京都を味わう?

三澤洋史 

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子どもと音楽
 新国立劇場合唱団によるスクール・コンサートの正式名称は、文化庁の「子どものための優れた舞台芸術体験事業」というが、長いのでスクール・コンサートと呼ばせてもらう。11月28日から12月1日まで4日間京都府内の小学校を回った。いやあ、京都というのは縦に長いんだね。日本海側の京丹後市と奈良に近い京田辺市なんて、同じ京都とは思えないほど離れている。

 市内の四条烏丸をちょっと下ったところにある洛央小学校は、公立小学校とは思えないほど近代的な建物で、体育館が地下一階、室内プールが4階、校庭が屋上にある。思い切ってスペースをとった1階の広場(ホワイエ?)には、自由に手にとって閲覧できる様々な本が見事なレイアウトで並べられている。
 と思えば、赤や黄色に染まった山間の田園風景の中にポツンと建つ素朴な校舎に、全校でわずか数十人の小学校もある。子ども達はみんな純粋で可愛いが、児童の雰囲気はそれぞれの学校で面白いように違う。たいていは、校長先生の雰囲気と似ている。校長先生って、児童達と授業を通して日常的に接しているわけでもないのに、やはりその存在感は絶大なのだ。

 年間を通じて基本的に全ての公演に出演する権利と義務を持っている“新国立劇場合唱団契約メンバー”は、劇場に残って「こうもり」公演に出ているので、このコンサートは、公演の合唱人数に応じて出演する“登録メンバー”で構成されている。登録メンバーだから契約メンバーより程度が落ちるわけではない。登録メンバーには、出演依頼が来ても出演する義務はないので、ソリスト活動をしながら演目を選んで出演したい人は、自ら登録メンバーでいることを選んでいる。
 でも、年間を通して顔を合わせる機会は、契約メンバーの方が圧倒的に多いので、こうした旅は登録メンバーと親睦を深める絶好の機会である。特に公演2日目の夜、京都駅前での無理矢理全員参加の義務づけ親睦会は、普段あまり話すことのない団員や、今年度から加わった新人団員などと、いろいろ話が出来て有意義であった。
「三澤さんが、あたしとなかなか話してくれなかったので、避けられているのかと思いました」
などという新人団員もいたが、そういう誤解を与えているのだとしたら気をつけなければいけない。
 たとえば3人新人が入ってきたとして、たまたま2人に声を掛けたとする。残りの1人が遠くからそれを見ていて、明日は自分に声を掛けてくれるだろうと思いながら何日も過ごす内、しだいに軽い失望感から不信感に変わる、などということはいくらでもあることだ。ささいなことかもしれない。けれど、そうした誤解が解消できるならば、親睦会というのはとても大事なことだなあ。
 現に、この旅の間にみんなとても仲良くなってきて、それが音楽にも現れて来た。ハーモニーが密になってきて、サウンドにまとまりと重厚感が出てきたのだ。それと、何度も子ども達の前で演じている内に、後半の「みんなで歌おうコーナー」などでの子ども達への対応が上手になってきて、コンサート自体の雰囲気がとても良くなってきた。善良でなごやかな波動があたりに漂っている。

 僕の編曲した「さんぽ」で体育館後方から児童達の横を通って歌いながら入場すると、毎回彼らのびっくりして目をまん丸に開いた顔と出遭う。演奏の合間にスピーチをするために彼らの方を振り返ると・・・・キラキラした瞳に出遭うと表現したいところだが、実際には違う・・・・彼らは一様に口をぽかんと開けている。
 彼らは、今自分たちが受けているものを把握し切れていない。たとえは良くないかも知れないが、急に自分の乗っている電車が脱線して建物に激突したように、
「なんだ、なんだ!何が起こったんだ?」
という顔をしている。大人のように、
「ああ、いい音楽を聴いてよかったな」
などと即座に整理して、カテゴリー毎に自分の心の棚にしまって、なんてことは、子どもには出来ないのだ。自分の魂に押し寄せた奔流にあっけなく溺れていて、それを咀嚼することも消化することも出来ないでいる。恐らく彼らは“何年もかかって”それを少しずつ咀嚼していくのではないかと思われる。
 僕も思い出す。たしか、小学校5年生の時だったと思う。群馬交響楽団が自分の小学校の体育館に来た時の事を・・・・大人になってから、数え切れないくらいコンサートに行ったけれど、みんな忘れてしまったのに、そのコンサートのことはまるで昨日のように鮮明に覚えているのだ。
 そのくらい、子どもというのは全身で受けとめているのだ。それを思うと全身が震える。自分たちが今やっていることの重大さをもっともっと感じなければいけないと思う。子ども達に音楽を与えているのではない。子ども達から大切なものをいただいている。これらの演奏を通して僕達は最も価値のあるものに触れているのだ。

ああ、音楽って素晴らしい!
そして音楽ほど神聖なものはないと思う。

京都を味わう?
 せっかく紅葉の美しい晩秋の京都に来ていながら、小学校で午前中リハーサルをしてお弁当を食べ、午後にコンサート、それからバスでホテルに戻ってくるというスケジュールでは、夕方に閉まってしまうお寺を巡ることは難しい。この時期だから日照時間が短く、すぐに暗くなってしまうしね。一番観光に適している時間に働いているので、結果的に観光らしい観光は出来なかった。まあ、演奏旅行がメインなので仕方ないでしょう。
 京丹後市の大宮第三小学校のコンサートの後、バスで長時間揺られて午後6時過ぎに京都に着いた最初の晩に、志保と2人で行った湯葉の店がおいしかった。もしかしたら、それが今回の京都旅行で一番京都を味わったことになるかも知れない。

 それでも多少はお寺を観て歩いた。僕にとって一番便利なのは朝の散歩だ。京都で迎えた最初の朝は南に行く。ホテルは駅のそばだから線路を越えるとすぐ東寺がある。東寺の境内に入り、五重塔を眺めながら通り抜ける。紅葉する木々が五重塔とマッチして独特の風情を醸し出ていた。
 実は、この散歩には目的があった。この先に室内プールがあるので、その場所を確かめに行くのだ。その日は、午後6時から懇親会があったので、洛央小学校のコンサートが終わってホテルに戻ってきてひと泳ぎしてから懇親会に行く。もうこれで1日が終了。京都まで来ていながらプールとはロマンチックではないね。でも、これも体調管理のためには必要なんだ。

 次の朝は東に行く。するとすぐに鴨川に出た。普通の川なんだけどなんか素敵だね。長い歴史を背負っているオーラを発散している。それを渡ってやや北上すると三十三間堂あたりに出る。本当は清水寺まで行きたかったのだけれど、やっぱり1時間コースの散歩としてはちょっと遠い。その辺をぐるぐる回って東本願寺の正面を通って帰ってきた。
 普賢寺小学校コンサートの後、夕方は清水寺へ行こうかなあとか、また泳ごうかなあとも思ったが、昨晩の懇親会のせいか旅の疲れが出ているので、どっちもやめて、ホテルで少し休んだ後京都駅に行き、駅ビルの長い階段のところに飾られたクリスマス・イルミネーションを見ながら、ミスター・ドーナッツのテラスで読書。これが案外気持ちが落ち着いて良かった。
 夜はプロデューサーとピアニストすなわち志保と3人で(この場合の志保は娘としてではなく、指揮者である僕が半オフィシャルにピアニストとして接待)地鶏料理を食べる。2人につられて、僕も普段あまり飲まない日本酒を飲む。
 このプロデューサーは、大学時代に男声合唱を歌っていて、僕が今度東大音楽部コールアカデミーの演奏会で多田武彦の「わがふるき日のうた」を振るんだというと、その一節を歌い出すんだ。タダタケの中でもちょっとマイナーな曲なのに良く知っている。以前にも「富士山」をやった時には、話をしたらいきなり「ふーもとにーは-、ふーもとにーはー」と、メロディーではなくバリトン・パートを歌い出したっけ。
 それだけではない。彼とは二期会時代からもう20年も付き合っているのに、若い頃彼がチック・コリアの「リターン・トゥー・フォーエヴァー」やジョン・マクラフリン率いるマハヴィシュヌ・オーケストラの「火の鳥」なんかを好んで聴いていたなんて話を、その晩初めて聞いたよ。彼はロック・オタクだったそうである。僕はジャズに傾倒していたから、共通項といえばマイルス・チルドレンのフュージョンというわけなのだ。

 最後の朝は北に行く。ホテルは堀川通りに面しているので、北上するとすぐに左手に西本願寺がある。こんな風に駅の近くにも徒歩で行けるところに大きなお寺がいくつもあるのが京都だね。演奏旅行というのは本番を抱えているから、このくらい見て歩くだけで精一杯。いろんなところに行っても意外と羽が伸ばせないのだ。今回は写真もロクなのを撮らなかった。
 僕なんかまだいい。志保は、毎日コンサートが終わると、夕食までは貸しスタジオを借りて練習していた。彼女は僕のように朝の散歩はしないから、京都まで来ていながら、まさにホテルと小学校と狭い貸しスタジオしか知らないんだ。これが演奏家というものだ。

 何?つまらないだろうって?いやいや、そうでもないんだよ。美しい景色を見て歩くのもいいけれど、水泳や読書やピアノの練習など、自分の内面と対話するのも充実感があるのだ。なにしろ、内面というのは無限の広がりを持っているのだからね。

12月1日木曜日
 京都から帰ってきたら、次女の杏奈が帰国していた。彼女は急に厳しくなったフランスの外国人対策の犠牲になって、9月の渡仏直前にあろうことかビザが取得出来なかったため、とりあえず3ヶ月だけパリに戻ったのだが、ここで再び帰国してビザを取り直す。僕たちが旅に出ている間にフランス大使館に行って面接を受けてきた。
 今度はパリのメイク学校からきちんとした証明書が出ているので大丈夫だと彼女は言うが、ビザ取得が決まるまでは楽観出来ませんなあ。サルコジ大統領になってから、明らかに外国人排斥政策が進んでいる。
 杏奈は、モッツァレッラやゴルゴンゾーラやミモレットなどのチーズやパテをお土産に買ってきたので、僕は牛肉のかたまりを焼いて切り分けるタリアータtagliataをして、木曜日の晩は、我が家ではちょっとした宴会状態となった。

12月2日金曜日
 今日は、イタリア語のレッスンが先生の都合で休みになったので、本当に久し振りに完全オフの休日となった。でも雨がしっかり降っているので、お散歩に行けず朝から調子が抜けた。午前中にたまった事務的仕事を片付け、午後は電車で立川に出る。立川からモノレールに乗って柴崎体育館駅まで乗り、室内プールでゆったりと泳いできた。
 その後、立川のディスク・ユニオンでラドゥ・ルプーのベートーヴェンのピアノ・ソナタのCDを買ったり、ビック・カメラでプリンタのインクやA4用紙を買った。それから、のんびりと珈琲を飲んで休日を満喫しながらくつろいだ。
 最後に駅ビルの地下に行って、ベーコンやソーセージを買った。このベーコンとソーセージには理由がある。明日は教会のバザーだ。妻はそこに自分で作った様々な物を商品として出すが、同時に喫茶部にドイツ風料理も提供する。今年はミュンヘン風白ソーセージということである。そこに付け合わせとしてザワー・クラウトを出す。
 日本ではドイツ料理屋などでもよく安易に缶詰から開けたままのザワー・クラウトをそのまま付け合わせにするが、ドイツでは考えられない。必ずうまく味付けをしてコトコトと煮込んで、そのレストラン独自の味として出すのだ。
 僕の料理するザワー・クラウトはねえ、本場のドイツのいろいろなレストランの味からいいとこ取りをして調理しているので、自慢じゃないんだけどおいしいんだ。そこで妻は僕をおだてて、まんまと僕にザワー・クラウトを作らせることに成功した。単純な僕は乗せられて、立川で買ったベーコンとソーセージを細かく切って入れて煮込んだ、大鍋いっぱいの極上のザワー・クラウトを作ったというわけだ。

12月3日土曜日
 今日は忙しかった。朝から日本キリスト教団荻窪教会で12月23日に行われるクリスマス・オラトリオ抜粋演奏会の練習。今日は本番の荻窪教会で行った。こじんまりしているけれど素敵な教会。備え付けのパイプオルガンの音も美しい。午後はソロを歌う団員達のレッスン。
 夜は、東京大学音楽部コールアカデミー演奏会のための練習。本番は12月10日土曜日なので、もう佳境に入っている。僕の指導も容赦しない。最後に全曲を通した時に自分が持ってきた録音器械で録音したが、興奮しすぎた団員があちこちで頑張りすぎて破綻をきたした声が入ってしまった。
 これを僕は今週の新潟富山福井方面の新国立劇場合唱団スクール・コンサートの旅の最中で聴きながら暗譜するつもりだが、あの破綻をきたした声を毎日聴くのかと思うと辛いものがあるなあ。東京に帰ってきて9日の夜に最終練習があるが、ここでなんとか最後のサウンド作りをしなければいけない。

12月4日日曜日
 教会のバザーでミュンヘン風白ソーセージの付け合わせとして売り出したザワー・クラウトは大変な人気でたちまち売り切れたそうだ。一度食べた人がおいしいのでさらにテイクアウトしたりしてくれたそうだ。
 今日は、新国立劇場で「こうもり」公演を観てから、旅先である長岡に向かう。「こうもり」では、契約メンバーを中心とした新国立劇場合唱団が頑張っていた。僕の留守をつとめてくれている冨平恭平(とみひら きょうへい)君も合唱団もたのもしい限りだ。
 安心して劇場を離れ、新幹線に乗る。でも、高崎を通り過ぎ長いトンネルを抜けて越後湯沢に辿り着くが、雪がない。越後湯沢までは僕にとっては慣れたルートだ。毎年ガーラ湯沢にスキーをしに来るのだ。だからここで雪がないのはとても淋しい。
 長岡に着いた。東京よりも寒いものの思ったより温かい。しかも雨が降っている。どうも新潟県というとスキー目線で思考しているので、雨というのは気持ちが滅入る。ホテルに着いて荷物を置いてから部屋を出て駅前の居酒屋に入り、いろんなものを頼んだが、イカの一夜干しのてんぷらというのがすごくおいしかった。
 志保は、今日はなんと昼間びわ湖ホールで仕事をしている。沼尻竜典氏の指揮する「ドン・ジョヴァンニ」公演で照明のキュー出しをしてから東京に戻って、そのまま長岡まで来るが、真夜中の最終電車で着く。

さて、明日からまた4日間のコンサートが待っている。早く寝ようっと。



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