ゼンパー歌劇場合唱指揮者との対談

三澤洋史 

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風邪を引きました
 先週は風邪を引いてしまった。年末にスキーをしていた時は元気溌剌だったが、その後お正月に、群馬で食っちゃ寝、食っちゃ寝の生活をしてたるみまくったものだから、東京に帰ってきてもなんとなく体が爽やかではなかった。
 そこへもってきて「沈黙」の練習が始まったので、意識がズズーッと下の方に引っ張られるような気がして、さらに体がぐずぐずし始め、しまいに喉が痛くなり鼻水やくしゃみが出始めた。
 いやいや冗談で言っているのではない。体調が落ちているところへこうしたシビアな内容の作品の練習をすると、僕の場合、本当に受けてしまうのである。「沈黙」という作品に取り組むことは、心情的にもシビアであるが、恐らく潜在意識の領域で魂にも相当にこたえているようだ。
 まだ合唱音楽稽古の段階なので、もっと距離を置いてドライに接すればよかったのだろう。でもね、クリスチャンのはしくれの僕とすると、どうしても内容にのめり込んでしまうのだ。仕方ないだろう。気が付いたら合唱団員相手に遠藤周作氏の原作を読んで聞かせたり、宗教論やうんちくを延々と述べたり・・・・・・。

 勿論「沈黙」のせいだけで風邪を引いたわけではない。それに、体調さえ良ければどんな作品をやっても何でもない。「軍人たち」のような、もっとマイナス波動に満ちた作品だって自分のパワーで跳ね返す事が出来る。むしろ「沈黙」では、同じくらい宗教的なプラス波動があるので、それを体に浴びて元気をもらうことだって出来るのだ。大事なことは、基本的な体調だ。だからこそ、フィジカルに体調管理をしておくことは、精神生活を送る上でも大切なことなのだ。

 このオペラの中には、モキチなど踏み絵を踏まなかったキリシタンが、海の潮の満ちてくるところにくくりつけられて溺れ死ぬ場面がある。その場面は、僕にも東日本大震災の津波の場面を想起されて辛いが、それでももし、それを見る辛さ故に誰かがクレームをつけて、オペラの上演に影響するようなことがあったなら、僕としては体を張ってでも上演を守りたい。何故なら、その辛さこそがこの作品のこの作品たるゆえんであるのだ。
 このオペラは、登場人物を究極の状況に追い込み、その中から人間存在とは何かを根源的に問う作品なのだ。そこから目を逸らしては、人間の本質には迫れないのだ。僕たちは誰も自分や自分の近親者の死について考えたくないだろうし、死に臨む時の苦しみについて語ることはなるべく避けて通りたいだろう。でも、人間は誰でも必ず死ぬのだし、その苦しみだって避けられないものだ。そして宗教こそは、死を含めたところでの我々の人生について考察するものであるのだから、この作品を上演する以上は、その事実を見つめ、その中から真実を探るべきなのだ。それがどんなに辛いことであっても・・・・・あっ、また風邪がぶり返してきた。

ヒートテック
 風邪を引く前、必ず一度は体が芯から冷えて、お風呂に入っても布団の中で温かくしようとしても一向に暖まらない時がある。今回風邪がそんなにひどくならないで済んだ背景には、そんな時にヒートテック素材の下着を着込んだことがあるかも知れない。
 僕はこれまで木綿などの自然素材しか身につけない主義であったが、最近になってちょっと考えが変わった。スポーツをするようになってから、化学素材のメリットに少し目覚めたのだ。

 たとえば、白馬のように極寒のゲレンデで長時間スキーをするとする。滑り降りて汗を掻いている状態でリフトに乗って、吹きっさらしの中ある程度の時間動かないでいなければならない。そんな時、木綿の下着を着けていると、汗をかいた下着が冷えて風邪を引いてしまう可能性がある。ひどい時には凍傷になってしまう人もあると聞く。なんてったって山の上のアルプス平ゲレンデなどは、零下10度くらいにはすぐなってしまうのだからね。 
 一方、ヒートテックという素材は、人間の発汗する水分に反応して発熱する素材なので、汗が冷めて寒い思いをすることがない。これはすでに白馬で証明済みである。このヒートテック素材の長袖のシャツやタイツを、見栄を張るのはやめて風邪引いている時にずっと身についていた。それが思いの外効果的だったような気がする。お酒だけは控えていたけれど、熱が出たり仕事に影響が出たりすることなく、どうやら過ぎ去っていったようだ。

スイムタオル
 ヒートテックとはまた話は違うが、やはり化学素材のスイムタオルがある。普通のタオルと違って場所を取らず、くるくるっと丸めてケースに収めればどこでも持って行ける。僕が仕事帰りにプールに行く時、カバンに入れるタオルがかさばるので悩んでいたら、娘の志保が、
「パパ、こういうのがあるよ」
と教えてくれた。早速買って使ってみたが、最初はかなり抵抗があった。でも今では、もしかして練習が早く終わったら寄り道して泳いでこようかなと、確信が持てないで水着を持参する時にはいつでもカバンの中にある。
 体を拭く感触はお世辞にも心地良いとは言えない。表面がビニロンという物質で、芯はポリエステルということである。スポンジとシリコンを合わせたような感触で、まるで体をモップで拭かれているようだ。でもその水分の吸収力たるや驚くべきものがある。一度サーッと体をなぞると、もう後には肌に水分のかけらも残っていない。それに紙おむつなどのように、一度吸い取った水分は決してしみ出してこないので、カバンの中に他のものと一緒に入れていても安心なのだ。

 こんな風に、スポーツの世界では至る所に科学(サイエンス)の眼が入っていることに最近になって気が付き、いろいろ驚いている。スポーツでは、タイムを競ったり体力の極限の可能性を探ったりするものだけに、人間の肉体の様々な状態に直接向き合っている。だからこそ自然素材志向なのかと思っていたが、逆にだからこそ自然素材であれ化学素材であれ、こだわることなしに結果オーライであって、化学素材の発展する可能性が開かれているのだ。そういえば、道路を自転車に乗ってもの凄いスピードで走っている人なんか、上から下まで化学素材オンリーだよな。

 それでも僕の意識はどうも時代の流れについていけなくて、心情的には依然ナチュラル素材派なんだ。オペラ「古事記」の打ち上げの時も、衣装デザイナーの前田文子(まえだ あやこ)さんと、舞台衣装の素材の話で盛り上がった。ニニギノミコトの衣装の作り出すシュプールが美しかったので、僕は彼女に尋ねた。
「あれはオーガンジーですね」
「そうです」
「オーガンジーと言っても、最近はよく化繊を使いますが、あの動きは本当のシルク(絹)ですね」
「その通りです。よく分かりますね」
「風に舞うシュプールや、人が着て動いた後の漂い方に関しては、もう絶対にシルクにかなうものはありませんね。化繊なんて駄目ですよ」
「おおっ!指揮者の中でこんなことに気が付いてくれる人は始めて見ましたよ。予算削減のために化繊を使いましょうと私もよく人に言われますが、大事なところでは絶対シルクでないと駄目と思って自分を通しています。嬉しいですね、我が意を得たりです!さあ、今日はどんどん飲みましょう!」
と彼女は、もの凄く嬉しそうな顔をしてくれた。
 僕は、自分で演出もしているから、他の指揮者よりはこうしたことには関心があるのだ。でもね、その割には、自分が日常着ている洋服には全く無関心で、ほとんど裸でなければOKという無頓着さなのである。

 家の中を見ると、妻はあんなに冷え性で寒がりなのに、僕がいくら薦めてもヒートテックなどは一切着ないで自然素材一辺倒で通している。一方娘たちは、化繊には全く抵抗ないので、フリースであろうがパーカーであろうがどんどん着ている。それどころか、時々僕が年寄り臭くならないように若向きの洋服を買ってきてくれるのである。なので、よくパーカーなど着ているが、心のどこかでは化繊ということで引っ掛かっている自分がいる。やっぱり妻と一緒で、僕は古い人間なのです。

ゼンパー歌劇場合唱指揮者との対談
 雑誌音楽の友に第九に関するコメントを載せたら、なんだか評判が良かったようで、次の仕事をいただいた。1月12日から18日まで来日して日本の合唱団員相手に公開レッスンを行うドレスデン州立歌劇場(ゼンパー歌劇場)合唱指揮者のパブロ・アッサンテ氏と対談することが昨年末に決まった。

 アッサンテ氏の事は何も知らなかったのでインターネットでいろいろ調べてみた。

パブロ・アッサンテ氏はブエノスアイレス生まれ。アルゼンチンでピアノや指揮法を学んだ後、ザルツブルグのモーツアルテウム音楽院で指揮法、合唱指揮法を学び、それからドイツの劇場をいくつか渡り歩いて2009年のシーズンからドレスデン州立歌劇場の合唱指揮者となった。その間に、ローマのサンタ・チェチリア音楽院で「トゥーランドット」や「カルメン」、ブリテン作曲「戦争レクィエム」などを手がけている。
 1月13日金曜日。僕は神楽坂にある音楽の友本社に出掛けていった。写真を見る限り、そんなに気難しい人には見えなかったので緊張はしていなかったが、雑誌の編集者が要求するような内容の対談が成立するのか確信は持てなかった。でも、僕達は会うなり意気投合し、互いをduで呼び合い、同業者故に話題に事欠くことなく、1時間の予定の対談はなんと2時間以上に及んだ。最後は逆に「誰か止めてくれえ~!」という感じであった。
 僕達はドイツ語で会話していた。最近僕はイタリア語づいているので、会話の途中でaber(でもね)というつもりが、うっかりmaと言ってしまった。するとパブロ君(以下このように呼ぶ)はすかさず、
「あれ、君、今イタリア語しゃべったよね。僕はアルゼンチン生まれだからスペイン語が母国語で、本当はドイツ語よりもイタリア語の方がいいんだ。イタリア語でしゃべろうか」
と言う。それもいいなと思ったが、
「でもさあ、今日はドイツ語の通訳の人もいるので、このままドイツ語でしゃべろうよ。主催者が僕達の会話をテープから起こせなくなってしまうからね」
こんな風にドイツ語通訳の人のつけいる隙も与えなかった。せっかく呼ばれていたのに気の毒なことをしました。

 さて、肝心の対談内容だが、二人ではめちゃめちゃ盛り上がったものの、音楽の友の期待したものになったかどうかよく分からない。なにせ、僕達の会話はあっちに飛びこっちに飛び、日本人にワーグナーの音楽は分かるのかといった内容から、発声(ベルカント)の話、ドイツとイタリアの歌劇場の運営システムの違いや合唱団及びソリストの発声の違い、合唱指導する時の留意点など、あらゆる分野を駆け巡ったのだから。でも、まとめる人がきちんとまとめてくれるならば、恐らくかなり興味深い内容になるのではと思われる。それに帰り際の編集長の顔つきが嬉しそうだったので、まあ対談自体が失敗だったというようなことはなさそうだ。内容に関しては、来月の音楽の友の記事をみなさんが御自分でご覧になって判断して下さい。
 記事になるのかならないか分からないけれど(恐らくならないだろう)、現在のゼンパー歌劇場の内情についてちょっとだけ。この劇場はファビオ・ルイージが芸術監督をやっていたが、現在は芸術監督不在だそうである。何故ならルイージが突然辞めてしまったからである。パブロ君はルイージに呼ばれてゼンパー歌劇場にやって来たが、来るなりルイージが辞めてしまってとても困ったという。どうやら今秋から芸術監督に就任するクリスティアン・ティーレマンをめぐっていろいろあったようである。そのへんのところはパブロ君の憶測も入っていることなので詳しく書くことは避けるが、僕が受け取った印象では、まだ3年あまりルイージの任期は残っていたのに、次期監督に今をときめくティーレマンを迎えることで劇場が浮き足立っていて、何かの機会でルイージよりもティーレマンのことを先行させ、ルイージの神経を逆なでしたというのが妥当な線のようだ。
ルイージは予告なしに、
「明日から俺来ないから」
という感じで辞めたという。ドイツでは何ヶ月前と決まっている退任予告なしに辞めたら、契約違反で罰金を払わなければならない。それを知りながらのドタキャンということは、よっぽどのことがあったのだろう。その後彼は二度とドレスデンには来ないし、劇場内でルイージのことを話題にするのもはばかる雰囲気があるそうである。
「ティーレマンの性格ってさあ、○○○だよね」
とか、
「ルイージって、○○○に見えるけど○○○だよね」
とか、僕達は同業者でないと分からないあんな話こんな話をした。それは決して記事にはならないし、ここでも言わない。でも誓って言うけど、僕もパブロ君も、ルイージやティーレマンの事は両者とももの凄く尊敬している。新国立劇場で指揮したルイージの「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲の圧倒的な演奏は一生忘れないし、2010年夏のバイロイトのティーレマンの「リング」も一生忘れない。

 さて、僕達はとても仲良くなって、パブロ君が、
「君の劇場が是非見たい」
と言うので、彼は、日本での仕事の合間に新国立劇場の「ラ・ボエーム」の舞台稽古を見に来ることになった。僕が案内し、その後一緒に食事をしに行くことになっている。実に楽しみだ!さて、どこに連れて行こうかな。やっぱり居酒屋がいいだろう。

「おにころ」を作ったこと
 1月14日土曜日。新国立劇場の「ラ・ボエーム」の舞台稽古に突入したが、第1幕、第4幕のソリスト稽古に集中するというので合唱はお休みになった。そこで僕は急遽新町歌劇団の「おにころ」の練習に行くことにした。
 高崎線新町駅を降りて駅前通を歩いていたら、突然5時のチャイムが鳴った。「おにころ」の「愛をとりもどせ」のメロディーだ。立ち止まって聴いた。美しいと思った。同時に、夕暮れ時に聴いたらなんだか切ない気持ちにもなった。
 「おにころ」は僕の一番最初の本格的作曲で、「愛をとりもどせ」のネタバレすると、当時流行っていた「となりのトトロ」のテーマソングをちょっとだけパクッたものだった。ベースのラインはドシラソファと当たり前のような順次進行。誰でも作れそうな曲である。でも自画自賛ながらきれいなメロディー。あれからもっと凝った曲は沢山作った。でも、もしかしたら、これ以上の曲は作れないかも知れないと思った。

 新町歌劇団の練習場。高崎高校の生徒達が相変わらず来ている。子ども達もいる。東京からわざわざTさんも通ってきている。そんなこんなで人数が増えている。今日は最後の音楽稽古で、次回から立ち稽古に入る。いろんな曲の後でM1のThat's exciting 鬼祭りをやる。今から20年前以上の作曲。なんとエネルギッシュ!今作れるかなあ、こんなバイタリティに満ちた音楽。

 「おにころ」は水の物語である。東日本大震災の津波とは反対に、水が欲しくて争う物語である。でも人間は水と共にこれまでずっと生きてきたんだなあとあらためて思う。人間の思い通りにはいかない大自然。狭いエゴイスティックな心。それを打ち破ろうとする犠牲愛。無私の心。こうしたテーマは決して色あせることはない。それどころか、今こそ必要とされているのだ。
 まだ練習は始まったばかりだが、僕が自分の人生で「おにころ」を作り出したことは、少しは神様に褒めてもらえることのような気がする。ちなみに本番は8月18日(土)19日(日)群馬県高崎市新町文化ホールなので、まだまだ先です。



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