メリー・クリスマス!

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

メリー・クリスマス!
 クリスマス・イヴには毎年働かないと決めていたけれど、今年のイヴが土曜日のため、読響第九が昼間の公演になり、夜のミサに間に合うというので公演に立ち会うことにした。それで久し振りにイヴに働いた。
 まあ、働いたといっても、歌うのは新国立劇場合唱団で、僕は演奏を聴いていて、必要に応じて次の日にダメ出しをしたり、終わってから合唱指揮者として舞台上に登場するだけなので、労働をするという感じではない。

 でも今日(24日)は、終わってからちょっとあわただしかった。急いで楽屋を出て、京王線に乗って府中駅に着くと、そこに妻の車が待っていて、カトリック立川教会まで車を走らせた。聖歌隊の練習があるからである。彼らは僕のスケジュールに合わせて、僕が到着するであろう4時45分に信者館に集まっていた。第一回目の降誕祭ミサが6時に始まるので、僕が遅れると練習時間がそれだけ短くなるのである。
 僕達家族は6時のミサに出た。昨年は杏奈がパリにいたので、久し振りに家族4人揃ってミサにあずかる。いいね。娘達が小さい頃からずっと毎年そうしてきたのだから。彼女たちは、見かけ大人になったけれど、いつまで経っても同じ顔をしているし、こうして4人一列に並んで聖歌なんか歌っていると、ずっと昔から全然変わっていない家族の姿がある。

 このミサが終わると、娘二人は先に家に帰って、今夜の食事の準備をしてくれることになっている。妻はいろいろ教会内で立ち回り、僕は聖堂内で聖歌隊の最終練習を行う。最近の立川教会で恒例となっているのが、9時の第二回目のミサの前の「キャロル演奏」だ。これが8時15分から始まる。この時の為に信者有志で組織され、練習を重ねていた聖歌隊が演奏する。僕は、忙しいので申し訳ないけれど、当日だけ飛び込みで練習をつけ、仕上げて「キャロル演奏」に臨むのである。
 でも聖歌隊は進化していた。メンバーも増え、男性の割合も多くなったのでパート・バランスも良くなってきた。教会の信者達の演奏はいいな。うまいへたということではなくて、やはり信仰があるからだろう。演奏の中に何かプラスアルファーがある。

 「キャロル演奏」が終わると、僕達夫婦はもう9時のミサには出席しないで、妻の車で家に帰る。娘達が料理を作って待っていた。そして家族でクリスマス・イヴの夕食だ。今年は4人居るのでにぎやかだ。そういえば、二人の娘がパリに留学していた時は、妻と二人だけの夕食というのもあったな。その頃パリでは、娘達も、子どもの頃からずっと続いている家族のクリスマス・イヴ夕食を思い出していて、二人で買い物をして料理を作って祝い、その写真を送ってきてくれたっけ。

 今年は杏奈が頑張って、素晴らしい料理を作ってくれていた。志保も手伝ったが、杏奈の話では、テレビを見ている時間が多かったという。献立は以下の通り。

スモーク・サーモンとアボガドの前菜
小豆島のオリーブ(新国立劇場合唱団のメンバーに志保がいただいたもの)
リエット(フランスでよく食べられる豚肉のパテのようなもの)
生ハムとアンディーブのサラダ
レンズ豆のスープ
ロースト・ビーフ
 毎年のように、家長の僕が食前の祈りをする。
「神様、今年もこうして家族みんなが元気でクリスマス・イヴを迎えることが出来ました。感謝いたします。でも、このように暖かい部屋で、家族と共にイヴを祝うことが出来ない沢山の人がいます。その人達の上にもあなたの豊かな恵みをお与え下さい。来年のクリスマス・イヴも、こうしてみんなが元気で無事に迎えることが出来ますように・・・・」

 シャンパンが空けられ、杏奈がローヌで買ってきたブルゴーニュ・ワインをみんなで飲む。僕の家族は、全員お酒を飲むので楽しい。って、ゆーか、僕が一番弱い。うーん、うまい!おいしいワインというのは、あれだね。瓶を空けて置いておくと、刻一刻と味が変わってくるのだ。最初のちょっと硬い感じも悪くない。それが空気と混ざってどんどんまろやかになってくる。ブルゴーニュ・ワインは色も薄く、決してワイン自体が濃厚ではないが、タンニンのもつ渋みと、樽の香りとが混ざり合って、なんともいえないふくよかな充実感を作り出している。ワインは実に奥が深い。それにロースト・ビーフなんかと一緒に飲むと、これがまたたまんないね!

 この家族と過ごす幸福感。これが僕の音楽活動のエネルギー源である。楽しい語らいの中、三澤家のクリスマス・イヴは静かに更けていった。

教会で聴くクリスマス・オラトリオ
 そのイヴの1日前、日本キリスト教団荻窪教会で、東京バロック・スコラーズによる「教会で聴くクリスマス・オラトリオ」演奏会が行われた。これはクリスマス・オラトリオ全曲から抜粋して、ナレーションを入れてつなぎながら約1時間にまとめた演奏会だ。14時と16時との2回、公演を行った。
 荻窪は不思議な街だ。この教会が荻窪音楽祭の会場になっていることもあり、近所の住民の方達がふらりと演奏会に来るのだという。そのふらりの客が予想を超えて多かったようだ。特に14時の公演の方は、予想を越えて沢山の人が来てくださり、30分前の時点ですでにほぼ満員になってしまった。入り口の外にまで椅子を並べてもまだ足らない。
 最後には、
「4時にもまたありますから」
と言ってかなりの方に帰ってもらったという。申し訳ないことをしたと思うが、嬉しい悲鳴である。
 そうやって教会中に所狭しと場所を占めてくれた聴衆の集中力は凄かった。僕のナレーション原稿は、キリストの降誕の証人となった羊飼いたちと東方の三人の博士達に焦点を絞ったものである。天使のお告げに従ってベツレヘムに駆けつけた羊飼いたちの“ただちに従う無心な純朴さ”と、長い旅路の果てに黄金、乳香、没薬を幼子に捧げた博士達の“与えきるという精神”を、クリスマス・オラトリオの音楽とからめて訴えたものであるが、聴衆達が本当にその内容を理解し、共感し、受けとめてくれていることが、僕の方にもぐんぐん伝わってきて、逆にこちらがそれによって感動してウルウルしてしまった。

 今回、僕にとってなによりも嬉しかったことがある。それは、東京バロック・スコラーズの団員達が、教会で無料の演奏会をやるという僕の意図を自然に受け容れ、それにふさわしい波動を出しながら、聴衆と一体となってこの演奏会を作り上げてくれたことだ。
 僕が掲げる「21世紀のバッハ」というプロジェクト名の本当の意味が、僕自身ここにきてはっきりと分かってきた。ええっ?自分で掲げてながら、ここにきて初めて分かったんですかあ?とみなさんはいぶかるでしょうね。でも、僕自身インスピレーションを受けながら活動している人間なので、自分でもよく分かっていないで何かを始めたり、行っていることってよくあるのですよ。それが、やっている間にだんだん自分で気付いていくわけだ。

 3・11の東日本大震災以来、人々の心というのは少しずつ変わっているのだ。聴衆も団員自身の心も同じように少しずつ変わっている。大震災は、日本人全体の心にもの凄い痛みを与えたけれど、その痛みが、人々の魂の方向性を気が付かないうちに変えているのだ。その変わった心に、スーッと入り込んでいくように「21世紀のバッハ」は準備されていたということである。
 21世紀の後半は間違いなく霊性の時代となる。でも、そこに至るまで、21世紀前半において、人間の心は唯物論や物質主義から嫌がおうにも揺り動かされるのだ。3・11は、その始まりに過ぎない。でも、出来れば、こんな大災害によらなくとも、人々の魂が自分から霊的になっていってくれればいいと願わずにはいられない。

 とにかく、僕の使命も、どうやらその揺り動かしを助けることにあるようだ。だとすれば、新しい世界が築かれるまで、僕は死ねないということだ。

RAILWAYS 2を観てきました
 文化庁のスクールコンサートで富山に行った時、街のあちこちで映画RAILWAYS 2の宣伝をしていた。富山駅と宇奈月温泉や立山を結ぶ富山地方鉄道の運転手を主人公にしたこの映画は、全面的に富山ロケで成り立っているという。朝の散歩をした時も、街から見える雄大な立山連峰の眺めに息を呑んだが、その立山連峰をバックに走るわずか二両の電車のポスターなどが妙に印象に残っていた。

 定年を迎える初老の運転手に三浦友和が扮し、夫の定年を機に結婚前にしていた看護師の仕事を再開しようとしている妻を余貴美子が演じている。映画の情報をインターネットで調べてみたら、互いの気持ちを伝えられない不器用な夫婦のすれちがいを描いた映画ということだ。面白そうだなと思った僕は、妻と二人で見に行こうと誘ったが、彼女は忙しいので仕方なく一人で行った。

 結論から言うと、すごくいい映画だった。久し振りに泣いた。お客には初老の夫婦が多かったし、一人客でも年配の人が多かった。それらの人達が僕の周りでもみんな泣いていた。最近では夫の定年を機に離婚する夫婦というのは珍しくないそうであるが、この映画のいいところは、どのようなプロセスを経て、互いの心が食い違ってくるのか、歯車が噛み合わなくなってくるのかが、実に克明に描かれている点である。
 あとひとこと言えば戻せるヨリが、言えないために戻せないとか、思いを分かって欲しくて起こしたアクションが、逆にとられてもっと大きな亀裂を生んでしまうとか、男のちょっとした意地やプライドや見栄や、女のちょっとした甘えや、言ってもどうせ分かってもらえないというあきらめが、互いの距離をどんどん広げていく。恐らくどの夫婦にもある日常のすれ違いに、思わず微笑んだり、「そうそう!」とうなずいたり、逆に背筋が寒くなったり・・・・。
 夫婦といえども他人である。分かってくれているだろうなと思っても、分からないのである。当たり前であるのだが、あまりにも一緒に暮らしていると、なんとなくその辺が曖昧になっているのだ。互いに甘え合っているのだろう。でも、互いに甘え合いたいから夫婦になったのではないか?うーん・・・・そうとも言えないな。むしろ、互いに分かり合いたいから夫婦になったのに、分かり合う努力をお互いがしだいに放棄し、分かっていて欲しいという気持ちだけが残ったのかも知れない。

 だいたいにして男の方が呑気である。たいていの男は、妻のあり方や家庭のあり方に対しておおむね満足しているのではないか。仮に充分満足していないとしても、まあこんなものだろうと思っている。だからそれ以上シビアに求めもしない代わりに、それ以上優しい言葉をかけようとも、特に感謝の言葉を贈ろうとも思っていない。感謝をしていたとしても、いちいち言うのは恥ずかしい。第一、自分の気持ちがいつも外に向いていて、家の中で何が起こっているのかよく分かっていない。家族のために一生懸命働いているという自負だけはあるのだが・・・・。
 妻はその間に数々の不満を募らせている。特に専業主婦の場合は、夫が「お前を養っている」という顔をしているから、夫が家に居る時は夫に仕えている。いろいろやりたいことも我慢している。今晩は夫の帰宅が早いという日や、夫の休日には外出もままならない。でも夫が定年になって、自分を「養わなく」なったら?その時がリベンジの時???

 木訥な運転手の役を三浦友和が見事に演じている。三浦友和も歳を取ったな。あのモモエちゃんとの結婚から一体何年経ったんだ?国立市の僕の家からそう遠くないところに住んでいるけど、一度も見たことはない。まあ、そんなことはどうでもいい。前半の口数少なく硬い感じが、後半になってだんだんやさしい顔に変わってくるのが何とも言えない。 仁科亜季子の演ずる昔の同級生と妻の不在中に逢って、バーで一緒にカクテルを飲む時の顔なんか、ちょっとした色気を漂わせていいな。初老の男の魅力ってこんな感じか。僕にもこんな魅力が少しは漂っているだろうか?無理だな。ちょっとしゃべり過ぎだな。
 外国映画と違って、彼らが住んでいる家の台所や街角の風景などが、あまりにも等身大で拍子抜けしてしまうほどだが、そうした風景の中に何気なく立山連峰の雄大な景色や、息を呑むほど美しいお花畑などが現れると、日本という国ってなんて美しいんだろうと再確認をする。

 特に年配の男性が行くべき映画です。夫婦連れで行く事を薦めます。間違っても愛人と行かないように。でも、
「あなたはやっぱり奥さんのところに戻るべきなのよ」
と言いいながら相手が去って行くのを望んでいる人は、意図的に行くのもアリかも。ともあれ、この映画を観た後で、今からでも奥さんを大切にしようと思わない人は、奥さんに逃げられても仕方がない人です。

立教OBの方からの感想
 演奏をする度にいろんな批評をいただく。肯定的なものからかなり辛口のものまで様々ある。演奏者は批評など気にしないのではとお思いの方もいるであろうが、僕の知っている限り、全く気にしない演奏家は恐らく一人もいない。
 ただ、ネガティヴな批評をいただいても、そういう批判が出ることをあらかじめ承知で意図的に演奏を行うとか、自分のこのこだわりは変えられない場合とかあって、何でもご要望にお応えするわけでないことは言うまでもない。特に、全く見当違いの批評をされた場合には、反省のしようもないし、仮に褒められても、こそばゆいばかりで嬉しくもない。

 そうした中で、12月10日の東京大学音楽部コールアカデミー演奏会における、OBのアカデミカ・コールとの合同ステージに対するある方からの感想をいただいて、とても嬉しい思いをした。
 それは、ある立教大学OBの方がアカデミカ・コールの団員宛に送ったメールで、それを僕の所に転送してきてくれたものである。三好達治作詩、多田武彦作曲、男声合唱組曲「わがふるき日のうた」の僕の指揮と音楽作りについて、その方は、
「音楽にムダがない。求めるものに対し、まっすぐに切り込んでいる」
と端的に評した。
 それから彼は、カール・ベームがかつてバイロイトで「トリスタンとイゾルデ」を指揮した際に言った言葉、
「この悲劇は、ただ一つの巨大なクレッシェンドに支配されるべきである」
を受けて、
「三澤先生の『わがふる(き日のうた)』もまた、『かかるよき日もいつの日か、われの死ぬ日と願いてし』に向かった、大きなクレッシェンドだったのだろう」
と述べておられる。

 まさに自分の心を見透かされた思いである。この歳になって、もし自分の指揮のフォームに変化が見られたとすれば、それは「ムダをはぶく」ということを徹底的に心がけた結果である。それと、音楽作りにおいても、なるべく余計なことに目を奪われず、まず大きな設計図を作ることから始めているのだ。勿論、個々の箇所の様々な風景や表情を丁寧に描き出すことがなかったならば、音楽は無味乾燥になってしまう。
でも、
「ここは良かったけれど、その後が緊張感が緩んで退屈になってしまい、全体を通した後では結果的に説得力に欠けた」
という演奏では、個別の表情は決して生かされないのである。

 人が「ムダがない」と感じる時、それは逆に言えば、「必要なもので全て満たされている」ということである。つまりムダを切り詰める前に、必要なものが入っていないとダメなのである。そして必要なものが出そろった時、今度はムダを切り詰めていくわけだが、その時、最も危険なことは「愛しすぎる」ということである。
 つまり、個々の場面を見ていくと、必ず、
「ここ、いいなあ」
と思う場面があるのだが、その時、大きな設計図との相克が起きるのだ。勿論、自分が発見した表現があまりにも素晴らしくて、その表現をメインにしようと考えを変えて、設計図自体を書き変えるということも起こり得る。でも、そんなところがあちらにもこちらにも出てきた場合は、今度は収集がつかなくなってしまう。つまり、ムダとは、クズでもガラクタでもなく、むしろ愛すべきものだからこそ、切り詰めるのが困難なのだ。
 だから基本的には、どんなに個々の場所を愛していても、曲の構築性を考えて必要ないと思えば、設計図に従って思い切ってバッサリ切る勇気が必要なのだ。感情と理性との戦いである。その双方が互いに強ければ強いほど、作曲でも演奏でも優れたものに仕上がるのだ。
 こうした操作の達人がベートーヴェンである。ベートーヴェンが一つのソナタを作曲した後の“心のゴミ箱”には、恐らく無数の採用されなかった美しい断片がころがっているであろう。立教OBの彼が、僕の音楽作りを「ドイツ的」と思われたことは、そもそも僕自身の音楽作りが、バッハやベートーヴェンのドイツ音楽を基本に行われていることと無関係ではない。

 実に嬉しい!ご本人の了解を得たので、あえてここに全文を掲載させていただく。本題に入る前の前振りが長いが、論点の明快な名文だと思いませんか、みなさん!

良いお年を!
 さて、年末は白馬だ!スキーが僕を呼んでいる。この「今日この頃」も一週間お休みします。また来年も音楽家としてますます精力的に活動し、「今日この頃」も精力的に書きまくります。
 今年もありがとうございました!いろいろが厳しい世の中ですが、みなさん、お元気で良いお年をお迎えください!



Cafe MDR HOME


© HIROFUMI MISAWA