新国立劇場の新年

三澤洋史 

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小澤征爾VS村上春樹
 年末は白馬で過ごしたが、その話を書いたらとても長くなってしまった。スキーに興味のない人が読んでも面白くないだろうから、後半の「白馬編」は読みたい人だけが読んでね。
 その白馬スキー・ツアーにある本を持って行った。すぐ読み終わると思ったが、スキーの後は思ったより疲れて何もする気が起きなくて、結局年明けまでかかってしまった。でも通常だったら、あっという間に読み終わってしまっただろう。何故なら、もの凄く面白い本なのだ。

 その本は「小澤征爾さんと音楽について話をする」小澤征爾×村上春樹(新潮社)という対談集で、今どこの本屋にも置いてある。何が面白いかというと、これはむしろ村上春樹著といってもいい本なのだ。
 すでにこのホームページで書いたことがあるが、僕は小澤さんのアシスタントを一度だけしたことがある。その時に分かったことであるけれど、小澤さんは、いつも真っ直ぐ音楽に向かうとても行動的な人で、みんなを集めてウンチクを語ったりするタイプではない。その意味では、たとえば若杉弘さんなどとは正反対のタイプなのだ。
 その小澤さんに言葉でしゃべらせても、通常は彼の作り出す音楽の十分の一も価値のある内容を引き出すのは難しいであろう。でもそうした小澤さんから、あれだけの内容を引き出した村上春樹氏の手腕はさすがという他はない。

 まず村上氏の音楽の聴き方が並ではない。通常のクラシック・ファンのおおざっぱな聴き方とは完全に一線を画していて、細部に至るまで完全にプロの耳を持っている。そして、
「この演奏を聴いてこう思うんですが、どうお考えですか?」
という風に、小澤さんにバシバシ遠慮なく質問をぶつけていく。これ、相手怒るんじゃねえの?と思うくらい容赦なく。でも小澤さんは気分を害することもなく、
「僕はねえ、今までそんな風に考えたことがなかったけれど、そう言われてみればそうかも知れない」
という風に応対している。そのことによって、小澤さん自身も気が付かなかったセイジ・オザワという芸術家の赤裸々な姿が浮き彫りになってくるのである。彼の類い希な才能、集中力、感性・・・・・そして欠点も・・・・。

 その意味では恐ろしい本である。欠点は同時に長所でもあるし、同業者なので批判めいたことは言うべきでないと思うが、小澤さんがどういうタイプの音楽家かひとつだけ述べると、彼は彼が取り組んでいる曲に対して、その背景からアプローチしていくというより、全くダイレクトにスコアと向かい合っていく。
 譜面を深く読み込み、それをオーケストラという媒体を通して現実的な響きに作り上げていく才能は、恐らく世界一か、少なくとも今生きている世界中の全ての指揮者の中でも間違いなくトップクラスである。でもその一方で、時として、音そのものを操ることで自己完結してしまう傾向がある。つまり、譜面から少し距離を置いたところで作品を“理念的に”把握するというということがやや希薄なのである。
 村上氏はその部分をどんどん突っ込んでいく。それに対して小澤さんは、驚くべき事に、ひとつも反論することが出来ないどころか、そもそも何も答えられない。村上氏は、小澤さんがそれぞれの作曲家の作品に託した想いをどう読み、どういうコンセプトを持ってその表現に向かうかといった点を訊きたいのだろうが、それに対して小澤さんは、そんなことなどこれまで一度も考えたことがないと天真爛漫に答えているのだ。

 ただ、このことが小澤さんという音楽家の価値を下げるものではないと断っておきたい。だから小澤さんは小澤さんなのである。小澤さんはそういうタイプの音楽家としてトップまで登り詰めた人である。とにかく徹頭徹尾感性が研ぎ澄まされた人なのである。
 でももし、あれだけ才能がありながら、ヨーロッパ、特にウィーンにおいて手放しでトップクラスに評価されなかったとしたら、その背景には、ヨーロッパ人が、アメリカ人よりも音楽に、より観念的なものや哲学的なプラスアルファを求めるという傾向があるからではないかと僕には思われる。
 これ以上は、みなさんが実際にこの本を読んで感じて欲しい。とにかく、実に知的な興奮を呼び起こす本であることは間違いない。特にカラヤンやバーンスタイン、グレングールドなどの話は圧巻です!

新国立劇場の新年
 さて、新国立劇場では、新年早々「ラ・ボエーム」のプロジェクトが始まった。再演のプロジェクトであるが、演出家の粟国淳(あぐに じゅん)さんが自ら陣頭指揮を執る。いやあ、彼の稽古場を仕切る能力は素晴らしい。自分のこの作品に賭ける想いを、もの凄いバイタリティでしゃべる、しゃべる、しゃべる!!イタリアで育った彼は、基本的にイタリア人的気質を持っている。でも、イタリア人でも、ここまで熱い奴は珍しい。その情熱に、百戦錬磨の合唱団員達がみんな心酔して、モチベーションを上げて、濃密な空間を稽古場に作り上げている。これは年明け早々面白くなりそうだぞ!

 同時進行で「沈黙」の合唱音楽練習が進む。初演の時を思い出してみると、原作者の遠藤周作さんは、このオペラ化された「沈黙」をあまり喜んでいないようであった。それも無理もない。原作の最後の部分をゴッソリ抜き取って、ただOra pro Nobis「我等のために祈り給え」という舞台裏の合唱だけで終わっているのだ。遠藤周作さんの最もこだわっていたイエス像、すなわち人間の弱さを受け入れるイエスの言葉はどこにもない。

 原作では、踏み絵を踏むロドリゴにイエスがこう語る場面がある。

(踏むがいい。お前の足は今、痛いだろう。今日まで私の顔を踏んだ人間たちと 同じように痛むだろう。だがその足の痛さだけでもう充分だ。私はお前たちのその痛さと苦しみをわかちあう。そのために私はいるのだから)
「主よ。あなたがいつも沈黙していられるのを恨んでいました」
「私は沈黙していたのではない。一緒に苦しんでいたのに」
「しかし、あなたはユダに去れとおっしゃった。去って、なすことをなせと言われた。ユダはどうなるのですか」
「私はそう言わなかった。今、お前に踏み絵を踏むがいいと言っているようにユダにもなすがいいと言ったのだ。お前の足が痛むようにユダの心も痛んだのだから」
 この部分が全くないわけだ。これは、言葉の芸術である文学の畑に生きている遠藤氏には考えられないことであろう。この一番大事なセリフをカットするなんて!でも僕はあえて言いたい。このオペラ化に際しての作曲家松村禎三(まつむら ていぞう)氏の処理は、これ以上の解決方法は考えられないくらい素晴らしいものであるという事を・・・・。

 ロゴス(言葉)の終わるところから音楽の世界は始まるのだ。Ora pro Nobisという慰めに満ちた合唱音楽の流れる空間は、沈黙しているけれど歴然と存在している神の臨在を表現する。原作のように具体的ではなく、象徴的なところにとどまっているかも知れないが、音楽の鳴る空間は、全ての言語を沈黙させる“浄められた空間”なのだ。
 原作を読み込んでからオペラに来た人は、
「これだけ?」
と思われるだろうが、これだけなのだ。これ以上でもこれ以下でもない。松村氏が熟考に熟考を重ね、ギリギリのところで決断し譜面にしたためた、まさにオペラならではの表現方法なのである。その意味では松村氏もこの部分に命を賭けているし、松村氏が作曲家のみならずドラマティカーとして、また宗教者として第一級の人物である証しでもあるのだ。

 どうかオペラ「沈黙」にいらっしゃる方は、先入観なしにこの終幕を味わって欲しい。僕も、合唱指揮者として、この部分に命を賭けます!

白馬編
僕のシンフォニエッタ

 読響第九演奏会が12月26日で無事終了すると、翌日から長女の志保と白馬に行き、30日まで3泊4日のスキー三昧の日々を過ごした。妻と次女の杏奈は、それぞれ用があるので東京に残った。27日早朝、妻は僕たちを車で白馬行き高速バスの日野停留所まで送ってくれた。
 中央高速道路の途中にあるこうした高速バス用停留所に行く度に、僕は村上春樹氏の1Q84の冒頭を思い出す。別にヤナ-チェック作曲の「シンフォニエッタ」が流れて別次元の世界に紛れ込んでしまうとは思わないけれど、スキー板やブーツの入った大きなバッグを持って鉄筋の階段を登り、カチャッと鉄板のドアを開けると、何か立ち入り禁止の工事現場に入っていくような後ろめたさを感じる。危険な高速道路に用のない人がむやみに入らないように、わざと無愛想に作ってあるんだろうな。このよそよそしさが、かえって僕には、日常からの離脱を導くプロムナードのように感じられる。

 松本を過ぎて豊科インターを降り、夏には爽やかであった安曇野をひたすら走る。何も目新しさを感じないし心もときめかない。何故なら雪が全くないからだ。それが大町市に入った途端、家々の屋根や道路脇が雪の白さで覆われ始め、みるみる雪国の様相を呈してくる。すると、大気が突然魔法がかかったように感じられてきた。その時僕は気付く。雪こそがシンフォニエッタだ!
 雪はトンネルを抜ける毎にいちだんと深くなっていく。まるで妖精の振り下ろす杖によって大空に銀色の粉がまき散らされたように、森の景色がマジカルな輝きを帯びてくる。僕の心もときめいてくる。空間が曲がり始め、僕たちは月の二つ見えるパラレル・ワールドに踏み込んできたのだ。

 白馬五竜の停留場では、ウルルのマスターが迎えに来てくれていた。雪の中で見ると、ウルルのマスターも別世界の住人に感じられる。今日から2泊お世話になる。晩には、またジャズの流れるラウンジでの、見知らぬ宿泊客との楽しい語らいが僕たちを待っているだろう。
 ウルルにチェック・インをしてから着替えて、五竜とおみゲレンデのセンターであるエスカル・プラザにそそくさと向かった。親友角皆優人(つのかい まさひと)君は、タイ人の個人レッスンに今日までの数日間つかまっていて来られない。その代わりに角皆君の新妻である美穂さんが僕たちを出迎えてくれた。3人で昼食をとりながら今回のレッスン・スケジュールの話をする。

 お昼を食べ終わると、美穂さんはタイ人のレッスンに参加するため出掛けていった。僕と志保はスキーを履いてとおみゲレンデのクワッド(4人乗り)リフトに乗り込む。8月に訪れた時、背の高い夏草で覆われていたこのゲレンデは、雪景色の中で見事な変身を遂げている。天気は良いが風が頬に突き刺さるように冷たい。
 キーンと凍り付いた大気を大きく吸い込んで僕たちは滑り出す。なだらかな初心者用のとおみゲレンデではあるが、結構スピードは出る。背筋を伸ばし骨盤を立てて、ストック・ワークのリズムを確認し、重心移動やフォームをチェックしながらウォーミング・アップ。
 今日は、強風のため山の上のアルプス平ゲレンデはリフトが止まっているそうなので、ゴンドラには乗らずに下で滑ることにする。僕たちは、より人の少ないいいもりゲレンデの方に行った。いいもりゲレンデの中級コースは案外充実していて楽しい。



 リフトが止まる4時50分ギリギリまで滑ってウルルに帰ると、2人共ベッドに倒れ込んでそのまま起きられない。半日だけといえどもガッツリ滑りまくったからね。イタリア語の練習問題などいろいろ勉強道具を持ってきたのに、全く手をつける気にならない。
 チェックインの時に夕食時間が6時と聞いた時は、
「早っ!病院みたい!」
と2人で言い合った。でも仕返しをされたみたいに、今やお腹ペコペコで夕食が待ち遠しくて仕方がない。
 ウルルの心のこもった素晴らしい夕食を食べ、再び部屋に戻ってベッドに入り、テレビをつけっぱなしにして見るような見ないような状態でボーッとしまくる。こんな生活したことない。テレビは、普段は「報道ステーション」や「ニュース23」などのニュースや音楽番組を時間を決めて見るだけ。家にいる時は、いつも何かしていて、ボーッとしている瞬間なんてない。考えてみるとあわただしいんだな、僕の生活って。だから、こんな風に日常とは全く違った状態に自分を置くことが、今の自分には必要なのかも知れない。


フランス語の響くラウンジ
 意を決してベッドから起き上がり、お風呂に入って、ウルル滞在の楽しみのひとつであるジャズの流れるラウンジに行った。するとそこに在日フランス大使館に勤めるフランス人大使がいた。僕達は、志保と3人で話がめちゃめちゃ盛り上がった。
 彼は、日本語はほとんど片言しか話せないので、全てフランス語会話。志保が普通に話せると分かると、大使は遠慮しないでもの凄い勢いで話し始めたので、僕には半分くらいしか分からなかったが、それでも何を話しているかはほぼ分かる。
 後から、2人の子どもを寝かしつけた関西出身の奥さんも加わった。陽気で可愛らしい奥さんで、二人で交わし合うジョークが、フランス人と関西人のノリがとても似ていることを僕たちに気付かせる。
 彼は言う、
「日本語になったフランス語って変だよね。『ミルフィーユ下さい!』って言うのを聞いたよ。『千人の娘mille filles下さい!』だって。ビックリしてしまうよ」
本当はmille feuilles(千枚の葉っぱ)という意味で、日本語にするならむしろミルフェイユと書かれるべきであると思う。僕は答える。
「それを言うならサクレ・クール(モンマルトルの上の寺院。聖なる心という意味)って言うじゃない」
彼は笑いながら、
「あはははは、クールcoolな(カッコいい)寺院って感じ?」
本当はSacre-coeurサクレ・ケールと言うべきなのだ。

 彼は本当に楽しい人で、フランス大使館に勤めているとはとても思えない。実は、つい最近まで三澤家は杏奈を中心にしてフランス大使館に対してかなりマイナス・イメージを持っていたのだ。何故ならサルコジ大統領になってからの対外国人政策のあおりを食って、杏奈のビザが取得出来なかったのだ。それで、本当は1年間のつもりで杏奈はパリに行こうとしたのに、急遽3ヶ月で帰ってこなくてはならなくなったというわけだ。
 さらに、帰国後すぐにいろいろな書類を携えてフランス大使館に行ったのに、大家さんの滞在証明書の裏面のコピーが必要だなんて、まるで意地悪としか思えない要求をされてすごすごと帰って来た。
 それからフランスの大家さんに再度連絡を取り、大変な思いをして送ってもらい、大使館に持って行ったら、なんと、あろうことかすでにビザは発行されていて、申請者が取りに来るばかりになっていた。つまり、その書類はそもそも要らなかったのだ。第一、ビザが出ているなら出ているで、連絡くらいしてくれてもよかったではないか。
「全く、あの人達、自分は痛くも痒くもないもんだから、いい気なもんだわ」
というわけで、きっとフランス大使館に勤めている人はみんな冷たい人なんだろうと思っていたのだ。

 ジャズの流れるウルルのラウンジでは、このようなインターナショナルな語らいが夜更けまで続いていく。フランス大使館にもこんな楽しい人がいるのが分かって、国際親善にも少しは役立っているかも知れない。

角皆君と美穂さんのアプローチ
 28日水曜日は、角皆優人君に1日個人レッスンを受けた。
「この稼ぎ時に角皆さんをまる1日独り占めするなんてうらやましい限りですね」
とウルルのマスターに言われた。友情の乱用だとは僕も思う。
 志保は、角皆新夫人の美穂さんの個人レッスン。午前中は4人で合同に行い、午後はそれぞれ分かれて、僕の方はいよいよ念願のコブに挑戦した。次の29日は、角皆君には予約した個人レッスンが入っているので、僕が午前中だけ美穂さんに個人レッスンを受けた。



 角皆君の教え方と、美穂さんの教え方は、ある意味正反対だ。でも、僕にとってはそのコンビネーションが理想的とも言える。僕のアプローチの仕方は、音楽でもなんでもまず理屈で考えて、どの方向にどこまで行けばいいかを把握し、それから反復練習で体に覚え込ませてその目的に近づけていく。僕は、遅くなってから音楽家になろうと思って本格的に音楽の勉強を始めたので、こうした演繹的アプローチを行うのだが、角皆君にとってのスキーも同じなのだ。
 彼も小さい時からスキーに自然に親しんで、というタイプではなく、大学時代になってから突然フリースタイル・スキーに取り憑かれ、短期間の間に全日本チャンピオンにまで上り詰めたのだ。というか、それ以前に気質的に僕たちはとても似ているのだ。いろいろ交流を重ねる毎に、互いに全然違う面も持ちながら、僕達は根本的なところではまさに“魂の兄弟”だなあと再認識する。
 一方、美穂さんの物事に対するアプローチは、僕とは正反対で、むしろ志保の感性にとても近い。志保は、僕と違って小さい時から音楽が当たり前のものとして自分の周りにあり、理屈よりも体で全てを覚えてきた。だからとても感覚的で無理がなく自然なのだ。

 コブの滑り方は、理論的にはそんなに難しくない。一口にコブを滑ると言っても、初心者と上級者とでは天と地ほども違うらしいが、まずはコブの一番高いところ(山の部分)でターンする。初心者の場合は、ターンの後スキーをずらしてスピード・コントロールするので、ゆっくり落ち着いてやればそんなに恐くない。
 昨年、角皆君は整地で僕に屈伸抜重を教えてくれた。彼の理論ではこうだ。高いところでターンし、コブの谷の部分でずらすため、ターンの瞬間には体をかがめ、ずらす時に体を伸ばすという、通常とは逆な体勢をとるのが自然だ。それなので、まず整地でそのシミュレーションを徹底的に行ってから、初めてコブに行ってシミュレーション通りに滑るわけだ。
 ところが29日の美穂さんのレッスンでは、
「伸身抜重でいいですからコブをターンしてみましょう」
と言うので驚いた。へえーっ、伸身抜重でもコブを滑れるんだ????
 何度も滑っている内に分かってきた。もしかしたら伸身や屈伸は、本当はあまり気にしないでもいいのかも知れない。つまりそれは、やっている内に自然に分かることでもあるのだ。
 伸身抜重でコブをターンをすると、雪面の凹凸に合わせて体全体も上下してしまう。ゆっくり滑っている時はそれでもいいけれど、しだいに速く滑ってくると、その方法では雪面から来る衝撃をもろに受けてしまう。それに本人が気が付いた時点で、
「ターンする時に身を屈めて、ずらす時に延ばして、上半身がいつも一定の高さに保つようにすれば、衝撃を吸収できるのですよ」
と助言を与えればいいのである。こうした方法が、むしろ志保や美穂さんたちの親しんでいる経験論的世界観なのだ。
 レベルが上がるにつれて、結果的には誰しも屈伸抜重に落ち着くのであるが、そこに至る過程にはいくつかの方法があるということだ。角皆君のように、整地で徹底的に屈伸抜重の練習をして、それからコブに向かうというメソードをとれば、無駄がなく能率的なのは分かり切ったことであるが、そうした型にはめられることを窮屈に感じる人も、世の中にはいるかも知れない。
 指揮の斉藤メソードだって優れたメソードではあるが、「たたき3年」と言われるように、「たたき」をクリア出来なければ、いつまで経っても初心者扱いで、次のステップに行かしてもらえないと言われると、それ違うんでねえの、とツッコミたくなる。「たたき」なんて、ズレズレになったオケを即座に合わせるための特効薬みたいなもので、それ自体では決して音楽的な動きではないからね。

 角皆君が29日の夜、僕にあやまってきた。
「僕がやっておくようにと美穂に言い渡しておいたことを、美穂がやらなかったというので怒ったんだ。ごめんね三澤君!」
「ええっ?一体何を教えなかったわけ?」
「屈伸抜重でコブのターンをさせること」
 でも、全然心配ご無用。僕は、、美穂さんのような経験論的アプローチと角皆君のような演繹的アプローチの両方を頭の中で合体させ、自分がこれから何に向かっていけばいいのかをすでに知っているのだ。

 最終日の30日の午前中。いいもりゲレンデのクワッド・リフトの上から見た、沢山の人達がはまり込み動けなくなって悩んでいる非圧雪地帯に、僕は勇気を出して乗り込んでみた。1度目は慎重に、2度目はちょっと攻撃的に。
 コブの頂上でターンをする時、スキーの先頭(トップ)も後尾(テール)も宙に浮いた状態になっているから、クルンとあっけないほどにターン出来る。勢いをつければ、その瞬間ジャンプすることだって出来る。
 でも調子に乗りすぎると、コブの頂上がなだらかな分だけ、その下の谷に落ちるラインはもの凄く急斜面で、それからすぐに次のコブの頂上が来るので、体に衝撃が直撃する。うわっ!おっとっとととと!ドスン、バタン!ズン・・・・・・!
 途中で一度止まって考えた。えーと・・・・角皆君が言っていたことを思い出す。上半身を安定させ、足を雪面の起伏に合わせて上下すれば、衝撃を食らってしまわずに安定して滑れる・・・・と。よっしゃ、出来たぞ!
 角皆君自体がトップ・クラスのスキーヤーだけではなく、比類なき教師であるのは疑問の余地がないけれども、彼は今の僕にとってはね、スキーをさせるために僕の前に忽然と現れた“神の使い”だね。しかも普通、こんなコブ初心者がこんな最高の教師になんて教われないぜ。この運命の意味を僕は今後の人生で解明しなければならない。って、ゆーか、そんなことより、コブっておもしれえ~~~~!


無理しません!
 モーグル選手の動きを見ていると、背筋を伸ばして骨盤を立てる、いわゆるスクワッド・ポジションを常に保ちながら、時には膝を胸ギリギリまでつけたり、時には足を伸び切ったりしながら、雪面の凹凸に対応して行く。足が横を向いても、上半身だけは真っ直ぐ谷に向いていて、上半身だけ見ていると、ほとんど一直線に谷を降りて行く。あれが理想なのは分かっているが、言っておくけど、あんな芸当はとても凡人には出来ない。
 さらに、上村愛子などのやっている方法は、それにカーヴィングの技術を取り入れ、ずらすことによって衝撃を吸収する方法ではなく、むしろターンの後、下のコブにスキーのトップをぶつけるようにすることでスピード・コントロールをするという、考えられないような方法で滑っているのだ。どう考えても人間業ではない。

 「還暦モーグル」というのを目標に掲げていたが、「モーグル」という言葉を使うのはやめたほうが良さそうだ。僕のような年寄りが「モーグル」などにうっかり深入りしたら、腰や膝を痛めるのが必至だ。でも、「コブに挑戦」という基本的態度は貫くぜ!
 コブは、圧雪した整地と違って、ちょっと進むのにももの凄く神経を集中するし疲れるが、一度ハマるとめちゃめちゃ楽しい。ちょうどバッハのモテットやロ短調ミサ曲の凝縮した合唱曲を頭の中で鳴らすようだ。認識するのが難しければ、ゆっくり進めればいいし、いけそうだと思ったら、能力に合わせて少しずつテンポを上げていけばいいのだ。まだまだ超初心者だし、コブの入り口に立っているだけだけど、その奥深さにだけは気付き始めた。でも無理はしないんだ!

 それよりも、整地のなだらかなところでは、カーヴィング・ターンの楽しさに少し目覚めてきた。キュイーンと猛スピードで回り込んでいくのだ。これも今回角皆君から教わった。カーヴィング・ターンに関しては、またいつかゆっくり書く。もうちょっと滑り込んでからでないと何か書くまでには至りませんからね。

角皆邸
 12月29日になったら、年末年始をゲレンデですごそうとするスキー客でゲレンデもレストランも溢れかえっている。どこへ行くのにも誰しも最初に乗らないといけない「とおみゲレンデ・クワッド・リフト」などは、
「これってディズニーランドのアトラクションかよ!」
と思うほどの列が出来ている。
 角皆君は言う。
「こんな時は、温泉に行っても浴槽にまで辿り着けないし、レストランに行ってもならんでいて店の中になんて入れっこないさ。僕の家でお風呂に入って食事をしよう。美穂が作ると言っているよ」
 今日は、ウルルではなく角皆邸に泊めてもらうことになっている。僕は、角皆夫婦にこんなにお世話になったのだから、夕食くらいこちらからご馳走しようと思っていたのだが、逆に美穂さんの手料理を堪能することになってしまった。僕と志保にとってみると、まさに至れり尽くせりの旅だなあ。
 夕食も朝食も、角皆家の食事はヘルシーそのもの。美穂さんの料理の腕も最高!角皆君には、いつもマイブームがあるが、現在は酵素の研究をしていて、その理論を取り入れた食事が出た。こんな風に毎日スポーツをしている生活をし、お酒も飲まないで(その晩は僕と志保も禁酒でした)健康的な食事をしていれば、長生き出来るなあ。朝食だってすり下ろしたリンゴから始まるんだ。
 それから、彼の音楽のマイブームは、モーツァルトとブラームスのクラリネット五重奏曲。ライスター、プリンツといったジャーマン系、ウィーン系のクラリネットの音は、ふくよかで柔らかくていいなあ。若い時からこれらの曲は好きだったけれど、歳を取ってくると、クラリネット五重奏曲のそこはかとない哀愁はたまりませんなあ。外は雪に閉ざされた別世界。暖かい部屋の中で暖炉に薪をくべながら次々とCDをかける。楽しい音楽談義はいつまでも続く。

美穂さんのこと
 美穂さんは、スポーツも万能だけれど、音楽も大好き。角皆君と一緒に並んでいるのを見ていると、つくづくお似合いだなあと思う。加えて、美穂さんのおおらかな性格がとてもいい。角皆君をやさしく包んでいる。
 僕くらいの歳になってくると物忘れも激しくなり、初めて話す話題のつもりでも、志保や杏奈に言わせると、
「聞いた、聞いた。それってパパ、3度目だよ」
ということが少なくない。若い娘たちは僕を見て「この年寄りめ」と思っているに違いないのである。別に怒りもしないしがっかりもしない。それが自然の摂理だし、僕は自分の老いを抵抗なく受け容れている。
 でも癪なのは妻だね。同じように物忘れが激しくなっているのに、自分がたまたま覚えていることを僕が忘れていると、娘と一緒になって僕を馬鹿にするんだぜ。まあ、それはいいとして、だから僕は、もし妻がいなくなっても、もう若い奥さんは絶対にもらわないと思う。仮にもらったとしても、若ぶって合わせようと背伸びするのだけは絶対に嫌だ。

 でも美穂さんのような人だったら話は別だ。彼女は、志保よりも5歳くらいしか上ではないのに、よく角皆君に付き合っている。って、ゆーか、無理して合わせている感じでもないので、もしかしたら天然のオトボケなのかも知れない(失礼!)。
 オトボケといえば、スキーはもの凄くうまいのだけれど、僕のレッスンをしている時に、
「こういうフォームで滑ります・・・あららららら・・・・」
と、目の前でコケている。
「だ・・・大丈夫ですかあ?」
「コケちゃいました。テヘ!」
なんとも和み系で可愛い。

 角皆家の朝は早い。朝食は6時15分。7時半には家を出る。角皆君は、
「ごめんね。せっかく泊まってもらっているのに・・・」
と恐縮していたけれど、逆に僕達にとってもそれは都合が良い。何故なら今日は最終日で半日だけだから、めいいっぱい滑りたいのだ。
 こんな風に、角皆家の新家庭は、僕の白馬スキー・ツアーにすがすがしい後味を残してくれた。僕は今、角皆君という存在をとても必要としている。彼の近くにいるだけで、得られることが無数にある。僕達の友情は、すでに長い年月経っているのに、まるで今始まったばかりのような気がする。

 白馬五竜のバス停から長野駅行きのバスに乗り、約1時間かけて長野駅に出てきたら、もう雪はなくなっていた。それと同時に、僕の心の中から魔法が消えた。1Q84からただの1984に戻り、馬車はかぼちゃに変わり、馬はねずみに変わってしまった。長野から新幹線に乗って高崎まで来て、在来線に乗り換え、群馬の実家である新町に着いた。お袋が僕のために残して置いた神棚の掃除が僕を待っていた。



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