもこれでいい。初日はむしろ歌うより聴いた方がいいのだ。
 アマチュアの合唱団は、逆にオケになると興奮して120パーセントくらい声を出してしまうことがよくある。それで、自分たちが作り上げてきた音楽を自分たちで壊してしまう。そんな時の僕の練習後のダメ出しは厳しいものになってしまう。でも、プロの合唱団はもう少し賢いので、僕のダメ出しも今日は優しい。
「この稽古場では、みんなが聞こえてきたオケの音に合っていればOKなのです。指揮にあっているというよりか、オケに合っていることの方が大事なのです。オケと指揮者のタイミングというのは、演奏箇所によって微妙に前後しているので、そのタイミングを今日明日の内に掴むことが必要です。でも、本番会場のサントリー・ホールでは、また違う音響状態になるので、その件についてはまた明日指示を出します。それと、弱音の時に言葉が消えてしまわないように」
マエストロは、厳しいけれど始終ポジティヴで、オケや合唱の様々な箇所を自分のイメージに近づけるべく作り上げてゆく。

 お昼になった。今日のランチは、サバの味噌煮と副食のおから、それにご飯と味噌汁とおしんこというヘルシーな食事。今日の僕にはちょうどいい。何故なら今晩は、あるお客様を招待して、ここでもよく紹介しているフランスレストラン・エピに行くので、お昼のカロリーは控えたいのだ。僕はご飯を軽く盛ってもらって、さっぱりと昼食をとった。
 午後はプチ・コーラスの練習。「マブの女王の歌」という速くて難しいスケルツォを、フランス人のテノールが鮮やかなフランス語でさばいていく。我らがプチ・コーラスもなかなか奮闘していますぜ!

 練習が終わると、僕は自転車で坂を下りる。ヤッホーッ!今度は全くペダルを漕がなくていい。どんどんスピードが出るぜ!この快感を味わうために、あの辛い登り路をフウフウ言いながら漕いできたのだ。そして再び京王稲田堤駅に辿り着き、川崎街道を下るが、行く先は自宅ではない。僕はそのまま府中生涯学習センターに行って泳ぐ。だって、夜フランス料理だもの。究極的にカロリーを消費してから行くんだ。

Fさん、ありがとう!
 今日の夜の「イル・トロヴァトーレ」の合唱練習が、ソリストだけの稽古に急遽変わって合唱が休みになったので、僕はイタリアに行った時にとてもお世話になっていたFさんを、あらためて食事に招待した。
 彼女は、本当は長年住み慣れたミラノを3月いっぱいで引き上げて、4月から東京文化会館で勤務することになっていたが、僕のために出発を遅らせてくれた。そして、僕の生活のメドがついたのを見計らって帰国したのだ。現在では、東京文化会館の合間に、週に1日か2日、新国立劇場にも出勤している。
 僕は、帰国後すぐに彼女を招待しなくてはいけないと思っていたが、そのまま子供オペラのプロジェクトが始まってしまい、その後もなんだかんだで全然時間が取れず、こんな遅くなってしまったのだ。
 ミラノ滞在も長く、舌の肥えている彼女だが、エピの食事には心底喜んでくれたみたいで、僕は嬉しかった。またミラノの話に花が咲き、とても楽しい語らいのひとときを、エピのシェフお薦めのブルゴーニュ・ワインとともに過ごした。
 それにしても、彼女がいなかったら、僕のミラノ滞在はあり得なかった。スカラ座の初日に、各セクションを回って、僕を内部の人達に紹介してくれた他、本当に何から何まで面倒見てもらったのだ。ありがとうFさん!

久し振りのヨシギューに感動
 9月11日日曜日。今日もよみうりランドまで自転車。府中方面から行って是政橋を渡った後、南多摩駅の方に向かわずに堤防の上を行ってみる。河川敷に野球グランドが二つ並んであり、試合の準備をしている。そこを過ぎると、河川敷とは反対側にキャンプ場があって、テントが並び、人々が楽しそうにくつろいでいる。いいなあ、面白そうだなあ。今度キャンプしてみたいなあ。まあ、なにもここでしなくてもいいか。するならもっと山の中とかだな。
 読響の練習が始まった。合唱団は、昨日から見ると見違えるように声が出ているし、マエストロのテンポもオケのテンポも掴んできて、落ち着いて音楽が出来るようになってきた。よし、予想した通りだが、この曲は独創的な分だけ難しい箇所が沢山あり、まだ本番まで予断を許さない。
 合唱団の箇所は午前中で全て終了し、僕は再びダメ出しをする。サントリー・ホールは後ろのオルガン前の客席、すなわちP席での演奏なので、この練習場と同じタイミングというわけにはいかないが、かといって極端に早いタイミングで歌う必要もない。歌い始めは突っ込み気味で、流れに乗ったらむしろ落ち着いて、明日のゲネプロで歌ってみましょうという指示を出して解散。
 
 僕は同じように山を自転車で駆け下り、川崎街道沿いを進む。もう1時過ぎているので、お腹がすいて家までとても持ちそうもない。見ると吉野屋がある。牛丼かあ、しばらく食べてないな。僕は無性に食べたくなり、気が付くと自転車を止めている。
 久し振りに食べたヨシギューは衝撃的にうまかった!僕は昔から隠れたヨシギュー・ファンだが、血糖値を下げるためにダイエットを始めてから、ずっと遠ざかっていた。おしんこに唐辛子を死ぬほどかけて醤油をちょっとだけ垂らす。それと牛肉の上にこれまた死ぬほど紅ショウガを散らす。この紙のような薄いペラペラな油肉の混ざった牛肉よ!ほのかな甘さよ!溶けかかったタマネギよ!おお、なんというしあわせ!

熱中症一歩手前
 すっかり良い気持ちになった僕は、再び多摩川の堤防の上に自転車を走らせる。是政橋を渡った後も、府中側の堤防の上のサイクリング・ロードを行くことにした。ところが照りつける日光の強さにすっかりやられた。多摩川とその向こう側の聖蹟桜ヶ丘の風景が揺れているのが陽炎なのか自分のめまいなのか分からない。だんだん意識朦朧となってきたぜ。
 やっとの思いで家に着き、近くの自動販売機で買ってきたスパークリングのポカリスエットを一気飲み。タンタンを抱えて寝室にあがり、クーラーをつけてお昼寝した。ふうっ、熱中症一歩手前でした。みなさん、こんな時、ポカリスエットは偉大な力を発揮しますよ。 やっと体調が戻ってきたので、パソコンに向かい、この原稿の最初の方を書き始めてから、また自転車に乗って府中方面に向かう。夜は「イル・トロヴァトーレ」の練習だ。今日は忙しい。

劇場人
 今日の立ち稽古も問題が起きそうな予感。第2幕ラストのマンリーコ兵が乱入してくる前に、修道女達が現れる箇所がある。この修道女達の衣裳が12点しかない。そして今日の立ち稽古には、その衣裳をつける12人の女性しか呼ばれていない。
 立ち稽古はまずピエトロの音楽稽古から始まった。彼は12人の女性達を相手に裏の女声合唱から念入りに練習をつける。ところが音楽稽古が終わって立ち稽古が始まってみると、演出家のウルリヒは、この女性達を二手に分けて、裏コーラスの最後の方で下手からレオノーラと共に登場する人達と、上手の奈落からセリで登場する人達とに分断してしまう。
 ピエトロ君はあっけにとられているが、僕はウルリッヒのことだから、これくらいやるなと思っていた。だから、ピエトロがこの12人相手に音楽稽古をつけても、むしろ意味ないことになるのではと予想もしていた。それでピエトロに言った。
「12人の彼女たちは二つに分断もされているし、裏コーラスの最後で移動もしているので、裏コーラスはむしろ残りの30人の女性に歌わせよう。表に出てくる修道女達は、裏コーラスだけは歌わないでおいて、舞台に出てきてから歌えばいいんだ」
 すでに僕は、音楽練習で12人だけに歌わせたり、逆にそれ以外の女性達だけに歌わせたりいろいろして、それぞれのサウンドも確認済みなのだ。オペラの合唱指揮者には、こういった演出家を先読みしながら、様々な可能性に対処する見識が要求されるのだ。

 その先読みのお陰で、今日はウルリッヒと口論しないで済んだよ。修道女達が舞台に登場してから動きを伴って歌う箇所では、むしろ裏コーラスの人達がカゲで歌ってもズレるだけなので必要ない。それなのにウルリッヒは逆に僕に気を遣って、
「12人で音楽的に淋しければ、修道女達が立っているすぐ後ろに空間があるから、そこに残りの女性みんなを立たせて補充すればいい」
などと言ってくれる。
それを聞いていた ピエトロ君は、
「それなら、ここから後はみんな舞台に出てくればいいじゃないか」
なんて呑気な事を言っている。
僕は言う。
「あのね、ここの場面の衣裳は12点しかないの。それに、ここはズレやすいから、12人だけでやった方がいい」
「あっ、そうか。残念だな。だけどラスト・シーンはやはりもっとボリュームが必要だろ」

 つまりこういうことだ。マンリーコ兵が乱入してきた後は、男声合唱44人になってしまうのだ。一方、舞台上にいる女性は12人のみ。このままではヴェルディの書いたコンチェルタートが成立しない。けれど衣裳はない。
 衣裳のことは、予算もあるので、すでに1年も前から決まっていたのだ。まあ1年前の時点では演出家の意図がよく分からなかったので、修道女の衣裳は12点だけだったとしても、ジプシーの衣裳のままで第2幕ラストだけ出すという可能性だってあったわけだからね。いくらなんでもオペラ演出家なんだから、第2幕ラストくらいは女性全員出してくれるのではないかと淡い期待を抱いてもいた。けれどウルリッヒはそうは考えてはいなかった。とすれば、裏で残りの女性達に歌わせるしか方法はないよね。

 こういった様々なプチ事件が、オペラの合唱指揮者では日常茶飯事に起こってくる。通常のコンサートの合唱指揮者では考えられない事だ。でも、そうしたことを大変だの煩わしいだの思うような性格の人にはオペラ合唱指揮者は務まらない。むしろ全てをポジティヴ指向で受けとめ、ゲーム感覚で、
「おっ、そう来たか。ではこう行くぞ!」
と柔軟に対応していける性格の人こそが向いている。

劇場にいるのは、人間が好きで、ドラマが好きで、熱いものを持っていながら気が長くて、繊細さを持ちながら良い意味での鈍感力も持っている“劇場人”と呼ばれる人種である。



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